第5話

 翌日、あかがねは誅の刀を直すための炉を用意していた。本格的な鍛冶場とは似ても似つかないが、道具の傷を直す程度の簡易的なものならばいくらでも用意できる。火を焚いて鉄を叩くための場所と水場の確保を終えた所でどこかに行こうとしているみつがあかがねの視界に入った。他の子供は誅と山の恵みを採りに行ったり洗濯当番だったりで各々動いている。


「ん?みつ、どこに行くんだ?」

「あ、えっとね……お参りに行くの」

「お参り?」

「うん。すぐそこにあるんだけど、何日かに一回は絶対お参りするの。かやちゃんが元に戻りますようにって」


 はにかんだように笑って答えるみつだが、あかがねが守りを張っている範囲に何かを祀っているような所は無い。近場ならいいかもしれないとも思ったが、昨晩誅と話した事が頭を過ったあかがねはみつに提案した。


「なあ、俺も一緒に行っていいか?」

「あかがねも?」

「ああ。お前らが早く村に帰れますようにって俺もお参りしようと思ってな」

「そうなんだ!一緒に行こうあかがね!」


 あかがねの提案に嬉しそうに笑ったみつに手を取られて向かった先にあったのは苔むした祠だった。そこは村から遠くも近くも無く、あかがねが子供達を匿って守りながらねぐらにしている場所の範疇からも外れている。それでも祠というだけあって周囲になにか悪いものは居ないらしく、静かで清々しい空気が流れていた。

 あかがねが周囲を見回している間に祠の前で屈んだみつは手を合わせる。すぐにあかがねもみつに倣って手を合わせたが、その緑の目は祠の中をじっと見ていた。僅かに開いた小さな扉の先は真っ暗だが、あかがねには中に祀ってあるものが見て取れる。それは小さな鏡で、鏡面は曇っているが神気は残っていた。恐らくまだここの祠の主は生きているのだろう。しかし、今は不在のようでうっすらと気配だけが感じられるだけだ。


(なんでか分からねえが、ここをいくらか留守にしているような……?)


 残っている神気や気配になんとも言えない違和感を感じたあかがねだが、この祠の主にも何かしらの事情があるのだろう。なぜ不在なのかを特に追求する理由も無い。

 それからみつの気が済むまでお参りをしてから二人で来た道を戻った。


「たまにいねえと思ったが、みつはあそこにお参りに行ってたのか?」

「うん。村にいた時からずっとかやちゃんと分かれてお参りしてたから。みつがこっちでかやちゃんがあっち」

「あっち?」

「うん。かやちゃんがもう無くなっちゃった祠にお参りしてたの。どっちも遠いからあっちとこっちで分かれてお参りしてたんだよ」

「そうか。お前はあっちに行った事は無かったのか?」

「向こうの村に行くときに通りかかったらお参りしてたよ。でも、もうできない」

「なんでだ?」

「だってあっちは壊れちゃったんだ……でもかやちゃんが助かったのはきっと神様が守ってくれたんだよ」

「かやが、助かった?」

「うん。あかがねも山が崩れたって話は聞いたでしょ?」


 みつの言葉に首を傾げていたあかがねにみつは何かを思い出すように問いかける。それにあかがねは頷いた。ついこの間も誅にそこを見に行ってもらったばかりだ。


「あの日ね、よた兄とかやちゃんが山が崩れた時に巻き込まれたの」

「なに……?」

「でも二人とも無事に帰って来たんだ。よた兄はちょっとケガしてたくらいだけど、かやちゃんは血がいっぱい出てたの……でも助かったんだよ」

「そうだったのか」

「うん。だからまた皆一緒って思ったのに……かやちゃんがおかしくなっちゃったから、だから神様にお願いしてるの」

「……神様が願いを聞いてくれたらいいな」

「うん!」


 みつの話を聞きながら山を歩く二人が帰りつく頃には外に出ていた誅達も戻ってきているだろう。



 その日の夜、誅とあかがねは威勢よく騒いでいた。理由はどこに行くとも明かさないあかがねが夜通し帰ってこれないので、誅に色々と押し付け、もとい頼んでいるせいでもある。


「いや、なして俺の刀を持っていく?!もし何か来ればなんとする!」

「俺の刀の得物置いてくからそれでどうにかしてくれってんだろ!」

「こないだ振っだやづがなまくらだったでねが!」

「あぁん?!お前が扱い方知らねえだけだ!」

「なにぃ?!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を子供達が不安げに見ていた。そのせいかその視線に気づいた二人は、一旦冷静になろうと互いに一つ咳払いをして落ち着いたふりをする。


「ともかく!今晩の内に済ませたい用があるんだ!ついでにこれも必要になるかもしれねえ」

「なして晩げよ」

「夜しか行けねえだろうからな」

「帰ってくるべでな?」

「ああ」

「……んだば、せめて俺がちょしてもいいヤツ置いてってくれ」

「……仕方ねえな」


 大きなため息を吐いたあかがねが、置いていくと言っていた自分の刀を鞘から抜く。誅になまくらだと言われて遺憾ではあるが、確かにそれは言いえて妙だった。あかがねが使う刀は己を振るう者を選ぶ。実際、刀をちゃんと扱えた者はあかがねが知る限り片手でも十分すぎるほどしかいない。親交があった者に度々振るってもらってはいるのだが、その刀の偏屈ぶりは並大抵ではないらしい。

 そんな刀を掲げたまま、いつも腰帯に挿している煙管キセルくわえたあかがねは吸い口から大きく息を吸い込んだ。途端に、火を入れていないはずの火皿から煙が上がり、小さな火花が散る。やがてあかがねが、掲げていた刀の刀身にまいっぱい吸っていた煙をくまなく吹きかけた。その煙は刀に触れるとぽやぽやと淡く赤い光を産みながら刃を中心にまとわりつく。あかがねの突然の行動に目を白黒させている誅に、鞘に戻された刀が差し出された。


「これでお前でも使えるはずだ」

「今なにやった」

「刀のご機嫌取りとお願いだな」

「ご機嫌取らねばちょせないなが…」

「まあな。コイツはとんだ偏屈ジジイだから仕方ねえだろ?」


 にやりと悪戯っぽく笑ったあかがねに誅はなんとも言えない気分で口をへの字に曲げながら刀を受け取った。そんな時、受け取った刀が誅の手の中であかがねの言葉に抗議するように一回だけ震えたような気がしたのだった。



 無い


 ない


 それとももう亡いのか?


 夜になる度に焦がれる思いに内側から焼かれそうになる。シュルシュルと鳴る音はもしかしたら慟哭かもしれない。

 どこに行ってしまわれたのか。それともただどこかで迷っているだけなのか。早く帰ってきておくれ。お前がいないとわたしは無意味だ。


 ああ、どこにいってしまったのか


 悲嘆に満ちた呼びかけは誰にも届かない。



 ざあざあと木々を揺らして大きな風が通り過ぎた。曇天の空は重苦しく、今にも重りのように落ちてきそうな色をした雲が広がっている。

 誅は空を見上げながら雨除けのある場所で火を焚いている。子供達も遠くまで行かず、空が泣き始めたらすぐに戻ってこれるような場所にいた。太陽が見えていればもうすぐ空を下り始める頃だろう。そんな時間になってもあかがねは帰って来なかった。


「本当にどこまで行っだべアイツ」


 小さく呟いても返答は無い。子供達を誅に押し付けてどこかに行ったのだとしても、この場にはあかがねが持っていたであろう様々な道具などが残されている。昨晩どこかに向かってそのまま帰れなくなっているのかもしれないが、誅には確認のしようがない。もやもやとしたまま焚いている火をいじっていると子供たちがわらわらと集まって来た。


「兄ちゃん、雨だよ」

「降って来たなや……皆けってきてらが?」


 外でぽつぽつと降り出した雨粒は大分大きい。まだ小雨だが、重っ苦しい雲を見る限りすぐに土砂降りになるという事は想像に難くない。


「あれぇ?お兄ちゃん、みっちゃんがいない」

「あぁ?さきとまでみつは近くさいだったべへ?」

「うん。そのと一緒に近くで木の枝拾ってた」

「いと、何言ってんだ?みつは一緒じゃなかったよ」

「そうだっけ……?」

「おれはいとが一緒だと思ってたよ」

「ううん、いとは一人だったぁ」

「おい、なんつう事よ……」


いととそのは互いがみつと一緒にいると思っていたという。しかし、実際は互いにみつとは一緒に行動していなかった。首を傾げて不安げな顔をした二人は他の子供達にもみつを見なかったかと聞いて回っている。雨はざあざあと音を立てながら強くなっていた。



激しい雨の中、みつは木のうろの中で震えていた。全身はびしょぬれで頭からはまだ雫が落ちている。座り込む地面も雨に濡れて体温は奪われるばかりだ。もしかしたらここで死んでしまうかもしれないという漠然とした恐怖がみつの震えを更に大きくする。

そんな時、雨音に混ざって落ち葉や小枝混じりの土を踏みしめる音が聞こえた。ざくり、ざくりと重い何かが移動する音はだんだんとみつが座り込む木のうろまで近づいてくる。見つからないように膝を抱えて体を小さくするみつだったが、足音は近くまで来て止んだ。降りしきる雨以外何も見えないが何かが近くにいる。


「おやぁ?女の子だ……」


ぞろり、と上から上下反対の大きな顔が覗き込んできた。大きく爛々と輝く一つ目とにんまり歪んだ口からは牙が見えている。それと目を合わせた途端、みつの股間を温かい液体が濡らした。




※ちょす=使う

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