第2話

 誅は山の中にある小さな村を後にして再び昨日と同じ道を歩いている。本来だったら村の先へ進むはずだったのだが、道が無いと教えられた。

 理由を聞けば、誅が村にやってくる幾分か前に大雨で山崩れがあったという。道が無い事は無いが、まだ人が通れるような状態では無いらしい。実際そこまで足を運んだという村人の話なのだから間違いはないだろう。

 人目を気にしなければ誅はそこを平気で通る事もできただろうが、みっちゃんかもしれない女児の件で村人に顔を覚えられてしまったので下手に動く事ははばかられた。もし、人が通れそうにも無い場所を跳ねて平然とした顔で通っていけば後々何と言われるか分かったものでは無い。


「……晩げにでも峠越えるが?」


 特にどこに行くとも決まっていないが、来た道を戻るというのが何とも言えない気持ちになった。それは恐らく確実に昨日出会った女児とあの村の状況を知ってしまったからなのだろう。誅自身子供が大好きだ。その子供たちが跡形もなく姿を消しているというのが何より胸の奥で燻る火種となって、誅の思考をもやもやとした煙が邪魔をする。

 昨日、少しだけ腰を下ろした岩に辿り着いた誅の足は止まる。前にも後ろにも、そして周囲に人間の気配は無い。あるのは小鳥の鳴き声や遠くで息を潜めているらしい野生動物のものだけだ。


「よし」


 何かを決めたように頷いた誅は足を踏みしめると、急斜面がそびえる空に目を向ける。そして一気に山の斜面を駆け上がった。軽やかに山肌や木々を蹴って急な山を上るその姿を目撃した人間がいたとしたら、天狗が出たと騒がれたかもしれない。

 足で踏んだ木の葉や木の幹を少しだけ騒がせるだけで一気に山肌を駆け上がった誅は適当な岩肌に降り立った。そしてそこから更に山全体を見渡せるであろう場所に行くために岩肌を蹴る。本来人間が辿り着けない場所まで登っても誅の息は乱れていない。唯一結っていた髪紐が解けて長い髪が風に煽られる。降り立った場所から見渡せる場所に目を向けると、山の中で何かが動いていた。びゅうびゅうと吹き上げる風で音は聞こえないが、動物にしては慣れない動きで進み、植物にしては見慣れない色をしている。

 何より、妖怪や運ばれる植物以外で勝手に動く植物なぞ見た事が無い。そして誅が知る限り二足歩行の動物なんて知らない。それは村からいくらか離れた場所にいた。それが動く場所は途切れた獣道のようだが、しっかりと人が歩けるような場所に見える。

 誅はそれが動く方向を見て一気に山を駆け下りた。もしあれが人を惑わす妖怪だったなら、退治してしまってもいい。話が通じるようなら情報を聞き出してもいい。ほぼ落ちていると言っても過言ではないくらいの速さで誅は見つけた何かに近付いていく。


 抱えた木の実を落とさないように、暗くなる前に足場の悪い道を歩いていた子供は目の前にいきなり降りてきた何かに驚いて尻もちをついてしまった。上から降ってきたそれは長い髪をした人間のように見えたが、自分を見据えた瞳が人にあるまじきモノだと気付いて目を見開く。


「おい」


 声をかけられたようだが、恐怖で固まってしまっている子供はただガタガタと震えている。噛み合わない自分の歯の音を聞きながら掠れ声で助けを求めたのは目の前に降りてきた人間の姿をしたモノが怖かったからに他ならない。


「たす、ッたす……け……」


 抱えていた木の実は辺りに散らばってしまっていたが、それを咎める者も拾い直す者も誰もいない。伸ばされた手が怖くて実を縮めた子供の体を後ろから勢いよく抱え上げた何かがあった。



 自分のせいで怖がらせてしまった子供をあやそうとした誅の目の前で子供は何かに抱え上げられた。抱え上げた何かを見た者が第一に思う事は一つだろう。


「赤…」


 真っ赤な髪を結い上げたそれは森よりも深い緑の瞳に刀よりも鋭い色を宿しながら誅を睨んでくる。しかし、何かを言う事もなくその場を蹴って背を翻した。


「ッ! 待でっ!!」


 子供を抱えて逃げるその男に見える何かの額からは山吹色、こめかみからは花浅葱より鮮やかな青の小さい角が生えているのが見て取れる。人間では無いという事は一見しただけで明らかだが、何より信じられないのは山を駆けるその速さだった。誅の目が間違っていなければ、赤毛のそれは足が一本しかない。なのに誅が追いつけない速さで駆けている。暫く続いた鬼渡おにわたしはやがて足場が少し安定した場所で終わる。

 子供を自らの後ろに投げるように下ろしながら振り向いた赤毛のそれは牙を見せながら獣に近いうなり声で誅を威嚇する。よく見れば顔の上半分が赤い獣にも見えた。翡翠の玉をそのままはめ込んだような瞳は鋭く細められている。威嚇で顰められているのは眉間だけではなく、唸り声を漏らしながら歪められている口からは鋭い牙が覗いていた。

 誅とすでに臨戦態勢とも言える赤いそれが対峙した時、子供は慌てて茂みの中に逃げて行ってしまった。しかし、子供を抱えていた赤いそれが何かを知っている事は間違いないだろう。平和的な話し合いはできそうにない。誅は自分の愛刀を抜いて構えた。


---------


 地の理が悪い。誅の薙ぎ払う刀は空を切る。

 赤い男は一本足なのにも関わらず身軽に宙を舞う。そして長い爪を持つ獣のような足は木々を掴み、蹴るのにちょうど良いらしい。

 赤は誅の斬撃を避けながらどこかに向かっているようだった。それに気付かない誅ではないが、向かった先で何かが見つかるのならそれでいいと思っている。


「乗ってやるべ!」


 凪いだ刀は周囲の枝ばかりを切り落としたが、逆にそれで視界が拓ける。だから死角だった場所から振り下ろされた鈍色にびいろの塊が見えたのだ。

 金属同士が勢いよくぶつかり合う鋭い音が響く。その音がやむ前に小さな舌打ちの音が聞こえ、誅の刀から重みが消えた。そしてすぐに少し離れた場所で地面を踏みしめる音が一つだけ聞こえる。


「鎚使いがよ」

「……」


 誅が口端で笑いながら呟くが、赤いそれは何も答えない。いつの間にか着物の中から出ていた牛に似た赤毛の少し長い尾がピシリと地面を打った。

 と、同時に再び二人が同時に地を蹴る。鋭く重い金属同士の諍いの声が絶え間なく響いていた。

 誅が刀を薙げば赤は鈍色の鎚で弾き、赤が鎚を振り下ろせば誅が刀で受け止める。どちらからの攻撃も重く、鋭く、どちらかが人間であったらならば即座に決着はついていただろう。しかし、どちらも人間とは比べ物にならないモノ達だ。武器の応酬が簡単に絶える事は無い。

 どれくらい打ち合っていただろうか。いつの間にか二人を西日が照らしていた。いつの間にか金髪の髪を振り乱し、真っ赤な角を生やした誅の斬撃を受けた赤が衝撃を受け流しながら後ろへ飛んで離れた場所に着地する。それを追おうとした誅は思わず足を踏み出すのを躊躇った。なぜそうなったかは分からないが、本能が止めたと言ってもいい。その僅かな隙ができた事で赤の口がほんのりと笑みを刻む。


 一瞬だった。再び前に進もうとした赤が地を蹴ると同時に地面に己の鎚を這わせて振り上げる。すると土や木の葉が舞い、小石が誅に敵意を持って飛んでくる。それを振り払うのは容易いが、誅の意識は一瞬だけ飛んでくる小石達に向けられてしまった。それは赤に向けられていた意識が僅かに逸れたという事だ。


 赤が消えた。


 誅がそう錯覚する。相手の行動は常に意識するようにしていた。しかし、飛ばされた小石にその意識が僅かに揺らいでしまった。思わず、自分を守るように持っている刀を横にして頭上に掲げたのは無意識と言ってもいい。本来ならば振り下ろされる刀を防ぐための形だったが、それは今までと比べ物にならないくらいの重さを持って振り下ろされた鎚から自分の身を守る事も出来た。互いにぶつかり合った金物同士は軋みながら大きな音を出す。高く長く響くそれは武器達が上げる怒声や悲鳴にも聞こえた。その悲鳴が消えない内に、重い一撃は誅の刀を僅かにたわませるだけではなくその刀身に己の力を刻み付けた。両手で刀を支えながら衝撃に耐える誅の両手に刀の断末魔が伝わる。

 上から鎚を振り下ろした赤にも、下でその衝撃に耐える誅にも刀に刻まれた亀裂が見えた。その亀裂を挟んで見える互いの表情は正反対だった。


「ッ、だらぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「?!」


 刀が折れる前に誅は衝撃ごと空を薙ぐ。それは力任せに振られたものだったが、鎚とその持ち手の赤を吹き飛ばすには十分な衝撃だった。

 赤は吹き飛ばされた先にあった木に足とその足にある鋭い爪を引っかけて器用に体制を立て直しながら地面に着地する。しかし、次いで降ってくる斬撃に顔を歪めるしかない。武器に亀裂が刻まれていても躊躇う事なく振り下ろされる斬撃は重く、赤は崩れた体制を立て直す事ができない。もし両足があったなら片足で相手の足を払ってでも距離と体制を立て直す時間を取る事が出来ただろう。

 しかし、赤には片足しかない。完全に体制を崩さないのは尾で器用にバランスを取っているからであって力任せに劣勢に持ち込まれた事はなにも変わらない。

 歪められた顔には焦りがありありと浮かんでいる。

 そして打ち込まれる斬撃は重いままで隙も見当たらない。このままだといつか赤が負けてしまうだろう。無念の思いか赤の瞳が揺らいだ。

 もう少しでこの激戦は終わるだろうという思いが誅の中で堅くなっていく。しかし、振り下ろす一手を緩める事はしない。もしかしたら最後になるかもしれない一手を打ち込もうと刀を振り上げた時、誅の背に何かが当たった。決して強くなく、ケガをするようなものでもない。しかし、意思を持って誅に当てられた。そしてその後も拙いながら誅を狙って小石や小枝などが投げつけられる。どれも頼りないと言える程のものだが、確実に誅への害意を持っていた。


「来るな!!」


 力なく飛んでくるものに一瞬手が止まっていた誅が初めて赤の声を聞く。それは狼狽と焦燥が色濃く出たものだった。実際、自分が斬られるかもしれない状況なのに赤の視線は誅の後ろに向けられている。誅が背後にいるものが何か探る前に、小石を飛ばしてくるものが泣きそうな声を出した。


「あ、あかがねを苛めるな!!」

「あっちいけぇ…!」


 震える声はまだ幼い。しかし、はっきりとした意思が誅に向けられていた。


子供わらし……?

「あかがねから、は、離れろ…!」


 震える声と弱弱しく飛んできた小石が誅に当たって落ちる。そこで初めて誅は後ろを見た。

 二人から少しだけ離れた場所に子供が三人くらい固まっている。及び腰だが、逃げる事はしようとせず不安そうな顔でもその目は誅を睨んでいた。


「……おめがだ、あの村の子供わらへだが」

「ひっ!」


 誅の意識が向けられた事で子供達が竦みあがり、遠目でも震えている事が分かる。

 そこで誅はひどく違和感を感じた。もし、あかがねと呼ばれた赤に操られているのならばここまで素直な動作にはならないだろう。もしそこまでの術をかけられるとしたら、精度の高い術師としての技量が必要となる。しかし、誅と打ち合ったこの赤がそんな高度な術を持ち合わせているとは考えづらい。呪術を得意としているならば誅はもっと苦戦を強いられただろう。なのにこの赤は真っ向から誅と打ち合っていた。


「おめがだ、こいつに攫われだんでねなが?」


 誅のその言葉を聞いて赤も眉間にしわを寄せて首を傾げた。


「……お前こそ、カガチの取り巻きじゃねえのか」


 子供が答える代わりに、警戒で低く響いた赤の声が静かに問う。


「カガチ……? なんの事よ。俺はただ村がら子供わらしいねぐなったっていうから探しに来ただげよ」

「わざわざこんな山奥に?」

「んだ」

「……」


 何かを考え込むように黙ってしまった赤に誅は刀を鞘に収める。どうやら何か食い違っているようだ。


「あのよー、してっこ聞ぎでぇ事あるんだども」

「……ああ、俺もだ」


 どうやら警戒心と老婆心が強すぎると無駄に勘ぐりすぎてしまうらしい。鎚を支えにして立ち上がった赤はどこかバツが悪そうだった。

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