第1話

 男は山道を歩く。人が通る道とはいえ、整地されていないそこは獣道にも似ていた。しかし、そこは人がよく歩くのだろう。周りに比べると草が少なく地面も慣らされている。

 道中にあった小さな祠は所々苔むしていたが、まだ人が手を加えている事が見て取れた。もしかしたら人里は近いのかもしれない。

 男は足を止めて息を吐いた。そろそろ休むべきかもしれない。己の目的のために故郷から出て旅をしているが、ここ数日は休み無く歩いていたのだ。さすがに少しだけ疲れている。

 背負っている布に包まれた刀を肩にかけ直しながらそんな事を考えてから再び歩き出した男の名はちゅうという。己の親を超えるため里を出た神とも呼ばれる鬼の一族の者だった。


 道中に腰を下ろすのにちょうどいい岩があった。近くで色づいている鬼灯ほおずきがその岩の存在感をより際立たせている。

 そこの岩に腰かけて誅が一休みをしている時、丁度彼の前を女児が足早に通り過ぎていこうとする。一瞬誅を見てビクリと動きを止めたが、その装いから旅の者だと分かったのだろう。再び足を忙しなく動かし始めた。

 こんな山の中で一人というのは無用心だと思ったが、女児は辺りをキョロキョロと警戒しながらどこかに向かっているらしい。もしかしたら、この近隣に住んでいる人間かもしれない。そう考えた誅は女児に声をかけた。


「おい、お前」

「は、はい…?!」


 急に声をかけられた事で女児の体はひどく跳ね上がった。声のかけ方が悪かったかと頭を掻いた誅だが、自分の見た目を思い出して苦笑をこぼす。見た目は人に近いが、髪の色は完全に人に化け切れていないし、感が鋭い者なら誅の髪色は黄金色に見えるだろう。もしかしたらこの女児もそうなのかもしれない。

 それでも人に化けた誅の、本来持つ色や姿が見える者は少ない。しかし念のため、相手に警戒されないように少しだけ顔を緩めた誅は言葉を続けた。


「おっかねがらせたらわりがった。 俺は旅の者だども、この先さ村なぁあったりするが?」

「村…なら、この道を真っ直ぐ行けばある」


 誅の言葉にほっと息を吐いた女児は己が歩いてきた方を指さしながら質問に答える。それに頷きながら誅はさらに質問を重ねる。


「んだが。遠くだが?」

「そうでもない、です」

「んだが。急いでるとこわりいな」

「ううん。大丈夫…でも、村に行くなら早い方がいいよ?」

「ああ。ありがてがった、へばな」


 まだ空が青いとは言え、陽は一日の役目を終えるために山に向かってゆっくりと進んでいた。暗くなってから村に入るのはどうしても憚られるし、最悪怪しまれてしまう。立ち上がりざま、礼を言いいながら頭を撫でてきた誅に女児は笑った。よく見れば右目の下に泣き黒子が二つある可愛らしい子供だった。



 空が朱に染まり始めた頃、誅はようやく人里に足を踏み入れた。そこはすたれている、とまではいかないがどこか空虚な雰囲気の小さな村だった。

 まだ屋外に出ていた者にどこか泊まれる場所は無いかと聞けばたまに訪れる旅人のための建物があるという。そこは大分古い家屋だったが、雨風はしのげる。


 使う者は現在旅人以外誰もいないらしい。囲炉裏に火をくべようとしても薪が無い。

 溜息を吐きながら木材を集めようと外に出れば大分暗くなっている。明かりもなく、こんな時間に動き回る者がいたら怪しまれてしまうだろう。まだ暗くなってからさほど時間は経っていない。きっと村人達も起きているだろう。幸い、月も明るい夜だったので誅は少しだけ嘆息たんそくしながら再び家屋に入った。何かを調達するのは村人が寝入った後か、明日でもいいだろう。


 壁にもたれるようにどっかりと座り込んで体を縮めて目を閉じる。心は休まらずともこれで体は休まる。組んだ腕で抱える刀は、布に包まれているのにいつも通り冷たかった。



 翌朝、まだ薄暗い頃から動いていた誅はまとめた枝と野ウサギやきじを両手に下げて人目が少ない場所から村の家屋に戻る。

 持ち歩いている火打石で囲炉裏に火を灯せば、やっと一息つけそうだった。


 昼前まで荷を確認していると、家屋の外に小さな気配を感じた。玄関の隙間から何かが自分を覗いている。

 思わず臨戦態勢を取りそうになったが、その視線が囲炉裏に注がれているのに気付いた誅は覗いている何かに対して小さく手招きをしてみた。するとそれは少しだけ逡巡しゅんじゅんしたようだったが、己の欲望には勝てなかったらしい。おずおずと家屋の中に入ってきた。


 それは昨日の女児と同じくらいだろうか。少しだけ猫目で気が強そうに見える女児だった。


「これ、くでんだべ?」

「……うん」


 指さされた肉と野草の汁物を見て女児は恥ずかしそうに頷く。

 誅が汁物をよそって差し出すと、受け取った女児は嬉しそうにそれに口をつける。その様に子供が好きな誅の顔は思わず緩んでしまった。



「せばこの村、わらしはかやしかおらねなが?」

「うん……お兄ちゃんもみっちゃんもどっかにいっちゃった……」

「……」


 誅の横で膝を抱える女児はかやといった。汁物を食べて満足したらしいかやは誅に自分が知る色々な話をしてくれた。それは誅の髪色に綺麗な黄金が混ざって見えるという事や他の旅人から聞いた事。そして現在の村の事。しかしそれは、この村の子供がいなくなっているという話だった。

 山に入り、命を落とす事は珍しくない。しかし、子供だけが急にいなくなるのはおかしい。山での事故だったとしても、人さらいだとしても何かしら手掛かりや痕跡が残るはずだ。なのに村には何も残らず、ただ子供だけが消えていくという。


「大人は、山の神様とか妖が子供をさらって食ってるとか言ってるんだけど、違うと思うの……」

「なして」

「妖が子供を攫うと、何かは残るって聞いた。でも何にもないの……神様だって子供を攫うにしても皆攫っちゃうのはおかしいよ……だったら、なんでかやだけ残されちゃったの……」

「あやー……」

「ねえ、髪の綺麗なお兄さんは旅人でしょ……? 他の所でこういうお話とか聞いた事ない……?」

「……うぅん」


 かやの縋るような問いに誅は考える。確かにかよが言う通りなのだ。妖であっても土着神であっても子供だけ痕跡もなく消せるはずがないし、そんな話は己の里でも聞いた事が無い。

 肩を落として泣きそうなかやを誅が慰めていると外が騒がしくなり、急に玄関が開かれた。驚く二人の目の前には村の大人が肩で息をしながら二人を睨んでいる。


「かや!!」

「おっとう……」

「お前までいなくなったかと……」

「ご、ごめんなさい……お兄さんは旅人だから、もしかしたらお兄ちゃんやみっちゃんの事知ってるかもって……」

「お前が毛色が違うそいつに攫われたらどうするんだ!!」

「そんな事……ッ!!」


 ずかずかと踏み込んできた男がかやの腕を引っ張り、その頬を叩いた。旅人や少しだけ地が出てしまう毛色という事で色々心無い事も言われる事は覚悟していたが、悲しんでいた子供が大人に暴力を振るわれるのはどうにも耐え難かった。誅が思わず刀を握りしめた時、父だという男と何か言いあっていたかやが泣きながら叫ぶように言った。


「みっちゃん泣いてるかもしれない!! みっちゃんは目の下に二つお星さまあるから……! みっちゃんが泣かないようにかよが一緒にいなきゃ!! なんで、なんでみっちゃんだけいなくなっちゃったの!!?」


 嗚咽交じりだったその言葉だったが、誅が目を見開くには十分な事だった。


「かや……そのみっちゃんてのは、ここさ並んだ星コある娘っ子が……?」


 誅が右目の下を指さすと涙でぐしゃぐしゃになった顔のままかやは何で知っているんだと言わんばかりに頷く。それを聞いていた大人たちも誅を見たまま目を見開いていた。


「お兄さん、なんでみっちゃんのお星さまの場所知ってるの?」


 自分に注目が集まっているという状況に少しだけ狼狽うろたえた誅だが、この村へ来る際にかやの言うみっちゃんとやらに出会ったのは間違いない。


「山ん中の道さちちゃこい祠があるべ?そこ通り過ぎたとこで会っだがら道を聞いだ」

「他の子供はいなかったのか?」

「ああ。だとも、いぐ考えだば逆さ向がってらった気もするな」


 誅の言葉を聞いていた大人達が怪訝けげんそうにざわつく。


「……逆?隣村まで子供の足だと一日はかかるぞ」

「道は山の中しかねえよな」

「それに途中に休めるようなモンもねえ……」


 村人の話からしてみっちゃんと呼ばれる子供が山の中を歩き回っているのはおかしな話らしい。

 それに、誅が出会った時の事を思い出してみるとみっちゃんの恰好かっこうは小綺麗で山の中で生活しているようには見えなかった。


「なあ、そのみっちゃんとやらがいねぐなったのいつ頃へ?」


「五日前くらいだったか」

「それは源太げんたがいなくなったくらいだろう」

「みつはもっと早くにいなくなっちまっただろう」

「いちより前に弥太郎やたろう達がいなくなったからもっと前だ」


 誅の問いにかよではなく、周りの大人達がざわめく。その言葉を聞いていると誅が出会ったみっちゃんらしい女児は十日以上前にこの村から姿を消していたらしい。それならばどこかで生活しているのだろうが、先のざわめきを思い返せば山の中でまともに生活できる所は無いらしい。そして、近隣の村に行くにしても子供が簡単に足を運べる距離ではないという。実際、誅が歩いてきた道は確かに子供が歩くには少し険しいと思われた。


「なあ」


 誅が怪訝そうな顔をしながら声をかけると、かやだけではなく村の大人達も誅を見る。


「ほんとに山さ住める場所はねェながや?」

「一晩だけ夜を越すくらいならともかく、そう何日も住みつけるような場所はねえな」

「なにより、ここいらには熊や狼も出る事があるからねえ…」

「猟師だった隣の与作じいも熊にやられちまったからな…子供じゃどうにもなんねえぞ」


 村人が言う事は間違いではないだろう。この地に住んでいるのだ。その土地がどんな場所なのか、どんな生き物がいるのか、どうやって生活をしているのか、それはその地に住む者達が一番よく知っている。

 そんな言葉を聞いていると誅は昨日言葉をかわしたみっちゃんらしき少女が本当に生きていたのかすら分からなくなってくる。元々人間ではない。もしかしたら、もう存在しない何かと言葉を交わしてしまったのではないか。そんな憶測おくそくが彼の頭の中で飛び回るが、みっちゃんらしき女児からは妙な気配はしなかったし、影も呼吸もあったはずだ。


「どごがさ、住んでらなが?」

「住める所なんてありゃしねえ…」

「俺らは子供が皆仏さんのとこに行っちまったと思ってる…」


 誅の疑問には悲しみにあふれた声ばかりが返される。それでも、誰かがすがるように言った。


「せめて、骨だけでも帰ってきてくれりゃなぁ……そうすりゃ、諦めもつくのに……」


 小さな声だったが、その言葉を聞いたかやが耐え切れず泣き出す。誰もそれを咎める事は出来なかった。

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