第19話 その日はいつも通りの朝だった

「あんたここにいたの!」


 聞き覚えのある声に、顔を上げると、廊下の向こうから渡辺香菜が走ってきていた。


「探したのよ、高橋さん!」


 周囲の生徒が6年渡辺に拝礼した。その様子を見て思い出したように香菜も夏帆に礼をした。


「あ、いや、別に大丈夫」と夏帆は言った。「それより渡辺さん、何か用でも?」


「大変なことになった。ついてきて」

 そういうと香菜は夏帆の手を引いた。


「走って!」と香菜。


「そう言われてもどこに?」


「J.M.C.の部屋よ!」

 香菜は走りながら話した。


「新聞に抜かれた。組織の秘密がばれた」と香菜。


「え、何が」


「組織の秘密。山瀬さんが逮捕された」 


「山瀬さん?」


「覚えてないの?2年前のマランドール様」


「もちろん覚えてるよ」と夏帆。


「山瀬さんが殺人罪で逮捕。J.M.C.、OB会の組織的関与の疑いって」


 夏帆は何も言えなかった。


「竹内義人が死んでからって、やりたい放題ね。それにしても死んでからの展開が早すぎる、まるで準備されていたかのよう。直人はなんで父親の権威を受け継いでいないのよ!だから隠しきれなかった」

 J.M.C.の居室のドアを香菜が勢いよく開けた。


「直人!連れてきた」

 居室の談話室には大勢の人が集まっていた。ソファには、直人、美咲、夏海の3人が座り、その3人を皆が取り囲んでいた。皆、顔面蒼白だった。


 直人と目が合った。


「さぁどうするマランドール様」と直人は言った。


「私の役目は学生を守ること。あなたたちが関与していないというなら信じて適切な対応をするまで」

 夏帆の間髪挟まぬ回答に直人は驚いた顔をしていた。


「申し訳ない、一瞬君を疑った」と直人は言った。


「私も同罪でしょ」と夏帆は言った。

 夏帆はソファに座った。


「私たち、どうなっちゃうの」と香菜。「就活は?これまでの努力は?ねぇ直人!」


「初動を間違えたら大変なことになる」と直人が言った。「僕たちは未来を失ってしまう」


「既に未来なんてないわ」と夏海がつぶやいた。夏帆の脳裏にも浮かんだ言葉だった。


「因果応報。自業自得よ」と夏海。「私も含めてね」


 香菜が泣き出した。気まずい沈黙の時間が流れた。

 

 それからしばらく誰も何も話さず、重い沈黙の空気が漂った。均衡を壊そうと、ふぅっとため息をつくものもいたが、その音はあっけなくかき消されていった。


「コーヒー飲もう」と青木。


 頭を抱える直人をよそに、夏帆と青木はカフェエリアに行って、コーヒーを2つ注文した。


「香菜さんって、直人のこと好きなんだよ」と青木は唐突に言った。


「なんで今その話をするの?」と夏帆は青木の発言に冷めた声で言った。


「香菜さんってさ、人の心を読む能力を持っているんだよね」


「知ってる」


「だから、直人の感情が入ってきちゃって情緒不安定なんだよ」と青木。「だるいよね」


 青木はコーヒーを飲むと、顔を顰めた。

「割と完璧に隠しきれてると思っていたんだけどなぁ。山瀬さん、自白でもしたのかな」


「あの人に限ってそれはない」

 夏帆はコーヒーをもったまま、直人のところへ戻った。


「なぜ山瀬さんが逮捕されたのかしらね」と夏帆は直人に言った。


「逮捕に踏み切ったってことは証拠が集まっているってことだろう」と直人は言った。


「でも、なぜ山瀬さん?」と夏帆。


「確かに、一斉検挙もできたはずなのに。そのつもりなら新聞にわざわざ載せる必要はない。まるで、私たちに証拠を隠せと言っているかのよう」と美咲は言った。


「内通者がいたのは当然、いやむしろ関係者が多すぎて特定は無謀としか言いようがない。なら、なぜ逆に山瀬さんだけ逮捕されたのか」


「圧倒的な証拠があったのよ」と夏海は言った。


「そうか、わかった、山瀬さんのミッション歴を一旦一度調べよう」と直人は言った。


「あの人強すぎて単独ミッションが多かったはず。記録残っているかな」と美咲。


「会長室ならあるかもしれない」

 そういうと、直人は会長室に戻っていった。まるで何かやるべきことを見つけたいかのような足取りだった。


「どうしよう、私、もう終わりだ」と香菜はその場に座り込んだ。


「あのね、人道的でないことを行っている人が、幸せな未来なんて描けないのよ。私はもう諦めて今にいたるの」と夏海は言った。


「やはり僕は君を次期会長として認めるわけにはいかないよ」

 唐突にそう夏海に言ったのは林省吾だった。


「え?何を急に」と夏海。


 夏帆もきょとんとしていると、夏海がJ.M.C.に入会したこと、竹内家の人間だから次期会長は夏海がなることを隣にいた会員の一人が説明してくれた。


「お前が次期会長になるのは納得がいかない」


「マランドール選抜にも出ていないじゃないか!」


「俺たちは1年からいたのに、ひょっこり入ったお前が、竹内家だっていう理由だけで入るのはおかしいだろ」


 J.M.C.の男性諸君が口々に夏海を責め立てた。皆、不安と焦りで混乱し、何が主題かも忘れているようだった。


「君に決闘を申し込む」と林省吾。


「決闘?」

 夏海の目が泳いでいた。林は夏海をまっすぐ見据えた。


「正直に言って、君の評判は高いとはいえない。成績的にも、人間的にもだ。この状態のまま、君が会長を継げば、組織は本当に崩壊する。僕はJ.M.C.の未来をかけて戦う。これが組織員の総意だ」


「林君?今その話がなんで出るの。今はその話をするべき時ではない。それに、昨日きちんと話し合って、結論を出したこと。林君は、私の味方だと言っていたじゃない!」


「今日、返答してくれ」林は2階へと上がった。


 組織内が静まりかえった。混沌とはこのことをさすのだろう。一つ問題が起きると、次ら次へと降って湧いてくる。


「とにかく私は対応を考えます。もし、警察、メディア双方に何も動きがなければ、特に感情を扇動するようなことはしないので……」


 夏帆がそういうのも聞かずに、夏海は部屋を飛び出していった。


夏海さん?


 嫌な予感がした。

 夏帆は夏海のあとを追いかけた。

 夏海は何度も何度も瞬間移動を繰り返したが、その痕跡を追うように夏帆も後を追った。だんだんと山の方へと向かい、気がつくと、森の中の小道に行き着いた。


 もう瞬間移動もしていないようだった。夏帆は小道を歩いて行った。抜けた先にあったのは、広い墓地だった。


 爽やかな風が吹く草原に、四角錐の墓石が立ち並ぶ。奥都城、どの墓石にもそう掘られていた。

夏海はその一番奥、ドーム型の大きな陵の前にたたずんでいた。


「お父様……。」


 夏海は膝から崩れ落ちると、お墓の前で人目をはばからず泣き続けた。そして、ローブの中から、ナイフを取り出した。美しく光り輝く刃だった。大理石でできた持ち手にはダイヤモンドが詰まっている。

 夏海はナイフを首下に当てた。


「やめて!」


 夏帆が杖を振ると、夏海の手からナイフが飛んでいった。はじめ、夏海は何が起きたのかわからず混乱していたが、しばらくして、夏帆に気が付いたようだった。


「私を笑いにきたのね。散々あなたを消そうとして失敗した私を。こうやって追い詰められたところを見てさぞや気分が良いことでしょうね」


 夏帆は夏海の言葉を無視して、竹内家の墓に花を供え、手を合わせた。


「私は簡単に死ぬような人間ではない」と夏海は言った。


「そういう人は危ない。ふとした瞬間に行動に移す」


 夏帆は夏海をちらりと見た。


「私に生きがいなんて何もない。それでも生きている」と夏帆は言った。


 美しい茶髪パーマが風になびいていた。夏海は複雑そうな表情をしていた。


「残酷だけど、世界は続く。小説とは違う。終わりを迎えない」と夏帆。


 暖かさを含んだ風がまるでぽんと背中を押すように吹いた。


「私の父はいわゆる毒親だった」

 夏海は静かに語りだした。


「幼い頃、母が死んだ。知らない男性がやってきて、私と父を引き合わせた。突然できた兄と、昔はとても仲が良かった。ある日、決闘ごっこをやっていたら兄に勝ったの。いつも負けてばかりだったからうれしくて、父に報告に言った。そうしたら、『お前は兄を立てていればいいんだ』って叱られたのよ。兄のために働く。それが、父が私を引き取った真の理由だった。J.M.C.に入らなかったのは、外から組織を盤石にするため。能力が低いふりをしたのは……」


「直人を立てるため」


「そう。私の演技に兄は気が付いていた。いや、気が付くか普通。気が付いてほしかった。私は父の用意したブローカーだった。兄は、反抗するように、あなたをブローカーにした。私は兄のために働きながら、兄はそれを受け入れようとしなかった。ある時気がついたの。J.M.C.が裏で何をしているのか。その目的はなんなのか。自分の存在理由がわからなくなった。正しいと思っていたことがすべて覆った。父は間違っている。それが私の出した結論。でも、その結論を出した瞬間、私が得たものは、ただの虚無感。私は自ら、私の夢を、竹内家を守り抜くという夢を壊した。壊した今、目標を見失ってしまった。私を通報すればいい」


「残念だけどそれはできない」と夏帆が言った。


「じゃあ自首しましょうか」と夏海は悲しく笑った。


「一度自殺と断定したものを、今更覆すわけがない。警察は取り合わない。記憶を提出しても改ざんしたと言われるだけ」


「私は終わらせたいの、もうすべて。いや、そんなの嘘ね。そんな覚悟ない。逃げ切りたい。でもできれば誰か通報してくれたら全て終わるのに」


「あなたが情報流したの?」


「違うわ」と夏海は怒ったように言った。「でもほんとどうしましょうね。私、まさかこんなに悩むと思わなかった。ずっとどうせいつかバレると思っていたのに。実際そうなると、混乱するものね。もう、終わったんだ」


「わからない。山瀬さんがそうだったように、警察にはJ.M.C.がいくらでもいる。立川さんも公安。隠そうとする」


「でも隠しきれなかったじゃない」


「そうね。でもこれ以上ことを大きくしたくない人は多いはず。こう言う時のための防御策を、竹内家はいくつも打っているのでしょう?あなたも薄々気がついている。あれだけの権力があるお家柄ですもの。逃げ切れるに違いないと」


 確かに山瀬を立件したのはやり方があまりにもうまい。証拠なんていくらでもある、と美咲は言ったが、実際はほとんどないだろう。あっても誰かの記憶くらいだ。しかしその記憶もいくらでも改竄可能で、正式な証拠とするのは難しい。実際、山瀬以外検挙できていないことも考えると、内通者は単独行動をしているのではないかという算段が夏帆にはあった。


「案外、隠し通せるかもしれない」と夏帆。


「楽観的ね」


「楽観的?」


「もしことがバレれば、あなたの人生も終わるのよ」


「罰を受けれず、噂が流れ続ける方がずっとつらいと思うけどね。でもそれは、組織の秘密を知った時から仕方のないことだと私は考えている。私は、あなたたちからの報復が怖かったり、言ったところで取り合ってくれないだろうから、秘密を知っても黙っていたわけではない。興味がなかったの。無だった。あの時は、何も感じなかった。だからこそ、全て感じた」


 夏海は何も言わなかった。


「J.M.C.の会長になるのはどう?」と夏帆は言った。


 夏海は何を言っているんだ、という顔をした。


「林君の挑戦は受けないわ。受ける必要性がない。受ける気力もない」


 どう考えても夏海が何を感じ、何を考えているのかわからなかった。これだけ傷つけられ、非人道的なことに手を出した彼女を、自分が今さらながら庇護しようとしている理由が夏帆にはわからなかった。


「あなたのためだけではない。私のためでもある」と夏帆は言った。


「あなたのため?」


「あなたの言うとおり、私も同罪。抱えておびえて、生きなくてはならない。竹内義人は悪人だった、そう思い続け、自分を正当化し続けなければならない。会長にはやれることが多い。あなたはこれまで誰かのために生きてきた。そうしないと生きていけなかったから。自分の思う正義を持つ相手のためなら、自己を無くしてでも、なんでもできた。だから、今度は自分のために生きる義務がある。あなたは守りたい誰かをずっと探している。でもそれは、自分とは何かがわからなければ永遠に誰なのかわからないまま。だから会長になる自分を受け入れるの」


「いいえ、林君が適任よ。林君はね、とっても素敵なご両親をお持ちなの。そのご両親から受け継いだ優しさが、時に私を傷つける」と夏海。「そういった人間は、日の当たる道を歩んでこられなかった人間の気持ちがわからないのよ」


「あなたはもうわかっている」


「そうね、私は会長をやるべき」


「そう。あなたは十分に頑張ってきた。だから、会長になることが、あなたの受けるべき罰。罪も認めず、楽になるためだけの自首を私は許さない」


 学校に戻ると、門のところにスーツ姿の人が5人ほど来ていた。青いスーツの男性に見覚えがあった。


「警察かしら」と夏海は言った。


「立川さん?」と夏帆。


 立川は夏帆らに気がつくと、警察手帳を見せた。


「事件がありまして、こちらの生徒に事情聴取を行いたいのですが」と立川はまるで他人行儀に言った。


「事件?どのような」


「それは捜査の都合上お話することはできません」


 学校に帰宅する生徒たちが警察に気がつき、不安がる様子で横を通りすぎていった。


「申し遅れました。私は高橋夏帆です。マランドールという、学校に関するすべての権限を持つ役職についております。捜査が必要なのであれば、どのような経緯で、誰に聴取が必要なのか、あらかじめご提示いただきたいのです」


「任意聴取にご協力いただけませんか」


「わざわざご足労いただいたにも関わらず大変申し訳ございませんが、今年度は、学校内への不審者の侵入もあり、手続きを強化しております。学生への聞き取りは、正式なフローからお申込みいただくか、裁判所からの令状をお持ちください」


 それでは、というと夏帆と夏海は学校内へと戻っていった。


 学校中で、ヒソヒソと何かを噂する声が聞こえた。山瀬のこと、J.M.C.のことであることは一瞬で理解できた。いつも通り、数日もすると皆口をつぐむのだろう。この時、夏帆も、そして皆もまだ高をくくっていた。


 学校に戻った夏海は林に決闘受諾の旨を伝えた。期日は今日の夜7時。中庭。審判は夏帆だった。会場に行く前に夏帆はJ.M.C.の部屋を訪れた。


「マランドール様」


 名前も知らない会員が、周りを取り囲んで、夏帆に拝礼した。


「警察の捜査が明日入ると伺いました。本当でしょうか」と男性が言った。


「私の知る限り、それはない」


「竹内夏海さんが密告したって本当ですか?」女性が詰め寄った。


「それは私の知るところではない」


「ほら、やっぱり本当なんだよ」とヒソヒソと噂し始めた。


「あのね、私は知らないというだけ。私は夏海ではないと思っている」と夏帆は言うと、会長室へと向かった。


 直人は山瀬のミッション記録を漁っていた。


「直人、来てあげて」


「何に、夏帆?」


「夏海さんと林君の決闘に」

 直人は鼻で笑った。


「勝負はついているだろ。どうせまた演技をする」


「わからないじゃない!」夏帆は声を荒げた。


「来てあげて」


「竹内家の恥さらしの試合を見に行くつもりはない」


「あなたがそんな風だから、心を閉ざすのよ。昔は仲が良かったって夏海さんから聞いた。もしあなたが元通りになりたいと思っているのであれば、これが最後のチャンスよ」


 夏帆は会長室のドアを開けて外に出ると乱暴にしめた。談話室は人でごった返していた、大荷物を持って部屋を出ていく者、司法に関する本を読む者、占いをする者、幹部室の破壊を試みる者、泣いている者、噂話をする者。あまりの目まぐるしさに逆に皆の動きがゆっくりに見えた。なぜ直人はこんな時に部屋に閉じこもっているんだ、と夏帆は憤った。


「りんごには魔力がある。りんごジュースを飲むと、魔法の使用履歴が消せるから、証拠を隠滅できるらしい」と誰かが震えた言った。


「そんなわけないでしょ!怖いなら自ら警察に行って身の潔白を証明すればいい!」と夏帆は叫ぶと部屋を出て行った。


 夏帆はマランドールの館へと戻ると、クローゼットから、マランドール専用のガウンを取り出して羽織った。鏡の前に立つと、いかにも優秀そうに見える自分が立っていた。まさか自分が審判をする日が来るとは。夏帆はため息をついた。


 夏海が決闘の会場に現れると嘲笑とヤジが飛んだ。弱い癖になんで恥をさらすんだ、J.M.C.のことは知っていたのか、魔法使えるのかあいつ、といった声が聞こえた。


「静かに。わが校伝統ある決闘を邪魔するものには後に処罰を与えます」


 夏帆がそういうと辺りはシンと静まり帰った。夏海がとある一点をじっと見つめていた。夏帆がそちらにちらりと目をやると、マントを着て、腕を組んでいる直人がじっとこちらの様子をうかがっていた。


「構え」

 二人は杖を構えて、歩み寄った。

「礼」

 そして、後ろに下がって振り向くと、杖を相手に向けた。夏海の目はいつも以上に冷徹に凍り付いている。

「はじめ!」


 夏海は杖をクロスに振ると、あっという間に林の杖を奪った。林は音一つ立てずにその場に倒れ込んだ。気を失っており、立ちあがろうともしない。夏海は杖を林に向けた。


「そこまで。勝者、竹内」


 そこに響いたのは歓声ではなかった。静寂とざわつき。ただそれだけだった。


「あっ、あれは、人殺してるよな」と見物人の1人が隣の誰かに尋ねた。「おいお前J.M.C.だろ」


「ぼ、ぼくはちがう」


「何言ってんだ、招待状が来たって見せびらかしてたじゃないか」


「いっ、いや、違う、あれは、偽物だった……」


「お前もJ.M.C.だろ」


「私、やめた……今さっき、そうやめたの」

 夏帆が話し声のする方を睨むと群衆は黙り込んだ。

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