第9話 生きるか死ぬか
「4年朱雀寮の稲生和真さんが急性心筋梗塞のため亡くなりました」
稲生和真?
ああ、稲生直美の兄か。
入学式の時にJ.M.C.と直美が自慢していた
竹内夏海を嫌っていた
花森美咲とバンド組んでいた
あの人か
人の死というのは夏帆にも経験はある。両親に、院長、副校長。でも同じ学生という立場の人間の死は初めてだ。あまりにも早すぎる、若すぎる死。死というものがすぐそばにある恐ろしさ。
所詮死にたいという思っていたとしても、その死は身近なんかじゃない。突然具現化されると、理解が追いつかず、気持ちの持っていきかたさえもわからなくなる。
ホームルームでの浅木先生の声が重々しく感じる。逆に演技なのではないかとさえ思う。
「葬儀は身内で行うとのことです」
直美の席は空席だった。
浅木が去ってから、しばらく教室は重苦しい空気が流れ、しんと静まり返った。
「あんた何か知らないの」と佐々木は小声で青木に言った。
「お前こそ」
「昨日、深夜に直美が浅木に呼ばれて寝室を出ていった。それくらいよ。和真さんJ.M.C.でしょ」
「俺だって、昨日はJ.M.C.の部室に来るなって言われていたから何もわからないよ」
「来るなって言われていたの?昨日、部室に向かう和真さんを見かけたわよ。別に元気そうだった。少し、いつもよりイライラしているみたいに見えたけど」
「何が言いたいんだ!」と青木は思わず大声を上げた。そのあと周りを気遣って、青木は声を落とし、小さな声で何かを話した。夏帆には何も聞こえなかった。
授業が始まると、和真の件を忘れたかのように普通の日常に戻っていった。それから数日経ったのちも直美は一向に学校へとは現れなかった。2週間も経ってもこなくなって、やっと人々は直美の心配を口にしはじめた。
夏帆はマランドール戦に向けて、あまりそちらの話題に気をとどめている余裕はなかった。朱雀寮代表の座は射止めたが、準決勝、決勝、とあと二試合残っている。準決勝では花森美咲と当たる予定になっていた。1年ぶりの再戦だ。あの時は魔法も何も使わず、体力勝負に出たが、手の内を明かしてしまっている分、今回はそうもいかないだろう。向こうも戦略を練ってくるはずだ。型を頭に叩き込み、武術の鍛錬を積み、学生最後の大きな機会に全力で来る相手に失礼がないよう、入念に準備を重ねた。
準決勝の一週間前、夏帆の不戦勝が言い渡された。
「どういうことですか?」
寮の談話室に現れた浅木先生に夏帆は聞き返した。
「先方からの辞退よ」
「辞退?」夏帆は顔をしかめた。
「そういうことだから」浅木は肩をとんとんと叩くと、寮を出ていった。
花森さんが辞退?
「高橋」
寮にいた青木が夏帆にソファに座るよう促すと、コーヒーを渡した。
「実は、花森先輩が全然J.M.C.に来ないんだ。おそらく、学校にも来ていない」と青木は言葉を選ぶようにして言った。
「精神病院に入院してるっていう噂も……」と青木は追加した。
「入院。それも精神病院、あの花森さんが」
「噂だよ。会長もかなり気を揉んでるらしい。もしこのまま来なかったら、かなりまずいことになる」
「それ以上何も言わない方がいい。だいたい理解した」と夏帆は言うとコーヒーを一気に飲み干し席を立とうとした。
おそらく、このままだと美咲は殺されるのだ。J.M.C.を脱退するなんてことになれば、たとえ花森美咲のような有望株であったとしても例外はない。稲生和真の死もおそらく、J.M.C.が絡んでいるんだろう。だから皆、すぐに口を閉ざしたのだ。タイムキーで過去に行った時に聞こえた学生たちの話は本当なのだ。
「組織内には、美咲を次期会長にしたいという声もあった。署名活動も起きていたくらいだよ。俺も署名した」
青木は一口コーヒーを飲んだ。
「会長は竹内家の直人で決まり、ってムードだったんだけど、直人先輩が家柄による忖度就任を拒否して、いつも通り、マランドール戦で次期会長を決める予定だった。それによって組織が、竹内派と花森派に別れてしまって、いつも以上にピリピリしていた。直人先輩なんか手がつけられないほどやばくて、声をかけようにも睨まれた。そんなこんなで美咲先輩人気がさらに伸びていて、最近ではほぼ全員が花森派だったんだ」
「それが、何か関係あると?」と夏帆は言った。
「俺が話せるのはここまでだ」
「むしろ、しゃべりすぎよ」と夏帆。
「高橋って最近キャラ変わったよな」と青木は言った。「とにかく、今組織内は内戦状態なんだ。君に有利だ」
「私、別に勝ちたいとは思っていない。私はただ、相手の期待に応えたいだけ。私が勝つというムードはよくない。私も、竹内さんも、人間だから」
「おそらく、美咲先輩と和真先輩は……」
「付き合っていた」と青木のお喋りに呆れて夏帆は言った。
「え、なんで知ってんの?」
「勘」
「まあいいや、その和真先輩が死んだ。つまり……」
「言いたいことはわかった。でもそれ以上本当に何も言わない方がいい。どこで誰が聞いているかわからない」
決勝戦の朝を迎えた。至って普通の朝、受験日ほど緊張もしていなかった。着替えをし、歯磨きをすると、食堂に行って朝食を食べ、さっと部屋へと戻ってきた。軽く運動をした後、制服のローブに着替えると、杖をローブの中に仕込み、もう一本を手に持って、鏡の前で微笑みを浮かべた。
そう、私は相手のために全力を出すだけ。そうは思いつつも、だんだんと欲が出て、勝ちたいという気持ちが募っていることに気が付いていた。
今年の誕生日に直美からもらった口紅をつけてみた。化粧、というものを始めてしてみると、なんだか自分が強くなった気がした。
夏帆は息をふっと吐いた。
「大丈夫、私、案外かわいいし、いつもなんだかんだ乗り切ってるんだから、きっとなんとかなる」
合わせ鏡になっていることに気が付いた。もし私が悪魔だったら、鏡の中に自分の姿を認識した時点で、閉じ込められている。何考えてるんだろう。こんな時に。夏帆はどこかおかしく感じ笑えて来た。
夏帆は振り向いて、合わせ鏡になっているもう一つの鏡を見つめた。その鏡は、稲生直美のものだ。青木君は何かを示唆し、真実を知ってほしそうだったが、夏帆にはそれを知ろうとする気力はなかった。何より、まるで夏帆に調べろ、と他力本願なのが気に入らなかった。気になるなら自分で調べろ、と言ってやりたかったが、あまりJ.M.C.のメンバーを刺激したいとも思わない。殺人集団だ、何をしてくるかわからない。
「まだ死にたくはないかな」
空になった直美のベッドを見ながら夏帆はつぶやいた。
「別に生きている意味はないけれど。死にたい時に死ねるわけじゃないから。その時まで生きなくてはならないから。それが人生、それが罪滅ぼし」
罪滅ぼし?
なんでそんなことを考えるのだろう。私が何の罪を負ったというのか。
部屋を出ようとドアノブに手をかけた。どれだけ回しても扉が開かない。夏帆は顔をしかめた。夏帆は状況を瞬時に理解した。後ろに誰か立っている。
「何のためにですか、夏海さん」
夏帆は右手をドアノブに手をかけたまま、振り向いて言った。右手はドアノブにかかっている複雑な呪文を必死に分解している。この呪文を解く魔法を作りだすためだ。
夏海に呪文分解を悟られないように、夏帆は冷静を取り繕った。
「お兄さんは、竹内直人さんは、もうそういうことをしてほしくないとおっしゃっていましたよね」
「関係ない」と夏海は言った。「別にお兄様のためにしているわけではない」
「じゃあ何のために」
「あなたに言うつもりはない」
「別に私いいですよ。今日このまま部屋を出られず、マランドールになれなくても。だって興味ないもの。地位も権力も」
「なら辞退すればいい。なぜ挑むの」と夏海は言った。
「学校に当然のように進学し、マランドール戦があったから受け、勝てば就任する。それは私にとってはとても自然な流れ。朝起きたら朝ご飯を食べる。それと一緒」
「私にはよくわからない。マランドール戦を辞退する。それも自然な流れ。結局はどちらも敷かれたレールの上」
「人生は目的地は決まっていて、そこに向かって選択をし続けている。そう私は思っている」
「あら同じ考えね」
「少し違う。私は選択をしている。レールを歩いてはいない。相手が望んだ。だから勝負を受ける。それが私の選択」
「相手が望まなかったら?」
「さぁ、その時になってみないと答えなんてわからない。でも現実は参加を選んだ。あなたにとって不都合でも私には関係ない。それは竹内直人、あの人も一緒。稲生和真も花森美咲もあなたが関わっているのでしょ」
夏帆は釜をかけた。確信ではなかった。ただいくつかある案の中の1つといった具合だ。夏帆は夏海の返答を待った。
「思ったより賢いのね」と夏海は笑って言った。
次の瞬間、夏帆は杖を夏海に向かって、魔法をかけた。そのうちの一発だけが当たった。跳ね返ってきた魔法を分解して、夏海の癖を記号化し、呪文に置き換えた。ほんの1秒のことだ。ドアノブが開いた。呪文分析が成功したのだ。
夏帆の魔法が当たった夏海はその場で倒れ込んでいた。あの様子なら、おそらく半日は起き上がらないだろう。
竹内夏海は強い。その夏海は自分の呪いが跳ね返って倒れている。相当の手練だ。
夏帆は談話室へと降りると、偶然を装ったかのように寮生が集まっていた。皆、何か声をかけたそうだったが、何も声をかけられずにいた。
「なんかまるで戦争に行くみたいね」と夏帆は苦笑いして言った。
「まぁ、だめでも君には次がある。勝ってほしいけどね」と誰かが言った。
「ありがとう。じゃあ、また」
夏帆は寮を出た。知っている。朱雀寮生は、朱雀民に勝ってほしいだけだということを。とても近くにいても、心はとても遠いことを。ただ毎日の退屈しのぎのために、朱雀民の誇りとやらを提げて、自分のアイドルを追いかける。そしてどこかで私を蔑んでいる。面白がって声をかけては見るものの、私自身に興味がある人など誰もいないのだ。
そう思うと、竹内直人の孤独さは、自分以上のものだろう、と夏帆は容易に察することができた。もし、今回、直人が負ければ、自分からどれだけの人が消えていくか、それが怖いのではないか。
一階の食堂の隣に大きな決闘室があった。ここは、マランドール戦の時以外は開かない。普段は壁のこの部屋も、今日だけは大きなリンゴの木の描かれた扉が現われていた。部屋の前にはJ.M.C.の面々が集まっていた。
多くの視線を感じながら、扉を開け部屋の中へと夏帆は入った。冷たく暗いコンクリート造り。二階の見学部分が設けられており、そこに先生一同と現マランドールが集まっている。
竹内直人は先に入室していた。
夏帆は、竹内直人の目の前に立つた。
「それでは改めてルールを説明します」と浅木は言った。
「服装は制服、持ち込みは杖のみ。その他いかなる防御策も行ってはなりません。死の呪いはいけません。相手を殺してはなりません。相手の杖を奪った時点で終了です。制限時間はありません。降参は認めます。ルールを違反した時点で反則負けとなります」
二人はうなずいた。
「勝者は、私が勝ちを告げたのち、すみやかに先に部屋を出ること。それが、勝者の知らせ方となります。本日も多くの生徒が部屋の前で待っています。彼らは先に出てきた人が勝者だと認識します」
再び挑戦者二人はうなずいた。
「終了後、後遺症のないよう、教師陣が責任をもって治療を行います。もし、後遺症が出そうな重症を負った場合は、一度決闘を中断し、本人に降参意思確認を行います。異論ないですね」
「はい」と夏帆。
「異論ありません」と直人が言った。
「それでは礼!」
二人は礼をした。
「構え!」
杖を構えた。
「はじめ」
先に呪文を放ったのは直人だった。夏帆は何十手も先の呪文を意識して、呪文をかわし続けた。
不思議なくらい身のこなしが軽やかだった。なぜか直人がどう杖を動かしたいか、呪文を繰り出したいかすべて読むことができた。動きがすべてゆっくりに見える。
不思議な感覚だった。決闘をしながら、夏帆は草原の中にいた。草原は丘の上にあり、多くの人が集まっている。遠い向こうに牛や馬が見えた。これ以上になく美しい風景だった。近くにいた成人した男性が何か英語で話しかける。彼は泣いていた。
丘を降りていくと、住宅街に入った。そしてしばらくすると、お店が立ち並ぶようになり、そして、駅へとついた。
電車が到着すると、男性はそこへ乗り込んだ。あとから来た女性が隣に座った。窓からはやはり、延々と草原が広がり、のどかな風景が流れている。女性は本を取り出して開くとそこに杖を当て、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聞いた。女性は泣いていた。きっとこれが正しいんだ、男性がつぶやいた。
男性は封筒を鞄から取り出した。封筒には桜の絵柄が書かれていた。中から手紙を取り出し、じっと見つめていた。夏帆は激しく動揺し、過呼吸となった。今まで読めていた直人の動きが読めない。次第と体が動かなくなった。
次の瞬間ふわっと体浮いた。死ぬんだ、と夏帆は思った。
「ローブの中の杖を出して!」列車に乗る女性と突然目が合ったかと思うと、女性の声が脳裏に直接ガンガンと響いた。
気が付いた時には、直人は夏帆の杖を奪っていた。夏帆は頭を床に強く打ち付けた。浅木が勝敗を告げようとしたその時、夏帆はローブに隠していたもう一本の杖を取り出すと、あっという速さで呪文を繰り出した。その時間0.2秒。
夏帆が新しく作った1001個目の型、その名も『封印』。光輝く閃光をまるで合わせ鏡となるように取り囲み、一瞬のうちに相手の武器を取り去る。相手の杖を奪った時にはすでに相手は閃光に囲まれ、視界を奪われる。これまで隠し通した、というよりは理論だけ組み立てけして実践しなかった大技。命がかかっていない、お遊びの決闘だからこそできる作戦。勝っても負けてもいい。でもできれば勝ちたい。夏海にも城ヶ崎にも気づかれずに技を作るには、こうするしかなかったのだ。
理論値以上に体力を消耗した。夏帆が息を立て直した頃には、直人が床に倒れこんで動けなくなっていた。夏帆の手には直人の杖がしっかりと握られていた。
「そこまで。勝者、高橋夏帆」
どっと疲れが出た。夏帆は這うようにして部屋を出た。
出てきたのが夏帆だと確認したJ.M.C.の面々は急いで決闘室の中へとなだれ込んでいった。
直人も意識を取り戻したらしい。遠くで直人の大きな笑い声が聞こえた。
「これは必然だったんだ!高橋夏帆がマランドールになる、実に面白いじゃないか。これこそがマランドールが創設された所以だよ。因果応報!見たか、あの魔術。あれこそ芸術だよ。僕が追い求めていた理想さ!」
直人の笑い声は恐ろしく狂っているかのようだった。
J.M.C.が一気に雪崩れ込んだあと、廊下はシンと静まり返った。夏帆が寮に帰るまでの道では、コツコツという足跡だけが響いていた。
マランドールになるということがどれだけ重大なことなのかをきちんと理解したのは、決勝戦が終わってからのことだった。
連日のように、政府の役人やら理事やらとの挨拶があり、夏帆はうんざりしていた。そして、何よりもマランドールの持つ、特権だ。マランドールはマランドール用の館が学校敷地内にあるため、そちらに移る必要がある。夏帆は早急に引っ越し準備をする必要があった。
引っ越し前に、館の説明が行われた。集合場所へと行くと、いかにもキャリウーマンといった女性が、高級そうにきらりと光るスールを着て立っていた。
「案内人を務めます、私、中谷と申します。よろしくお願いいたします」
中谷の胸元には、杖の形のピンバッチがついていた。
「朱雀寮2年の高橋夏帆です。魔術師様なのですね」
夏帆は一礼をしていった。
「いえ、私など、資格だけ、といったところです」と中谷は謙遜していったが、プライドが高いことは十分に伝わった。
マランドールの館は庭を少し歩いた丘の上にあった。一面に季節の草花が咲いている。その奥には温室もあり、そこで薬草を育てている。
「ようこそ」
夏帆を見るやいなや、花を手入れしている人々が一礼をした。その中に、見知った男がいた。以前、孤児院で同じだった男の子。箒好きだった子だ。夏帆は気がつかないふりをして通りすぎた。
「こちらが館でございます」
中谷が通したのは立派な洋館だった。中はまるでイギリスのマナーハウスのような仕上がりとなっている。たくさんの使用人が掃除をしたり、話し合ったりしていた。
「高橋様は来週よりここで様々なお稽古を学んでいただきます。茶道、華道、着付け、マナー、日本舞踊、ワルツ、絵画、クラッシック音楽、語学。それと週に一度、エステを受けていただきます」
あまりの特権に夏帆は呆然とし、何も言うことができなかった。
「全て、マランドール様となられるにあたってふさわしい……」
「待ってください、エステもですか?」
「言葉を遮るのはマナー違反です」
「すみません」
夏帆は口をつぐんだ。この中谷さんという人は外部からのお雇いの方だった。来年からはJ.M.C.からの嫌がらせで、数人の庭の手入れ係を残して使用人がいなくなる。そのため、この広い館に中谷と二人で暮らさないといけないのだ。
洋館の説明が終わると、賢所へと案内された。こちらは逆に和装の寝殿造りだった。
「ここは冊封の儀式を行います。十二単を着ていただきます」
「さすがに着付けの方はいらっしゃいますよね」
「いえ、おりませんので、もし必要であれば、ご自身でお雇いを」
「そんなお金ないですよ」
「100万円までは経費がおります。それに単は、代々受け継がれている代物が」
夏帆はため息をついた。明らかに異世界。生きていける心地がしなかった。とりあえず、J.M.C.を手なづけなくてはならないことだけは理解した。
その後も次期マランドールとしての行事は気が遠くなるほど延々と続いた。
ある日、夏帆は遠い山の中へと来ていた。目の前には谷と木々たち。何もない場所に、先生たちは魔法をかけて保温環境も整った1つの施設を作り出した。大きなガラスからは外の様子をうかがえる。しかし、そこには目くらまし術が使われ、施設の外からは見えないようになっている。
夏帆は先生と現マランドールに連れられ、日本魔法魔術学校入学試験の二次試験実施会場へと来ていた。10人の先生が、ガラスの前に座って評価書を入れたバインダーを持っている。その隣に座っているのは現マランドール。マランドールもガラスの外をじっと見ていた。時折通過する小さな魔法使いを乗せた箒。危なっかしい運転をするもの、途中で棄権を言い出すもの、本人なりにはスピードを出しているつもりがまったく出せていないもの。まだまだ未熟だが、たった一人で必死に課題をこなそうとしている姿は尊く感じた。
日本魔法魔術学校には二段階試験が導入されていた。一次試験は筆記試験と魔法の実技。外国では1.2年生で習う内容が試験として課された。また数学、国語、理科、社会という人間も中学生で学ぶ学問に加え、選択制で外国語(英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語)試験がある。この選択制というのは選択をしなくても良い、という意味だ。点数配分は公表されていない。高い点で落ちた人もいれば、選択なしで受かった人もいる。外国語を選択したことで受かった可能性が高い者もいる。そのため塾業界では無理に対策する必要は無い、と教えられている。
しかし塾へ通わなかった夏帆は全くその情報がなかった。外国語があることを当日知り、英語を選択し、思い出せるだけの単語を書き込んだ。落ちたと思ったがトップ合格を果たしている。
この筆記試験で10分の1が落ちる。2次試験は名家出身者の忖度合格があるとの噂だが、1次試験はまったくコネが効かない。どれだけ生まれが良くても、落ちることはある。
2次試験で落ちるのは半分。こちらは受験者しか全貌がわからない。それに、何が合格基準かもわからない。基本的には、谷をスタートからゴールまで移動する、そんな試験だ。
谷を見ながら夏帆は受験日のことを思い出した。
2年前の今日、2次試験の案内を受けた夏帆たち受験生はこの谷まで移動させられた。何もない、ただ川が流れ、葉を落とした木が乱立しているだけの谷だ。そこにいたのは200名ほどの小さな魔法使いたちと大人一人。受験生は空飛ぶ箱に乗せられた。
「明日の二次試験を発表します。今からコースの事前見学を行います。谷のスタートからゴールまで移動するのでよく見ておいてください」と浅木は相変わらず説明不足だった。
するとピンと手を上げた受験生の男の子が一人いた。塾では手の挙げ方も教えるようだ。実に無意味、と夏帆は思った。
「実施内容はなんですか」と男の子。
「ごめんなさいね。内容は、スタートからゴールまで谷間を移動することです。手段は問いませんが、箒と杖は学校の備品を使用してください。求められているのはスピードです。スピードの配点が最も大きくなっています。配点に関してはこれだけしかいえません」
その後、スタートからゴールへと空飛ぶ箱が連れて行ってくれた。みんな谷をじっと見て、小さな川があることや形状がぐねぐねしていることを確認した。それよりも夏帆はあることが気になって仕方なかった。谷の途中にある何かの気配。それも巨大な力。ずきずきと脳や肌に刺さる感覚。それがなんなのかはわからないし、他の子が気づいているのかもわからない。わからないものは怖い。できればそこを通りたくない。夏帆は空中の一転を見つめたが、他の子は見向きもしなかった。
「途中何が起きるかはわかりません。起きるとも起きないともいえません。ただ今は戦争でいう敵地視察だと思って、確認を行ってください」
もう視察ははじまっているというのに、今更なことを浅木は言った。
「けがは負わせません。もし負った場合は、その場で早急に手当を行います。負傷が合否に影響することはありません。こちらの責任になります」
視察が終わると、質問タイムになった。すると一斉に受験生が手をあげた。それに夏帆は圧倒された。
「この試験の意義はなんですか」いくつかの質問が終わった後、誰かがそう言った。「意図がわかりません。やる意味も」
夏帆はすごい子もいるもんだと思った。
「それはお教えできません」と浅木は淡々と言った。
気がつくと夏帆は手を上げていた。
「あの、その、手段は問わないということは、何をしてもいいってことですよね」
周りの子が何を言っているんだ、とでもいいたげにざわざわとした。
「ええ」と浅木はじっと目を見ていった。少しばかり口角を上げた気がした。
次の日夏帆はスタート地点に立つと開始の合図とともに、ゴール地点へと瞬間移動をした。当たり前のことだが、過去最速スピードでのゴールだった。
そして2年後の今、同じ場所に、次期マランドールとして再びやってきた。視察の時の違和感は、先生たちによる採点施設だったのだ。この施設は受験生には見えないつくりになっている。夏帆は施設を隠す魔力と、多くの人の視線に、当時反応したのだ。
「高橋さんは試験を見ないの?」と浅木は声をかけた。
「採点方法って、本当にスピードだけなんですか?」と夏帆は言った。
「視察時の態度、質問内容や箒の技術、杖の振り方も見ている。でも結局はどの能力もスピードに比例していることが多いかな。そもそもスピードって合格者だと対して差がついていない。あなた以外は」
夏帆は苦笑いした。浅木は当時の夏帆を覚えているのだ。
「あなたが瞬間移動をしたことはよく覚えている。点数をどうつけるか議論になって、発想力を評価して、とりあえず満点ということになった。変な質問をしていた子は落ちた」そこまで言って口をつぐんだが、観念したように浅木は続けた。
「あなたの質問、実は秀逸だったのよ。誰もそこに気がつかない。箒と杖を渡され、自分は魔法使いというアイデンティティがあると、それは使うものだと勘違いしてしまう。あなたの記録は誰も越せない。瞬間移動なんて思いつかないし、思いついても誰もできない」
「そうでしょうか……」と夏帆は言った。
「そうよ。できても使う勇気なんてない。それにあなただけ、視察で変な方向を向いていた。視線の先にはこの採点施設があった。気づいたのね」
「そういう体質なんです。魔力に気づいてしまう。昔は魔力だとは気づいていなくて、なんかいやだな、とか、肌に突き刺さる感覚があるな、という程度だったんですけど」
「なるほどね、でもおかげであれから奨学金は出ていない。奨学金は過去の受験生の結果を超える必要があるから。あなたのおかげね」
「おかげ?」と言ったが、浅木はそれに関して何も答えなかった。
「採点は点数式なんですか?」夏帆は話題を変えた。
「マランドールに直接聞いてみたら?」と浅木は微笑んだ。「そんなに怖い人じゃないわよ」
遠目で見える男性のマランドールはたまに外にみやると、何かを一生懸命に書き込んでいる。あの人が優しくおっとりしているように見えて実は怖いことを知っている。
夏帆は意を決して、マランドールへと近づいた。一礼をすると、マランドールはこちらに顔をゆっくり向けた。
「何が着目点ですか?」と夏帆は言った。
マランドールは微笑んだ。
「見る?」そういうと夏帆にバインダーを見せた。そこに書かれていたのは、桜の木の絵だった。
「すごい顔をしているね」とマランドールはにこりと微笑んだ。「僕の役割は採点官じゃない。ここに立ち会い、先生たちがどういう人を取りたいと思っているのかを知るためだ。言い方を変えると、どういう人が先生たちにとって都合がいいかを見ている。僕は崇められてはいるものの、体のいいお飾りってわけだよ。来年君はここに座る。4年もすれば次期マランドールが立ち会う。そしたらこの絵を、後輩にみせてやってほしい。そこまでマランドール制度が続いていれば」
夏帆は少しばかり笑った。この人は、マランドール制度はいつか終わる、そう思っているのだ。
「学校の歴史はおよそ100年。でも、この二次試験が始まったのは、ほんの30年前。理由はわかるかな?」とマランドールは聞いた。
「実戦での実力を測るため」
「それは学校が出している体の良い嘘。そうじゃないよ」とマランドールは笑った。「昔、合格者に亜人が紛れ込んでいたからだ。その亜人は自主退学した。それから実技試験も、実戦試験もするようになった。学力はうまくごまかせても、箒はごまかせない」
目の前を猛スピードで通過する子がいた。
「おお、あの子はすごいね、不合格だ」
「えっ?」
「ずるをしている。こっそり自分の箒を持ち込んだんだ」
「でも、杖を使って自分の箒を呼び寄せたのかも」
「その考えはなかった!」とマランドールは叫んだ。「なっちゃん、賢いね」
ふと類を思い出した。類も、もし夏海の妨害を受けずに合格していれば、このマランドール席に座っていたのだろうか。そしたら、私を自分の敵討ちに受験させることもなかったのだろうか。そしたら今頃類も私もどうなっていたんだろう。
「どうして優しくしてくださるんですか」と夏帆はマランドールに聞いた。
「どうしてって、それは、君がJ.M.C.ではないから、そして高橋夏帆だから、僕が君を恨んでいるんじゃないかってこと?そりゃ、組織としてはそういう立場を取らざるを得ないことはあるかもしれない。でも、僕個人としては、君をそんなフィルターにかけたくないんだよ。個人的には普通に接していたい。かわいいマランドールの後輩だからね」
そういうとマランドールは夏帆の頭をぽんとなでた。
「それは直人も一緒なんじゃないかな、苦しい立場だ、わかってやってほしい。君につらく当たるかもしれないが、それは組織としてであって、直人としてではない。君たちがわかり合う日がきてほしい。それが僕の密かな願いだよ」
「私も、わかり合いたいと思っています」
「なら簡単なことだ。行動すればいい」
「具体的に何を……」
「心を開くことだよ。君が彼に。そうしたら彼も心を開く」
マランドールはにこりと笑った。
ー心を開くってなんだろう。
冬山にはまだ雪が積もっていたが、海沿いはもう葉桜となろうとしている季節のことだった。これから長い戦いの旅路がはじまろうとしていた。
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