権力編
第10話 イギリスからの転校生
3年に上がる夏休みの某日。今日は夏帆のマランドール就任儀式の日だった。夏帆は朱雀寮の一室で目覚めると、そのまま微動だにせず、しばらく寝そべったままでいた。
しばらくすると、観念したように、体を起こした。ベットのそばに置いてある時計は朝5時を指している。両足を床に下ろすと、ひんやりと冷えた床が、足の裏に伝わった。
一部屋に5台のベッド。ルームメイトの3人は、カーテンを閉めて、まだぐっすりと眠ったいるようだ。そして、1台のベットは、荷物一つなく空白のままだった。
夏帆の荷物はすでに全て寮の外へと運び出されていた。マランドールは、校舎よりずっと向こうの丘の上にある、学校敷地内のマランドールの館へと移らねばならないからだ。
夏帆は朝食を食べる気持ちにもなれなかった。顔を洗い、髪を整えると、制服に着替えて、誰に見送られることもなく寮の外へと出た。
あまりにも簡単すぎる朱雀寮との別れだった。朱雀寮の入り口に飾られた絵をじっと見つめた。指輪に触れる寄付人と騎士の絵。特に感慨深くなることもなく、夏帆は6階から1階へと続く、中世ヨーロッパの城のような階段を降りて行った。
1階まで降りると、教室が続く廊下をコツコツと歩いた。中庭のさらの向こうまで行くと、小さな出入り口がある。内門だ。内門は黒く、天井が高くて暗かった。その内門を勝手口の方から抜けると、レンガ通りに噴水が設置されている。その向こうが学校の門、そして、反対側に続くのが、草原だった。
夏帆はマランドールの館のある丘を目指して歩いた。青々と茂った草が夏風に揺れた。
「おはようございます」と夏帆は言った。
マランドールの館の敷地内に設置された公用の施設。コンクリート作りでできた、質素だが、高級感のある場所だ。夏帆がその中へと入ろうとすると、茶色の両扉が引き戸のように自動で開いた。
扉の先には政府の役人たちが数人来ていた。ただの学校の一行事になぜ政府関係者が来るのか夏帆にはさっぱりわからなかったが、そんなことを聞いている時間的余裕も精神的余裕もなかった。
「おはよう」と役人は言った。「こちらです」
夏帆が案内されたのは、控え室だった。化粧台に椅子、簡単な畳張りのエリアに、たくさんの衣装と道具が置かれた机。
「では8時までに現地に来てください」
それだけいうと、政府の役人は控え室を出て行った。1人取り残された夏帆は、机の上に横たわっている、白いローブをじっと見つめることしかできなかった。
朝8時。返還の儀。夏帆はこの日のためだけに用意した白いローブに着替えた。15万円の代物だ。これでも安すぎるらしい。マランドールに与えられた予算は1年間で100万円。残るは85万円。マランドールになれば、身位が上がる。それによる諍いがあることは重々に予想していた。しかし、予算と戦わなければならないことまでは頭になかった。
返還の儀は、賢所に併設されている大広間で行われた。上座に前マランドールとマランドールが立ち並ぶ。下座には、政府や学校関係者、マランドールOB・OGおよび寮長が並んだ。マランドールOGの山瀬桃実や、学校内最強組織J.M.C.所属の青龍寮長竹内直人、玄武寮長花森美咲、白虎寮長渡辺香菜の3人が確認できた。
前マランドールが従者役の中谷からマランドールの証である鏡二枚を受け取り、下座の校長に返還する。それを隣に立つ夏帆が校長から受け取る。これだけだ。
終了後、夏帆は十二単が着替え、髪をおすべらかしに結った。着付師、美容師への謝礼10万円。残るは75万円。
「マランドールって名前からして外国由来な気がするのに、なんで和装……」
夏帆の独り言は準備用に用意された部屋に同席している政府の役人にも聞こえていた。
「あらあなた知らないの?マランドールって横文字じゃないのよ。魔法の魔、乱世の乱、通りと書いて魔乱通よ。魔法界の乱世をも通りぬくという意味が込められている。学生の勉強意欲を引き出そうとしたのよ。その時、陰陽道界で対立するいざなぎ流との関係に我々も頭を悩ませていたから、それもあってのことだけど」
「いざなぎ流……?」
「宗教じみている団体さ」青木は、儀式を唯一見学に来てくれていた。
本来、就任儀式は大勢の人の手によって準備される。しかし、夏帆は先生や中谷、朱雀寮の面々、誰に頼んでも丁重に断られた。そのため、役人とのやりとりや、招待状の手配に至るまで、夏帆は1人で準備をせざるを得なかった。J.M.C.による根回しだ。
「いざなぎ流は、毎朝のようにお経を唱えて、白い服を着て、陰陽道で決められた相手と結婚をする。なんか父さんから、昔一部の学生と問題があって……」
「静粛に。これは厳粛なる儀式です」
先程の役人が声を張った。その様子はまるで青木君の言葉を遮るかのようだった。
「とにかく、マランドールは、学生を守る義務があります。その役目が無事務まるように祈るのが、賢所の儀です」
唐突の敬語に違和感があった。夏帆はため息をついた。
賢所の儀はいたって簡単で、先ほど受け継いだ鏡を持ち、賢所に入るところから始まった。夏場の十二単におすべらかしは暑くてしょうがなく、汗だくだった。
賢所は木造建築だった。床一面、木でできている。上座には、祭壇のようなものがもうけられ、中心部に紫色の布がかぶせられた何かが鎮座していた。その周りを、四神の旗が立っている。
賢所へと入ると、下座に夏帆は座った。中谷が用意した五穀をいただき、酒を飲み、鏡の一つを祭壇へと供えると終了だ。
魔力を感じとる能力を持つ夏帆だが、儀式の最中、何か特別な魔力を感じとることはなかった。おそらく儀式は形式的なもので、なんの効力を持たないのだろう。前マランドールも言っていた。自分たちはお飾りなのだと。
儀式が終わると、マランドール専用のガウンを羽織、マランドールの館内にあるホールにてお祝いの挨拶を受けた。夜には食堂で祝賀会。出席者は夏帆への挨拶を簡単に済ませると、すぐに竹内直人の方へと向かっていった。仕方がない。竹内の父親は日本を牛耳る竹内家の当主。首相であり、与党総裁であり、J.M.C.の創設者。孤児の夏帆にまるで興味を示さないのも無理はない。竹内は楽しそうに政府関係者や企業の関係者と会話を交わしていた。
J.M.C.OGの城ヶ崎が祝賀会のためにアメリカから駆けつけていた。肩書は城ヶ崎コーポレーション常務だ。祝賀会は夏帆のためのものではなく、政治とビジネスの場らしい。竹内直人と目が合った。直人が一瞬にやりと笑った気がした。
ろくに会話も続けられず、にこりと笑うだけの夏帆にとってパーティーなど苦痛で仕方ない。早く終われ、そう思うしかなかった。
解放される頃には22時を回っていた。
「おかえりなさいませ」と中谷は言った。「お疲れ様でございました」
「ええ、あなたも。私はもう寝ます」
「いえ、まずはお風呂に」
夏帆はうんざりした。今日くらいいいじゃないか。明日の朝にさせてくれ。
風呂は館の一階の奥にあった。ギルド伯爵家と同じ、イギリス式。バスタブには既に湯が張られ、白く泡立っていた。
イギリスかぶれめ
入浴の後は、入念にクリームを塗り、丁寧に髪を乾かし、やっと眠りにつくことができる。
寝室は2階に一室が与えられていた。その隣には中谷の部屋がある。寝室は広く、勿忘草の文様の緑色のベッドに、化粧棚や鏡、洋服箪笥が設置された、十畳ほどの部屋だった。
ベッドに倒れこんだ。寮の時はまるで違う、ふかふかのマットレス。眠りに落ちそうになりながら、夏帆は必ずJ.M.C.を追い落とすと心に誓った。
マランドールに就任して2週間、やっと引き継ぎ文書が届いた。引き継ぎ文書は100ページにも及ぶ。とりあえずわかったことは、膨大にやることがあるということだ。それだというのに、J.M.C.の根回しによって、マランドールの手伝い要因である生徒会は解散させられた。早速、夏帆はJ.M.C.を敵に回す恐ろしさを実感した。
一つずつ目を通していくと、どうやら始業式早々に、クラブ活動のチェックが必要とのことがわかった。J.M.C.へは何年も行われていない。それもそうだろう。J.M.C.には秘匿しなければならない情報がたくさんある。マランドールがJ.M.C.会長なら、クラブ活動のチェックなど、無しにすることも可能だ。正直夏帆もあの竹内直人と戦ってまで、活動実態の確認など行いたくない。しかし、ここで逃げていては、いつまでもこの戦いに勝つことはできない、と夏帆は思った。
そうして、もう一つ、大問題に気がついた。茶会だ。11月と3月に執り行うことになっている。この茶会もスルーするという選択もあったが、引継書を読む限り、どうやら各寮長との情報共有の場を兼ねているという。夏帆は習い事の1つに茶道があった理由がようやく理解できた。
しかし、開催方法がわからない。どうお菓子を準備し、道具を準備し、開催案内を出すのか。誰を呼ぶのか。先生は必要か。
こういう時に、相談できるつてや友人がいないのは困るのだ、と夏帆は思った。中谷を頼ればいいかもしれないが、何を聞いても、考えてください、か、それはできません、と言われるばかり。できれば関わりたくなかった。
膨大な仕事を片付けるだけで夏休みが終わる。始業してからも勉強の時間を確保できない。考えるだけでめまいを引き起こしそうだ。なぜみながマランドールを目指すのか皆目検討がつかなかった。こんな面倒な中間管理職をなぜ引き受けたいのか。
居室の窓から外を見ると、青々とした木が林立していた。まずは散歩でもしようかと、夏帆は外に出た。
マランドールの館をでると、目の前に庭園と、温室がある。夏帆は温室へと足を運んだ。
温室には、授業で使う薬草が何種類も育てられており、異様なにおいで充満していた。
「これは、マランドール様」
夏帆の嫌がらせに多くのマランドール付の関係者が解雇された。残っていたのは中谷だけだと思っていたが、温室係も残されていたのだ。
拝礼することにはなれていたが、拝礼されることに慣れていなかった夏帆は恥ずかしさを隠すように笑った。
「いつもありがとうございます。お名前は?」
「小林海斗です」
「お久しぶりですね」と夏帆は言った。
「覚えておいででしたか」と小林は言った。
「敬語はやめてください。私より6年も上じゃじゃないですか」
小林は孤児院時代の上級生だった。
「院長が亡くなったこと知っていますか?」と夏帆。
「類に」
「類……」夏帆は心がつままれる思いがした。類は昨年警察に連れて行かれてから音沙汰がない。
「大丈夫だ。類は、あいつは不屈だ」と小林。
「類は海斗君の3つ下?」
「うんそうだね」と小林。「あいつ、孤児院に連れてこられたばかりの頃はひどかったよ。殴るは蹴るはで手が付けられない。類の母親がヤクザの慰み者で、病気になって捨てられたんだ。最下層ってところで生きるためなら盗みも暴力もある世界で育ってきた。母親もいつしか消え、茫然としているところを院長に拾われた。ほら、類の母親は去年のマランドールの父親の女だったんだよ」
「え?ん?どういうこと?」
「知らなかった?去年のマランドールは、今じゃここらでも有数のヤクザの頭の息子だよ」
「美容師になったって」
「ああ、美容師の傍ら、いや、どっちが傍らだろうな」と小林は笑った。
「君はラッキーだ。孤児院出身ながら、そんな服を着れるようにまでなった」
夏帆は黒の半そでのローブドレスに、ピンクの羽織を着ていた。
「申し訳ないと思っている」
「そんなことはない。夏帆が自分で手に入れたものだ。勉強や努力の重要性に気が付けるのは一つの才能だよ」と小林は言った。
「あなたはどうしてここへ?確か、ツジガミに就職したんじゃ」
「ああ、ツジガミの部品会社の工場で働いていたけど、上司と喧嘩してすぐにやめた。その後は、物流の仕事かな。人間界で物を買ってきて、魔法界で売りさばく。車とか、バスとかをね。それも給料安いし、夜勤もあるし、疲れるからやめた。そうやって、職を転々としているうちにここに落ち着いた。ここも給料は安いけど、住む部屋もあるし、飯も出るし、最高だよ。僕ら凡人の雇先を作ってくれてありがたいよ」と小林。
夏帆はそれ以上何を言えばいいかわからなかった。
「この温室の薬草、私が勝手に使ってもいいの?」
「もちろんいいよ。でも一応僕に一言聞いて。僕薬草専門の魔術師資格持ってるから」
「え!」夏帆は驚いた。
「この仕事始めた時に、せっかくだから取ってみろって言われたから取ったんだ。確か3つ条件を満たす必要があったよな。魔術院卒業、専門職経験3年、飛び級での大学院入学」
小林海斗はきっと、機会に恵まれなかっただけで、ものすごく優秀なのだ、と夏帆は思った。しかし、そのことに本人が気づく機会が失われしまっている。今自分がここにいることはとてつもない幸運なのだ。
始業式が近づいてきたある日、夏帆には名簿と新入生の名簿が渡された。
黒崎リサ
「黒崎リサ、黒崎リサ、黒崎リサ」
3度つぶやいてみたが、思い出せそうもない。知らない子だった。そして、稲生直美の名前が消えていた。直美は休学、もしくは退学したのだ。おそらく、黒崎リサは転校生。稲生直美が退学し、新しい学生を受け入れる余裕ができたということなのだろうか。熾烈な受験戦争を勝ち抜いた人のみに与えられる入学資格。それなのにこうも簡単に転校できるなど、親は政府の役人か、学校関係者といったところだろう。
一方で、6年生の欄から花森美咲は消えていなかった。彼女も一時休学していた。夏帆は不思議と彼女のことを心配をしていた。引き継ぎの儀式で、花森の姿を見て、ほっとした気持ちになったのをよく覚えている。
9月1日。夏帆はマランドール専用のガウンを羽織ると、入学式に出席した。夏帆はマランドールとしての挨拶を頼まれていた。決められた文章を読むだけの簡単なお仕事のはずだった。しかし、なぜか降ってわいたような言葉を思わず口走った。
「ここには受からなかった人もいます。入学できたのはあなたたちの努力の成果でもありますが、努力できる環境を整えてくれた人々いることを忘れないでください。周りの人への感謝を忘れず、卒業後は、環境を与えられる人となれるよう日々精進してください」
そんなことを言っただろうか。記憶が曖昧だ。夏帆は自分の話している最中にあることに目を奪われた。会場に遅刻してきた学生がいたのだ。綺麗な黒髪にほんのり化粧をした女性。スピーチを聞いて、クスッと笑ったのを、夏帆は見逃さなかった。
夜は始業式が執り行われた。定刻となり、夏帆は食堂へと入ると、生徒が一斉に立ち上がり、夏帆に向かって拝礼をした。なんだか落ち着かなかった。夏帆は緊張した足取りで壇上へと向かった。
拝礼する学生を見下ろす。花森美咲が去年や儀式の時とは違い、髪をポニーテールに一つにまとめて落ち着いた髪型となっていることに、まず目がいった。
「新しくマランドールに就任した高橋夏帆である。これまでの諸先輩方に敬意を表し、そのやり方を踏襲し、今後も、これまで通り、学校の安全と繁栄を守っていくことをここに誓う」
夏帆はそれだけ言うと、壇上のマランドールの席についた。ここでのスピーチは毎年個性が出る。大仕事をやり遂げ、ほっと一息をつくことができた。
「おめでとう」と校長がひとこと言った。これまでⅠ生徒だった夏帆にとって、校長は特に興味の無い存在だった。白髪交じりだ、と気がついたのも、引き継ぎの儀式が初めてだった。
「ありがとうございます」
「君がこの職になるなんて、まるで呼び寄せられたようだね」と校長は言った。どういう意味かわからなかった。
「あら、高橋さんおめでとう!」と浅木先生が校長の言葉を遮って大声で言った。いつも空気を読まないのは浅木だった。
新入生を前にしたごちそうも、落ち着いて夏帆は食べることができなかった。これまでは机の上に勝手に並べられていた食べ物。しかし、マランドールには一品ずつ学校の使用人が持ってきたのである。最後の皿いっぱいのデザートを前にしても全く食欲がわかなかった。チーズケーキ、チョコレートケーキ、クリームブリュレが小さくお皿にのっている。お菓子ばかりの世界に行ってみたい、と思った時代もあったが、行っても途中で飽きて面白くないだろう、とさえ思うくらいだった。
壇上からちらりと竹内直人を見た。彼は、初めて会った時と同様、表情1つ変えずに、静かに丁寧に、黙々と夕食を取っていた。
夏帆はたまらなくなり、立ち上がった。すると、それを察して、教師を含め、皆が立ち上がり、拝礼した。気まずい状況の中、夏帆は食堂をあとにした。この状況があと4年間も続くと思うと、身も心も持ちそうではなかった。
3年生に上がって最初の授業は体育だった。夏帆はマランドール専用の着替え部屋で体操着に着替えると、体育館へと向かった。3年生で最初に習うのは西洋式剣道。朱雀寮と白虎寮合同授業だ。
夏帆が体育館に現れた瞬間、皆が一斉に夏帆の方を向いて拝礼をした。夏帆はなんとも言えない気持ちになった。
「やめてほしいかな」と夏帆は言った。
「そうはまいりません。マランドール様」と青木君は言った。
「じゃあ、やめてほしいな。拝礼も敬語も授業の時は。これは、マランドール命令です」
そういった瞬間、みなはいつも通り、友人たちとおしゃべりをしだした。夏帆は少し悲しい気持ちになった。
授業は、白虎寮の人と1対1で試合形式で行われた。イギリスにいたころ、フェンシングを習っていた夏帆は、次々と相手を倒していった。
「では次最後のペアね!」と浅木先生は言った。
夏帆と当たったのは、ストレートの黒髪が美しく、ほんのり化粧をした女性。高橋夏帆にも、ものおじしない様子はどこか不自然でさえあった。相手はにこりと笑った。
「黒崎リサです」
「高橋夏帆です」
その名前で思い出した。転校生だ。
黒崎は強かった。そして気がづいたときには、夏帆は剣を落としていた。体育館が一瞬で静まり返り、そしてざわざわとし始めた。夏帆は茫然とした。剣術で負けたのは初めてだ。
黒崎リサは満面の笑みで夏帆に駆け寄ってきた。
「夏帆さんすごいね!とっても強かった!」
夏帆は何も言い返すことができなかった。
「私、イギリスにいたころフェンシングを習っていて全国大会にも出たのよ。だから、できて当然。こんなに強い人が日本にいるんだってすごく嬉しくなった!」
黒崎リサは握手を求めてきた。よくわからないまま夏帆も握手を返した。
「今日の授業後開いてる?お茶しない?」
距離感が近すぎる人が夏帆は苦手だった。しかし、なぜだろう、少しばかり寂しかった夏帆はリサの提案を受諾した。
夏帆は誰かの誘いを受けたのは初めてだった。放課後、ドキドキしながら正門前でリサと待ち合わせた。
「ごめんお待たせ!」とリサ。
「どこかおススメある?私ここに来たばかりで何も知らないの!」
「一つ、あてはあるかな」
夏帆が連れて行ったのは、カフェコッツウォルズだった。そのころにはリサのテンションはだいぶ落ち着いていた。
「行きつけ、なの?」とリサは聞いた。
「いや二度目かな」
「へぇ」
二人がカフェに入ると、いらっしゃいませ、という女性の店員の声が響いた。よく覚えている。山瀬と来た時にもいた、ピンクのリボンで髪を一つに束ねた女性だ。お好きな席へどうぞ、と言われ、二人は入り口近くに座った。
「オススメを頼んでよ」とリサに言われ、適当に夏帆は二人分頼んだ。
カフェ店員が紅茶とケーキを持ってきた。
「パブロバじゃん!」とリサは目を輝かせた。
「知っているの?」
「もちろん!おいしいよねぇ」とリサは光のない瞳ながら笑顔で言った。
「このお店、ラプサンスーチョンもあるんだね」
「よく知っているね」
「あなたこそ、日本人が知ってるだなんて!」とリサは言った。
「おいしい紅茶だよね。中国茶みたいな味がする」
「通だね」とリサは言った。
「学校はどう?なれた?」
「なれるも何もまだ2日目だし。私、親の仕事の都合でイギリスにいて、仕事の都合で日本に帰ってきたの。帰る、はおかしいか。日本は初めて」
「イギリスにいた時はどこかの学校にいたの?」
「ああ、えっと、スコットランドの方の学校にいたかな」
エジンバラ魔法魔術学校は確かにスコットランドにある、と夏帆は思った。
「親の仕事もスコットランド?」
「ううん、全寮制だったから」
「日本と一緒か」
「今は親も近くに住んでいるけどね」とリサは言った。「でも初めての日本だからあちこち行ってみたいの。これからよろしくね!」
心配、じゃなくて楽しみという感情なのはすごいな、元気だな、と夏帆は思った。
「ところでなんだけど、一つ聞きたいことがあって……竹内直人ってどんな人?」
「え?」
なぜ急にそれを聞く。
「あ、いや、うちの寮長がよく、直人が、直人がって言うから。それになんか、竹内直人には気をつけろ、みたいな噂も聞いて」
夏帆も入学初日には既に直人のことを知っていた。竹内直人も大変だな、と夏帆は思った。
「白虎の寮長だから、渡辺香菜さん?まぁいいや。竹内直人は、権力者の一族の跡継ぎなのよ。だから注目されやすい」
「え、それだけ?」
「うん」
別に悪い人ではない。ただ少し、彼が寡黙なのもあってつかみどころがない、実際みんなが思っていることなど、そんなところだろう。
「だってその、竹内家が王様なわけでも、ずっと権力持ち続けられる保障があるわけでもないんでしょ?人としていい人なら別に仲良くすればいいんじゃない。しちゃだめかな?」
出会ったばかりですごい話をする子だな、と夏帆は思った。
「いいんじゃなかな。仲良くしたら、竹内さんは
喜ぶと思う。上下関係とか、気にするような
人でもないし」
「仲良いの?」
「ちょっと関わりがあるくらいだよ」
夏帆はイングリッシュブレックファストを
一気に飲み干した。
3年生は選択科目が多かったため、合同授業となることがほとんどで、座席も自由だった。
教室こそ与えられてはいるものの、移動教室が多くなり、階段式の大教室がよく使われた。
「隣すわっていいかな?」
夏帆が見上げると、黒崎リサがいた。
「もちろん」夏帆は笑顔になった。
「よかった!」
誰かと授業前に話したり、一緒に授業を受けたりするのは初めてのことだった。いつも夏帆は本を読んだり、他の人の会話を盗み聞きしたりして授業前は過ごしていたからだ。
「その本、呪文分析学ね」リサは夏帆の持つ本を見て言った。
「うん」
「面白い?」
「面白いよ。西園寺先生の授業を受けてみたらどう?」
「うーん、一度受けてみたんだけど難しくて」とリサは言った。「でも夏帆がいるならやっぱり受講しようかな」
「ぜひ」夏帆は笑った。「呪文を跳ね返す方法や、呪いの解除方法、相手の動きの制御、逆に解除されない呪いの作り方。分析するからこそできる難しい魔法が学べる」
「そんな呪いあるの初めて聞いた。面白そう」とリサは不敵な笑みを浮かべた。
魔法史の先生が入ってきた。礼によって靑木君が号令をかけた。黒崎リサは戸惑いながらも、夏帆たちをまねていた。
先生は新聞を配った。
「このニュース、知ってる?」
歴史の先生はまたも授業形態を変えていた。
「ああ、あれでしょ?イギリスがほぼ休戦状態だったのに、また再開したって」と佐々木が言った。
「あれは噂だよ。ロビン・ウッドが学校に襲撃をしかけて、少年が倒したっていう英雄伝説。そもそもロビン・ウッドはずいぶん昔の人だし……」と歴史の先生は言った。ついこの間のことなのに英雄ねぇ、簡単にその名を口にできるのね、とリサはつぶやいた。
「いやいや、あれ、ほんとなんだって」と佐々木。
「まじ?」と青木が言った。
「私さ、夏休みに家族でネス湖にネッシー見に行って、旅行の途中で、この話題でもちきりになっちゃって。帰るの一日遅れたもん」
佐々木が髪をくるくると弄んだ。
海外に行くことは基本的に禁止されている。あくまでこの学校の特権階級の人たちが特別ルートでいっているだけだ。佐々木の両親は獣医。研究のため、と言ってイギリスに向かったのだろう。歴史の先生は何も言えずに唖然としていた。
「ロビン・ウッドが犯行声明を出したの。それで本当に、ご本人様が学校に現れた。でもね、その場にいたのは女性だったって」佐々木は目を輝かせながら言った。
「え、女性なの?」と青木。
「あくまで噂だよ、ロビン・ウッド女性説だよー。ほら、直美もよく言っていたじゃん、3大悲劇の作者ウィリアム・ピアーズも、女性説があるって。それと一緒」
直美って?とリサが隣で聞いた。退学した同級生、と夏帆は答えた。
「へー、でも犯行声明出すとかバカなのか?なんでわざわざ自分がやりましたっていうんだ」と青木。
「奴らは逮捕を恐れていない。というか自分たちを正義だと思っているから、犯罪の意識がないんだと思う」と佐々木。
夏帆はこのくだらない時間を無駄にしたくないとでも言わんばかりに、マランドールの資料に目を通していた。教師もなぜ、生徒のお喋りを止められないのだろう。それだけ授業が止まってしまうというのに。
「君たちがまだほんの赤ちゃんの頃、イギリスは内戦状態だった」と先生はやっとのことで声を絞り出した。「要は魔法使いと亜人と人間、それぞれがどう暮らすか、という問題だった。ウッドは棲み分けを主張して、魔法使いは魔法界で暮らす、亜人は追い出すという持論を展開した。」
「持論?」と黒崎リサはつぶやいた。
「亜人っていうのは、魔法使いから生まれた人間ね。つまり魔法を使えない障害を持つ人」と先生は返した。見当違いな答えだな、と夏帆は思った。
「つまりウッドは領域支持者だった。けど一般市民は、領域外で人間とともに暮らそう、魔法が使えない亜人は保護しよう、という意見が多勢だった。領域支持者の一部が宗教団体となり、意見が対立するようになると武装をはじめ、内戦になった。難民も多く発生して、ヨーロッパは大混乱。一説によるとこの対立は政治的問題も絡んでいたみたいだけどね。本当にすごかったんだよ。ロビン派と政府と反政府組織の三つが対立しあった。ロビンがあまりにも強すぎて、誰も倒せなかったんだ。最強の兵士が最高権力を持っているとどうしようもなくなる。」
歴史の教師は昔を懐かしむように、どこか他人事のように話した。
どこか魅力的なところがあったから人がついてきたんじゃ、それか頭がキレるとか、あるいは、暴力による世話と脅しだろうか。
「高橋さんなら、簡単に倒せるんじゃない?」
佐々木は唐突にそう言って笑った。
「えっ?」
思わず夏帆は顔を上げて、首を小さく横に振った。
―馬鹿なのか、こいつらは
夏帆は思った。お前らはロビン・ウッドと相対したことがあるのか?本当の戦闘を、人の死を、君たちは知っているのか。
「それはないと思う」とリサが大声で言って、教室中がリサに注目した。
「夏帆がロビンに勝てる?何を根拠に。甘くみないで」
ああそうだ。この子はイギリスで地獄を見てきたのだ、と思った。言いたいことをすべて言ってくれたリサに感謝した。
「結局は、問題はロビンの強さだけはない」と夏帆は言った。「亜人は、魔法が使えない魔法使い。どちらの世界でも居場所がない。そういう存在の取り扱いは難しい。それが問題を複雑化している」
夏帆はそうとしか言うことができなかった。
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