5-2
二人が軽食を摂ってから三十分ほどしたところで、花江が「解析が終わりました」と言って顔をのぞかせた。さっそく結果を聞かせてもらおうと彼女のあとに続いて解析室へと足を運ぶ。
「通話の記録は約三十秒でした」
花江は機械を操作しながら淡々と告げた。
「かなり短時間のデータですので、あまり有益な情報は得られていません。機械分析以外に松本副隊長の耳もお借りした方がいいと判断したのでお呼びしました」
「花江さんの機械も優秀でしょうに」
「もちろんそれはそうなんですが、例えばバイクのエンジン音が撮れていたとして、機械だと『この音はバイクのエンジン音で、排気量がどれくらい』というところまでは分析できますが、どの車種かというところまで分析するのは難しいんです。それ以上は人の官能に頼ることになります。官能分析をお願いするのに松本副隊長以上にふさわしい方はいませんからね」
花江の言葉に松本はやや複雑な面持ちになったが、今は黙って彼女の依頼に応えるべきだと判断した。ヘッドホンを受け取って装着する。
――「隊長? 俺の声、聞こえてます?」
『……』
通話の向こうから電子変換された環境音が聞こえる。
「真仁さん、聞こえます?」
『……』
最後に靴音がわずかに聞こえて終話する。――
自らの声以外の部分を耳にしたとき、松本は首を傾げた。
「最後の靴の音以外に途中で一瞬、サイレンの音が聞こえませんか」
「ちょっと音量を上げて再分析してみましょうか」
花江はそう言って松本が効いたというサイレン音の部分の音量を上げた。もう一度、松本はヘッドホンを装着する。聞こえたと感じたサイレンは【住】地区特有の時刻放送だった。松本はヘッドホンを外して志登と花江の方を振り向いた。
「時刻のサイレンだ」
「時刻?」
「かすかだから八割程度の確信しか持てないけど、時刻放送だと思う。さっきの時間に放送がある地区がわかればヒントになるかもしれない」
おそらく夕刻の放送だから、子供が多い地域だと思う、と付け加えた後、松本はあることに気がついた。
「あの、今気づいたんだけど、端末から通話があったってことは、GPSで追えるよね?」
松本の発言に志登は「悪ぃ、完全に頭から飛んでた」と言い、花江は首を横に振った。
「ちゃんと追えるかどうか試しましたよ。でも、無理でしたのですぐに音声分析に切り替えたんです」
「無理って、どういうこと」
「電源が切られたか、端末ごと壊されたか、ジャミングでもされているか。とにかく仔細はわかりませんが、GPSでの位置特定ができませんでした」
花江の言葉に松本はくちびるを噛んだ。端末での位置特定がしづらいとなるといよいよ場所の特定が困難になる。一般的に行方不明者の生存確率は一週間を境に大きく落ちると言われている。現在二日が経過しているため、残る時間は約五日だ。
「ですから、松本の副隊長の官能分析が頼りだったんです。手法は地味ですし、普段より時間はかかりますが、さっきの時刻サイレンから特定するのが今は一番早いんです。サイレンの音はデータ化されていますから、順番に聞いてみてください」
花江はそう言って、デジタルライブラリーから各地区の時刻放送サイレンのデータを呼び出す。順番に再生される音を聞くなかで、松本は「ここだ」と言ってヘッドホンを外した。
「【住】地区三番街〈ガンマ〉の放送だ」
「……なんとも因果な土地だな」
志登は松本の左膝に視線をやりながらつぶやく。松本も首を縦に振った。
「つくづく縁がある土地だと俺も思うよ。ただ、【住】地区三番街にいるのは納得した。虚口も以前あそこを拠点にしていたから。【中枢】地区にもアクセスがよくて、人も建物も多い地区だから身を隠しながら、サンたちと接触を図るには適した場所だ」
そして幸いなことに第三部隊の巡回担当区域であるため、巡回に出ている夕勤チームを向かわせることは可能だ。ただし、それをするには六条院の現状について隊員に明かすことになる。
「問題が明るみに出るのは避けられないから、早めに明かしておいた方がいいと俺は思う」
「……そうだね」
「それで、現場指示を交替班に出したらお前は休め。俺も休む」
普段より強い口調で言う志登を松本は目をしばたたかせながら見つめた。
「お前のスタミナが普通の人間よりもあるのは知ってる。でも休め。これは第一部隊長としての指示だ。いざってときに本気で動けなかったら困るだろ」
「……でも、」
「俺もだけど、先の件でGPSに考えが至らないのは相当まずいだろ」
――判断力と思考力が鈍ってる証拠だ。
志登の厳しい言葉に松本は「わかりました」と返事をした。
「佐都子がこっち戻ってくるから、俺たちが休むのは隊舎じゃなくて科技研の方になるけど、それでもいいか?」
「もちろん。昨日までもここに泊まりこんでたしね」
まさか今日も続けて泊まりこむことになるとは思わなかったけど、と松本は苦笑した。宿泊用の道具はまだ第三部隊の執務室に置かれたままだ。
「よし、じゃあ一度〈アンダーライン〉本部に戻って、指示出しと風呂済ませて再集合だな」
「了解。花江さんも遅くまで付き合ってくれてありがとう」
松本の感謝の言葉に花江は首を横に振った。
「いえ。ほかにお手伝いすることはあればご連絡ください。今夜はなるべく連絡がつくようにしておきますから」
「それはとても助かる。今度水野さんの分も含めてなにかごちそうするよ」
その言葉に花江は目を輝かせた。
「本当ですか⁈ 松本副隊長の見立て、いつもモモ子ちゃんに好評なので嬉しいです。約束ですよ!」
花江は満面の笑みを浮かべながら「お疲れさまでした!」と言うとそのまま踊り出しそうな勢いで、部屋を出て行った。その背中を見送って志登が言う。
「俺たちも本部に戻るか」
「うん」
その前に元岡さんに連絡しておかないとね、と松本は志登に言った。
○
ふと松本が目を覚ますとあたりは闇に包まれていた。ソファで横になっているだけのつもりがいつの間にか眠り込んでいたようだ。近くの別のソファでは同じく志登が静かに寝息を立てていた。目を擦りつつ手元の端末で時刻を見ると、午前三時二十四分だった。夕勤から夜勤の班への交代はとっくに済んでいる時刻だったが、どこからも連絡は来ていない。
「――そう簡単に見つかるはずがないか」
木を隠すなら森の中、という言葉の通り、【住】地区三番街〈ガンマ〉は人口も建物も多い場所だ。地区番号までしか絞り込めなかった以上、しらみつぶしに当たってもらうしかない。
道のりの遠さに思わずため息をついて松本はソファからゆっくりと立ち上がった。自分が現場に出られればもう少し迅速に対応できただろうが、足にハンディを抱えている以上難しい。まして、隊長、もう一人の副隊長のどちらも不在の今、隊の全体指揮権は松本の手元にある。
「とりあえず水……」
喉の渇きを覚えて机上のペットボトルに目をこらしたが、あいにく志登からもらった水はすでになくなっていた。買いに行くか、とポケットの中に小銭入れがあることを確認して松本は部屋を出て――目を疑った。
「眞島くん?」
廊下に設置されている待合の長椅子で、眞島が座ったまま眠り込んでいた。ドアの開閉音でも起きないところを見ると深く寝入っているようだ。おそらく何かを伝えに来たのだろうが、松本たちが眠っていたので待っているうちに自分も眠り込んでしまった――というところだろうか。松本は一旦、自分の水と眞島に渡すための缶コーヒーを買いにその場を離れる。買い物を済ませて戻ってきても、眞島は眠りこんだままだった。
「眞島くん、起きて」
松本はよく冷えた缶コーヒーを眞島の頬に当てた。その途端、「冷たッ!」と悲鳴を上げて眞島が飛び起きた。
「えっ⁈ 何ですか今の⁈」
頬を押さえたまま眞島は松本を見上げる。普段はきっちりとかけられている眼鏡がずり落ちていた。
「はあ〰〰やめてくださいよ……心臓に悪い……」
「ごめん、よく寝てたみたいだからつい」
眠気覚ましにどうぞ、と言って松本は缶コーヒーを眞島に差し出した。眞島も先ほどの冷たさの正体に気がついたらしく、大人しく受け取ってプルタブを引いた。
「いただきます」
「どうぞ」
松本も眞島の横に腰を下ろすとペットボトルの蓋を開けて口をつけた。水はつるり、と喉を通り過ぎて腹に落ちる。
「ところで急ぎの用事だったんじゃないの?」
喉を潤したところで松本は眞島に話を切り出した。眞島はそうでした、と言って傍らに置いていたキャンバス地のトートバッグから書類を取り出した。淡い常夜灯のみが設置されている廊下だったが、松本は難なく書類に目を通していく。
「〈中央議会所〉の面会記録と、副所長の補佐官についての調書です」
「面会記録はまだしも補佐官の調書? よく手に入ったね」
「私は派遣という形でこちらに来ていますので、現在も〈中央議会所〉の書類にアクセス可能なままです。調査した形跡は残っていると思いますので、気づかれるのは時間の問題ですが」
だからデータのままではなくわざわざ紙にしたあと、本人が直接持ってきたのだと言う。端末の電源まで切って夜中に来たところからも厳しい追及があるのだとうかがわれた。
松本は書類に目を通していき、段々と表情を険しくした。
「なるほど、だから補佐官に目をつけてくれたのか」
「はい。経歴が不明瞭で、数か月前に雇ったばかりの女が、隊長の来訪日を機に無断で欠勤しているなんて無関係だとは思えません」
休暇届を出していればまだ疑いは軽かった、と眞島は思う。眞島の肩を松本は軽く叩いた。
「ありがとう。眞島くんにとってはあまり知りたくないことだったかもしれないけど」
「いえ。逆にすっきりしました。これで父、いえ為石副所長が関与していることもほぼ確定しましたし。どっちつかずの状態の方が気が重かったです」
「そっか」
それならいいんだけど、と言って松本はもう一度手元の書類に目を落とした。〝乾みちる〟と書かれた名前からすべて偽名なのだろう。
「一応確認。眞島くんはこの補佐官こそが神在だと疑っているわけだよね?」
「はい。根拠は薄いかもしれませんが」
「いや、今はどんな可能性であれ検討が必要だから、新しい可能性を提示してくれてありがたいよ。特に相手がどんな姿をしているかわからないから、もしこれが当たっていたらとても助かる」
眞島は黙ったままうなずいた。
「では私はそろそろ自宅に戻ります」
「どうやって?」
「歩いてきたので歩いて戻ります。大丈夫ですよ」
「いや大丈夫じゃないと俺は思う。さっき自分でも〈中央議会所〉側に気づかれるのは時間の問題って言ってたよ。捕まるようなことは避けたいな」
うーん、と松本が頭を悩ませていると、先まで使っていた部屋の中から派手な音がした。ゴン、と何かが落ちたような音に驚いて松本は部屋のドアを開ける。
「志登さん何かあった⁈」
「何かあったじゃねえよ、起きたらお前がいないから焦ったんだよ! またひとりでどっか行ったのかと思ったじゃねえか!」
起き抜けにもかかわらず大声を上げる志登に、松本は飲みかけのペットボトルを差し出した。それを受け取って志登は喉を潤した。
「それは俺が悪い、ごめん。水買いに出たとこで眞島くんと会って話してた」
松本の後ろから恐る恐る顔をのぞかせた眞島に、志登は納得したようでため息をつきながら再びソファに腰を下ろした。
「……それならいい。俺も早とちりして悪かった。ところで眞島はなんでこんなとこまで来たんだ」
「それは今から説明するけどその前に一つ相談。ここまで歩いてきた眞島くんをどうやって自宅まで送り届けるか。本人は歩いて帰るって言ってるんだけど、それはあまりにも眞島くんにリスクが高すぎる」
松本は眞島がここまでやってきた経緯について簡単に志登に説明をした。志登は少し悩んだあとに「歩いて帰るしかねえだろうな」と結論を出した。
「俺たちとの接点が見つかる方が厄介だ。少し歩いて車を拾うか、全部歩いて帰るかの二択だ。どうせ議会所の連中だって二十四時間眞島を監視するほど暇じゃねえだろ。幸いまだ今は夜中だ。夜明けまでに自宅に帰れたら眞島の勝ちだと思うぜ」
「はい」
大丈夫ですよ、と言って眞島は空になった缶を松本に手渡した。
「コーヒーごちそうさまでした。私が出したごみはこちらで処分してもらう方がいいと思いますので、よろしくお願いします」
「くれぐれも、気を付けて」
GPSを警戒して眞島は端末の電源も切っている。自宅に戻るまではいざというときに連絡することもできないという諸刃の剣だ。
「お二人もどうぞ気を付けて。〈中央議会所〉も関与しているとなると厄介ですが、隊長を取り戻してきてください」
成功を祈っています、と言って眞島は静かに部屋を出て行った。足音が聞こえなくなるのを待って松本は「眞島くんの情報を元に、もう一度捜査方針を考えてみよう」と提案した。
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