第五話  The pale light of dawn

5-1

  ――その日は晩夏の空気が残る秋の日だった。


「もしもし」

 六条院の私用端末からかかってきた通話に出た松本に、志登は一本のケーブルを見せた。慌ててスピーカーホンに切り替えてケーブルを端末に差し込む。端末位置の探知と録音を簡易的に行う装置に繋ぐためだ。

「隊長? 俺の声、聞こえてます?」

『……』

 通話の向こうから声は聞こえない。ただ電子的に変換された環境音が聞こえるのみだった。松本はもう一度呼びかける。

「真仁さん、聞こえます?」

『……』

 二度目の呼びかけにも応答はなかった。何か向こうの音にヒントはないか、と松本が耳を澄ませていると、わずかに靴音が聞こえ――通話が切断された。切断後のツーツーという無機質な音だけが部屋に響いた。

「クソッ!」

 ドン、と松本の拳が机をたたいた。その衝撃で机に置かれた端末が落下しかけたが、志登によって捕まえられた。

「ほら、行くぞ。今はこのデータの解析を科技研でするのが先だ。六条院隊長が話せなかったのか、わざと黙っていたのかも解析すればきっとわかる」

 志登は松本の背中をわざと少し強めに叩いた。

「気持ちはわかるが、お前が一番冷静でいないとだめだ」

「……うん、そうだ。ありがとう」

 少し落ち着いたよ、と言って松本は立ち上がった。志登は自らの仕事用端末を取り出すと雷山に「少し外す」と告げる。

「え、いいよ。俺一人で行ける」

「だめだ。今のお前を一人で行かせるわけにはいかない。議会所を眞島が上手く収めてくれるのに期待するしかねえけど、今のお前は監視者である六条院隊長がいない状態なんだよ。俺だってこんなことしたくねえけど、後から文句をつけられるのは避けたいだろ」

 志登に言われて松本は反省する。少し落ち着いた、とは告げたもののまったく動揺を隠せているわけではないのだと突き付けられた。

「……ごめん、思ったよりは落ち着けてなかった」

「そりゃそうだ。俺だって佐都子からあんな電話が来たら動揺する。だから気持ちはわかるって言ったろ」

 判断は冷静に、動きは早く。

 それが〈アンダーライン〉の隊員に求められることだ。

「よし、今度こそ行こう。俺もちょっと出るって言ってくる」

 松本はパンパンと自分の頬を軽く叩いて立ち上がった。

「俺は先に下行って軽食買っとく」

「ありがとう、精算はあとで」

 松本は軽く志登に頭を下げると、第三部隊の隊長室を出て行った。志登も簡易録音機のデータを取り出すと、松本に続いて部屋を出た。


 夕方の科技研は急ぎの解析依頼もなく、いつもより少しゆったりとした空気が流れていた。音声データの解析をお願いしたい、と花江に頼むと彼女はやや渋い顔をした。

「……もしかして今日は水野さんの帰りが早い日?」

 彼女が即答しないときは大体が水野の存在が原因である。二人とも忙しい日々を送っているからこそ、時間をなるべく確保するようにしているらしい。

「そうです! もー私とモモ子ちゃんの時間を奪った罪は重たいですからね。でもそれ以上に心配な状況だというのが、よくわかりましたので引き受けます。自分が松本さんと同じような状況になったときに、誰も何もしてくれないのはいやですし」

 とりあえず、解析機に入れて音を分解してみましょうか、と言って花江は志登からデータを受け取った。解析がある程度進んだら呼ぶ、と言う花江に作業を任せて松本と志登はじっと待つだけになった。時間が空いたので、先に食事をとっておくか、と話していると元岡が顔をのぞかせた。

「あれ、悠介くん? どしたの、何か急ぎ?」

「俺の急ぎじゃなくて松本の急ぎ。俺はその付き添い」

「え、そうなの? 松本副隊長なんだか随分顔色悪そうだけど、無理させてない?」

 気遣う元岡に松本は首を横に振った。元岡は納得していなさそうな顔をしたが、まあいいか、とつぶやいた。

「佐都子、今日もう上がるか?」

「え、うん。そろそろ朝希と夕希迎えて帰ろうと思ってたけど。悠介くんこのまま残るつもりでいるならこっちに連れてこようか」

 科技研では、泊まり込みで仕事をする職員も珍しくはない。そのため、研究棟から少し離れた場所に帯同家族用の宿泊施設も用意されている。〈アンダーライン〉も同様の施設を入れられないか、と交渉をしているようだが、建設用地が確保できずに難航していた。

「そうだなあ、連れてくるか」

 志登はちらり、と松本を見ながら言った。松本は慌てて首を横に振った。

「いや、いいよ。俺のことはお構いなく」

「お前が構わなくても俺たちが構うんだよ。今のお前がひとりでいるのはよくないし、チビたちはお前がいたら喜ぶから利害が一致してるってことで納得しろ」

「……もしかして、六条院隊長に何かあった?」

 詳しい状況は話をしなかったが、話の流れと松本の表情から察したらしい元岡が訊ねた。松本は肯定も否定もしなかったが、志登は静かに首を縦に振った。

「ほぼ二日間連絡が取れてなくて、さっき連絡があったかと思えば無言電話だった。そのデータを今、花江に解析してもらってる」

「なるほどね」

 納得した、と言って元岡は部屋に設置されていた小さな冷蔵庫から紙パックのジュースを取り出した。〝一日分の鉄分が取れる!〟という宣伝文句が書かれたパックが松本に押し付けられる。

「え、なんですか?」

「貧血で倒れる前に補給しておいてください。本当に顔色悪いですよ」

「鉄分入りの飲み物って味が苦手なんですけど……」

 常人よりも繊細な味覚を持つ松本にとってはあまり飲みたいものではない。だが、元岡は無情にも「薬だと思ってがんばってください」と告げた。松本はしばらく渋い顔をして紙パックをにらみつけていたが、観念したようにパックを手に取ると一気に中身を飲み干した。

「うぇ、血の味がする」

「鉄分入りだからな」

 ほら、と言って志登が松本にペットボトルの水を渡した。松本はそれをありがたく受け取って中身を飲んだ。

「ところで六条院隊長に関して〈中央議会所〉が裏で糸を引いてる可能性は?」

「正直あると思う。神在をサンと会わせる許可を出していた以上、俺たちの動きはよく思われていない。それにしても家を出たとはいえ、名前を変えていない条院家の人間をどうにかすることは難しいはずなのに」

 松本の言葉を聞いていた元岡が首を傾げながら提案する。

「あの、為石副所長にお会いしてからずっと疑問だったんですけど、なぜ議会所のトップは神在をサンに会わせようと決断をしたんでしょうね。議会所のトップにとって何が利益になったのか考えてみませんか。私も子供たちを迎える道すがら考えてみますので」

「それもそうだ。原因を考えることで見えるものが何かあるかもしれねえな」

 元岡の言葉に志登が賛同する。元岡はホッとしたように笑って「じゃあちょっと行ってくるね」と志登に声をかけた。軽やかな足音が遠のいた後、松本は気が抜けたように息を吐きだした。

「どした?」

「いや、ちょっと緊張がほぐれて。お腹も空いてきたから今ならちゃんと食べられそう」

「そりゃいい傾向だ。ほら、こっちの袋はお前の分」

 志登はそう言って軽食が入ったビニール袋を松本に渡した。中にはおにぎりが三つと栄養補助食品と水が入っていた。〈アンダーライン〉本部に常備されている定番の軽食セットだった。松本は『鮭』とラベルに書かれているおにぎりを手に取ると、包装を丁寧にほどいていく。

「……なんか、ホッとする味だ」

 ここ数日、忙しさにかまけてろくに食事も摂っていなかった気がする、と思いながら松本はおにぎりを咀嚼した。横で同じようにおにぎりを頬ばっている志登が静かにつぶやく。

「飯を食ってると生きてるって感じするよな」

「うん」

 心配なことがあるはずだけど、腹が立つくらい美味しいよ、と言って松本は二個目のおにぎりに手を伸ばした。



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