5-3 閑話
「少しお話しいたしませんこと?」
【住】地区三番街某所にて、月光のみが照らす部屋の中、六条院と神在は向かい合って椅子に座っていた。一見、六条院の身体の自由はあるようだったが、親指同士を結束バンドで拘束されており、神在の性格が用心深いものであることがわかる。また、神在の口調は米澤によく教育されたのだろうとうかがえた。条院家およびその家に関わる人間は立ち居振る舞いをしっかりとしつけられる。
「そなたとわたしで話すことがあるだろうか」
「あなたにはないかもしれませんけど、わたくしはずっとお話したかった。先生の最高の研究成果の一番近くにいるあなたと。先生が亡くなってからずっとつまらなかったから」
「そもそも米澤博士が亡くなる前にそなたは彼女のもとを離れていたと思っていたが」
「先生がわたくしに家を出るようにと強くおっしゃったのよ。おそらくわたくしにご自身の最期を見せたくなかったのね」
「最期を見せたくなかったとは?」
答えの想像はついていたが六条院は訊ねた。神在は静かに答える。
「だって、ご自身の研究の後始末をされるのよ。自分が素晴らしいと信じていたことを、間違っていると認めるのがつらいことくらいわたくしにもわかります。そんな姿をわたくしに見せることができるほど先生は落ちぶれていなかったわ」
「そうか」
やや偏ったところはあるが、彼女が米澤を敬愛していたことはわかった。そこを上手く利用しながら、一連の事件の動機についてを引き出すにはどうしたらいいかと六条院は考えを巡らせる。まずは、彼女が働いていた場所からだ。
「わたしからいくつか質問をしてもよいだろうか」
「ええ。構いません」
お話しの相手になってくださるなら答えます、と神在は言った。
「科技研ではなく〈中央議会所〉に勤めていたのはなぜだ? そなたほどの教育を受けた者ならば、科技研の方が働きやすそうに思えるが」
六条院の質問に神在はにこやかに答えた。
「いくつか理由はありますが、一番大きい理由は科技研の研究だけでは退屈だからです。合法的に様々なことに取り組める場があった方がよいと判断して、まずは科技研の上位機関に位置する〈中央議会所〉に属して科技研の組織改革をしようとしました。これはあとからわかりましたけど、〈中央議会所〉に属していれば米澤先生の被検体たちにも会えたので好都合でした」
「なるほど。並行して氷室を使っていたのは、組織改革を為した後のための情報収集ということだな?」
六条院の確認に神在は我が意を得たり、と言わんばかりの顔でうなずいた。
「ええ。ご明察。やはり頭の良い方ね。わたくしが直接動いてしまっては組織改革も、そのあとの活動も台無しになってしまうでしょう? ですから、直接の動きは虚口さんにお願いしていましたの。虚口さんもわたくしの活動方針に賛成してくださっていましたから」
その言葉に六条院は思い出すことがあった。以前松本が虚口と通話で接触した際に、なぜ米澤の研究結果を知りたがるのか、と問いかけたことがあった。虚口は、
――人間が人間を創り変える、それ以上に魅力的で刺激的なことがこの世にあると思うか?
という寒気が走るような回答を寄越した。
「そなたの活動方針とは、もしや、」
「おそらく想像の通りよ。わたくしは先生の研究を継いで、もっとずっと大きなものにしたいの。例えば、そう。そうね、超人的かつ身近な能力として、植物や動物ともお話しできるような方を後天的に創り出せるようになったら魅力的ではなくて?」
うふふ、と神在は楽しそうに笑い、六条院は思わず顔が引き攣るのを感じた。
「ところで、わたくしがこの世で一番憎んでいるものが何かおわかりになる?」
この問いかけに六条院は黙って首を横に振った。
「――交通事故を起こした父と、その事故で父と一緒に死んでしまった母よ。わたくしが目を覚ましたときに世界は一変していたわ。肉親はいなくなってしまった。そして、事故の前までは楽しかった物語も、難しかった勉強も、全部退屈になっていたの。わたくしは元の九歳の子供には戻れず、二度、孤独を味わうはめになったのよ」
交通事故による後天的な〈ギフテッド・チャイルド〉。それが彼女の人生にどこまで影響を与えたのか想像することは難しくなかった。神在が口にした〝孤独〟という言葉の重さも。
「先生と暮らしていた間はとても楽しかったわ。先生はわたくしにいろんなことをたくさん教えてくださった。わたくしと先生は、先生と生徒であり、親子であり、友人だった。でも、ただ一つの欠点はわたくしと先生の年齢がとても離れていたことね」
「共に在れる時間が短かったということか」
「そうよ。わたくしはそれがとても残念で寂しかったわ。多分、先生以上にわたくしと楽しくお話してくださる方はもういらっしゃらないから」
六条院はその言葉の意味するところを余すことなく理解した。米澤もおそらくは神在と同じように若くして才覚を表し、晩年は才覚と倫理のギャップに苦しんだ。研究において倫理を逸脱したことがあった米澤だからこそ、神在と対等に話し、彼女の話を理解した上で、人間としての道を外れないようにレールの上に乗せられていたのだろう。
「さて、わたくしからあなたにもう一つだけお訊ねします。先生とお別れしてからの五年でわたくしは具体的に何をしていたか、おわかりになる?」
「……」
神在の活動方針は〝米澤の研究を継いでもっと大きなものにしたい〟であるが、彼女が根源的に抱えているのは〝孤独〟だ。ヒトはコミュニケーションを取るイキモノであり、そのコミュニケーションに難が生じてしまった彼女が考え得ることとは――。
「――米澤博士と同様に話せる人間を、創ろうとしたのか」
「ええ、先生その人ではなくとも、わたくしのことを理解して適切なお話ができる方がほしかったの」
誰かと出会うことを選べなかったのが、神在の最大の不幸だと六条院は思った。神在は座っていた椅子から立ち上がると、背後に用意されていた点滴スタンドを静かに動かした。キャップをしたままの針を右手に持つ。
「今まで一度も人間に投与したことはない新薬なの。結果がどうなるか、わたくしもとても楽しみ。上手くいってもいかなくても、貴重な研究成果になるはずですから」
「……」
「何もおっしゃらないのね、感想は何もなくて?」
「感想はない。だが一つだけ。今ならまだ戻れる。そなたの人生はまだずっと長く続き、その中で米澤博士と同様に関係を築くことができる人と出会うかもしれぬ。今ここでその道を閉ざしてもよいのか」
六条院の言葉は静かだった。怯えを含まない声に神在は「不思議な方ね」と首を傾げたが、その手を止めることはなかった。
「もちろんあなたがおっしゃったことはわたくしも考えたわ。でもそれ以上にわたくしは、研究成果を試せることに、人生で一番わくわくしているの。大丈夫、眠っているうちに終わりますから」
ぎゅっとひじ上に駆血帯が巻かれる。これが最後の質問になるだろう、と思いながら六条院は訊ねた。
「これは誰でもよかったのか」
「いいえ。これは先生の研究成果をきちんと知っている方でないとだめでした。ただ、子供から親を取り上げたくはありませんでしたし、先生の貴重な研究成果を冒涜するようなことはしたくありませんでしたから」
「消去法ということか」
「ええ」
米澤のことを知っているのは八条院家の人間と元岡、六条院、そして松本と特別監視下にある四人だけだった。この中で神在の言う条件に当てはまり、かつ手を出せる人間はおのずと一人に絞られる。
「できた」
神在はうっとりと六条院を眺めた。ぽたりぽたりと点滴が投与される。麻酔に近いものも併せて投与されているのか、徐々に六条院の意識は薄く途切れていく。
「来世のあなたに会えるのを楽しみにしていますね」
六条院が最後に耳にしたのは、心底嬉しそうな神在の声だった。
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