4-4

「気が重すぎます」

 〈中央議会所〉の廊下を歩きながらぼやく眞島を元岡が笑った。

「仕方ないですね。使える人脈は使う、が六条院隊長のモットーですから」

「この半年でいやというほどわかりましたよ。そもそも名前を変えていない時点で肝が据わりすぎているんですよ」

「……それはそうですね。普通、条院家の人間は家を出た時点で名前を変えますから」

 私みたいに、と元岡は小声で独り言のように付け加えた。

 二人の足音が廊下に響く。今日の元岡はスーツの上に白衣を着ており、眞島もスーツを着用していた。

「スーツお似合いですね、眞島副隊長」

「ここに勤めていたときは毎日着用していたんですが、今は少し窮屈な気がしますよ」

 眞島は首元に手をかけて、ネクタイを少しだけ緩めた。実際気持ちの問題だけではなく、〈アンダーライン〉隊員として仕事をするうちに自然と鍛えられて少しスーツがきつくなっていた。

「さて、私たちは十五分の時間をもらいました。こんなすぐに面会許可が出ることは異例です。おそらく私の名前でアポを取ったことが功を奏したとみて間違いありません。ただし、質問はなるべく元岡さんからしてほしいと思っています」

「わかりました。第三者同士の会話にしたいということですね」

 元岡の言葉に眞島は首を縦に振った。そして胸元のペン型の録音機を指さした。

「そしてこれで記録として残しておきます」

「はい」

 それでは、と言って眞島は議会副所長室のドアをノックした。中からは副所長補佐官である女の声が「どうぞ」と返ってきた。

「失礼いたします」

 頭を下げて部屋に入ると、副所長である為石は席から立って待っていた。副所長と補佐官の机以外に簡易的な応接セットがある部屋だった。

「ようこそ。なんでもお聞きになりたいことがあるとか」

 にこやかに挨拶をする為石に二人は面食らった。先に我に返った元岡が頭を下げる。

「いえ、こちらこそお忙しいところお時間を割いていただきありがとうございます。私たちからの質問は一つだけです」

「はい。伺いましょう。まあ、立ち話も悪いですのでどうぞ」

 進められるままに二人は応接用に設置されている脚のないソファに腰を下ろした。補佐官がすかさず、三人分の冷えた茶を持ってきて、それぞれの前に置いた。

「それで、ご質問とは」

「はい。うかがいたいのはこの書類についてです」

 元岡はカバンから特別許可のコピーを取り出して、為石に見せた。為石は書類を見て目を見開いた。

「これは、どのような基準で発行されている書類ですか? 少なくとも我々科技研および〈アンダーライン〉では知り得ないものでした」

「……」

「為石副所長?」

 元岡が黙りこんだ為石に呼びかけた。為石は静かに顔を上げて元岡を見つめた。先までの和やかな雰囲気は消え失せていた。

「これを知りたいと、」

「はい。ご存知かと思いますが、この許可証を持った女によって最近の一連の事件が起きました。デジタル詐欺も、国家機密へのハッキングもすべて彼女が裏で糸を引いていたことがわかっています。その原因となった書類の出所を正しておきたいと思うのは〈アンダーライン〉所属であろうと、科技研所属であろうと同じです。そして私は、五年前と同じ事件を繰り返すようなことはあってはならないと思っています」

 元岡は一度言葉を切って為石を真正面から見つめた。

「私の仕事は、起きてしまった事件の証拠を調べて固める仕事です。しかし、極稀にではありますが今回のように、事件の未然防止ができる機会も与えられます。私は、その機会を無駄にしたくありません」

 元岡は真っ直ぐに為石を見つめて言い切った。為石はため息をついて、目の前に置かれていた茶を一口飲んだ。

「――その許可は、所長と副所長で相談をした上で〈ヤシヲ〉の利益になると思った者に与えている。残念ながら、明確な基準は存在しない」

 為石の回答に元岡が間髪入れずに確認を入れた。

「つまり、〈中央議会所〉の独断だと言われかねない状態なんですね?」

「〈中央議会所〉ではなくあくまで所長の判断だ」

 元岡の確認に為石は訂正を入れる。その訂正内容にこれまで沈黙を貫いてきた眞島が初めて反論した。

「議会所長の判断はイコールで〈中央議会所〉の判断でしょう。少なくとも世間、いや、私を含めた一介の議会所職員はそう思います」

 眞島の反論に元岡は驚いて真横を向いた。まさか眞島が派遣元である〈中央議会所〉に真っ向からは向かうとは思っていなかったようだ。

「――だから、なんだと言うのかな。我々は常に、社会全体の利益を考えながら動いている。正義の味方、というわけではないんだよ。君だってそうだろう、眞島君。ここで働いた経験がある君ならうよく知っているはずだ」

「……では、私からも質問をします。神在に特別囚人を会わせて得られる社会全体の利益とはなんですか。既に彼女が関わった犯罪がいくつもあるんですよ」

 低く、抑えた声で訊ねる眞島の肩を元岡は軽くたたいた。落ち着け、という意図を感じ取った眞島は深呼吸をした。

 為石は眞島を見つめて口を開いた。

「その利益について、君たちに伝える必要はない」

「為石副所長!」

 思わずソファから立ち上がりかけた眞島のスーツの袖を元岡が引いて制止した。そしてそのまま、元岡は為石に頭を下げた。

「いささか踏み込みすぎまして申し訳ございません。本日はご協力いただきましてありがとうございました」

「元岡さん、」

 どうして、と咎めるような声で元岡に呼びかける眞島を制して元岡は言葉を続けた。

「本日はあくまで簡単にお話を聞かせていただくだけ、というお約束でした。いただいた時間も迫っておりますので、退室いたします」

「ああ、そうしてもらえると助かるよ。こちらも次の予定がある」

 為石の言葉を無視して元岡は言葉を続けた。

「ただし、今後さらにお話を聞く必要があると判断した場合には、改めてお時間をちょうだいいたしますので、そのつもりでいらしてください」

 よろしくお願いいたしますね、とにこやかに付け加えて元岡はもう一度慇懃に頭を下げた。その横で眞島も渋々頭を下げる。

「改めまして、本日はありがとうございました」

 行きましょう、と促されて眞島は元岡とともに席を立った。







「……というわけですみません。私の我慢が利きませんでした」

「眞島副隊長が怒っていなかったら私が怒っていたからいいんですよ。むしろあそこで怒ってくれて助かりました」

 項垂れる眞島を元岡がフォローする。〈アンダーライン〉第三部隊執務室に戻ってきた二人はペン型録音機に記録された音声データを六条院と松本に聞かせていた。

「中々気が進まないことを頼んだにも関わらず、よくやってくれた。〈中央議会所〉の独断であることがわかっただけでも収穫だ」

「ただ、その収穫は明らかにするのが難しいですね。下手に明かすと議会所に加えて俺たちも危ない立場になるのは明らかです」

 六条院の横で松本は難しい顔をした。六条院も小さくため息をついて眞島の名を呼んだ。

「はい」

「わたしとしても心苦しいが、そなたには進退を決めてもらう必要がある。この件を調べていけば、間違いなくわたしたちは〈中央議会所〉から煙たがられる。そうなってしまえば、そなたが〈中央議会所〉に戻るのは難しくなるだろう」

「……でしょうね」

 潮時か、と眞島は思う。せっかく半年ほど働いて、自分の立場を利用しながら仕事を回せるようになり、面白みを覚えてきていたところだったが、上手く立ち回ることも生きていく上では必要だった。

「ただ、私も黙って大人しく古巣に戻るわけではありません。〝個人的に〟これから先も連絡を取らせてもらうつもりです」

 眞島の発言に六条院は一瞬目をみはって、すぐに肩を震わせた。

「機密に触れぬようにな」

「もちろんです。ただ、まだ戻ると確定したわけではありませんし、その日が来るまではきっちり仕事をさせてもらいますよ」

 にこやかに言い切った眞島を見ながら松本は元岡に耳打ちをする。

「眞島くんが思ったよりも隊長の影響を受けてたことに俺はびっくりしてます」

「ホントですね。元々の所属長に向かってはっきりものを言う人だとは私も思っていませんでしたけど、いい方向に影響を受けたように見えますよ」

 以前お会いしたときに比べてのびのびとしているような気がします、と元岡は言った。

「確かに、前よりは少し余裕が出てきたと俺も思います。このまま本部の方の副隊長を任せたかったんですけど、まだ俺は引退できないみたいですね」

「まだまだ松本副隊長が必要とされる機会は多いでしょうね」

「それを喜んでいいのか悲しむべきなのか迷いますよ」

 松本は苦笑しながら言う。そして、眞島と六条院に対して声をかけた。

「さて、この次の手はどうしましょうか」

「そうだな、まず申し訳ないが、眞島には一度外れてもらって自宅待機とする。〈中央議会所〉の方の調査はわたしが出向くとして、松本には引き続き科技研の協力のもと神在の足取りを追ってもらいたい」

 六条院の指示に、松本と元岡は是、と返答し、眞島は疑問を返した。

「私は支部運営の方にも行かずに待機ですか?」

「そうだ。そなたはこれ以降の捜査方針は知っているが、その内容について知らないままの方がよいはずだ。支部は郊外にあるように見えて意外と情報が集まるゆえ、そちらにも派遣することはできない」

 眞島は松本が用意していたノートを思い出した。時折支部を訪れた際に見ていたが、他の隊の情報も得ることができる貴重なノートだった。

「承知しました。皆さんが働いている中でひとり待機なのは少し心苦しいですが、後ほどお役に立てると信じて待っておきます」

「ああ」

 では、と言って眞島は左腕に着用していた腕章を外して、執務室を出て行った。

「俺と元岡さんも科技研に戻ります。何かわかったら連絡しますのでよろしくお願いします。隊長は十分に気を付けてくださいね」

「わかった。そちらは任せる。わたしの方もなにかわかれば連絡をしよう」

「はい。では、お互いに収穫があることを願ってがんばりましょうね」

 松本は腕章を付け直すと、元岡とともに執務室を出て行った。残った六条院も赤い腕章――隊長が着用するものだ――に一瞬だけ触れて、執務室をあとにした。

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