第三話 Candy, Jam and chocolates -3 years ago-

3-1

三、


 ――その日は冬の終わりの寒い日だった。


「違法薬物の検挙、」

「そう、最近激増してるんですよ。大体長い休みを挟むと増えるものなんですが、今年はちょっとペースが異常ですね」

 冷える指先を擦り合わせながら松本が〈アンダーライン〉に出勤すると、データベースをにらみつけている櫻井がいた。

「どちらかというと使用よりは、所持だったり、取引の受け子だったりが逮捕されている傾向にあるんですが、もちろん使用についても増えてます」

「いやな傾向ですね。こういうのが増えてるということはつまり、どこかで誰かが違法な金を稼いでいるということになる」

「その通り。実際、製造にかかる費用は極めて安いですしね。ただ末端価格はかなり高くなっているので、どこで誰がどんな中抜きをしているのやら」

 櫻井の言葉に松本は首を傾げる。

「なんだかやたらとこだわりますね。あ、いやこだわるのが悪いという意味ではなくて」

「こういう違法薬物は若い人間をターゲットにすることが多いですからね。成人しているとはいえ若い娘を持つ身としては、野放しにできないと思うんですよ。娘だけではなく、彼女の友人も含めてですけどね」

「なるほど」

 櫻井の娘はすでにパートナーシップ契約を結ぶ相手がいるような年齢だが、それでも心配になるのだろう、と松本は思った。パートナーシップ契約を結ぶ相手がいたり、手に職をつけている人間であれば、パートナーの存在や職を与えられているという自覚が抑止になるはずだが。

「各隊の日勤が出てきている時間は、なるべくネットワーク上でのやりとりを追えるようにしていますが、どこまで効果があるかはちょっとわかりませんね」

「なるほど」

「特に求人なんかで、異常に自給が高い割には簡単な仕事をさせる、というものは気をつけて見るようにしています。そういうのは往々にして受け子や運び屋の仕事をさせるようになっていますから」

「俺も協力しましょうか?」

 松本の問いかけに櫻井は首を横に振った。

「画面を長時間見るのに向いていない方にはネットワーク上の監視はお願いできません。どちらかというと、さっき挙げたような求人の面接を受けに行ってほしいですね」

「え、」

「大丈夫です。きちんとこれまでの経歴については隊長と一緒に考えますから」

 絶対にバレませんよ、とにっこり笑って言う櫻井に、問題はそこではない、と松本は思った。

「一応確認しておきますけど、必要になったら、ですよね?」

「もちろんです」

 違法に潜入させるわけにはいきませんからね、と言う櫻井の言葉を本当だろうかと疑いつつも、

「それなら、大丈夫です」

 と松本は答えた。

 それから一週間経ったある日のことだった。【住】地区六番街〈ゼータ〉にて仲介人を捕まえたから事情を聞いてほしい、という要請に松本と梶が向かった。

「第二部隊の管轄で逮捕したのに、僕たちでいいんすか?」

「仕方ない。三雲さんはほかの現場に出てるし、他に出られる女性隊員がいないならせめて若さをそろえようって話だから。……見た目の話だぞ」

「わかってますよ」

 実年齢の話をすると松本が一番上になってしまうが、それは言わないのが暗黙の了解だ。若いといえば六条院も若いカテゴリに入るが、被疑者を委縮させてはいけないので、と辞退していた。いいなあ、と梶は羨ましがったが、それ以上に六条院は一筋縄ではいかない人間たちの相手をしていた。適材適所とはいうものの明らかに六条院の方に負荷がかかるため、今回の辞退は妥当だった。

「現場の隊員からの報告だと、逮捕された女性はお前と同い年らしい。名前は八代ミサキ」

「……」

「梶?」

 松本が挙げた名前を聞いた途端、梶は驚きで目をみはり、黙り込んでしまった。同い年イコール知り合いとは限らないが、その稀有な可能性を引き当ててしまったのだろうと推測して松本は梶に声をかける。

「知り合いか」

「はい。同じ高校に通ってました。僕は途中で辞めて、<アンダーライン>の養成機関に入りましたし、ほとんど話したことはなかったっすけど」

 ただ、彼女は優秀なうえ、楽器演奏者として一目置かれる存在であったため、学内の有名人だった、と梶は言った。話をしたことがほとんどない梶も名前を聞いただけで彼女だとわかる程度には有名だったのだろう、と松本は思った。

「わかった。お前がいることが吉と出るか凶と出るかはわからないけど、仕事は仕事だ。行くぞ」

「はい」

 梶の声はまだしょんぼりとしていたが、松本は励ますように梶の背中を軽くたたいた。


 <アンダーライン>本部の地下に設置された取調べ室には既に八代がいた。彼女は入室してきた二人の隊員を見て、あっ、と小さく声を漏らした。やはり彼女の方も梶に覚えがあるらしい。

「今回聴取を担当する松本です。彼は記録員として同席しますが、聴取に口は挟みません。同席を希望されないのであれば、別の担当員に交代しますがどうしますか」

 知り合いに聴取の場に立たれるのはいい気分にはならないだろう、と彼女の反応に配慮した問いかけだったが、彼女は首を横に振った。

「いえ。このままでいいです」

「わかりました」

 松本は彼女と向かい合って座った。梶は別の机に控えており、メモを取るための端末をセットした。聴取の様子は部屋にあるカメラで録音・録画されており、必要なときに振り返ることができる。ただ、それとは別に現場で感じた些細なことや違和感なども記録が必要となるため、記録員が同席することになっていた。

「改めて名前と職業を教えてください」

「八代ミサキです。バーのピアノ演奏者として働いていました」

 八代は松本の質問に、硬い声色ながらも素直に答えた。だがそれは自分自身に関するあたりさわりのない話だけだった。今回の逮捕に至った原因については、質問を重ねても態度は変わらず、どうしたものか、と松本は考えながら言葉を発する。

「最近、困っていることはありませんか」

「最近?」

 八代は少し考えて「もうずっと困っていることならあります」と答えた。

「それは、どんなこと?」

「父の借金です」

 はっきりと答えた彼女の目は強い怒りに満ちていた。曰く、父の借金が判明したため、高校卒業後に国外の音楽大学に留学予定だった彼女の夢は叶わなかったと。口調は静かだったが、その声にわずかに怒りの色が乗っていた。

「――それで、今はバーで生演奏の仕事をしていたと?」

「そうです。給料は悪くなかったですし、何より夢は捨てきれなかったので」

「そうですか……」

 だが、働けども借金は利息で大きくなっていく。家族と縁を切るしかないのか、と考えていたところに声をかけてきた男がいた。

「男?」

 なぜ話をしてくれたかはわからないがとにかくすべてを聞くべきだと判断して松本は軽く続きをうながした。

「はい。私の演奏が終わったところで握手を求める人間に名刺と飴を渡してほしいと言われました。一人につき一万で、とも」

「あやしいと、思った?」

 松本の問いかけに彼女は黙って首を縦に振った。だが、次の問いを松本が発する前に彼女が言葉を発した。

「でも、これで通報したって父の借金が消えるわけじゃないんです。それどころか私まで逮捕されて、お金は返せなくなることが怖いと思いました。だから、汚いお金だろうがなんだろうが、手に入れられるところまでは手に入れてやりたかったんです」

 八代の話に松本はため息をつきたくなったが、ぐっとこらえた。

「話してくれてありがとう」

「……」

 松本の礼に対して彼女は何も答えなかった。ただ、その顔つきは先ほどまでより明るく見えた。罪の意識を抱えたまま生きるのは中々負荷がかかるものだったのだろう。

「最後にもう一つだけ。あなたに声をかけてきた男の名刺……じゃなくてもいい。なにかその男に関する情報があれば教えてください」

「私も話をしたのは最初の一度きりです。男は周囲から〝氷室さん〟と呼ばれていました」

「氷室……」

 松本はその名前を反芻し、続きの質問をする。

「お金のやり取りはどうやって?」

「時々氷室さんの部下だと名乗る人から手渡しでもらっていました」

 その答えに思わず松本は天を仰いだ。ネットワーク上でのやりとりは手軽かつ記録も残るため真っ当なビジネスには重宝される反面、悪事を働こうとすると敬遠される傾向がある。金の振込みも同じであり、手渡しであれば誰がどこに振りこんだ、という記録は残らない。

「受け取った総額は?」

「大体百万くらいだったと思います。……借金を返すには全然足りないけど」

 彼女はそう言ってため息をついた。ため息をつきたいのはこちらも同じだ、と松本は思いながら、彼女に声をかける。

「……あなたも気がついていたと思いますが、その飴は違法な薬物を含んでいます。そして違法薬物を営利目的で譲渡をしていたことになれば、必ず罰金と実刑が課せられる」

 真面目に働いていればよかったのに、とは松本は言わなかった。おそらく彼女の父が金を借りたところも違法な金利を課しているのだろう。救いの手は用意されていたが、彼女たちがその手に気がつかない限り援助を受けることはできない。制度の限界だ。

「これからしばらくあなたには情報提供者として<アンダーライン>の保護施設で過ごしてもらいます。あなたに課される刑罰が確定するまでは、なるべく施設を離れるのを避けてください」

「なぜ?」

「違法薬物取引をもちかけてきた男の名前と顔を知っているからです。そして今あなたは俺にそのことを話した」

 <アンダーライン>にとっては情報提供者だが、取引を持ち掛けていた男たちにとっては情報を漏らした裏切者になってしまう。報復される可能性がどこまであるかは不明だが、用心するに越したことはない。

「……わかりました」

 お世話になります、と言って八代は松本に深く頭を下げた。


 取調室を出たあとの梶はいつもよりも口数が少なかった。松本は自分よりも少し低い位置にある梶の頭を撫でた。

「よく何も言わずに我慢したな」

「言わなかったんじゃなくて、言えなかったんすよ」

 知らなかったなあ、とつぶやく梶に松本は何も言えなかった。

「知っちゃうとなにかできたんじゃないかな、って思うんすよね」

「そうだな。俺たちはこんな仕事をしているから余計にそう思う機会は多い」

「はい。でも思っちゃったんすよね。〝夢を叶えていてほしかった〟って。ただの僕のわがままなのに」

「……思うだけなら、悪いことじゃない。今回彼女は償いの機会を得た。それですべてがゼロになるわけじゃないが、このまま手の届かないところに行かれるよりは絶対によかったはずだ」

 手を差し伸べることができたんだよ、と松本は言った。

「まあ、金融に強い弁護士を探してやるくらいなら、服務規程にも違反しないはずだから、やれるところまでやってもいいよ。隊長には俺から言っておく」

「ありがとうございます」

 梶は松本に向かって深く頭を下げた。松本はその肩をぽんぽんと軽く叩いて「さて、執務室に戻ろうか」と声をかけた。

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