3-2

 そんな事件があった数週間後、松本のもとには求人の面接を受けに行ってほしいという依頼がきていた。

「あの、本当に俺が行くんですか? 大丈夫ですか? バレませんか? あとさすがにいくら鼻が利いても違法薬物のにおいまではわかりませんよ?」

 松本の怒涛の疑問に六条院が答える。

「そなたに行ってもらう。はじめに言っておくが薬物を嗅ぎ分けるために行かせるのではない」

「そこはわかりましたけど、最近検挙されている人たち十代後半から二十代前半ですよね? 一応俺、見た目年齢は三十に近いはずなんですけど、怪しまれませんか?」

 松本の疑問に六条院が疲れたように答えた。

「この話をそなたに持ってくる前に、梶に『自分が行きたい』と散々言われたが、なんとか断ってきた。後生だから引き受けてくれぬか」

「なるほど、そういうことであれば」

 残念ながら現在の梶にひとりで潜入捜査させることは難しい、というのが六条院の見立てだ。彼は非常に悔しい思いをするだろうが、成功率には代えられない。松本が諾と言えば、六条院はホッと胸をなでおろした。

「すまぬな。経歴についてわたしと櫻井で作成したのである程度これを覚えて行け」

 松本は六条院から手渡されたカンニングペーパーをまじまじと見つめた。学歴と職歴が列記されていたが、特に職歴が膨大に記されていた。

「なんですかこの経歴」

「仕事を中々続けられない人間だと思わせるためにでっち上げた。中々骨が折れたが、すべて実在の企業だ」

「企業に問い合わせされたら一発でバレちゃいますよ」

 松本の訴えに六条院は少し考えたが、首を横に振った。

「そもそもこのようなあやしい広告を打ち出してくる人間たちだ。雇った人間の素性をこまめに調べると思うか?」

「思いません」

 おそらく素性にあやしいものがあればすぐに口封じでもされているのだろう、と松本はため息をついた。

「履歴書はすでに先方に送ってある。あとは面接の日に指定された場所へ行けばよい。……負担をかけてすまないが、よろしく頼む」

「はい」

 心得ました、と言って松本はにこり、と笑った。

「そうだ、少しだけ補足をしておくが、経歴は覚えすぎるな」

「?」

「職を転々としている人間がまめに自分の職歴を覚えているとかえってあやしい。設定のうえで二年以上働いていることになっている企業だけを覚えるように」

「了解です。適度に間引いて覚えておきます」

 中々に細やかさが求められる仕事だ、と思いながら松本は改めて履歴書を見る。単純な仕事であるようだが、松本が任命されている時点で実情は厳しいのだろう。

 ――なんだかいやな予感がする。

 その勘は的中することになるが、当時の松本は知るよしもなかった。


 数日後、【住】地区三番街〈ガンマ〉で行われた採用面接は随分と和やかだった。

松本が案内通りに訪れたビルも新築とまでは行かないが新しかった。堅苦しいことはないだろうと思っていた面接も、本当にその通りで、松本は拍子抜けする。ただ、着なれないスーツだけに息苦しさを覚えた。

「最後に、何かお聞きになりたいことはありますか?」

 初老の男性が穏やかな口調で訊ねるが、松本は「特にありません」と首を横に振った。話をしていておかしいと感じる点がなかったことが、逆におかしいような気もするが、現時点で何か決定的な証拠があったわけでもない。

「ありがとうございました。それではお帰りになって結構ですよ。面接の結果は一週間以内にお伝えします」

「承知いたしました。お待ちしております」

 松本は立ち上がり、部屋を辞する前にお辞儀をした。面接官は最後までにこやかに松本の退室を見守った。

「……これで落ちてたら笑えないな」

 そう呟いたあと松本は階段を下りて、そのままビルの外に出た。そこでようやくネクタイを緩めることができて、ふぅ、と小さく息を吐いた。【住】地区三番街から【中枢】地区までは少し時間はかかるものの歩いて帰れる。だが、松本はそのまま真っ直ぐ帰るのではなく少し遠回りをする道を選んだ。カバンにしまっていた端末を取り出し、電源を入れ直すと、六条院からの着信が数分前にあったことが示された。面接結果を心配されたのだろうか、と思いかけ直すと、六条院は数コールで出た。

『――終わったか?』

「はい、無事に終わりましたよ。大丈夫だとは思いますが、落ちていても怒らないでくださいね」

 松本の頼みに六条院は電話口で苦笑した。

『ああ。約束しよう。おそらく落ちないとは思うが』

 体力があって比較的若い男性であれば、まず間違いなく採用されると六条院は見込んでいた。

「ありがとうございます。今から少し遠回りをして帰ります」

『そうだな。気がつかれないように細心の注意を払うに越したことはない。気をつけて戻れ』

 六条院は正確に松本の意図を汲んだ。潜入調査になる以上、松本が〈アンダーライン〉隊員だと気づかれないように努力をするのは、当然必要になることだった。

 松本は六条院に「はい、ありがとうございます」と返事をして通話を終わらせた。

「さて、どこに寄って帰るかな……あ、」

【住】地区三番街には、あんこが美味しいことで有名な最中を売る店があることを思い出した。甘いものが苦手だと公言している六条院もここの菓子は口にするため、ちょうどよい寄り道と遠回りになるだろう、と判断して松本はT字路を左に曲がった。


「え、結果もう来たんですか」

 翌日の夕方、採用を告げる連絡が来ていた。六条院の見立て通り、物流作業従事者として喉から手が出るほどほしい人材だったのだろう。

「ああ、早速初回の出社日を教えてほしいとも書かれている」

「わかりました。明日から出られると連絡をしておきます」

「〈アンダーライン〉側の業務は雷山に任せることにした。彼ももうすぐ副隊長就任だからな」

「あ、そういえば稲堂丸隊長の引退が来月でしたっけ。雷山へもこれから引き継ぎをしておきます」

 加齢のためこれからは養成機関で教鞭を取ることにする、と稲堂丸が第一部隊の隊長を退く決意をしたのが、数か月前だった。来月からは第一部隊の隊長が志登、副隊長が雷山になる。

「隊が違うからこそ、いいOJTになるはずだ」

「そうですね」

 雷山もいくつかの隊に所属していたが、第三部隊に所属していたことはない。六条院相手にリラックスして業務にあたれ、というのは難しいだろうが、仕事がしやすい人間であることは間違いないので業務に慣れるためにもがんばってほしい、と松本はひそかにエールを送った。

「作業自体は十八時には終わる予定ですけど、定期報告の時間どうしましょうか?」

「そうだな。そなたには負担をかけるが、出勤前に報告を入れてくれるか」

 勤務時間内に入れないと労務に怒られる、とぼやく六条院に、

「労務に怒られる前に櫻井さんにも叱られますしね」

と松本が付け加えた。六条院は肩をすくめた。

「櫻井に怒られるのは遠慮したいところだ」

「ですね。俺も嫌です」

 松本の言葉に六条院は苦笑する。櫻井の耳に入ったら「俺も怒りたくて怒っているのではないんですよ」と怒られかねない。

「そういえば、あれから梶は?」

 今日は休暇取得の隊員の穴埋めとして現場に出ている梶だが、最近は業務時間以外の余暇をほとんど弁護士の選定に当てているようだ。

「弁護士の選定を進めているようだが、依頼料と対応で随分悩んでいるようだな」

「向こうも慈善事業ではないですからね……」

「そうだな。だが、梶にとってはいい経験になるだろう」

 梶が<アンダーライン>に入隊した一番の理由は弟妹を養うためだ。高校を中退したのは、父母が失踪したためであり、月給をもらいながら働くための準備ができる<アンダーライン>養成機関は彼にとって非常に都合がよかった。だが、弟妹への義務感だけで働くには限界があると六条院は考えていたのだろう。決して望ましいことではないが、知り合いを助けたいと能動的に動くことは無駄にならない。

「ほどほどのところでわたしからも助け舟を出そう」

「それがいいと思います」

 松本はそう言って、手元にあったファイルとメモをつかんだ。ファイルには、松本が第三部隊の副隊長になってからの細かなことがメモされている――いわゆる虎の巻だ。

「では、これから第一部隊へ行って、雷山に業務を引き継いできます。終わり次第直帰しますね」

「ああ、明日からも身の安全を最優先で動いてくれ」

 どんなに手ひどい失敗をしようと、生きていれば取り返す機会も訪れるが、命を落としてはどうにもできない。その意図を間違いなく汲んだ松本はにっこりと笑う。

 あまり危険なことは起きてほしくないと思っているが、この仕事をしている以上避けることは難しいだろう。今回の松本の仕事は〝きちんと情報を持って帰ってくること〟に尽きる。

「了解しました」

 気を付けていってきます、と言って松本は第三部隊の執務室を出て行った。

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