1-3
「そういえば、〈アンダーライン〉関連施設の放火? 事件って解決したんですか」
一週間と少し経った週末、支部を訪れていた六条院に松本は訊ねた。パートナーシップ契約をしてからというもの、六条院は週末の時間があるときには支部となっている旧星野邸で過ごしている。今週末は帰ってきているため、おそらくある程度仕事が落ち着いているのだろう、と松本は推測していた。
「まだしていない」
「〈ミドルライン〉への引渡しは済んだんですか?」
「それもまだだ。この件は〈ミドルライン〉には荷が重いと判断された」
解決には機動力が必要と判断されて〈アンダーライン〉に任されたままらしい。
「もっと平たく話をすると、ここ一週間ほどは新たな事件が起きていないゆえに、静観するしかない状況だ」
「事件が起こらないと動けないですからね……」
「ああ」
もどかしいな、と六条院は少し疲れたような表情を見せた。巡回をしているとはいえ、すべての場所に一つ一つ目を光らせることは難しい。監視カメラを自動で判定するシステムを試験的に導入はしているが、それがあっても現場に行くのは人間だ。どうしてもタイムラグが発生してしまう。
「今回のことと関係があるかはわかりませんが、この間から妙に家の周りに煙草が落ちてるんですよね」
「煙草?」
「はい。吸いかけの煙草がいくつか。一応拾っておきましたけど。隊員たちはここで吸っていかないはずなんで、おかしいなと思って」
そう言って松本はチャック付きのクリアパックを六条院に見せた。日付と拾った時間がきちんと記載されていた。中の煙草は火をつけてすぐに消されたような長さだった。松本が嫌煙家のため、支部では禁煙が厳命されている。そんな場所で煙草に火をつける隊員は限りなくゼロに近いだろう。
「預かっても?」
「もちろん。……でも、すみません。休みの日まで仕事の話して」
「いや、構わぬ」
そう言って六条院はクリアパックを鞄にしまった。くるり、と部屋を見渡してふぅ、と息を吐く。
「ここがなくなっても困る」
「そうですね」
この支部は置かれてから一年半ほどだが、隊員たちからは好評だった。【中枢】地区から離れた場所に行くにあたり拠点があって楽になったという声が大部分を占めた。六条院がどこにどのような手を回してこの場所を設置したか松本は知らないが、負傷で今まで通り働けなくなった松本が〈アンダーライン〉を辞めなくても済むように、という配慮のもとで創設されたことは知っている。
「なんだか話してたらお腹空いてきましたね。お昼作りましょうか」
松本が立ち上がろうとするのに六条院が手を貸した。その手をありがたく借りて松本は立ち上がる。
「大丈夫か」
「はい。一応言い訳しておきますけど、最近は調子いい日が多かったんですよ」
今日は雨だ。雨の日にはいつもよりも足がいうことを聞きにくい、と松本は思う。怪我を思い出させるかのようにじわじわと痛むが、薬を飲むほどではなかった。
「だから、ゆっくりしててください」
「そういうことなら、甘えようか」
ただでさえこの場所に帰ってくる頻度が高くないのだから、帰ってこられるときくらいはゆっくりしていてほしい、というのが松本と六条院の交わした約束だった。
松本が台所から「焼き飯でいいですか」と声をかけた瞬間、支部のチャイムが鳴らされた。〈アンダーライン〉の隊員たちは執務室に入るのと同じ様に、チャイムを押さずに入ってくることが多いため、松本は首をかしげた。チャイムを鳴らすのは、先日の志登のように松本にアポをとっている人間に限られるが、今日はその心当たりもなかった。
「わたしが出よう」
「ありがとうございます」
玄関に向かった六条院に礼を言って、松本は冷凍されてしばらく経っていた白米の在庫処分を兼ねた焼き飯に取りかかりかけ──客が来ているにしては玄関が静かすぎることに気がついた。
「真仁さん?」
廊下に出て呼び掛けると、玄関で来客を迎えていた六条院が振り向いた。その向こうにいるのは眞島だった。無言の二人を見比べて松本は口を開く。
「二人とも、そこで何を?」
松本が問いかけると、眞島は弾かれたように顔を上げ「すみません、帰ります! お休みの日に失礼しました!」と大声で言って踵を返した。それを松本は呼び止める。
「待って待って、せっかく来てくれてるし、この天気だし、お昼だけでもどう? ここには〈アンダーライン〉の隊員なら誰がいつどんな用事で来てもいいって俺は言った。まあ直属の上官がいたら気は休まらないかもしれないけど」
「松本」
たしなめる色を含んだ六条院の言葉を松本はにこやかに受け流す。支部兼彼らの家でもある場所だが、場所の機能として優先されるのは前者だ。
「隊長が最初に言ったんですよ、そういう場所にしたいって。それなのに俺たちの私的な理由でこんな雨の中追い返しちゃかわいそうじゃないですか」
「……それはそうだが」
彼がいては自分の気も休まらないのだが、と六条院が目で訴えた。それについては申し訳ないと松本も思うが、六条院は共用部以外に私室を使うこともできる。
「玄関は思ったより冷えるから中にどうぞ。眞島副隊長はタオル使って」
「ありがとうございます」
「はい、どういたしまして」
来てくれてありがとう、と松本はもう一度眞島に向かってにこやかに言った。
香ばしいニオイが漂う台所だったが、空気は重たかった。二人とも黙ったままの空間は松本にも荷が重い。
「別に和気あいあいと話せとは言いませんけど、もう少しなんとかなりませんか?」
松本の言葉に、眞島が少しだけためらったあとに口を開いた。
「休日に仕事の話はしない主義ですが、隊長にひとつだけ報告を」
「?」
眞島の言葉に六条院は不思議そうな顔をした。
「十日前に【中枢】地区の〈アンダーライン〉備品倉庫で起きた火災の原因が判明しました」
詳しい情報は科技研の花江さんから端末に送ってもらっていますが、と前置いて眞島は話を始めた。数年前に志登とパートナーシップ契約を結んだ元岡は現在育児休職中のため、花江が第三部隊の主担当になっていた。
「漏電です」
「漏電」
「はい。しかも誰かがケーブルを意図的に傷つけたことによる漏電です」
「備品倉庫の入退記録は?」
「調べましたが特定には至りませんでした。成人男性二名による細工としか」
眞島の言葉を聞きながら松本は考える。先ほど拾った煙草は無関係ということだろうか、と考え──まだそう考えるのは早計だと思い直す。
「隊長」
「なんだ?」
「支部の監視カメラを臨時で増やすことは可能ですか。いくつか既存の設備がありますけど、そこの死角を補う形で」
「そうだな。申請さえ出せばあとは早いはずだ」
まだ今年の予算の残りは十分にある、と六条院は言った。例年あの手この手で予算を確保している第三部隊には他部隊によりも予算取得額が大きい。
「……いや、待て、それはよいが、ここを囮に使うのはやめろ」
松本の思惑に気がついた六条院が待てをかけた。新設の電気系設備を狙って犯人たちがやってくるかもしれないし、そうはならないかもしれない。
「でも、眞島副隊長が伝えてくれた調査結果を検証するなら一番いいのはその方法じゃないですか?」
はいどうぞ、味が薄いと思うから各自で調整してください、と言って松本はカウンターに焼き飯の入った皿とスープが入った椀を三つずつ置いた。六条院は黙ってそれをダイニングのテーブルに下ろす。エプロンを外した松本がダイニングに移動するのを待って三人で食べ始めた。しばらくは食べることに専念していたが、口火を切ったのは眞島だった。
「先ほどの話ですが、合理的なのは松本副隊長がおっしゃった方法だと考えます。ただ、私としてもここをいたずらに危険にさらすのは良くないと思います」
多数の人間がここを利用しますから、と眞島は付け加えた。
「じゃあどうする?」
「電気工作系に明るい隊員がいたはずなので、しばらく常駐させるのはどうですか」
「……それで、隊が回るならいいけど」
大丈夫ですか、と訊ねた松本に六条院はうなずいた。松本がメインで指揮を執っていたときよりも少しずつ人員に余裕が出ている。
「心配はいらない」
「わかりました」
「事情説明と手配は任せる」
「了解です」
眞島への指示を簡単に済ませると、六条院はごちそうさまでした、と言って手を合わせた。少し遅れて眞島と松本も手を合わせる。〈アンダーライン〉隊員たちは食事をとるのも早い。
「作っていただいたので、片付けと洗い物しましょうか」
「あ、洗い物は大丈夫」
眞島の申し出を松本は断った。この家が支部となって多数が利用することになったため、食器洗い乾燥機が導入されていた。
「あ、でも皿だけシンクに運んでくれると助かる」
「わかりました」
眞島は素直に片付けを始めた。その様子を見ながら松本は微笑む。案外素直でいい子だ、と思った。
「松本」
「なんですか?」
「あとで珈琲を淹れてくれるか」
六条院の珍しい甘え方に松本は一瞬目を丸くしたあと、もちろんです、と答えた。
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