遠い過去




「大丈夫?」

 

 木より落ちた僕を幼馴染みのアリスが心配そう見つめている。額を拭う手が赤く濡れて、思わず川に駆け寄る。

 恐怖だ、恐怖でしかなかった。あるはずの傷がないのだ。まるで最初から何もなかったかのように。

 私の中で何かが目覚めたのだろう。僕の内側で魔力が暴れているのがわかる。

 左の瞳が紅に変わり、金の髪に僅かに深紅の色が混ざってゆく。

 僅かに、けれど確実に『紅の魔力』に侵食されている。まるで自分でなくなってゆくかのようだ。

 背中に汗が伝い、動悸が酷くなり、視界が明滅し始める。

 

「ミズキ!」

 

 駆け寄る声と背中に感じる温もりを最後に僕は意識を失った。



 10歳の時に親を失くした僕はアリスの家に引き取られた。あれから成長が極端に遅くなり、周囲に化け物扱いされたのだ。

 だがそれで良かった、『化物』で良かったと思うようになったものだ。エルフのアリスと並んで過ごせるようになったのだ。仲がが良い相手などアリスしか居なかったから、同じ時を刻めるだけで幸せなのだ。

 僕達はどこへ行くにも一緒だった。二人で狩りの仕方を習い、森を駆け、魔法を学んだ。

 髪色と耳こそ違いはあるものの、容姿まで瓜二つのその様は本当に双子と言っても差し支えないだろう。とにかく、アリスと二人で過ごすここが僕の全てだったのだ。

 大切な姉と過ごす時間は今までの傷を癒してくれた。

 この時間こそが何よりの宝物だった。

  エルフの試験を突破したのも二人同時だった。一人前の証として、アリスは髪と同じ緑の宝石の杖を、僕は紅の魔銃をもらった。

 嬉しさに視界が滲む。いつかこの家族を守れるくらい強くなろうと決意した。そうしてアリスと、皆といつまでも過ごせたら良い。



 その日も二人で狩りをしていた。西日が辺りを照らしゆく中、談笑しながら帰路につく。

 背中に担ぐ獲物の重みによろけそうになり、アリスが半分担いでくれる。弟には優しくするのが姉の勤めであるとか。そこに若干の不満を覚えつつも、森を抜けて村の外れに立つ我が家が見えてくる。

 

 最初に感じたのは違和感だった。世界はこんなに紅かっただろうか。もうそこまで日が落ちたろうか、そう思ってまったく違う事にそこで気づいた。

 村がが燃えている。

 有り得ない、そう立ちすくむ僕より一足早く、アリスが家に駆け寄っていく。

 後を必死で追っていく。お義父様が無事でありますように、お義母様が待っているようにと切に祈りながら。

 火はまだ自宅までは回っていないようだ。その理由は、家の間近まで来てようやくわかった。

 周囲には倒れ伏した死体の数々と散乱する四肢、足の踏み場もないほどの血の跡。間違いない、お義父様の風刃だ。そうだ、お義父様は飛び抜けて強い。お義母様は治癒魔法だって使える。

 僕に全ての技術を教えてくれたのは誰だったのか。二人が負けるはずなどない。この家が燃えていないのが答えだ。

 その時、家の裏側から木を叩くような軽い音が聞こえた。アリスの杖の音だ。恐らく二人を見つけたのだろう。

 急いで懐の薬を持って行かないといけない。二人も怪我くらいはしているだろうし、増血剤まで準備してるのは僕だけなのだから。

 だから

 家の裏まで回って、そうして三人を見つけて。

「――――」 

 何も解らなかった。

 瓶の割れる音が一つ鳴って、二つ鳴って、その感覚がどんどんと短くなって。ガラスで切った右手をアリスに掴まれてようやく状況を理解した。理解してしまった。

 全身から力が抜ける。呆然と膝をつく。二人はもう助からない。

 

「ミズキ!」

 

 アリスから突き飛ばされた衝撃で我に変える。

 起き上がった私が目にしたのは、吹き飛ばされ気を失った白ローブの男。そして肩口を裂かれ血を流すアリスの姿だった。

 

「アリス、私のせいで……みんな……」

 

 血の気が消え震える手で傷薬を取り出し手当てしようとする私をアリスは押し留める。

 

「ミズキは逃げて。あいつらは金の髪の子供を狙っていた。他にもまだいるらしい、ミズキが一番危ない」

 

 鞄からポーションを取り出しながらアリスはささやく

 

「ミズキなら一人でも生きていけるさ。エルフの試験を突破したのだからね」

 

 二人でいれば、最後まで一緒に入られる。間違いなくそうだと、甘美な囁き声がする。アリスを守ってアリスと一緒に戦って、二人の物語を共に終わらせる。これ以上の人生はもう望めない。

 考えて考えてここに残ると口に出そうとして、自分達を、僕を守る為に最期まで戦いぬいた二人の姿が目に入った。

 ごめんなさい、僕は生きて行きます。お義父様もお義母様も、恐らくアリスのことも犠牲にして。あまりにも罪深い。

 

「アリス、大好きだよ」

 

 アリスに告げる、決して忘れないように。

 アリスの声に動かされるように駆け出す。アリスの笑顔に背を押されるように森へと走って行く。

 もしまた会えたなら、そう願いながら森の中を一人逃げる。


 


 街道から外れ、道なき道を駆け、泉にたどり着いた時には夜になっていた。

 また僕は家族を失った。僕が全てを奪った。波が溢れ出して止まらない。こんな力さえなければ、僕さえいなければ良かったのに。

 自分自身を呪う。呪い続けて、ひとしきり泣いて、やっとのことで水の補給を終えた。

 泉のほとりで月を睨みつつもこれからのことを考える。何処を目的地にするか、森の中をどう抜けていくか。大きな街まで行けばとりあえず安全だろう。

 泣いて、飲み水も確保して、やっとのことで頭は冷えた。これならなんとかなるか。

 とりあえずここにいるのは不味いだろう。水の確保なんてあまりにもわかりやすい行動だ。さっさと 立ち去るに限る。

 

 風の刃に切りつけられたのはそんな時だった。

 

「……さすがに痛いな」

 

 世界が揺れて仰向けに倒れる。胸の傷はかなり深いらしい。血は止まらず、抑える手にも力が入らない。

 

「ようやく見つけたぞ、金の髪の子供。**の復活のためにその身を貰うぞ」

 

 男が近づいてくるのを視界の端で捉えながら思う、こんな結末も悪くないと。

 湧いてくる魔力に思考が反転する、絶対に生き残ると。





 ※※※


 盗賊の男があえなく一人焼失した。それ事態は問題ない。所詮は使い捨ての、いわば『傭兵』にすぎない。

 指令はとても簡潔だった。

 

 「村を焼いてある子供を拐ってこい。多少手荒でも構わない」

 

 良くある命令だ。そしてとても簡単な任務だ。だが準備は念入りに、だ。

 盗賊共を雇えば充分だろう。食い詰めた連中とはいえ、もとは冒険者の奴らだ。村の自警団程度どうとでもなる。数で潰してしまっても良い。

 村を襲って火をつけて回る、ここまでは至極簡単だった。その後のエルフ共には手こずったが、所詮数には勝てないものだ。その為に盗賊まで雇ったのだから。

 そうして目標を発見して、捕獲して万事上手くいくはずだった。なんせ相手は子供だ。強いと言っても経験が足りない。

 

 

 

それが、子供相手に蹂躙されている。

 

「化物め」

 

 そう叫んだ盗賊は血飛沫をあげるとすぐに倒れて、やがて遺体も消滅していた。

 同僚の魔法使いはローブを残して形を失った。

 私の友の弓使いは今まさに燃えている。

 小さな炎。炎球とも呼べぬ小さな炎だった。避ける必要も防ぐ必要も感じさせぬそれが友のローブの端に衝突した。

 そして着火した炎はやがて彼の足にまでたどり着くと、じわじわとその体躯を蝕んでいった。染みが広がるようにゆっくりと、しかし確実に燃えてゆく。狂乱の叫び声もすぐに冷め、やがて静かに消えていった。

 水をもって消せず、介錯すら許されず、断末魔さえあげられない。

 

「聞いてない、聞いてないぞ、相手は子供としか言われてない!」

 

 人外が相手なんて聞いてない。

 ああ、せめてあの盗賊のように即死させてくれますように。願わくば安らかな最期を。

 

※※※


 やりきった、という思いがある。生き抜いた、という満足感が残る。

 そんな自分に吐き気がする。義母様も義父親様もアリスのことも誰も守れなかったのに。

 風弾で撃ち抜いて殺した。白炎で焼き尽くして殺した。銃に触れた瞬間死んだ敵もいた。全員殺して、血の池までつくって、何も感じなかった。嘘だった。本当は少し楽しかった。そんな自分に吐き気がする。

 少し増えた髪の紅色が変わってしまった自分を象徴しているようで、また少し涙がこみ上げる。

 少し休めばまたいつもの自分に戻れる、全部紅の魔力のせいなのだから。なげやりにそう決めつけて泥のように眠りについた。



 

 地獄は続く。焼いて殺して一人で生きて。襲いくる集団もいつの間にか消えていた。殺して殺して殺し続けたのだから当然か。

 町には入れない。悪魔とひたすら罵声を受けた。どの村も町も同じだった。あれだけ殺したのだから当然だ。

 悪夢は続く。ずっと孤独に一人で旅して。願い望みもいつの間に崩れていた。生きて生きてただ生きるだけの毎日。

 悪魔は続いた。ある一人の妖精と出会うその日まで。

 

 ーーーーー

2/22  改稿しました



 


 


 


 


 


 


 

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