Chapter 5 -仮設対策本部-

 ホワイトハウスの一角を足早に歩くリチャード・サンチェス大統領の、半歩左後ろをケヴィンがついていきながら、大統領に話しかけていた。

「日本の暫定政府が首を縦にも横にも振らないうちに、中国が日本への解放軍の派遣に乗り出しました」

「常任理事国の行いとしてはいかんせん勝手が過ぎないか。他の国は?」

「面白いことに、宇宙省の報告を受けコトの緊急性を重んじる国家が多数派で、中国の『早とちり』を後付けで容認する形で、同じくアジア圏への武力派遣を進めています。過去例を見ない規模の多国籍軍です」

 リチャードは立ち止まった。ケヴィンはそこへさらに付け足した。

「失礼を承知で言わせていただきますが、アメリカがここで示すことを求められる『誠意』とは、在日米軍による被災地支援だけで満たすことはできないでしょう」

 廊下にその声は遠く反響した。リチャードは深いため息を吐いた。

「……どれだけ寄越せばいい」

「改めて国防長官の助言を仰ぐ必要はありますが、現在インドより帰投中の空母エンタープライズを旗艦とする艦隊が、まずは一番早いかと」

 ケヴィンの言葉に、小さくうなずきながら、リチャードはゆっくりと踵を返した。

「ついに人間の繁栄は、未知の宇宙に眠っていた禁忌に触れてしまったのだろうか」

 本当なら誰に聞かせることはできない、為政者の独り言であった。




『臨時ニュースです。昨日行われた国連の緊急特別会において、中国政府による解放軍の独断での派遣を「現状でき得る最も迅速かつ確実な対応」として容認した上で、そのほかの常任理事国四カ国からの軍と合わせた多国籍軍としてアジア圏への派遣することで合意しました』

『暫定政府はこれら多国籍軍に対し、自衛隊基地にて損失を免れたイージス艦をはじめとした諸兵器の使用権原を委託する形で支援をすると発表。明日、米軍への引き渡しが行われるとのことです』

『新宿へ落下した人工物について「アルカディア六号の採集物格納庫である」と報告した国連宇宙省の調査使団ですが、自衛隊戦力の引き渡しに伴い、東京湾に到着予定の米空母エンタープライズへ搭乗し、米軍の作戦指揮へ有識者組織として参加することが決まっています』

『東京を焦土と化した未確認生命体ですが、依然として東京上空に停滞している雷雲の中に紛れ、姿が確認できていないとのことです』




 夜の十二時を回ろうとしている八王子市、暫定政府の置かれた瑆発プラント跡の管理施設は、難民の怒号に呑まれていた。

 ――『巨人』を殺せ。

 ――私達の居場所を返せ。

 三日三晩休むことを知らないデモ隊の絶叫は施設内部にまで響き、住み込みで働く政治家や、生還するも休む暇なく救助作戦に駆り出された自衛隊員の睡眠を不快なものとしていた。

 プラント跡に建てられた仮設プレハブの中で三脚のパイプ椅子に横たわって泥のように眠っていた慎太は、携帯の着信音で目を覚ました。画面には「オーウェン事務次長」の文字が表示されていた。

「稲上です」

『マティアスだ。そっちはもう遅いか。お疲れのところすまない』

「いえ、眠れてはいますので」

『本当なら君には一年くらい有給を取ってもらいたいくらいだが……。その、なんだ。特別会の決定については?』

「聞き及んでいます」

 マティアスが次の言葉を述べるのには数秒の間があった。言葉を選ぶことに苦しんでいるようだった。

『君たち調査使団が事実上、多国籍軍全体の作戦参謀となるだろう。まだ指揮系統を統一するとまではいかないが、なにせ駆除対象が未知の宇宙生物だ。モノを言えるのは我々しかいない』

 慎太は、机に頬杖をついた。ノートパソコンが慎太の動きを感知して自動的にスリープから立ち上がった。慎太は肩と頬で携帯を挟みながら、パソコンのパスワードを入力すると、画面には表示させたまま放置していた調査報告や証拠品のデータファイルが列をなしていた。

「そうは言いますが、東京の焼け跡からでは、どれだけ探しても『巨人』の正体に迫るようなサンプルは望めそうにありません」

 現場で巨人を見ただろう人間は大半が死体か意識不明の重体で見つかる。もし生きていても現在難民として外へ逃げようと首都交通に詰め込まれた数千万人の中に紛れ込んでいるためにコンタクトが取れない。証拠品が瓦礫に埋もれて見つからなのと同様、あの日人々が目の当たりにした悲劇に関する証言すらまともに集まっていないのが現状だった。

「我々から見たって不可思議の塊ですよ。それを『駆除』と言われましても」

『心配ない、と手放しで言える理由にはならんが、かの蘇りし空母が来てくれることになったのは心強い。どうやらパークス議員の尽力があったそうじゃないか。彼に感謝していると伝えてほしい』

「……と、いうと?」

 と慎太が訊き返すと『ん、知らないのか?』とマティアスは意外そうに言った。

『エンタープライズは「箱庭」を携えているのだよ。国連がゴーサインを出した一番の理由さ』




 翌朝、東京湾には持ち主を失った哀れなイージス艦たちが、高く上った太陽に照らされ白銀に輝いていた。それらは艦首を一様にある一点へと向けていた。その先にいたのは、ジェラルド・R・フォード級航空母艦三番艦エンタープライズ――百年前の世界大戦を生き延びた「E」の名を受け継いだ原子力空母である。それはさながら船の女王が大勢を傅かせる謁見の間のようであった。

 その空母のデッキに立つことは、女王の視点に立つことと同じだった。慎太はその絶景を前に、震えるほど高揚していたが、自分たちが任された権力の重大さに怖気づいてもいた。

「ドクター稲上、作戦指揮本部会が始まります。中へ」

 米兵の一人がそう促した。慎太は頷いて、船内へと進んだ。

 空母戦闘指揮所には、二〇人以上の人間が、中央で日本地図を表示しているテーブル型のスクリーンを囲む形で輪を作って立っていた。その卓状の装置が、昨日電話でマティアスが言った「箱庭」であると慎太は知っていた。

 箱庭――『広域三次元解析システムBox Garden』の俗称である。地球の周りを、重力依存ではなく、AIの自律操作によって自在に軌道を変えて周回する六つの人工衛星がある。それらが多角的に指定された領域を視認し、立体映像を抽出する。さらにその映像に対して、気象学、熱力学、重力下および無重力下での物理学など、学習機能を備えた様々な科学的分析を行うことができる。本気を出せば地球を丸ごと映し、地上で起こっている事象をすべて同時に解析し、立体映像で視覚的にそれらを見ることが出来る。

 アルカディア計画の前身が、この自律思考AIを開発するチームだということは、今や歴史の教科書に載る事実だ。これをなくして現在の宇宙開発の進歩はないと言って良い。

 だからこうして原子力空母に搭載され、軍事運用されることも、想像に難くはないのである。

 ともあれ、作戦指揮本部会は開始された。会の第一声を放ったのは慎太だった。

「急な決定にもかかわらずお集まりいただきありがとうございます。国連宇宙省の天体物理学者、稲上慎太です。本対策本部は先日東京を襲撃した未確認生物の駆除を目的とした、多国籍軍の作戦指揮中枢です。便宜上私がこの場を代表して仕切りますので、まあその、世界からの非難はこの顔に注がれると思っていただければ」

 間を置いたが、誰も反応しなかった。

「……えっとまあ、なのでお集まりの有識者の皆さんには、普段の立場も権力云々もフラットに、ここではぜひ忌憚なき意見をきかせていただきたい」

 すると早速一人の男が手を上げた。イタリア人気象学者のアンドレア・パンカーロだ。

「じゃあ、各々持ち寄ったデータがあるでしょうし、まずはそれをおっ広げましょうか。私からは、例の雲の件ですけど、気象学者として厳密に言うなら〝雲〟と呼ぶのは間違いな感じがありますね。あまりに長い時間一点に停滞しすぎです。前線の動きに影響されることなく静止しています。で、専門外なのでよく分からんのですが、アレの正体は何だと思われますか」

 その問いには慎太が返答した。

「気化瑆素で間違いありません。太平洋上空で可視範囲の存在をこの目で確認しています」

「しかし、気化瑆素は大気に対する比重が重いはずでは?」

 そう質問をしたのはクリフだった。彼は対策本部内の人間ではないが、モーリスとともに軍人としてこの指揮所に居合わせていた。この質問は、昨日までまさに東京の焼け野原で瑆素ガスに苦しめられながら救助活動をしていたからだろう。

「ゼルフェリウムは基本的にエネルギーを放出した分、わずかですが質量が減ることが分かっています。あの雲は常に雷を発していると思いますが、ああしてエネルギーを放出した気化瑆素は大気より軽くなり得ます」

 慎太はさらに付け加えた。

「どちらかといえば、雲よりもその中の存在が私達の目的です。ここは、この雷雲が何の目的でここにあるのかを論じるべきでしょう」

 それに続いて可馨教授が首を縦に振った。

「同感です。稲上博士がおっしゃったように、あの雲が何故雷を発し続けているのか。そこには必ず理由があるはずです」

 アンドレアは口を尖らせて「雲じゃないってのに」と呟いたのを尻目に、言語学者のルーシー・クックが卓状端末に身を乗り出した。彼女はアルカディア計画の一員であり、慎太の同僚だ。

「誰か例の巨人の動きが分かる映像データとか持ってないの」

「残念だけどそんなもの、あの焼け跡には残っちゃいなかった」

 慎太は肩をすくませながら言った。すると再びクリフが口を挟んだ。

「代わりと言ってはなんですが、救助活動中、我々の隊で改めて証言を集めてみたんです。見て下さい」

 そう言ってクリフが卓状端末に表示したのは、文章データだった。

「『何もないところから結晶を作り出した』、『宙を浮く女の姿をした巨人』、『自衛隊の火器がまるで効いていない』と」

「どれもまるっきりおとぎ話で要領を得んな、敵のビジョンが全く見えてこない」

 そう言ったのはこの空母エンタープライズの艦長であり、海軍一個艦隊の司令官であるイーサン・ドノヴァンであった。その傍らでモーリスが腕を組んで難しい顔をしながら黙っていた。古豪の米軍人をしてこの微妙な表情が出る。それが物語る事実は大きい。

「……結局、深刻なデータ不足を確認しただけね」

 可馨教授がため息交じりに言った。そこに再びイーサンが口を開いた。

「ドクター稲上。ここはやはり、こちらから能動的にサンプルを得るために乗り出すのはどうだろう。恐らく国防長官殿はそういうつもりで我がエンタープライズに白羽の矢を立てたのだろうし」

「それは……」

 慎太はモーリスに目を向けた。彼はその視線に気づくと、組んでいた腕を解いた。

「命を賭けるのはいつものことだ。そのために我々がいる」

 モーリスの言葉に、クリフ、イーサンという二人の米軍人も揃って慎太に頷いてみせた。慎太は両手で卓状端末に寄りかかり、その手元に目を落としながら「分かりました」と言った。

「ならまずは、あの雲から巨人をおびき出さないと」

「『箱庭』があれば、どんな濃霧の中でも航空隊の作戦指揮が可能です。空母と艦載機の連携や、敵勢力の兵器の配置座標の把握は得意分野ですから」

「ちょっと待った。三号のとき『箱庭』はゼルフェリウムを認識できなかったじゃないか。それはどうする」

 そう口を挟んだのは、半年前に帰還したアルカディア四号の乗組員だった、生物学畑の宇宙飛行士ヒューゴー・マックィーンであった。

 彼が指摘するアルカディア三号の事例――すでに「箱庭」が実用化されていたにも関わらず、搭乗員はこぞってあの漂流惑星が「突然目の前に現われた」と証言した。ゼルフェルの名と併せて、専門外の人間にもあまりに有名な話だった。

 クリフはそれに答えた。

「それらを『認識できない物質』として仮想的にモニターします。物体運動を感知する機能をそれと併用すれば、支障はないかと」

「――それでいいなら、いいんだけど」

 そこでヒューゴーの言葉は途切れ、沈黙が訪れた。

 あまりに未知数。

 あまりの不安要素の多さ。

 誰も黙らざるを得なかった。

 沈黙を破ったのはイーサンだった。

「……では、巨人を気化瑆素雲の外へ誘導し、本格的な駆除作戦へ移行するためのデータを収集する陽動作戦として立案し、各国へ提出する」

 この言葉で、不完全燃焼のまま、本部会は閉じられた。

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ゼルフェリアス 音柴独狼 @CyborgRBS

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