Chapter 4 -東京被害報告-
米軍が用意したジェット機で太平洋を横断すると、昼の太陽光に晒されて、東京の惨状が明らかになっていた。東京の――日本の心臓、二十三区は跡形もなく、ひしめく高層ビルは影もなく、さながら争いの只中の荒野のごとく、木っ端みじんにされた建物の瓦礫が散乱する更地になっていた。至る所から煙が立ち上り、スカイツリーだけがぽつりと寂し気に立っていた。
慎太は、セントルイスから一緒に同乗した四人組の米空軍小隊の隊長モーリス・ラムゼイの言葉に対し声を荒げた。
「四〇〇万人!? 冗談はよしてください!」
「神に誓って、受けた報告の通りだ。嘘だと思うなら下の様子を見るといい」
モーリスはそう言って取り繕うとしていたが、わずかに眉をひそめていた。慎太はそれ以上返す言葉もなく、ただ、言われるまでもなくもうすでに目に焼き付けられた故郷の成れの果てに、再び視線を向けた。
二十三区はその領域の八〇パーセントを喪失。建物の倒壊と広範囲に渡る火災、そして二十三区全域に渡り充満した正体不明のガスによる「窒息」が原因で、死者は約四〇〇万人。つまり二十三区の住人の半数近くが、焼かれ、潰され、息の根を止められたことになる。
新宿中央公園に落下した人工物から出現したという未確認生命体は、全く不明な手段で何もない空中に巨大な結晶体を生成し、建物などへ投射。着弾した結晶体は爆発とともにガスを発生させたという。市ヶ谷駐屯地を始め、最終的には都内の自衛隊は総戦力でもってこれの鎮圧にあたったが、平和ボケした火力ではまるで歯が立たず、都市を蹂躙する手をわずかたりとも押さえつけることさえ叶わず、壊滅した。
それが、慎太が受けた報告だった。
ジェット機は成田空港に降り立った。普段では考えられない静けさだった。だだっ広い無機質な空港内に人はまばらにしかおらず、窓口はほとんどシャッターを閉めていた。
「今朝、関東全域に警戒令が出ていましてね。ほとんどが自宅待機、または地方へ自主避難と、例の『巨人』が再出現するのを恐れる空気感で満ちてきているんですよ」
そう言うのは外務省の事務官との肩書を持つ藤崎という男だった。
「ただでさえ八王子瑆発プラントが爆発するわ、原発再始動には反対デモが起きるわで、関東圏のインフラは立ち行かない状態にあるのに、昨夜起きたトラックの横転事故でアクアラインは缶詰め状態。首都高も二十三区から流れてくる二〇〇万人もの避難民で完全に麻痺していて、トドメに行政が完全に機能を停止したため、難民を導く船頭もいない。もはや避難どころじゃないんですけどね」
やり場のない苛立ちを吐き散らすようにそう言う藤崎は、ひどく疲労しているように見えた。藤崎は慎太が痛ましいものを見るような顔をしているのに気づき「すみません」とため息交じりにこぼした。
「朝起きて一番最初に知ったニュースが、立川にいる自衛官の友人と連絡がつかないことでして……や、これは私情でした」
「どうぞ続けて。きっとそれがあなたには必要です」
藤崎は少し驚いたように一瞬慎太の目を見て、それから続けた。
「今でも信じられません。その知らせを完全に飲み込む暇もなく駆り出され、今度は方々の官僚仲間から次々来る、悲鳴にも似た状況報告の嵐だったもので――」
「お察しします。私どもは邪魔でしたでしょう」
「……いいえ、中枢を失った今、我々日本人がすがれるのは、あなたたち国連の皆様だけです。どうか、お力添えを」
藤崎の言った通り、陸路で東京へ入るのは困難な状況であると判断し、慎太とラムゼイ小隊はフェリーに乗り東京湾を渡ることにした。デッキに立ち、かつて東京と呼ばれた廃墟を見つめながら、慎太はスマートフォンを耳にあてた。
「ケヴィンか。質問なんだが、日本が無政府国家になり果てた場合、安保理に則ってアメリカは何かしてくれるのかい?」
その問いは投げやりで、わざとらしく聞こえただろう。電話の向こうでケヴィンはため息をついた。
『真面目に答えた方がいいか?』
「こっちは大真面目だ。頼むよ」
ケヴィンはまた数秒黙ってから、言った。
『国と国の約束事なんだ、虫が喰ったみたいに行政だけすっぽり抜け落ちるようなこと想定してねぇよ。安保理はもうその機能を果たすことはない』
「まあ、そうだよな」
慎太がそう呟くように応えると、「クソッ」というケヴィンの悪態が小さく聞こえた。このやり取りで概ねの事情を察したらしい。
『……次から次へと、何が何だかさっぱり分からん』
それからまたしばらく沈黙が続いた。ケヴィンがこうして黙るのは、東京が慎太の故郷であることを思ってのことだと、慎太は分かっていた。そしてそれに対し、たとえ友人の前でも弱音を吐けない立場にいる慎太もまた、口にできる言葉は一つしかなかった。
「結論を急ぐのは、落下物をこの目で確認してからだ。何かわかったらまた掛ける」
『ああ、その知らせがどうあれ、前もって大統領のケツは引っぱたいておくよ』
「ありがとう。じゃ」
そう締めて、慎太は携帯をしまい、空を見上げた。そこにはわずかに青みがかった灰色の巨大な雷雲が広がっていた。昨晩の惨劇からこの方ずっとあるらしい。それをこうして目の当たりにした慎太にとって、本当は落下物の正体など確認するまでもないことだった。だから慎太は、時折青く閃くその雷雲を、その向こう側にいるだろう未知の存在を睨み付けた。
父にとどまらず、ふるさとを殺した仇として。
羽田を横切り、レインボーブリッジを潜って竹芝埠頭にフェリーをつけた。東京湾は現在、客船も貨物船も何一つ動いている様子はなかった。
「これを」
船を降りるとき、ラムゼイ隊の一人であるクリフ・ロジャースは、軍人とは思えないほど真っ白な手に、ガスマスクを持って慎太に差し出していた。
「まだここは、人が息を吸える状態ではないようですので」
そう言いながら、他の隊員に習ってクリフも自分のガスマスクを装着した。慎太は陸地に目をやった。
そこはまるで砂漠だった。百年以上前の第二次大戦、当時東京を襲った米国の空襲の爪痕を記録した写真を、慎太は日本にいた中学時代までで習わされて知っていたが、あれからは復興できても、「これ」からは果たして立て直せるのだろうか、というのが第一の感想だった。ハードルはきっと高い。慎太の知っている東京は栄えていて、そしてその栄華は――それこそ巨人なんてものを前にしては脆弱すぎるあらゆる細い柱に依存しすぎていたのだ。慎太は先に船を降りているモーリス隊の方へ向き直って、手渡されたマスクを着けながら船を降りた。
増上寺の広い屋根は、何か巨大なものが落ちてきたかのように大穴が開けられ、煙が立ち上っていた。周囲の樹木は軒並み折られ、見通しの良くなった芝公園にはいたるところに小さなクレーターのような窪みがあった。
芝公園で仮設の拠点を設営していた在日米軍と落ち合った。モーリスが敬礼すると、その三名の米軍兵も習って敬礼を返した。
「航空戦闘軍団所属モーリス・ラムゼイ軍曹だ。こちらにいるドクター稲上を護衛する任務を終えた後、人手はわずかだが暫定的に被災者の救助作戦へ合流することになっている」
「心強い。猫の手も借りたいところです」
「状況を聞きたい。と言っても、我々が加わってどうこうなる様子ではなさそうだが」
モーリスの問いに、真ん中の男が答えた。
「事態沈静から約六時間がたちます。瓦礫に埋もれた地下鉄からわずかばかりの生存者が見つかることはありますが、それ以外は無残な遺体が見つかるばかりで……」
後を繋げるように、隣の兵士が言った。
「我々にとって一番の難題が、日本の自衛隊がもうほとんど機能していない点です。負傷者や被害者の遺族と我々との間にある言語の壁を、橋渡ししてくれる人材が目下あまりにも少なく、これに関しては地方からの支援が到着するのを待つしかないのが現状です」
三人目の兵士は黙っていた。モーリスはガスマスク越しに、彼が目の下を赤くはれさせていることに気づいた。
「君、何かあったのかね」
彼はハッと顔を上げ、そしてすぐにヘルメットのつばで顔を隠すように俯いた。
「いえ」
それを聞き、モーリスは「ふむ」と取り繕ったようなため息を漏らした。
「分かった。本国から何等かの指令があるまでの間にはなるが、できる限り手を貸そう。差し当たって、ドクター稲上を新宿中央公園までお連れしてくれないか。例の落下物の調査がすでに始まっていると聞いているが」
「了解しました」
モーリスはうなずいて、慎太の方へ振り返った。
「ひとまずはここまでだ」
「ありがとうございます」
「まあ、なんだ。考えたくはないが、俺たちがコックピットに乗る必要があるときは、あんたの知恵を借りるぜ、ドクター」
「……はい。そのときは」
慎太がそう言うと、モーリスと三名の部下は在日米軍の二人に連いて去っていった。残った一人は、目を腫らした三人目の男だった。彼はモーリスとのやり取りを見てか慎太に遠慮なく英語で声をかけた。
「では、目的地までご案内します」
慎太は米軍の輸送ジープの助手席に座り、男が運転した。彼は比較的起伏のない道路を選んで進んだが、それでも瓦礫は少なからず散乱していて、車内は頻繁に大きく揺れた。
「……お身内の不幸ですか」
失礼を承知の上で、男にそう訊いた。答えはしばらく返ってこなかったが、男はそのうちポツリと口を開いた。
「横須賀で出会った妻が、本郷へ里帰りの最中でした……」
声が震えていた。
「半年後の退役が決まって、結婚を許してくれたご両親と一緒に暮らす計画を進めていたんです」
鼻をすする音を聞いて、慎太はシートに身を鎮めて目を瞑った。
傷跡が大きすぎる。あまりに大勢を失ったのだ。
「あなたのお身内は大事なかったですか」
そういう男は無理に笑いを作っていたが、慎太は自分の失礼に対し、やり返されたのだと思って、正直に口を開いた。
「セントルイスの瑆発プラントに勤めていた父を」
「……お互い、辛い日々が続きそうですね」
それから先は、二人とも黙っていた。
「ええ、アルカディア六号と見ていいでしょう」
そう中華訛りの英語で述べたのは、航空宇宙力学者の葉可馨。アルカディア四号から八号、通称「第二世代」の設計に関わった人物だ。可馨と慎太は新宿の焼け野原の真ん中に佇む、真っ黒に焦げ、無残に破裂した巨大な人工物の前に立っていた。
「対亜光速強化アルミニウム合金で構成されている点、それから焼け焦げてはいますが、先端は第二世代が搭載していた採取物の格納庫と同じ形状をしています。本来は宇宙ステーションと連結し、内容物を連絡船へと移す手筈になるものですが、それ自体が大気圏外からのフリーフォールに耐えられる構造になっているのが第二世代の格納庫の特徴です。そして中でも六号と断定できる理由は、見ての通り――」
可馨は構造物の裂傷部にいくつも付着した青い破片を一つつまんだ。
「ゼルフェリウム鉱石の破片が付着している点。と言っても、この距離まで近づかないと見えないほどの小ささでしたので、つい先ほど得られた結論ではあります」
可馨が一通りの証明の言葉を終え、会話に小休止が挟まれた。
「……六号からの最後の通信については?」
「聞きました。信じられるかどうかというよりもまず、想像がつきません。ゼルフェルは小さな漂流惑星といっても水星と火星の中間ほどの大きさがありますし、目測だけでもそれだけの質量を持つ星を、かつての三号が見失うならともかく、可視範囲を正確に知っていたはずの六号が突然見失った、というのは」
二人は破壊された格納庫をただ眺めていた。
「たった七時間で六〇〇平方キロメートルを更地にし、四〇〇万もの命を奪うことができる生命体。それを六号が――〝私たち〟が連れてきてしまった。分かっていることはそれだけです」
空は依然、禍々しい雷雲が渦巻いて、傷跡の深い東京に暗い影を落としていた。
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