Chapter 3 -東京墜落-
東京の、星の光が届かない夜。最初にそれを目撃したのは、高架駅を通行していた二人の女性だった。彼女たちはそれを流れ星だと思った。慌てて各々が携帯を取り出しそれを写真に撮ろうと構え、画面に映るそれを見て初めて、遠い宇宙を横切る流星ではなく、こちらに向かって落ちてきている何かである、と悟った。
長い海中トンネルを抜け、アクアブリッジを木更津市に向かって下るトラックの運転手の男は、西の空から真っ赤なソニックブームを纏って落ちてくるそれを、飛行機だと思っていた。夜間の長距離運転に備え買ったエナジードリンクの缶がカタカタと音を立てて震え始めたのを見て、再び空へ目を向けると、それは確実に大きくなっていた。震動と、それに伴う轟音が段々と大きくなり、周囲が赤く照らされ――、ついにそれは橋を渡る車の行列の真上を通りすぎた。爆発音のような衝撃が橋を大きく揺らした。その爆音にひるんだために、前方の車が耳障りな摩擦の音を響かせながら蛇行しているのに運転手は気づかなかった。横を向いてガードレールに突っ込んで停止した車を、トラックは避けることが出来なかった。
東京都庁と新宿中央公園を結ぶ橋の上で、数人の通行人がそれを目の当たりにして固まっていた。轟音を響かせながら、巨大な炎の矢が新宿パークタワーの頂上を貫いた。最上部は周囲を赤く照らしながら爆散、炎上しながら瓦礫を広範囲にまき散らした。パークタワーの足元では飛散してくる瓦礫に巻き込まれ混乱する人々の叫び声が聞こえてくる。炎の矢は卓状に盛り上がった中央公園の側面に落下し、コンクリートや土を抉り取って巻き上げながら、一度大きく回転しながら跳ね上がった。橋にいた通行人にはそれが巨大な火炎車のように見えた。
ああ、これから地獄が始まるのだと、誰もが直感した。火炎車はそのまま中央公園の木々の間に転がっていった。多くの人間がそちらに目を奪われている中、誰かが「燃えているぞ!」と叫んだ。公園の方で悲鳴と無数の足音が交錯しているのが聞こえてきて、それがさらに大勢の不安を明確な恐怖へと変え、水たまりに落ちる小雨のように、中央公園から離れようとする人の波が出来上がっていた。逃げ惑う人々は後ろを振り返れば、なじみ深い緑が煉獄に飲まれる様を見ることになった。
やがて、空から落ちてきたその物体は、獄炎の中に静止した。
警察と消防隊が到着するのに時間はかからなかったが、延焼を恐れた周辺の高層ビルにいた人々が一斉に外へ出てきたことで道路は人で埋まっていたため、混乱の鎮静化に際して人員が全くたりていなかった。
「十分以内だ! 動ける隊をすぐによこせ!」
携帯電話で怒鳴り散らしている壮年の男が、人込みの中注目を浴びた。その男の顔は、テレビで嫌でも目に入る現東京都知事として誰もが知っていた。
果たして自衛隊が到着したのは、男の言葉通り十分弱ほどだった。水の広場前の道路はすでに警察によって通行止めになっており車輛の侵入はなく、自衛隊の高機動車が四台、自衛隊の消防車が二台停まった。十数人の自衛官が降車し、十人ほどは酸素ボンベとガスマスクを装着し、予備の酸素ボンベを荷台に乗せ広場に運んだ。各々が一本ずつそれを担ぎ、四方八方へ散開し炎の中へ駆けて行った。残された六名のうち二名が消防車両から放水ホースを取り出し、先を行った隊に続いた。
四名は交通規制のかかった道路にテントを設営した。
消防隊と合流し放水が開始される。広場にいた指揮官である中村士長は片手に無線を持っていた。ガガッと電波を受信する音を聞いて、士長は耳を傾けた。
『こちら樋口一士。白糸の滝より北へ十数メートルの地点に事故原因と思われる落下物を確認。人工物と思われます』
消化班の自衛官の声だった。
「それの調査は後回しだ。引き続き消火活動を遂行しろ」
「了解」
無線は切られた。士長は人工物であるという報告から、人工衛星の事故の可能性を考えた。衛星の操作に人工知能を採用する事例が増えた今時だと、あり得ない話ではなかった。
数分後、救助班の隊員が取り残された負傷者を運んで戻ってくるようになった。負傷者はテントに運ばれ、救急隊による応急処置を施された。度々死亡者の報告も無線で飛んできた。
テントがあふれるのではないかと心配し始めたころ、無線が鳴り、今度はどこに焼けた仏様があったのだ、と眉をひそめながら耳を傾けた。
『こちら樋口、落下物より――その、正体不明の物体が出現しました。危険性が未知数であり二人では対処できません。応援を!』
先ほどの消化班だったが、ひどく取り乱していた。
「後だと言っているだろう! さっさと消化を進めろ!」
『しかし――』
そこで隊員の声は途切れた。無線のノイズにガチンッという不自然な音が混じったような気がした。
「しかし、なんだ。おい応答しろ」
士長の呼びかけに、隊員はすぐに応じなかったが、数秒後、
『キョ、ジン……』
と、遠く聞き取りづらい声が返ってきた。
「応答せよ! 何が――――」
士長がそう叫ぶのと被るように、無線が割れるほどの絶叫が聞こえた。
『逃げろ! 殺さrキュロロロロロロブツッ……』
その無線はそこで唐突に途切れた、はずだったが。
ロロロロロ……。
無線で隊員の声をかき消したものと同じ、聞いたこともないような「声」が、公園の奥の方から聞こえてきた。その音のする方へ振り返った。手にした無線からは部下の叫びを拾ったのを最後に応答しなくなっていた。それは噴水の向こう、焦げた木々の隙間から青い光が漏れているのに気が付いた士長は、急遽設営された白いテントに駆け寄って助け出された民間人を手当てしていた八名の隊員に声をかけた。
「持ってきた武器をすべて取ってこい」
「……なんですって」
「エモノだ! 総員火器を装備し速やかに隊列を組めッ!」
その怒鳴り声にぴしゃりと叩かれ、全員が高機から小銃と弾倉を取り出し、広場に戻って訓練通りにハの字型の列を作った。士長は真ん中に立ち、持っていたアサルトライフルを光に向かって構え、命令を叫んだ。
「撃ち方、用ォ意!」
その様子を道路上で見ていた一般人はどよめいた。火器を使用するような出来事とはなにか。落下物は一体なんなのか。向こうで何が青く光っているのか。張り詰めた誰もが怯えていた。
クゥゥゥン、ルルル……。
その声はクジラの子守歌のようだった。燃え盛る公園の木々、黒煙と見分けがつかない暗澹たる夜空を背景に、青く光る巨人が、海をクラゲが回遊するように、長い髪――に見える触手のようなものを揺らしながら浮かび上がってきた。それは人間の女性によく似た姿をしているが、目算でも四メートルはある巨人だった。未知の来訪者を前に、全員が息を呑んだ。自衛隊の銃口は宙を舞う巨人に照準を合わせていた。士長の声が響いた。
「撃てぇ!」
それを合図に、八人の隊員は巨人に向けて弾丸を連射した。後方から民間人の悲鳴が聞こえてくるのに誰も構わずただ撃った。
巨人は右手を開いて前に突き出した。ビシビシッと音を立てながら、掌の前方の何もない空間から青い結晶体が「発生」し、広がった。それはたちまち大きな一枚の盾となり、弾丸をすべて受け、傷一つ付けることなく弾き返した。
「なっ、撃ち方やめぇ!」
士長はそれを見るやすぐさま発砲を止めさせた。すると巨人を守った盾はバリバリと亀裂を生じ四つの鋭利な塊になって巨人の周囲を漂い始めた。巨人は両手を横に広げ掌を上に向け虚空を押し上げるようにゆっくりと掲げた。それに合わせて四つの結晶片は巨人の頭上へと高度を上げながら、尖った先を隊の方向へ向け始めた。
士長は直感した。そして叫んだ。
「仕掛けてくるッ! 総員退避ィッ!」
九人の自衛隊は踵を返して走り出したが、一人足を滑らせて出遅れた。ほぼ同時に結晶片は自衛隊を目掛けて砲撃と見まがうような速さで飛んできた。三つは先ほどまで隊列を成していた地点に落ち、紙一重で外れたが、残る一つが初動の遅れた一人に直撃し、悲鳴を上げる間も与えず彼を押しつぶし、広場の地面に突き刺さった。
国を守る責任を背負った屈強な戦士が尻尾を巻いて逃げ惑う姿を見て、道路に群がる野次馬は絶叫しながらそれをまねるように走り出した。前方にいる人間を押しつぶし、何か地面よりも柔らかいものを踏みつけたと思っても構わず我先にと奔走した。
「こちら市ヶ谷駐屯地の中村士長! 危険性の高い未確認生物が新宿中央公園に出現した! 応援を求む!」
走りながら無線を相手に絶え絶えな息を振り絞って叫んだ。士長と他六人は装甲車輛の影に滑り込んだ。顔だけ出して巨人の方を見ると、また巨人の周囲の何もないところから結晶が発生して、矛先を逃げ惑う一般市民に向けていた。
「まずいッ……」
士長は半身を陰から出し、小銃を数発撃ち放った。弾丸は二発ほど巨人の額側面に当たった。巨人は士長の方へ顔を向け、次に民間人に向けていた結晶の矛先を士長に向けた。
「当ててみやがれ」
士長がそう呟くが早いか、結晶が士長目掛けて発射された。士長は右へ飛んでそれを交わした。再び装甲車の影に入り、結晶は士長が居た場所のアスファルトを抉りながら突き刺さった。士長は弾倉を取り換えながら、隣の車輛の影に隠れている数人の部下に向かって声を張った。
「奴の気を引け! 民間人から奴を引き離すんだ!」
それに対し部下たちは「了解」と返答しようとしたが、士長を目掛けて飛んできた結晶がまばゆく光り始めたのにひるんで黙った。士長が結晶の方を振り返ったとき、結晶が青白い閃光とともに爆発した。青い炎と結晶の破片が飛散し、士長を襲った。同時に士長が隠れていた車輛の装甲をたやすく貫通し、ガソリンに火をつけた。連鎖的に車輛が爆散し、その爆炎に士長は飲まれた。
部下の、士長の名を叫ぶ声がこだました。
巨人は、より大きな結晶をいくつも生み出し、今度は高層ビルに狙いを定めて発射した。一発が都庁の中腹を破壊し、都庁はへし折られるように倒壊した。正面に伸びる道路沿いのいくつもの高層ビルにそれらは直撃し、混乱する逃走者たちの頭上に無数の瓦礫を落とした。
火の海と化した新宿の中心で、巨人は空を見上げた。
キュルルルゥゥゥウウウン……。
冷酷な歌が赤く染まる夜空に吸い込まれていった。
直後、ちっぽけな人間の雄たけびとともに、銃声が鳴った。
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