Chapter 2 -ジュエルベイビー-
稲上慎太は、黒煙立ち上る瑆発の建屋跡を歩いていた。後ろからケヴィンが、動きづらいスーツの上着を脱ぎながらついてきていた。運動不足で少々贅肉が付き始めた彼は、肩で息をしながらも慎太に言った。
「つまり、ゼルフェリウムが内包するエネルギーが、爆発という形で放出されたと」
振り返らずに慎太は答えた。
「もしくは急激な潜熱の解放だ。因果として『気化すること』が先にあり、おそらくそれで高温の潜熱が解放されて、空気が膨張しプラントの建屋を吹っ飛ばした」
二人が歩いているのはプラントの内部だが、頭上を見上げると青空が広がっているせいで、とても数日前はここが屋内だったとは思えない。
ケヴィンは頭を掻いた。
「一トンにつきアメリカ合衆国二か月分かぁ」
「後者の場合、各国で消失した燃料は大気中へと四散したと考えるのが妥当」
「しかし、そうなるとカースランドとかで建物が崩壊ことの説明が付かない」
「……何にせよ、あと残るピースは一つ。それですべてに説明がつくよう祈るしかない」
慎太はため息交じりにそう言った。
そういうしかない現状に苛立っていた。
やがて二人は米軍の装甲車が三台停まっている仮設のプレハブに到着した。地面がひときわ真っ黒に焦げているところを見ると、もともとはプラントの中心、ちょうど燃料の炉があったところらしい。
数人の軍人や白衣姿の人々が、プレハブの窓から除き込むように何かを見ていた。そのうちの、スーツに白衣を羽織った、色白で痩せ型の中年男がこちらに気づき「ドクター稲上」と手を振りながら歩み寄ってきた。慎太も小走りで駆け寄った。
「オーウェン事務次長。いらしてたんですか」
マティアス・オーウェンと短く握手をしながら慎太は言った。国際宇宙省のトップ、すなわち慎太の雇用主だ。
「宇宙省に課された問題だ。私にこそこの目で現状を見る義務がある。それよりも、君のお父さんのことは本当に残念だった。こうして君を拘束することは心苦しいが……」
「ありがとうございます。別れはすでに身内だけで済ましましたので」
慎太は小さく頭を下げた。
「すまないね。そちらの御仁は?」
マティアスはケヴィンの方に目を向けながら慎太に訊いた。ケヴィンは胸ポケットから名刺を取り出し、マティアスに差し出した。
「アメリカ合衆国上院議員のケヴィン・パークスです。まあ別段米国政府から命令があって動いているわけではないのでお気になさらず。彼とは友人でして」
そのあとを慎太が続けた。
「報告が本当なら、軍の出番があるかもしれないと判断しました」
マティアスは名刺に目を落としながら、しばらく険しい顔をしていた。
「なるほど。君のその判断は正しいかもしれない」
「……というと、やっぱり」
「ついて来たまえ」
マティアスは踵を返してプレハブの方に歩き出した。
「ところでパークス議員は、アルカディア計画についてどこまで聞き及んでいらっしゃるので?」
「太陽系外の惑星へ有人渡航し、外縁惑星の調査と、地球では望めない資源を回収することを目的としていること、そしてその成果として件の新元素を持ち帰ってきた、くらいのことなら、稲上博士から」
ケヴィンの返答に対し、一息置いてマティアスは口を開いた。
「ゼルフェリウムという名前は、今から十三年前にアルカディア三号搭乗員がある謎の漂流惑星に『ゼルフェル』と命名したことが由来です。この惑星には、二つの不可解な性質があった」
三人はプレハブの入り口にたどり着いた。マティアスはドアノブを握り、扉を開くと、薄暗い室内にまず二人を招き入れ、そのあとから入室した。
「その九十八パーセントを構成する新元素ゼルフェリウムと、半径約一万キロまで近づかなければ、人間の目には見えない、という特性です」
中にはこれまた白衣の装いをした三、四人の人が歩き回っており、何やら話していた。その部屋の奥には、巨大な分厚いガラス製の箱が鎮座していた。中は蛍光灯のような真っ白な照明に照らされているが、そこには何もないように見えた。
「あれは?」
慎太がマティアスに訊くと、彼はただ「近寄ってみなさい」と言った。慎太とケヴィンはゆっくりガラスの箱の元へ歩いて行った。
あと五歩ほど歩けば手が届く、といった距離まで歩み寄った瞬間、いつの間にか箱の中には、何やら青白い物体が現われた。ケヴィンが「うおっ」と小さく声を上げる中、慎太はそれが元からそこにあった、という方が正しいことを知っていたため、驚きはしなかった。
しかしすぐに慎太も「えっ」と、戸惑いの声を上げた。そこにあったのは、慎太の知っているゼルフェリウム鉱石の姿ではなかった。
海を封じたかのような、青く透き通った宝石のようだが、しかしその形は生後間もない人間の「赤ん坊」のように見えた。小さな四肢と、大きくて重そうな頭、その顔には瞼らしき眼球のふくらみが二つあるだけで、鼻や口は曖昧に輪郭をなぞるような起伏しか確認できなかったが、代わりに透明な頭部の、人間なら脳があるだろう奥の部分に、なにやらごく小さな漆黒の球体――針で開けた穴にも見えるものが浮かんでいた。眠っているように見えるが、その小さな手足はよく見ると緩慢に小さく動いている。
生きている。
「これが、報告にあった『ジュエルベイビー』、ですか」
「ああ、これには私も驚いた。色合いや透明度などはゼルフェリウム鉱石と似通っており、可視範囲まであるとなるとね」
そう言いながらマティアスは、ガラスの箱の側面にある小さなキーボードを操作した。ガラス箱の上の面に、ホログラムの映像が映し出された。そこには赤ん坊のシルエットと諸データが表示されていた。
「重量はそれこそ出生してすぐの赤子のそれだ。発見してから四日観察しているが、寝返りを打つ以外特別な挙動もない」
「……これは、どこで?」
「まさにここだよ。セントルイスプラントの解放炉の真ん中に、『彼』はまるで親に捨てられたみたいにポツリといたんだ」
慎太は、かぶりつくようにガラスの中の赤ん坊を見つめて言葉を失っているケヴィンの、一歩後ろに下がって腕組みしながら一呼吸分黙った。そして言った。
「組成分析は行っていないのですか?」
「行った。が『失敗』した」
「失敗?」
「表層を引っ掻いてサンプルを採取しようとすれば、機器がすり減っていくばかりで塵一つ採れないから顕微鏡での分析ができない。別次元の硬度だ。赤子の手を捻るようにはいかなかった」
「じゃあ、可視範囲があることからの推測でしかないわけですか。まあでも、これは……」
慎太がため息交じりにこぼしたその台詞にマティアスが小さく頷いた。それを見たケヴィンが慌てた様子で慎太に問うた。
「お、おい。じゃあ何か。世界中に散らばっていたゼルフェリウム燃料が、個体のままこいつに向かってここまでぶっ飛んできたってことか? 途中にある建物をぶち壊しながら?」
その言葉に、二人とも肯定も否定も返さなかった。ケヴィンは畳み掛けた。
「たった一トンあっただけで国を動かすようなモンが、立ち上がって暴れまわるから、軍を動かすしかないと? 慎太、俺を呼んだ理由は――」
「落ち着けよケヴィン」
「バカ言うな、お前たちと比べたら至って冷静だ。気が狂っていたらこんな質問しない」
声を荒げる二人に、マティアスが割って入った。
「パークス議員。我々の不甲斐ない現状を見て気を悪くしてしまったのなら申し訳ない。だがどうか分かってほしい。先ほど述べたようなことを私たち科学者は本来『推測』などとは呼ばないのです。ほとんどただの妄想でしかない。しかし、状況はすでに私たち地球人類の理解の範疇にはない。何が起きてもおかしくはないのです」
マティアスの言葉を受け継いで、慎太がケヴィンの肩に手を置いて、真っすぐ彼の目を見て言った。
「いいかケヴィン。俺が政治家のお前にやってほしいのは、柔軟な対応だ。この赤ん坊が成長して世界を蹂躙するなんて妄言だっていうなら、そう思っていていいから、ただその可能性を覚えていてほしいだけだ。それに実際、そんな妄言よりも現実になりそうな問題は山ほどある」
これは無力な、いち科学者の、悲鳴に似た懇願だった。ケヴィンはその慎太の苦痛の表情を見て、口をつぐんだ。
「ドクター稲上の言う通りだ。現実的な話に移ろう。アメリカが今真に恐れるべきは中東の石油戦争だ。アルカディア計画が起こした今回の『失態』を機として、産油国のテロリストがどんな手に出るか分からない。こんな中、中東に駐在していた米海軍を始め、戦力の大半が本国へ帰投する運びになったのは知っていますね?」
マティアスの問に、ケヴィンは頷いた。
「米政府は中東各国の思惑はつかめないままです。今までテロリストだけが相手だったこの戦争も、最悪の場合、あちらがそれらの国を味方に引き入れ、攻勢に転じることもありえます」
「そうなれば第三次大戦もフィクションじゃなくなる。中東の火薬庫というわけだ」
慎太がケヴィンの言葉に付け足すと、今度はマティアスが口を開いた。
「しかし、これまでの十数年、このゼルフェリウム鉱石の内包エネルギーに頼ってきたアメリカのインフラは、全土に渡って壊滅状態です。原発の廃止案が国会に持っていかれる前だったのが不幸中の幸いだったとはいえ、すでにその大半が、運転自体は止めている。それらが再び稼働を始めていくまでの間は、アメリカは脆弱も脆弱です。攻守の逆転には反対の立場にあるあなたの前で、イギリス人の私がこれを口にするのは恐縮ですが、それこそドクター稲上の言うように、何が起きても対応できる戦力が国内に必要でしょう」
ケヴィンは目を閉じてそれを聞いていた。険しい表情だ。慎太は、彼がテキサス州の上院議員になる前の、平凡なサラリーマンだったころを思い出した。災害があれば通勤路の渋滞に巻き込まれ車の中で悪態をつくくらいで済んだあのころの彼には、この剣幕の裏にあるだろう葛藤など、想像もできなかったはずだ。たった三、四年で、人生はここまで大きく変わる。
「――わかりました。先ほどの非礼は謹んで謝罪します。上院議員一人の乏しい権力ではありますが、できる限りの協力を約束しましょう」
目を開いてそう言ったケヴィンの表情に曇りはなかった。マティアスはケヴィンに手を差し出した。
「国の代表に声が届く方の助力です。これほどありがたい支援はない」
ケヴィンはその手を、強く握り返した。
その時、慎太のポケットからスマートフォンの着信音が鳴り響いた。握手を交わしていた二人が驚いて振り返る中、慎太は英語で「キース・ゴードン」と表示された画面をタップし、ビデオ通話を許可した。しばらく黒い画面が続き、間もなく白髭を蓄えた初老の男性の顔が表示された。
「おじさん」
『よくないニュースを持ってきた。セントルイスに向かっているのか』
「いや、もういる」
慎太は首を横に振って見せながら、嫌な予感がした。キースとの通話は大抵、三か月程度は間が空く。いつもは近況を言い合う前置きが必ずあるのだが、今彼はかなり急いているように見えた。
『では事務次長は?』
というキースの問に対し、慎太は携帯のカメラをマティアスの方へ向けることで応えた。マティアスが代わりに返事をした。
「ここにいる。何か?」
『でしたらちょうどいい。アルカディア六号との連絡が途絶えました』
述べられたニュースは、マティアスと慎太を酷く驚かせた。
「原因は!」
『消息を掴めないため一切が不明ですが、信号がロストする半日ほど前に、最後のメッセージが届いていました――』
キースは休止を挟んで、次の言葉を慎重に述べた。
『――「調査対象、惑星ゼルフェルが、消失」と』
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