第13話 彼の決意

 それからしばらくたったが、彼との関係は何も変わらない。それどころか、彼と目が合いそうになると逸らされている気がする。私は何かまずいことをやらかしてしまったのだろうか。考えてみても一向に答えは出ない。たった一人と気まずいだけで、教室内というのはこうも空気が重たくなるものだろうか。温かい日差しの気持ち良い季節とは対照的に、私の心は沈み込んでいた。そんな時、先生がだるそうにやってきて、教卓へドンと手をついて言った。

「今日は席替えするぞーー」

 私のクラスは先生の気まぐれで、席替えの時期が決まる。どうやら、今日がその時だったようだ。誰と一緒になりたいだとか、誰と一緒になりたくないだとか、私にはそんな願望が一つもないのでちっとも楽しくない。どこでも構わないと悠長に構えていたが、張り出された座席表を見て、私は空いた口がふさがらなくなった。隣の席は、あの彼だったのだ。

「よろしくね」

 私は机ごと隣に移動してきた彼に、努めて普通の声を装って話しかけた。

「…………」

 私は彼に話しかけたことをすぐに後悔した。そしてこれではっきりしてしまったと思った。彼は私のことが嫌いなのだろう。なぜ、どうして、何が原因でなんて一つも分からないけれど、思えば思春期の私たちはいつもそんな風に仲違いしてきた。今回もきっと、私には分からない原因があるのだろう……。もう、疲れてしまった。

「ん……」

 いつの間に寝てしまっていたのだろうか。薄ら目を開けると、先生の棒読みな低音と、チョークが黒板に当たるカツカツという音が耳に入ってきた。私はそれらのリズムが心地よい子守唄にすら思えてきて、再び目を瞑ろうとする。しかしその時、私の腕に軽い振動が伝わってきた。見ると、彼が遠慮がちに消しゴムを使って私の腕を突いている。

「何ですか」

 私がムッとして口を尖らせながらそう言うと、彼は一枚の紙切れを二つに折って、私に差し出してきた。仕方なく起き上がってそれを開くと「昼休み、体育館裏で待ってる」の文字。まさか、喧嘩でもするつもりなのだろうか?女の私と?そこまで節度を弁えない男性だったのだろうか。そんなことを考えていると目の前に居る彼が、すごく恐ろしいもののように感じられた。やはり行かないべきか……。しかし、このままどうしようもない気持ちを引きずって学生生活を送るのはもっといかがなものだろうか。私はそこまで考えて、彼にもらった二つ折りの紙を胸ポケットに仕舞った。その日の昼休みまでの時間、私は恐怖と緊張とでもう居眠りをすることはなかった。

 いつも通り自作の弁当を食べ終わって、もう一度胸ポケットの方に目を遣る。本当に来るのかしら……。思えば私は彼のことをよく知らない。傘を差し出してくれた時は優しいと思ったが、今度は突然怒り出して、かと思えばこんなものを渡してくる。もしも、もしも彼が本当は物凄く意地の悪い人で、体育館裏に一人で来た私を隠れて笑ったりしていたらどうしよう。私はあまりに簡潔すぎる内容の紙を恨めしそうに睨み付けるのだった。

「おぅ、来たのか」

 指定された場所に恐る恐る足を踏み入れると、そこには彼だけが居た。思わずキョロキョロと周囲を見渡すも、誰も居ない。そんな中、彼は後ろ手に隠し持っていた何かを、私に差し出してきた。思わずギュッと目を瞑る。

「なにやってんだ?」

 その声にゆっくり目を開けると、そこには以前私が彼に渡した弁当箱があった。彼が「うまかった」と差し出すそれを受け取ると同時に、私は急に心が軽くなったのを感じた。

「もしかして、これを返すためだけに呼び出したの?」

 私は少し笑いながら彼に問いかけた。しかしそれに対して、彼は何やら歯切れが悪い。笑ったことに気を悪くしたのかと思い、もう一度同じ質問をしようとした時、彼が今までよりも大きく、決心したように口を開けた。

「聞いて欲しいことがある。大事なことだ」

「大事なこと?」

「あぁ……その」

 彼はしばらく行き場がないというように目線を泳がせていたが、突然私の目を真っすぐに見つめて言った。

「まず、ごめん。前のこと……すまなかった。」

 彼は心から申し訳なかったと思っているようで、深々と頭を下げたまま、動かない。

「ううん、私も意地を張ってたかも」

 彼と普通に話せるようになった開放感から、もうそんなことは私にとってどうでもよかった。しかし、許しの言葉を聞いても彼は一向に動こうとしない。私は段々そんな状況が小っ恥ずかしくなってきて、慌てて彼に頭を上げるように言った。それに対して彼はそのままの姿勢で、地面に向かって声を張り上げた。

「弁当すげぇ、うまかったからさ、その……これからもできれば毎日、俺に弁当作ってくれないか?」

 彼の顔は耳まで真っ赤に染まり、こちらが心配になってしまうほどだった。しかし、私はとても不思議だった。そんなにお弁当が美味しかったのだろうか。お弁当一つくらいいつでも作るのに、こんなに大袈裟な場所を用意して、おかしな人。

「いいよ」

 私はもちろん、二つ返事でOKした。

「よっしゃーーーー!!」

 その瞬間、彼は聞いたこともないくらい大声で叫んでいた。「人が集まってきちゃうよ」と落ち着かせようとするも、効果はない。繰り返し「よし、よし」と言いながらガッツポーズをする彼は、私が見ていた彼とはまるで別人のようだった。そんなに私のお弁当が気に入ってくれたなんて、こんなに嬉しいことはない。この人のために、明日は早起きしようと決意するのだった。

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