中編

 仕事が終わり、夜勤と交代した私は廊下を歩く。今は5時、日も傾いて廊下の窓からオレンジ色の西日が差し込んでいる。


 とはいえ私の足取りはお昼のように早い。いやもしかしたらそれ以上かもしれない。なぜこんなに急いでいるのかというと、クレイさんが待っているのだ。

 

 今晩はクレイさんと始めて食事に行く。クレイさんがなぜこんな私を食事に誘うのかは分からないが、待たせるわけにはいかない。

 

 そして何より彼と食事するのが楽しみだから、私の歩幅は大きく早くなっていた。


 私とクレイさんじゃ釣り合わないけど、クレイさんを喜ばせることくらい出来なきゃ受付嬢としては失敗ね。それに何より、クレイさんにイーラ先輩は悪い人じゃないって伝えなきゃ!!


 私は張り切るために頬を軽く叩く。

今日彼と食事に行く目的は二つある。一つ目は単純に楽しみなのと、二つ目はクレイさんとイーラ先輩の仲をとり持つ目的だ。クレイさんはこの組合のお得意様。もし今日のことで気分を悪くして組合を変えたりしては、組合関係者の方に申し訳ない。


 それにいつもお世話になっているイーラ先輩に日頃の感謝として、彼との関係を修復するように私が計るのだ。


 そんな事を考える私は廊下を渡りきり、更衣室に入る、その手前で立ち止まった。目の前でイーラ先輩が仁王立ちしていたのだ。


 鋭い目付きのイーラ先輩は一言。


 「……あんた。ちょっとこっち来なさい」


△△△△


「そこのお前、少し話をいいか?」


 組合で一通りの用を済ませたクレイ・アルスタは椅子に座っていた男に声を掛ける。

すると男はこちらへ向き、一瞬驚愕した後、礼儀正しく座り直す。


「こ、これはこれはアルスタさん!

日々の活躍は私の耳に入っております」


「ほうそうか、それは嬉しいな」


 しかしクレイは顔色一つ変えない。自分が他の冒険者に声を掛ければ大体こういう反応を取るためにもう慣れたのだ。


 それよりも、


「受付嬢のソフィア・アルシオンは知ってるか?」


 何を聞かれるのか身構えていた冒険者は一瞬間抜けな顔をする。あまりにも自分が予想していた質問とは違ったためにだ。しかしすぐに返答する。


「えっ、はい。知ってますよ。

気立てが良くて可愛い、まだ配属されて半年の新人受付嬢のことですよね?彼女いいですよね〜明るくてなんていうか……」


「…………」


「ど、どうかされましたか?」


 超大物冒険者であるクレイが不機嫌な顔をしたため、男は怯える。

 

 実際は逆で、クレイにとってはソフィアのことが褒められるのは自分のことよりも嬉しい。が、同時に複雑な心境だった。それほどに彼女が人気だということで。


「いや、何でもない。

それで彼女を見かけなかったか?」


「そうですね……見てませんね。

もしかした退勤の時間じゃないんですかね?」


「そうか、なるほど。ありがとう」


 そう言ってクレイは男から離れ、考える。

おかしい、彼女の退勤時間は5時。そして今は5時半過ぎ。明らかに30分以上経過している。


 もし本当に退勤しているならば、組合内に姿を現すはずだ。先ほどそう約束したのだから。それなのに姿を見せない。一体何かあったのだろうか。


 不安を積もらせるクレイだった。


△△△△


 ソフィアとイーラは誰もいない部屋で対面していた。

 

「今日のことは気にしないでください。

確かにイーラ先輩の言う通り、私はまだまだ未熟です。ですのでこれからもっと必死に努力して、先輩方に少しでも追いつけるように頑張りますので、よろしくお願いします!」


「……」


「それとクレイさんの事ですが、私が上手い具合に橋渡ししておきますので、あまり心配なさらないでください」


「あんた……何か勘違いしてんじゃない?」


「えっ?」


 ソフィアは思わず固まる。

イーラが物凄い目付きで睨んでいたからだ。


「私があんたに申し訳なく思ってるって、あんたは本気で考えてるわけ?」


「ち、違うんですか……?」


「そんなことなんて全く思ってないわ。

あんたに謝罪の気持ちなんて一ミリもないわよ」


「……」


「そんなことよりも私が気になってるのは、どうしてあんたが彼に気に入られてるってことなのよっ!!」


「ちょっと、やめてください!」


 ソフィアはイーラに胸ぐらを掴まれる。そのまま勢いあまって壁にぶつかり、更には窓ガラスに頭を打つ。


 ソフィアの後頭部に激しい痛みが走った。


「い、いったぁ……」


「私のことを見向きもしなかったクレイをなんであんたなんかが気に入られてんのよ!?ペーペーのくせに良い気に乗ってんじゃないわよ!!」


 イーラはソフィアの胸ぐらを離さない。

それどころか凄まじい剣幕と共に彼女の身体を揺さぶっては負傷した頭を激しく揺らす。


「や、やめて……」


「この部屋に誰かいるの!?」


 そんな修羅場に退勤しようと服を着替えた受付嬢たちがやって来た。そして二人の姿を発見するやいなや、彼女たちは急いでイーラとソフィアを引き離す。


「ちょっと離しなさいよエレナ!」

 

「あんたは落ち着きなさい!!」


 3人がかりでイーラをやっと押さえ込む。

倒れているソフィアには二人が駆けつけて、心配するように顔を覗き込む。


「後頭部大丈夫かしら!?」


「すみません、かなり痛いです……。

うっ!!」


「これはまずいわね、早くギルド長と看護員を呼んできて!!ついでに回復のポーションも!!」


「分かりました!!」


 一人の受付嬢が急いで退室する。


「だから離しなさいっての!!

何であんたらはこんなガキの味方するの!?」


「やめなさい!!

とりあえずイーラを遠ざけるわよ!!」


 そうして3人はイーラを取り押さえつつ、別の部屋に移そうと少しづつ移動する。しかしイーラはそれに懸命に抗うと、あろうことか笑った。


 思わずソフィアは鈍痛に耐えながらイーラを見る。


「何がおかしいんですか!?」


「あんたに一つ良いこと教えてあげるわよ!私はね、いや私たちはね、あんたのことが嫌いだったのよ!!」


「えっ、何を言って……」

 

 言っていることが理解できず、ソフィアは痛みすら忘れかけて頭を真っ白にした。


 それと共に焦るように苦い表情になった者が4人。ここにいる受付嬢たちだ。


「良いわねその表情、最高よ!!

仕事を多く任されて期待されてるって思ってたでしょ!?その逆よ!!あんたのことが嫌いだから皆んなが仕事を押し付けてたのよ!!あははは……!!」


「ちょっ、ちょっとイーラ黙りなさい!!」


 焦ったエレナが口を塞ごうとするが、イーラは必死に抵抗を続け、話を続ける。


「あんたがいない時の休憩室ではあんたの愚痴で盛り上がってたわ!!そうよねエレナ!?」


「い、イーラ静かに!!」


「……」


 嘘だ、嘘だ。そんなことは違う。


 ソフィアは頭を振って否定する。

激しい痛みが襲って来るが、我を忘れてソフィアは頭を振り続ける。


 そうしないと心が保てない気がして。


 嘘だ、そんなことなんてありえない。先輩は私に優しくしてくれた。だって私に……。


 私に何かしてくれたっけ……。


 何も浮かんでこなかった。

それどころか今日の昼にクレイに言われたことがソフィアの頭をよぎる。


「お前はあいつらに仕事を押し付けられてないか?仲間はずれにされていないか?」


 そんな言葉が頭をクルクル回っていく。


 先輩たちは私に期待しているから多くの仕事を任せてくれている。


 今までの自分はそう信じて揺るがなかった。だが果たしてそれは本当だったのだろうか。


 思えば他の人よりも朝早くから出勤し、昼休憩はほとんどなしで働き、夜遅くまで働き続けた。それこそ自分が早く帰りたい時でも、残業だってやらされていた時があった。


 これが期待されていた者の扱いなのか、可愛がられていた者の扱いなのか。


 どちらかというと使い潰されているようにしか思えない。


 それに毎日の助言も本当に助言だったのか。まだまだと言いつつ、足りないことは具体的に教えてくれない、憂さ晴らしのように叱られる。果たしてそんなものが助言と言えるのだろうか、気に入らないから八つ当たりしているだけではないのか。

 

 ソフィアの顔色からどんどん血の気が引いていく。


「嘘だ嘘だ嘘だ…‥」


「ソフィア、大丈夫!?」


「ハッハッハ!!どう?信じてた人に裏切られる感想は!?」


「イーラ、いい加減に……!!」


「何言ってんのよエレナ。

あんただって今日のお昼に今回の道具はどれくらい持つかな?使い潰し過ぎないで、って嬉々として言ってたじゃない!!」


「……うっ、そんなこと……!」


「ここにいる残りの奴らだって、何であの女如きがアルスタ様に好かれてるの?だとか、ソフィアっていじめたくなっちゃう顔つきだよね、とかソフィアって出鱈目言っても信じて喜んじゃうからバカよねとか言ってたわ!!」


「……嘘だっ、嘘だよね?」


「い、イーラ黙なさいっ!!」


「う、嘘ですよね?エレナさん……」


「っ…………」


 涙目ながらにソフィアは必死に訴えるも、エレナは何も答えない。それどころか顔に罪悪感を滲ませている。それが雄弁に物語っていた、何が真実なのかを。


「エレナさん、何で否定しないんですか!

嘘って言って下さいよ、嘘って!!

私は騙されてたんですか!?私はあなたたちのことを本当に尊敬してたんですよっ!!」


「……ご、ごめんなさ……」


 エレナは誰にも聞こえないような声で呟く。そんな彼女の代わりにイーラが叫んだ。


「ハッハッハ!!あんたの仲間なんて誰もいないの!あんたの尊敬する先輩なんて単なるゴミどもばっかなんだから!!ハッハッハ!」


「何かあったか!?」


 組合内の警備兵やギルド長が到着する。

そしていくつか事情を聞いたギルド長は暴れるイーラを押さえる警備兵と共に姿を消した。


「……………」


 部屋に残ったのは涙でボロボロになったソフィアと下ばかり向き続ける5人の受付嬢。

もはや彼女たちがソフィアにかける言葉は何一つとしてなかった。


 そのまま地獄のような時間が沈黙と共に過ぎ、やがて1人が動きを見せた。それはソフィアだ。彼女は死んだような雰囲気と共にドアへ向かう。そして振り返った。


「ソフィア違うの!!

あれはイーラの戯言なんだからっ!ねっ?

そういえばソフィアってスイーツが好きだったわよね?今度一緒に……」


 次の瞬間、エレナはもう何も喋れなくなった。こちらを見てくるソフィアの瞳が氷さえ凍てつくような軽蔑の色を湛えていたためだ。


 そしてどこまでも冷酷に、


「今、イーラ先輩の気持ちが分かりました。

人を恨む感情ってこれほどなんですね。私はもう二度とあなたたちの顔を見たくありません」


 そう言って彼女は姿を消した。

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