第1章 イヴ王子[Lux-race]②

 美味おいしくできたパンプキンパイとハーブティーをお供に、あごが痛くなるほど四人でおしゃべりをして、もう夕方です。

 思ったよりもずっと楽しく、私もふくめてまるでずっと友達だったかのように親しんでいるイヴは、とても一の大国の王子様には見えません。まだ子どもだからここへ来ることも許されているのでしょうか。いずれは許されなくなる、それは例の婚約者とのけつこんを境に──ということでしょうか。

 王城へ帰るイヴを見送りに、四人でげんかんへ向かいます。

 夕日が玄関のとびらまぶしく照らしていました。遠くではしようろうかねがいくつも鳴り、まもなく夜がやってくると王都中へ知らしめています。

「ごちそうさま、ミセス・グリズル」

「はい、おまつさまでした。暗くなるから、まっすぐ帰ってくださいね」

「はっはっは、もうイヴ様も十三歳だ。いつまでも子どもあつかいしてはいけないよ」

 あらいやだ、とミセス・グリズルは笑います。イヴは不服そうですが本当にげんというわけではなく、私へ顔を向けたときにはころっと表情を変えて、嬉しそうに、ちょっとさびしそうに、こう言いました。

「エスター、お前と話すのは面白かった。またな」

 晴れ晴れと、イヴはそう言って帰っていきました。その様子を見ていると、どう見たって王子様ではなくて、年相応の愛らしい少年です。密偵とか、こんやくがどうとか、そんな話は関係なさそうなのに、なぜ運命は彼をのがさないのか、と思ってしまうくらいに。

「やれやれ、イヴ様もすっかり大人になられたなぁ。アマンダじようとの見合いの前日など、行きたくないとをこねてここのクローゼットにかくれていたのに」

「本当ですねぇ。おたがいどうも不満なら、結婚もやめておいたほうがよさそうなものですけど」

 ミセス・グリズルと先代ブレナンテはくしやくろうを歩きながらわす会話に、私は耳をかたむけます。

 イヴは、プレツキこうしやくれいじようをあまりよくは思っていないのかもしれません。少なくとも、親しいあいだがらにあるミセス・グリズルと先代ブレナンテ伯爵でさえ分かるくらいに、です。

 私はつい、口をはさんでしまいました。

「やめられないのですか? 聞けば、プレツキ公爵令嬢もテネブラエにつけ込まれるくらいには、イヴ様との結婚をいやがっているようですが」

 うーん、と二人はうなっています。とりあえず、とリビングのソファに連れていかれて、先代ブレナンテ伯爵は私へ説明をしてくれました。

「何といっても、先代国王陛下が……ああ、これはエスター嬢の母君の悪口を言うわけではないのだが、十五年ほど前にオーレリアを王城から追放したことで王家がめに揉めて、それが遠因で先代国王陛下は退位してしまったほどだったのだよ」

「そ、そんなにですか。母は一体何を」

「いやいや、オーレリアは何も悪くない。むしろ、がいしやだ。王城で働いているとき、ぐうぜんにも当時の第二王子ユーグ殿でんとアフリアこうしやくれいじようとの密会にそうぐうしてしまって、それをさかうらみされて圧力をかけられ、めさせられてね」

 その話に、私は、ぜんとしてしまいました。そんな理由で母が王城を辞めさせられたなんて、信じられません。

「王城を辞めて、それから父と出会ったとしか聞いていませんでした」

「まあ、別に言いらすことでもなし。オーレリアはド・モラクス公爵閣下とは馬が合って、結婚まで上手うまくいったようだから、王城でのことなどどうでもいいだろう。私もそう思うよ」

「はあ、なるほど」

「とはいえ、貴重な光魔法、それも王城全体を照らせる使い手をとつぜん辞めさせた王城は大混乱してね。さいしよう閣下が差配して今では光魔法なしでも何とかなっているが、その分、王家は宰相閣下に頭が上がらなくなった、というわけだ」

 お母様、自覚はまったくなかった、というか当時は想像もつかなかったのでしょうが、めぐり巡って色々な因果が生まれていたのですね。結果的にリュクレース王国王城は光魔法を失い、国王さえも宰相閣下に逆らえなくなり、さらにはド・モラクス公爵家には子どもから見ても仲のよいふうが生まれた、と。

 運命の悪戯いたずらとは、かくもに、かくも可笑おかしいものです。私はちょっと学びました。

「ド・モラクス公爵領は政治的にも経済的にも大規模で、半ばリュクレース王国から独立しているようなものだ。それだけの大貴族のはんを招くわけにはいかない、幸いにしてド・モラクス公爵家はそのようなつもりもなく、しかししよこうえいきようが出ないとも限らない。だから、せめて王家のばんばんじやくにするため、二番手のプレツキ公爵家と王家のつながりを作っておきたい、という国王陛下や宰相閣下のおもわくなのだろう」

 政治おんの私の考えが当たっているとも思わないがね、と先代ブレナンテ伯爵は付け足します。

 あの宰相閣下の胸中など私だってくなんてできっこないので、何かしんぼうえんりよがあるのでしょう。こんやくうんぬん、それはまあ、今考えてもしょうがないのでいいのです。いいのですが──私が今気になっているのは、先代ブレナンテ伯爵です。

 母が王城を辞めさせられたけいを、当時の母の上司であった先代ブレナンテ伯爵は、おそらくどうすることもできず、今でもやんでおられるのでしょう。それがどうにも、私は気になって、心配で、何とかしたい気持ちにられました。こんなにも母へ負い目を感じたまま、このご老人は十五年以上も悔いているのです。

 だから私は、少しでも先代ブレナンテ伯爵が救われるよう願って、私が知っているかぎりの、母の実家と我が家の話をすることにしました。

「父と結婚したことで、母は実家のロスケラーだんしやく家を保てると思っていたのですが、当時のロスケラー男爵である母方の祖父と伯父おじがもう爵位はいらない、と家を潰すことを決めて、母を自由にしたそうです。だから、母だけが貴族で、母方のプレヴォールアー家は平民、というちぐはぐなことになってしまって。でも、そのおかげでプレヴォールアー家も王都にとどまる必要がなくなり、ド・モラクス公爵領に引っして、祖父と伯父は警察官を続けていたのです。高い税や貴族のていさいを保つための費をはらわなければならない王都よりはずっと暮らしやすい、と祖父はよく言っていました」

 プレヴォールアー家はド・モラクス公爵家のえんを受けることなく、独立して生きていくその道を選びました。家のためにと働いてきた母のため、これから幸せになる母のため、そういう決断にみ切ったのです。

 その決断は、きっといいことだったのです。だって、私はたまにプレヴォールアー家を訪ねますが、みな幸せに、じゆうじつした日々を送っています。母も、父や私たち家族とともにいられて幸せだ、と言っていました。母が王城を辞めさせられたことは、悪いことばかりではなかった、わざわいを転じて福となし、いい未来を切りひらいたのです。

 それを、私はこうかいの念にとらわれた先代ブレナンテ伯爵に伝えたいと思いました。

「そうか……それなら、いや、やはり私は、オーレリアとその家族のきゆうじようを知っていながら、助けられなかった」

「お気になさらず。母は、結果的には父とともに幸せなのですから、だいじようです! 私も母のように運命の人と出会いたいものです!」

 私はせいいつぱい、元気に、本当にそう思っていることが伝わるように、うつたえます。

 ミセス・グリズルがうなずいてくれました。

「そうよね、そうだわ。エスターちゃん、おうえんしているわね!」

 先代ブレナンテ伯爵は──どことなく、表情が明るくなった気がします。少しでも、その心が救われてくれれば、と私は願ってやみません。

 それはさておき、私は自分の今の運命をり返ったとき、こう思うのです。

「なのになんで私はテネブラエをつかまえるなんてことに協力することになっているのでしょうか……」

「まあまあ、こいに障害はつきものよ。これが終われば、宰相閣下がどこかの貴公子をしようかいしてくださるかもしれないわ」

「うむ、そうだね。期待していていいと思うよ」

「はーい、期待します」

 本当に、期待だけはしたいです。

 話をそこそこに切り上げ、私はミセス・グリズルと夕食のたくをすることにしました。



 二日後、イヴがブレナンテはくしやくていにやってきました。何やら書類のまった箱を持ってきています。それが、イヴが無理を言ってミセス・グリズルの伝手つてで持ってきた王城の機密文書の一部だと分かると、何だか私はきんちようしました。どんなものなのでしょう。

 リビングのテーブル上に整然と広げられていく書類の表紙には、『機密スクレ』とか『論文トウリーテイス』とかいくつも赤い判子が押してあります。ただ、二重線が入ったものばかりで、すでに機密指定が取り消されたもののようです。国家機密に触れる、とわくわく身構えていたのに、なんだかかたかしをらった気分です。私、勝手に期待して勝手に落ち込んでいますね。しょぼん。

「実はね、二年前、私がニュクサブルクにせんにゆうしていたとき、機密指定の最新の論文を入手したのよ。それがテネブラエのとくされたれんらく手段を解読する手がかりになった、というわけ。正直、リュクレース王国はあまり科学技術が進んでいるとは言えなくて王城の研究者たちもさっぱりで、その後シャルトナー王国の協力者のおかげで多少は理解できた、らしいわ」

 ミセス・グリズル、さりげにみつていらしいお話をしてくれています。私もイヴもひそかにせんぼうまなしです。

 とはいえ、論文をぱっとわたされて、これではいけないと気を引きめます。ただ、私は表紙をめくろうと思って、どうにも難解な単語──それも外国語──がいくつも並んで指を動かすことを躊躇ためらってしまいました。

「これが……うーん、私もあまり頭がいいほうではないので、読めるかどうかも」

「貸してくれ」

 イヴの求めに応じ、私はすぐにイヴへわたします。助かった、と内心ほっとして。

 すると、イヴはあっさりとページをめくり、ばやく目を通していました。慣れた本を読むかのように、どんどんページが進んでいきます。

がい線、特定の波長の光を受けてけいこう反応をする物質、その光の照射によってこうするじゆ……そんなものがある、と」

 イヴはそうつぶやきながら、最後まで読み終えてしまいました。

 まさか、そんなに簡単に読んでしまわれるとは。もしかして、ここにいる三人のうち、読めないのは私だけでしょうか。そんなはずはないと信じたいです。

 何とか話に置いていかれまい、とあわてて私は質問することにしました。

「紫外線、ってなんですか?」

 私の問いに、イヴはすらすらと答えます。

「太陽の光には、紫外線というある波長の光もふくまれている。この種の光は強いさつきん作用があり、人体にも少なからず影響をあたえている」

 イヴ様、その説明で私が分かるとでもお思いでしょうか。分かりません。申し訳ございません、私はみなさまの予想よりだいぶ頭の悪いむすめなのです。ただし、その降参文句を口に出すことは私のなけなしのプライドがしたので、何とか平静を保とうとします。

「待って、イヴ様、もしかしてとても頭がおよろしい?」

「なんだその表現は。別に、家庭教師をやっているシャルトナー王国出身の若い科学者に教わっただけだ。こういう勉強はきらいじゃないから……それだけだ」

 イヴはけんそんします。実際にそうだとしても、科学技術の発達していないリュクレース王国でそれで理解できるのは、ひとにぎりの人間だけですよ。その才能は、王子にしておくにはもったいない気がします。

「というか、お前のあの文字を光らせる光、あれも一種の紫外線だぞ」

「えっ!?」

 何と、私も『紫外線』というものを発していたようです。光ほうはそんなこともできるとは、王都に来てから私程度の光魔法でも悪戯以外に使えたというしようげきの事実を何度もきつけられます。

 しかも、イヴはちゃんと私のあのほの暗い光とかぶ光る文字について、調べようと思い立ったようなのです。

「あれから王城で科学者に聞いて、調べたんだ。お前の言ったとおり、シナモンなどに含まれる成分は、特定の条件下で光を受けると蛍光反応をするらしい。ただ、その特定の波長の紫外線を人工的に照射できる照明器具は、今のところリュクレース王国にもシャルトナー王国にも存在しない。ニュクサブルクの機密指定の論文、これに何か手がかりがないかと思って、もう一度精査してみたかったんだ」

 ははあ、なるほど。私とミセス・グリズルはすっかり、イヴのねんれいに見合わぬ知識とに感心します。単純な頭のよさではなく、こうしんから知って考えることにつなげることができる、それを人はかしこいと言うのでしょう。

 とはいえです、賢くない私でも、疑問に思ったことがあります。

「あれ? じゃあ、テネブラエはどうやってあの文字を読んだのでしょう?」

 それはごくごく根本的な話です。文字は読めて伝わらなければ意味はありません。紙に書いた文字をつうの手段では読めなくする、なら解読するための手段が必要です。それは私のふうした光魔法だったり、リュクレース王国やシャルトナー王国にさえ存在しない技術で作られた道具だったり──後者はちょっとぼうけん小説の読みすぎでしょうか。

 しかし、ある種専門家であるミセス・グリズルは、その私の疑問と考えを否定はしませんでした。

「普通に考えれば、ニュクサブルクの新技術か、テネブラエはエスターと同じ光魔法の使い手なのかもしれないわね。それ以外となると、現状、私たちの想像をえているし、そこまでとつなものまでこうりよしなければならないというのは、現実味がないわ」

「まあ、この論文によれば、技術的には確かめる方法自体はあるようだ。ただ、こんせきを残すことを嫌う密偵が使うほどのものが、どのようなものか……そこまでは分からない。そんな高度なものがあるなんて、うらやま」

 うらやま、なんです? なんて言いました、イヴ様?

 私とミセス・グリズルの視線からのがれるように、何事もなかったかのように、イヴはこほん、とせきばらいをして顔をそむけました。顔がじやつかん赤らんでいます、可愛かわいいですね。

「とにかく、見えないインクで書いた紙を使って伝達を行う方法が実在する、ということは確実で、ニュクサブルクはそれを使っている。それがさいしよう閣下の見識やエスターちゃんの魔法以外の知識でも、確定しているってことね」

「ええ、私や兄のほかにもそんなことを考える人たちがいるのですね。びっくりしました」

 私の言葉に、ふふっ、とミセス・グリズルは笑っていました。私としましてはジョークのつもりはなかったのですが、そう聞こえたかもしれません。

 そうこうしていると、イヴがごういんに話を終わらせます。

「まあいい、このことはこれ以上ここで考えても分からないだろう。しかし、十分に知識を得てなつとくはできた。それでいい。テネブラエかくに協力するお前の役にも立てばいいが」

 イヴはさらりと、自分の興味だけでなく、私への手助けでもあったことを明かします。

 イヴはミセス・グリズルの伝手で王城でも機密だった外国の論文を入手し、今回の事件のキーである見えないインクで書かれた文字に関する仕組みを知り、私へ伝えた、ということです。確かに気になりますし、いちいちそんなことをウォールドネーズ宰相閣下やいそがしい密偵の方々に聞くわけにもいきませんから、大助かりです。もしかすると私でもそういった情報を理解していれば何か気付くことがあるかもしれません。イヴ、その説明のためにわざわざここまでしてくれた、というはいりよはすごいです。気配りのできる王子様です。

「じゃ、この話はおしまい。二人はお買い物に行ってきてね、これがおつかいリスト」

 計ったかのように、ミセス・グリズルは私へメモを一枚、それとぜに入れを渡しました。街のベーカリーで午後三時に焼き上がるパン詰め合わせ二ふくろ、と書いています。

「えっと……パンですね、承知いたしました」

 私はおつかいに行くくらいなんともないのですが──なぜか、メモをのぞき見たイヴが、しかめっつらをしていました。

「ミセス・グリズル」

「なぁに?」

 いつしゆん、二人の間に火花が散ったような気がします。微笑ほほえむミセス・グリズルと顔をしかめるイヴ、その視線が合わさり、そしてイヴが頭を横にりました。

「いや、いい。行くぞ、エスター」

「はい!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

公爵令嬢エスターの恋のはじまり 王子様は私のよわよわ光魔法をご所望です ルーシャオ/角川ビーンズ文庫 @beans

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ