第1章 イヴ王子[Lux-race]①

 王都でたいざいする場所は、ウォールドネーズ宰相閣下のおっしゃったとおり、ブレナンテはくしやくていです。統治する土地を持たないめい的な貴族であるブレナンテ伯爵家は、代々王都につつましやかに暮らしていました。

 なので、伯爵邸とは言いますが、王都の住宅地の一角にあるただのいつけんです。我が家とは比べるべくもない、普通の家です。少しばかりほかの家よりは大きいものの、貴族の邸宅と教えられるとひようけするような、ありふれた家です。何かこう、王都への期待とか、そういうものがこわされた気がします。ブレナンテ伯爵邸が悪いわけではないのですが、はい。

 昨日の夜、このブレナンテ伯爵邸にやってきた私は、つかれていてそのまましんしつに案内され、ねむりにつきました。私を案内してくれた通称『ミセス・グリズル』、現ブレナンテ伯爵夫人グリズル・アルブレヒト・ブレナンテは、私を温かくむかえ入れ、ベッドと毛布ととんの間にほうり込んで、おやすみなさいとやさしく声をかけてくれました。ウェーブのかかったくろかみをまとめ、伯爵夫人というよりも働き者の商家の女主人のような、テキパキとさっぱりしたふんの女性です。私にとっては貴族よりもみのあるタイプの方で、安心できます。

 朝、起き出した私は、しよくたくにあるティーポットから注がれるうすい緑色の液体──お茶でしょうか、その正体をたずねます。

「ミセス・グリズル、これは何ですか?」

 すると、ミセス・グリズルは楽しそうにおしゃべりします。

「ああ、これはね、イヴ様のお好きなハーブティーよ。実はね、イヴ様はよくうちにも来られるのよ」

「え? 王子様なのに?」

「私の夫の父、義父の先代ブレナンテ伯爵がイヴ様の教育係の一人だったのよ。誠実な方でね、王家のしんらいが厚かったの。イヴ様は義父をたよって、というか遊びに王城をけ出して、ここでよくお茶会をしているというわけ。王城は何かと息がまるようなの」

 なるほど、ウォールドネーズさいしよう閣下が私へここをしようかいしたのは、ミセス・グリズル以外にも先代ブレナンテ伯爵、そしてそのつながりでイヴリース王子殿下と知り合えるように、ということだったのです。

 一人得心がいって、私はハーブティーをごそうになります。ミセス・グリズルはあわててオーブンの前にもどり、グラタンの焼き加減を見ていました。

「今、先代ブレナンテ伯爵はどこに?」

「引退してからはこうがいに畑を買って、そこで毎日野菜を作っているわ。日ものぼらないくらい朝早くからね」

「へぇ、てきですね。うちの庭にも、子ども用の小さい畑があって、兄とどっちが大きなキャベツを作れるか、って競争していました」

「ド・モラクスこうしやく家は自由でいいわね。あ、いやじゃないわよ。やっぱり、イヴ様もそういうことを経験したほうがいい、って義父も言っていたし、子どもはのびのび育つべきよ。それに比べて、うちの子ったらちょっと頭がいいからって夫に連れられてシャルトナー王国へ留学させられちゃって……可愛かわいい盛りなのに、いつしよにいられないのはつらいわ」

 はあ、とミセス・グリズルはため息をきます。昨日ウォールドネーズ宰相閣下から聞いた話では、現ブレナンテ伯爵は外交官だとか。ウォールドネーズ宰相閣下の方針で、最近は子女の外国への早期留学がすいしようされているらしく、ブレナンテ伯爵は任地へ、留学名目で子どもを連れていったのだとか。でもミセス・グリズルはウォールドネーズ宰相閣下からいつしようしゆうがあるか分からないし、先代ブレナンテ伯爵など家族を放っておくわけにもいかず、ついていけなかったそうです。

 うーん、子どもが母親とはなされるというのは、いちがいにも言えませんが、母親にとってはつらいことでしょう。片や、子どもは親の目のないところでのびのびと育つこともあるでしょうし、まあ、なんともですが。

 熱々のグラタンをやわらかな朝日の差し込むダイニングでいただく、というゆうな朝食が済んで、食卓でくつろぎながら、ミセス・グリズルと他愛たあいのない話をしていたときでした。げんかんのほうからがさがさとさわがしい音がして、おーい、と家の中へ呼びかける老年の男性の声がしました。

 ミセス・グリズルはすぐに立ち上がります。

「あ、帰ってきた。はーい、今行きます」

「私も」

 ブレナンテ伯爵家のだれかが帰ってきたようです。私もミセス・グリズルの後ろにくっついて、玄関へ向かいます。

 ミセス・グリズルによってばやく玄関のとびらが開かれると、両手いっぱいに青菜やハーブをかかえたハンチングぼうの初老の男性が、おや、と目を見開いていました。ズボンのすそくつには土がついていて、一見して庭師かと思ってしまいました。

「おお、その子が……オーレリアのむすめさんかい?」

 母の名を出されて、私は反応します。

「はい、オーレリアの娘、エスターと申します。母のことをご存じなのですか?」

「もちろんだとも。一緒に王城で働いていた仲だ、とはいっても彼女はめさせられてしまって、私は上司なのにオーレリアを守れなかったが」

 王城で働いていた、母の上司。ああ、この方が先代ブレナンテ伯爵でしょう。こうかいの念をあらわにしたその様子に私はなんだか、胸がめ付けられます。ご老人がやむ姿というのは、とても悲しくなってしまいます。

 その雰囲気を破ってくれたのは、先代ブレナンテ伯爵の後ろにいた少年でした。

「先生、そんな話は後にしてください。後ろ、つかえてます」

 先代ブレナンテ伯爵を先生、と呼んだ私と背が同じくらいの十二、三歳程度の少年──灰色がかった毛先に、こげちや色のかみをした、利発そうな男の子です──は、生意気にもそう言いました。

 先代ブレナンテ伯爵はすぐに顔を上げ、後ろの少年に謝ります。

「おお、すまないね、イヴ。かぼちゃは台所に運んでくれ」

「分かりました」

 イヴ、と呼ばれた少年はその手にオレンジ色の小さなカボチャがいっぱいに入ったかごを持っていました。お祭りで使うような大型のカボチャとちがって、甘味があって美味おいしいカボチャです。

 私たちの横を通り、イヴ少年はさっさと中へ入っていってしまいました。それを見ていた私は、はっと気付きます。

「イヴ? もしかして、あの子がイヴリース第一王子殿でんですか?」

「そうだよ。どうやら、ずかしがっているようだ」

「はあ、そうなのですね」

 少々生意気でぶっきらぼうなのは、恥ずかしいから、なるほど、そうなのかもしれません。多分ですが、先生と呼ぶほど親しい先代ブレナンテはくしやくが落ち込まれていたから、イヴリース王子殿下ことイヴはじようきようを打開しようと、気をつかったのでしょう。遣い方がいまいち不器用だったのは、まだお年が若いからでしょうね。

 なんだか、悪い方ではなさそうで、私は安心しました。が、よく考えれば宰相閣下と初めて会った昨日も同じことを思った気がするので、やはり用心しなければ。

 などと思いつつ、ミセス・グリズルが先代ブレナンテ伯爵とハーブ類を仕分けしている間に、手持ちな私は台所で小さいカボチャをきんいているイヴへ話しかけます。

「こんにちは、イヴリース様」

「ん。お前がエスターか?」

「はい。短い間ですが、よろしくお願いいたします」

「分かった。パンプキンパイを作るから、お前も手伝ってくれ。あと、イヴでかまわない」

「はい、承知いたしました」

 なめらかに話の流れで、私はパンプキンパイ作りのお手伝いをすることになりました。こう見えて私、料理はできるのです。太めの包丁を受け取り、分厚いまな板の上でカボチャを両断していきます。

 それを見てか、イヴは感じ入ったようにこう言いました。

こうしやくれいじようなのに、包丁が使えるのか……」

「そうですね、父のために私と兄は色々やりましたから。ああえっと、私の父は光に弱く外に出られない体質で、私と兄は外でおもしろかったものなどを父に伝えるために、作った野菜を見せたり、一緒に料理を作ったり、あとは光ほうを使ったゲームをしたり」

 思えば、私は何一つ公爵令嬢らしくないですね。鉄製のスプーンでカボチャのわたを取りながら、子どものころの思い出の中を探しますが、公爵令嬢らしいおくというのはまるで存在しませんでした。その原因は、ほかの貴族とかかわりが薄く、必要以上にかざって貴族らしくする必要がないド・モラクス公爵家特有の事情にあるので、ただ悪いわけではないのですが。

「とはいってもですね、あまり年の近い他の貴族令嬢と会ったことはなくて、友達もいないのですよね……母が言うには、他の方に比べて、私は貴族令嬢らしくないそうですが、よく、分かりま、せん!」

 どがん、と音を立てて包丁はまな板にり下ろされ、カボチャは次々下準備を終えられていきます。となりにいるイヴが勝手知ったるとばかりに蒸し器の用意をしていました。こちらも王子らしからぬ方ですね。仕方ありません、私は他人のことは言えないのです。

「種は天日干ししていためるから残しておいてくれ」

「イヴ様もし上がるのですか?」

「先生がよく作ってくれるんだ」

 私とイヴは、下ごしらえしたカボチャをし器に並べ、蒸し上がるまでカボチャのわたから種を取り出す作業に取りかりました。干してからって種を割って中身を出して、オリーブオイルとしおしようで炒めるのです。世話になっていた庭師たちがおやつに食べていたのを、私もつまみ食いしていたので、その味は知っています。こうばしくてカリカリとして、ひまわりの種と並ぶくらい美味しいのです。

 それをまさか、リュクレース王国の王子様まで食べていたとは、世界は思ったよりもせまいなぁ、などと私はしみじみします。ただそれは、イヴも同じだったかもしれません。公爵令嬢がカボチャの種を食べるのか、と思ったに違いありません。

 しかし、イヴはそんな変な公爵令嬢に親近感がいたらしく、料理をしながら話しかけてくれるようになりました。

「なあ、エスター」

「はい、何でしょう?」

「お前は光魔法の使い手で、それでテネブラエのとくしたれんらく手段を読めるから王都へ来た、と聞いたが」

「ハイマアソウデスネ」

 私は自分からどうしても来たくて来たわけではないですが、そのにんしきちがっていませんので否定しません。

「そうか……お前にも、苦労をかけているんだな」

「えっと、そうかもしれませんが」

「本来ならこんやく者を守るために、俺が主導してことの解決に当たるべきだが、今の俺には権力らしいものもないし、ウォールドネーズからはねんれいを理由に危険から遠ざけられるだけだ。そもそも、王子が甲斐がいないからそんなくわだてをされるのだろうし……いや、それでも、できることはしたい、もし俺にも協力できることがあれば言ってほしい」

 イヴは料理ではなく、私をえて、そう言いました。

 イヴはリュクレース王国の第一王子です。それ相応の自負はあり、だけどまだたったの十三歳ですから、何もできないも同然です。政治にせよ、社交にせよ、力不足はいなめません。

 それでも、解決のために何かがしたい。イヴの中の王子としての責任感は、しっかりとそこにありました。

 ただ、イヴにも十三歳らしいところはあります。

「あと、国の危機を前に、こんなことを王子が言ってはいけないとは思うんだが」

 しんけんに、何を言う前置きなのだろう、と私はイヴの言葉を待ちます。

 そして出てきた言葉は、こちらです。

「……みつていテネブラエ、って何かこう、かっこいいよな」

 しばしのちんもく、私は完全に理解しました。

 密偵、まるでぼうけん小説に出てくる女スパイ、推理小説に出てくるかいとう、そういうものは大衆にとってミステリアスで、まるで異世界の人間のようで、子どもからすればあこがれさえもいだく存在です。それは──実は、イヴと同じく、私もちょっとそう思っていました。なので、正直に告白します。

「密偵ってひびきが、なんというか、私、王城で初めて耳にしましたが、ちょっとそう思いました。さいしよう閣下の手前、絶対言えませんが」

「そ、そうだよな! 密偵、か。ミセス・グリズルもそうだったらしいんだが、あまり話を聞けていなくて」

「聞きましょうよ、面白いですよ、きっと!」

「うん、今度、聞こう。でも、見えないとくしゆなインクで書かれた紙か。そんなものがあるなんて」

 年相応に、イヴは興奮気味に語ります。それを見ていて、私はそれならば、と悪戯いたずらを思いつきました。とはいっても、昔やったばんせんじです。

 台所のたなから、スパイスびんを探します。シナモンスティックを一本、近くにあったレシピ用のメモ用紙を一枚、それぞれ拝借して、台所のテーブルに置きます。コップに水をんで、シナモンスティックのはしらしました。

 それを、イヴは何も言わず、明らかにきようしんしんに見ています。私はマジシャンのように、格好つけてシナモンスティックを持ちました。

「水に濡らしたシナモンで、紙に文字を書きます」

 さらさら、と水で『YVEイヴ』と大きく書いてから、私は右手をまだわずかに濡れた紙にかざします。

 ほの暗い光が、文字を照らし出します。白っぽく、『YVEイヴ』の文字がやっと読み取れるくらいにぼやけて光っていました。

「はい、できました。そくせきなのでせんめいですが」

 イヴは目を見開いて、マナー講師におぎようが悪いとしかられそうなほど喜んで、あたふたしていました。

「光った! ど、どういうことだ? シナモンを光らせたのか?」

「いえ、ずっと昔に兄と遊んでいて見つけたのですが、シナモンや桜の葉には、見えるか見えないかくらいの暗い光を当てると光る成分があるらしくて、私程度の光魔法でもこういう遊びはできるのです。えへん」

 私は鼻高々です。子どもだましの悪戯とはいえ、ウォールドネーズ宰相閣下にもめられましたし、特技にしてもいいかな、とさえ思います。今までは十分に光魔法を使いこなせる母と兄のせいで、私は自分の光魔法の非力さに不満たらたらでしたが、ほんの少しのふうだけでこうも喜んでもらえると、すっかり価値観が変わってしまうほどうれしいのだと、私は考え至りました。

 そんな改心した私はさておき、イヴはやっと落ち着いて、本題にもどりました。

「なるほど、このためにお前を呼んだのか」

「らしいですよ。どうせなら兄を呼んでくれればよかったのに」

「なぜ呼ばれなかったんだ?」

「多分ですが、兄はけんじゆつ鹿なので、たのみごとそっちのけで王城中のに戦いをいどむからじゃないでしょうかね。一度だけ、手合わせの際に光魔法でくらましをしたものだから、剣術の先生にしこたまおこられていました」

 ド・モラクスこうしやくちやくである私の兄、レナトゥスはたぐまれなる剣術馬鹿です。私のふたの兄なのですが、昔から時々家出して騎士に戦いを挑んだり剣術を習ったりしては家に連れ戻される、というほうとうっぷりを発揮していました。しょうがないので父が剣術の盛んなクエンドーニ共和国から剣術の達人をしようとして招いて、今は大人しく訓練に明け暮れていますが、その師匠に勝つためにと剣を盛大に光らせて挑みかかったため、本気になった師匠に無様に負けた挙句に思いっきり叱られていました。それ以来しゆくはしていますが、いつみようなことを思いついて光ほうを悪用するやら分かりません。

 そのことを話すと、イヴは笑いをこらえきれない様子でした。

「ぷっ……お前の兄、おもしろすぎないか」

しようの兄ながら、はい」

 よほど、イヴの笑いのツボに入ったのでしょう。イヴはじようげんで、したカボチャをくりぬいてつぶしながら、ずっとしゃべっていました。今日初めて会ったとは思えないほどきよが縮まっていて、私もかいです。

 よかったねお兄ちゃん、公爵令息らしからぬしょうもない兄だと常々思っていましたが、こんなことには役に立つようで何よりです。

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