序章 光魔法の使い手[Ester]

 光あれ、と神様は言いました。

 世界が明るくなったのはそれからあとのことで、魔法によって光を生み出せる人のことを──神様の祝福を得ているだとか、巫女みこや聖女だと持てはやした時期もあったと聞いています。

 でも、光るだけの魔法というのは、やっぱり火や水を生み出せる便利な生活魔法、かいこんや建築にも使える土の実用的な魔法といったものより、優先順位は低くなっていきました。今では光魔法の使い手は大きな城やきゆう殿でんの照明係です。おうこう貴族にとってはやとっていること自体がステータスですが、そんなことはいつぱんしよみんにはほとんど関係ありません。

 ただ、今現在となっては、少なくともリュクレース王国の王族の間では、そんなことさえも忘れ去られていたようです。大陸の一の大国である以上、光魔法の使い手なんて全土を探せば実はそこそこいるのかもしれません。でも、とある事件によりそのにんしきは誤りだと知れわたり、王様はとてもはじをかいてしまったそうです。




 それが私の生まれる前、ざっと十五年前のことです。

 申しおくれました。私、エスター・ド・モラクスと申します。

 父はド・モラクスこうしやくモルガン、公爵夫人である母は光魔法の使い手オーレリアです。母はちょっとした有名人で、昔は王城中の明かりをともしていたほど力も技量もある光魔法の使い手なのです。えへん。

 まあ、私は母ゆずりのブラウンのかみと目の色と同じく、一応光魔法を使えるのですが、母にはおよびません。せいぜいが悪戯いたずらに使えるくらいです。生まれつき外に出られない父をおどろかせようと、ふたの兄と散々遊びに光魔法を使ったのでに器用なのですが、どうにも出力が足りなくてぴかっと明るい光が出せません。一方で、兄はけんじゆつに光魔法を取り入れてくらましをしておこられたりしています。

 さて、私は今、あるお方に呼び出されてリュクレース王国王城に来ています。実は初めて来ました。ド・モラクス公爵領はリュクレース王国の西せいたんにあるので、国土のほぼ中心にある王都に来たことも、一人で領地からはなれたことも初めてなのです。どんなところなのだろう、と私は呼ばれたことよりも初めての旅行、知らない土地への期待感のほうが大きく、わくわくしながら──ついてこようとした兄へ厳重に注意しておいて──やってきました。

 ただ、今まで王都に近づかなかったのは、太陽の下に出られない父の体質の事情をかんあんしてのこともあったのです。それがあってド・モラクス公爵家はとう会に参加する側ではなく、しゆさいする側なので、なんともやむなし。そもそも大型の国際港があって外国との交流も活発なうちの領地は、リュクレース王国でもっとも栄えている、と評されていることは言わない約束です。言ってしまえば、リュクレース王国王家はド・モラクス公爵家よりもびんぼうなのにえらそうにしている、ということになってしまって、けんガタ落ちだからです。一応、王様にははいりよしよう、そのくらいのづかいは我が家にもあります。

 母がやわらかな光を灯しているうちのしきとはちがい、たくさん大きな特注のろうそくが灯った王城のろうじゆうに先導され、私がやってきたのは、さいしよう閣下のしつ室でした。

 ウォールドネーズ宰相閣下は、もう何十年もリュクレース王国の宰相を務めておられる方です。この方のおかげで今のリュクレース王国が存在していると言っても過言ではない、名宰相として名高い人物です。少なくとも、ここ何十年と、戦争という暴力的な手段にたよらず、おんに外交しゆわんだけでこの大陸の平和をしているのですから、ちがいなく後世には頭脳めいせきじんと評されるであろう方でしょう。

 私は初めてお会いしますが、どんな方でしょうか。こわい方でなければいいのですが。

 宰相閣下の執務室の扉が開かれ、奥にはかべ一面の採光窓、そして山ほどの書類と本に囲まれたご老人が一人、いらっしゃいました。

 ご老人は立ち上がって、びんにやってきます。

「ごきげんよう。君がエスター・ド・モラクスか」

「はい、初めまして、ウォールドネーズ宰相閣下」

かたくるしいあいさつきにしよう。にかけたまえ」

 私はそうすすめられて、植物模様のられた存外かわいい椅子に座ります。四人用のテーブルをはさみ、宰相閣下も席に着きました。

 なんだか、怖い人ではなさそうです。どうすればいいのか、世間話でもすればいいのか、と私がまごまごしていると、宰相閣下から声をかけてくれました。

「実はな、初めましてではないのだよ」

「え? そうなのですか?」

「ああ、一度だけ、ド・モラクスこうしやくしゆさいばんさん会に出たことがあってな。君がこんなに小さかったころのことだ」

 こんなに、と宰相閣下は机の高さほどに手を示します。

「そのときに、君と君の兄が持っている真っ白な紙に、驚かされたのだよ」

 晩餐会、真っ白な紙、兄。

 私はふと、思い出しました。あれは六、七年ほど前のことです、屋敷での晩餐会前に悪戯が完成したので、父に見せに行こうと兄といつしよに晩餐会へ乱入してしまったことがありました。子どもってじやですからね、そういう無礼なことをしてしまったのです。

 その悪戯は──白紙へ、ちょっとふうした光魔法を当てると見える文字、というものでした。それを晩餐会の客たちの前で見せびらかして驚かせた、確かそんな話です。

 私はそんなさいな出来事をおぼえている宰相閣下に、驚きをかくせません。

「ああ、あれのことですか! あれは……子どもの悪戯で、あぶり出し文字のように光を当てれば見える文字を作ろうと思って」

「それができるのは、光魔法の使い手だけだよ。少なくとも、我が国の技術ではできぬ」

「そんな、おおな」

 私はけんそん、というよりも割合本気で大したことではない、と思っていました。だって、見えない文字に光を当てて、かばせるだけですよ? そんなの、子どもの悪戯以外何に使うというのでしょうか。

 そう思っていたら、宰相閣下は一枚の白紙を私の前に出してきました。

「この紙を、読んでみてくれるかね」

 白紙を受け取り、私は不思議に思いましたが、すぐに話の流れからピンと来ました。

「ああ、これは、同じような仕組みですね。えい」

 テーブルに置いた白紙の上に、右手をかざし、私は光魔法を使います。ほの暗い光です、ともすればくらやみが光っているかのようにすら見える光を、紙へと照らします。

「んー……調ちようせいして、こうかな」

 少しずつ強さや角度を調整すると、白紙にははっきりと、光る文字が浮かび上がりました。じやつかん黄緑色とむらさきいろに光る文字、それを目にした宰相閣下は大層喜ばれます。

「うむ、実にらしい。それほどせんさいな技術を持っているとは」

「あはは、大したことじゃありません。えっと、内容は」

 私は他人にめられて、ちょっと浮かれていたのだと思います。文字じゃないですが、うわついていました。家族内でも光ほうの出来不出来の話題については何となくけられていて、評価されることがめつにないものですから、子どもっぽく喜んでしまっていました。

 そして私は、鹿正直に、光る文字を読んでしまったのです。


「プレツキとせつしよくろうらくせよ」


 読んだあとで、私は、ん? とその短い内容に引っかかるものを覚え、宰相閣下へたずねます。

「あの、これは一体?」

 宰相閣下の顔は、孫を前にしているように微笑ほほえみながらも、目が笑っていませんでした。

「プレツキとは、おそらくプレツキこうしやくれいじようアマンダのことだろう。そして、彼女は現国王の一人ひとり息子むすこであり王位けいしよう順位一位、第一王子イヴリース殿でんこんやく者だ」

 プレツキを籠絡せよ。

 宰相閣下の言葉と合わせれば、つまりはプレツキ公爵令嬢アマンダという女性を手中に収めろ、味方につけろ、という話です。そして彼女はこの国の第一王子イヴリース殿下の婚約者。

 私からすれば、はあ、そんな人もいるのですね、くらいのことです。なんと言ってもド・モラクス公爵家はリュクレース王国のほかおうこう貴族とあまり積極的な交流はしていません。というよりも、勝手に色々言ってくるので、ほとんど事務的な対応しかしていないのです。それは他の貴族たちにド・モラクス公爵家がえいきよう力を行使しているなどと思われないよう、つまり王家ににらまれないためでもあり、ド・モラクス公爵家のばくだいな財力目当てに近付く貴族とは仲良くなるのをお断りしているわけです。関係があるのはもっぱら信用の置ける国内の商人や外国の貴族以外の顔を持つ実業家や学者など、政治的な立場は基本的に中立で、たまにやる晩餐会なども親族関係が中心です。そこに入ろうとあの手この手を使ってくる人がいて困る、と父がらしているのを聞いたことがあります。

 なので、プレツキ公爵令嬢もイヴリース殿下も、たとえ同じ国の王侯貴族であっても、私やド・モラクス公爵家にとってはほぼ知らない人々、ほぼ関係のない人々の話なのです。あとは、リュクレース王国はとにかく東西に広いですから、親族でもなければ王侯貴族だろうと社交界に出入りしないかぎりはそう簡単には知り合えない、そういう事情もあります。

 ということは、ド・モラクス公爵家にとっては、その二人の婚約の話は口を挟むことでもなし、お好きにどうぞ、という話なのですが──。

「とはいえ、イヴリース王子殿下はまだ十三歳。対して、アマンダは十九歳。政略けつこんであり、アマンダはそれに不満を持っている、とこの老いぼれの耳にも入ってきていてな」

 ふむふむ。アマンダは結婚に不満。

 そのアマンダを、籠絡。

 ようやく、私の中で言葉の意味がつながり、その重大さが分かってきました。

「まさか、籠絡って……不満を持った将来のおうを、ですか?」

 私の顔はちょっと引きつっていたと思います。とてもぞくに、簡単に言えばそう、『すっごくヤバそうな話』、です。それが事実であれば、王城をるがすスキャンダル一直線です。何せ、将来の王妃へていうながせ、と言ってきているようなものですから。

 私の答えに満足したのか、宰相閣下はやはりシワの深いがおです。

さといな。さすがけんさいと名高いド・モラクス公爵のむすめだ。そう、これは北方の商業都市国家ニュクサブルクのみつてい、テネブラエに対しての指令だ」

テネブラエ、ですか」

「やつが好んで使うめいだ。私の配下にもいくらか密偵やそれに類する者たちがいる、彼らでさえもテネブラエと接触はおろか、そのこんせきを滅多に見つけることはできぬ。だが、やつもやっと尻尾しつぽを見せた。王都にある、とあるニュクサブルクの息のかかった商館でこれを押収したのだ。やつをつかまえるつもりでみ込んだものの、あと一歩のところでげられてしまった」

 これ、すなわち見えない文字で指示の書かれた紙です。他国の密偵のものでしたか。それは確かに『ヤバい』ですね。私もしきに来たばかりの年若いメイドたちのようなことづかいになってしまいます。あれ、これって知ってしまったら始末されるようなことでは? いやいや、まさかまさか。

 なんだか現実味がなく、しかしきんきゆう事態であることはさいしよう閣下の口ぶりから伝わってきます。王国宰相ともあろう方が、うそでこんなことは言わないでしょう。

 ですから、そこに私を呼ぶ意味があるのです。すべての話は繋がっている、となるとこうです。

「あ、ひょっとして、私が呼び出されたのは」

 私はとつに右手の光を消しました。いやな予感がやっとしましたが、時すでにおそし。

「聡い子だ。分かってしまったかな」

 宰相閣下、私へ圧をかけてきました。これは逃げようがありません。気付いたことを正直に答える以外、方法はありませんでした。

「密偵テネブラエのれんらく手段であるとくしゆなインクで書かれた手紙を読む方法は限られていて、その限られた方法……つまり、私のこの光魔法を使って、テネブラエのかくに協力しろ、ってことですよね?」

「うむ。何、危ないことはない。公爵令嬢を危険にさら真似まねはせぬ、そこは安心したまえ」

「は、はい」

 それは建前では、と思いましたが、私は何も言いません。逃げ道を自分でふさぐ必要はないのです。

「このテネブラエての指示書は、特殊なインクで書かれており、インクあとさえも肉眼ではかくにんできない。テネブラエの残したものがただの白紙のはずはない、何かが書かれているはずだ、と私がけたのは、ひとえに君と君の兄が遊んでいた光景を見ていたからだ」

 なるほど、年の功、というか経験がなせるわざで、おそらく見えない文字があるのだろう、と宰相閣下は気付いた、と。それはそれですごい気がします。つうなら確かに、なんだただの白紙か、書く前だったのだろう、とのがすでしょう。

 まあそれは私と兄が悪戯いたずらをしたから宰相閣下は気付いたわけで、めぐり巡って私は自分の首をめているような気がします。密偵の捕獲、それって警察がやることでは、と私の頭には疑問が浮かび、言っても詮ないことだとしずんでいきました。私の母方の祖父と伯父おじは確かに警察官ですが、私はただの貴族れいじようです。ちょっと光魔法が使えるだけです。それをかして協力してくれ、とこの国でもっとも人々の尊敬を集めるであろう宰相閣下直々にたのまれたのなら、協力はやぶさかではありませんが、これで話が終わるとも思えないのです。

 案の定、宰相閣下はこう続けました。

「ただ、な?」

「ただ、何でしょう?」

 ごくり、とかたみ、私は宰相閣下の次の言葉を待ちます。

 重々しく、宰相閣下の口が開かれました。

「君にはイヴリース王子殿下の話し相手になってもらいたい」

 どうしてプルクワ

 ド・モラクス公爵領の方言がうっかり出そうになりました。私はこほん、とせきばらいをして、まだ混乱しているので部分的に問います。

「ちょっと待ってください。よめり前のしゆくじよが? 婚約者のいる王子と会う?」

「君こそ、少し立ち止まって考えてみたまえよ。王城に来たことのなかったド・モラクス公爵令嬢が、なぜ今の時期、とう会もなく公的なしきもないのにやってきたのか? まさか馬鹿正直にテネブラエたいに協力するため、だとは言えぬだろう?」

「ア、ハイ、ソウデスネ」

 宰相閣下の言うことは、いちいちもっともです。だんは貴族とせつしよくもそれほどなく、王城にだって初めて来たようなこうしやくれいじようの存在を、不思議に思わない人など少なくとも王城にはいません。

 でもその方便は、割と私の体面にとっては重要な気がするのですが、宰相閣下もそれは当然あくしており、さらにそれを利用する手立ても考えておられました。

「国王陛下にはすでに話を通してある。プレツキ公爵令嬢アマンダに少々しんな点があるゆえ、イヴリース王子殿でんを守るためにカマをかける、と」

「そのカマって、まさか表向きは私を王子様の将来をすような親しい友人にすること、とか言いませんよね? まーさかー」

 私の軽いジョークを、宰相閣下はごく真面目まじめこうていします。

「それ以外、何だと思うのだ」

「まさかー!」

 しようげきは激しく、私は天をあおぎました。淑女としてそれは外聞的にどうなのですかね、と私が口に出す前に、宰相閣下は弁明します。

「分かっている。歴史ある名門ド・モラクス公爵家にとっては、一族から王妃を出すことなど大した意味もなく、むしろ王家からの無理なようせいを断れなくなる原因となりかねない。だから、決して私や国王陛下は君をイヴリース王子殿下と結婚させようとしているわけではない、と念書を書いておこう。あくまで、テネブラエを捕まえるためだ。君がイヴリース王子殿下と親しくなっているように見せかけて、プレツキ公爵令嬢アマンダを揺さぶる。そこにテネブラエは必ずつけ込んでくるはずだ。あとは、私と私の部下たちの出番だ。このことはイヴリース王子殿下にもよく伝えておく、問題あるまい」

 もう一度言います。宰相閣下の言うことは、いちいちもっともです。それでも私は最後のていこうをします。

「きょ、きよ権の行使は」

「できると思うか?」

「デキナイデスヨネ……ハイ」

 これが現状、最速、最善の方策である、と示されてしまっては、もうこれ以上私は抵抗などできるはずもありません。知ってしまって助力をわれた以上は、国のため、イヴリース殿下のため、さすがに働かなくてはなりません。私は基本的に頼まれごとを断れないしようぶんなのです、まさかそこまで宰相閣下はご存じなのでしょうか。その情報収集能力の高さはおそろしいですが、ありえそうです。

 宰相閣下はにっこり、満面のみです。

「決まりだな。王都での生活はブレナンテはくしやく夫人の『ミセス・グリズル』に頼んである。事情も知っているし、何より伯爵夫人は元密偵だ。護衛としては申し分ないし、色々おもしろい話を聞かせてもらえるかもしれぬぞ、よかったな」

 宰相閣下は立ち上がってやってきて、私のかたたたきました。私はあいわらいをするだけでいっぱいいっぱいです。そんな気軽に重大任務をただの貴族令嬢に押し付けないでほしい、と思いましたが、後の祭りです。

 こうして、私の王都での短い生活が始まりました。

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