エピローグ スピーシィとクロ
辺境の地ゼライド、監視塔前の農園にて。
「と、いうわけでグラストールは今のところ、落ち着きを取り戻しつつあります」
「ほへーん、興味全然わきませーん」
【グラストール滅亡未遂事件】から一月、とっくに自分の住まう監視塔へと帰還していたスピーシィは、来訪したクロ少年からの報告をつまらなそうに聞いていた。外に広げられた簡易ベッドの上に寝転ぶ態度はとても人の話を聞く姿勢では無かったが、クロは気にしなかった。別に彼女が事件後の詳細を望んでいたわけでも無い。一応、事件の中心となっていたスピーシィに義務として報告しただけだ。
それ自体、彼女にとっては良い迷惑だったようだが。
「クロくんに誘拐されてしまった所為で、留守の間に仕事が一杯溜まってしまったんです。今忙しいんですからあとにしてくださーい」
「その度は真に申し訳ありませんでした。随分と余裕が在りそうに見えますが気のせいなのですね」
「はい、気のせいでーす」
グラスに注がれた桃色のジュースを傾けながら、スピーシィは微笑みながらのたまう。なんとも不敵な態度であるが、しかし仕事がある、という言葉までは嘘ではないらしい。
彼女の視線の先には農園が広がっている。彼女が片手で指を動かすと、幾つもの農具が蠢き、杖が幾重もの魔術を栽培している植物たちにかけているのが遠目にも見える。それ以外にも、直接栽培している植物等に手を加える作業員達の姿も見えた。
「この農園は?」
「特殊配合したキルストルの葉の栽培ですよ。若返りの化粧水になるんです」
ミーニャの所に卸す用です。と、言いながら指を鳴らすと、幾つもの鋏が出現し、一列に並んでパチリパチリと収穫を開始した。見た目、恐ろしく便利で、術を操るスピーシィがとてつもない楽をしているように見えるが、それは彼女自身の魔術の巧みさ故だろう。
無数の物質を一人で正確に操作するのは、とてつもなく神経を集中するはずだ。それでも日常会話を平然と続けられるだから、改めて底知れない魔女だった。
「ところで、クロくんはどうして此処に?というか、また実体化出来たんですね」
「主の許可さえあれば、割と自由にさせて貰えるのですよ」
影の騎士、【神影剣】に宿る亡霊の一人であるクロは人間ではない。しかし、神の遺物である剣の力を分け与えられている彼は、限りなく生物に近い形で実体化が可能だった。神影剣の使い手であり支配者であるプリシアの許可さえあれば、彼等は殆ど人間と同じ事が出来る。食事だって可能だ。
「さっすが【神器】。魔術じゃ再現不可能な無茶苦茶ですね」
「ここまで自在に仕えるのは、プリシア王妃の力あってのものですが」
その力でもって、プリシアは自分だけの私兵部隊を創り出した。
その経歴故に、影の騎士達には名前がない。かつて、彼等の元となった者達には勿論名前はあったのだろう。だが、”影の騎士達は元の彼等の影だ”。故にそれを名乗ろうとしないし、新たに名前を付けようともしない。彼等は名無しの影として生きてきていた。
プリシアも、彼等に名を付けることはしなかった。「情をかけないため」と彼女は言っていたが、少なくとも影の騎士達が彼女に蔑ろに扱われる事は無かった。
「で、その力で今は自由にお散歩中ですか?クロくん」
「いいえ、プリシア様からの命令です。貴方を見張っておくようにと」
「あら、あからさま。ちょっとからかいすぎましたね。暫くは遊んでくれなさそう」
実際、プリシア王妃は現在、スピーシィに関わっている余裕はない。
あの騒動から一ヶ月、ほぼ奇跡的なまでの政治的な立ち回りによって、なんとか完全な国家の崩壊だけは回避したプリシア姫だが、それでもまだまだ予断の許されない状況だ。突然玉座に押し上げられることとなったマリーン王子の教育もある。幸いにしてマリーン王子自身は、非常に有能な跡継ぎであった為(勿論、嘘偽りやごまかし無しで)大きな心配こそないが、スピーシィのちょっかいが此処に挟まれてしまえば、流石のプリシア王妃といえどパンクする。
だからこその見張りだろう。念には念を、という事だ。
「しかし、スピーシィ様は良かったのですか?」
故に、念のためクロは尋ねておく。
スピーシィがどれだけ今グラストールに関わる気が無いとしても、だ。
「なにがです?」
「今回の一件で、折角名誉を回復できたのですから、グラストールに戻るつもりは」
「え?嫌ですけど」
プリシアは即答した。
「わかってはいましたが、そうですか……」
「グラストールに戻ったら、ワタシの実家がいらん口挟んできそうですしね。うん、ないない。絶対嫌ですよ面倒くさい」
「クロスハート家は、恐らく貴方にちょっかいをかけませんよ?」
「あら、とうとう捕まりました?」
「とうとう?」
「わるーいことしてるって事くらいは知ってましたから」
それ以上は興味なかったので調べませんでしたけど、と彼女はのたまった。事実である。白炎騎士団が調べた結果、クロスハート家は真っ黒だった。20年前、スピーシィを追い出してからの王家との、正確にはローフェン王との蜜月は好ましくない腐敗を生んでいた。
無尽の魔力から生み出された異常なまでの好景気がそれを後押ししてしまっていた。
そしてそれはローフェン王の失脚と共に暴かれ、同時に密やかに処理された。クロスハートは今後プリシア王妃の首輪がかかるだろう。
とはいえ、そんなこと、スピーシィには全く興味の無いことだろう。故にクロもそれ以上のその件を掘り下げるつもりは無かった。
「それに」
「それに?」
「折角此処を住みやすくしたんですから、わざわざ離れたいとも思いませんよ」
スピーシィは農園を見つめた。否、農園だけではなく、視界に広がるゼライドの光景を見つめていた。クロもその視線を追う。
辺境の地ゼライド、追放者達の流れ着く、無数の【奈落】が存在する危険地帯――――で、あったのは20年前の事だ。怠惰の魔女スピーシィが此処を管理するようになってから、この場所は変貌した。
追放者達を瞬く間にまとめ上げたスピーシィは、無数に存在した奈落の攻略を行った。住まう人々が安全に生きていけるだけの奈落を潰し、しかし全ては潰さぬように上手くコントロール下に置くことで、奈落の再出現を抑えた。
そして広くなった土地で、彼女はバレンタイン家のツテを頼りに大規模な魔草農園を開始した。今、燦々とした太陽の下で青々と茂る魔草らは、スピーシィが手がけている農園のほんの一部だ。
「……綺麗ですね」
クロは小さく呟いた。
農園で汗水を流しながらも、活き活きと働く従業員達。彼等が元は国を追われた追放者であり、此処が悍ましい呪いの大地であるなどと、誰が思うだろうか。
スピーシィは辺境の地獄を、美しい楽園へと変えていた。
「中々苦労しましたよ?襲ってくる追放者達をぶちのめ……説教して改心させて、奴隷……雇用して、働かせるまで大変でした」
「不穏な単語は聞かなかったことにします」
とはいえ、追放者達も自分たちの境遇に不満を覚えているようには見えなかった。彼女が此処に来る前の、奈落の底から溢れ出る魔獣達に怯え、生き残るだけで精一杯だった時代を思えば道理だった。
「クロ君も此処に住みませんか?空き屋なら結構ありますよ」
「検討しておきます」
「あら、意外に前向き。ワタシのこと好きになっちゃいました?」
「そうではないです」
「つーれなーい」
パタパタと足を子供のように振るスピーシィに、クロは小さく微笑んだ。
「貴方の監視をするなら、此処に住居を作るのに超したことはないですから」
「真面目ですねー。クロ君ナニカしたいこととか無いんですか?いいんですよ?あんな堅物のところ辞めてウチに来ても」
意外な勧誘だった。本当に彼女は、自分の正体を知っても尚、まるで気にすることはないらしい。気にしているのは自分ばかりだ。
「俺は亡霊ですよ。認められてもいないのに、神の影を利用しようとして失敗して、砕け散って、それでも無様に剣にしがみついた残滓です」
影の騎士達は全員がそうだ。あの恐るべき【神器】の力に縋って、それを利用しようとした者達の残滓である。使いこなせぬままその力に飲み込まれて地上から消えていった残り香達。
クロも元だった自分のことをあまり覚えていない。残ったのはかつての傲慢な自分に対する後悔と、その自分がまるで使いこなせなかった【神器】を使いこなす主に対する敬意のみだ。
それ以外は必要ないと思っている。望むべきでは無いとも思っている。だから名前もスピーシィにつけられるまで付けようとも思わなかった。
だが、
「あら、亡霊が望んではいけないなんて決まってるわけじゃないでしょう?」
スピーシィは、そんなクロの決意を見透かしたように嘲笑した。
「良いじゃないですか。プリシアの目を盗んでセカンドライフ謳歌してもバチはあたらないんじゃないですか?」
パチンとスピーシィは指を鳴らす。すると近くの井戸から水が噴き出して、農園一杯に降り注ぐ。働いていた追放者達は突然降り注ぐ水に驚き、しかし汗水を流してくれるその水に歓喜の声を上げた。
「とうの昔に、神様はこの地を去って、残るのは影ばかりですよ。咎める神は居ませんよ」
水が虹を創り出す。太陽の下、かかった虹はあまりにも美しかった。
その光景があまりにも眩しくて、クロは眼を細めた。
「……魅惑的な勧誘ですね?」
「怠惰の魔女ですからね」
全くもって、恐ろしい魔女だった。
「検討します。前向きに」
「素敵ですね。さーてそれじゃあ」
スピーシィは、高く手を上げると、それを合図に従業員達は頷き、引き上げていく。休憩に入るらしい。そしてスピーシィもまた、ベッドを深く倒して横たわり、微笑んだ。
「ミーニャが遊びに来るまでお昼寝しましょ。クロくんもどうですか?」
「眠りの守をさせていただきますよ。プリンセス」
「よくってよ」
怠惰の魔女は、影の騎士の護りの中で、安心して眠りにつくのだった。
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