エピローグ クロスハートの落日とミーニャの憂鬱


 停滞の悪魔討伐事件から一ヶ月後


 クロスハート領


「ああ、なんてこと……なんてことだ……!!」


 グラストール王国の大貴族、クロスハート家の屋敷の執務室にて、うめき声が響き続けていた。声の主は、部屋の主だ。現クロスハート家当主であるスザイン・メイレ・クロスハートだった。

 彼はくしゃくしゃと髪を掻きむしりながら、呻き続ける。テーブルの前には無数の手紙が広げられている。その幾つかは手の平でくしゃくしゃに潰されていた。


「まさか、今頃になってこんなことになるなんて……!」


 彼が苦しんでいる理由は明確だった。20年前、彼等が切り捨てた因果が、巡り巡って自分たちを刺し貫いてきたからだ。


「お兄様!!どういうことですかこれは!!!」


 執務室の扉が開かれる。スザインはくぼんだ目で力なくそちらを睨むと、そこには身内の姿があった。


「スラーシャ」


 レイスト家に嫁いだ妹、スラーシャだった。濃い香水と強い酒の混じり合ったような匂いが疲労したスザインの鼻孔を刺激して気分が悪くなった。夫は子供達を無視して放蕩に耽っているという話は聞いていたが、どうやら”こうなる”までも遊び耽っていたらしい。


「私の家にも沢山の騎士が来たわ!!我が物顔で部屋を漁られたのよ!!!汚らしい手で!」


 が、遊んでもいられなくなったのだろう。彼女は紅のついた真っ赤な唇を歪めながら、スザインに喚き散らした。スザインは苛立ちながらも顔を上げた。何の役にも立たないくせに、トラブルが起こると真っ先に喚きだすのがうんざりした。


「……神魔の塔だ。アレの建造にはクロスハートも関わっていた」


 クロスハートとグラストール王家の関わりは20年前から深くなった。

 婚約者であるスピーシィの排除はプリシア王妃の主導で行われた。結果として血縁上の繋がりは得られなかったが、その裏で密約が結ばれ、より強固な関係となった。そしてその幾つかは、発端となったプリシアにすら知らされないようなものもあった。


 神魔の塔の建造がまさにそれだ。

 プリシアの眼から隠れて、ローフェン王に提案された塔建造の裏の計画。【悪魔】の利用にクロスハートは関わり、そしてその結果莫大な利益を獲得した。グラストール王国の繁栄を、クロスハート家はたっぷりと享受したのだ。


 そして、その対価を今頃になって支払わされようとしている。


「アレは悪魔の仕業でしょう!?そういう事になったはずよ!!」

「そんな言い訳が通じるわけがないだろう……」


 馬鹿が、と、罵倒しそうになるのをスザインは寸前のところで抑える。直接的に罵倒すれば彼女は泣き喚きながら更にけたたましく囀るだろう。今のスザインには耐えられない。

 ローフェン王は失脚した。つまり現在、王城を支配しているのはプリシア王妃だ。彼女はスピーシィを追い落としてたように清濁を併せのむ器がある。国の利益となるというのなら、多少の闇は見過ごす程度の融通は利かせてくれる。


 が、一方で彼女は護国の化身だ。国が滅ぶほどの闇を、彼女は決して許しはしない。


 そして、【塔】の一件は間違いなく、国が滅びかねないほどの闇だ。事実としてグラストールは停滞の病で滅びかけたのだから。

 国民に対しては【塔】の実情の一切を彼女は漏らさなかった。が、一方でこの一月の間、あの塔に関わったと思われる者達を彼女は徹底的に洗い出し、厳しく追及を続けている。その結果が、今スザインの机に広がる大量の手紙達だ。

 彼に繋がっていた、あるいは今も繋がっている者達から助けを求める声や、彼を罵る声が山のように積もっている。スザインは頭が痛かった。


 彼等が一斉にスザインに向かって声をあげた理由もまた、明確だ。何せ今回の一件を明るみにしたのは、プリシア王妃と、そして――


「スピーシィ……!!忌々しい……!!なんで死ななかったのあの女……!!」


 実の姉に対して、スラーシャは怨嗟の声を喚いた。

 あまりにも残酷な、あるいは恥知らずな言葉だったが、スザインも同意見だった。

 スザインにとっても実の妹であるスピーシィ。身内の誰からも忌々しく思われ、最後にはクロスハートからもグラストール王国からも追い出された憐れなる女が、20年の時を超えて報復してきたのだ。

 何故追放されたはずの彼女が、追放した主犯であるプリシアと協力することになったのかの詳細をスザイン達は知らない。分かっているのは、彼女が再び自分たちを脅かしたという事実だ。


「早くあの馬鹿女をなんとかしてよお兄様!!」


 勝手に喚き散らす妹を殴りたくなるような衝動にかられるが、その気力も沸かなかった。彼女の言うとおり、なんとかしなければならないのは事実ではあるが、手詰まりなのだ。

 そうでなければ執務室に引きこもって、スザインは頭を抱えたりしていない。


 せめてローフェン王が健在であればよかったのだが、彼は既に離宮に療養という題目で軟禁状態だ。最早打つ手は――――


「――――ああ、ああ、お労しい」


 その時だ。不意に、耳に纏わり付くような湿り気を帯びた声が、執務室に響いた。スラーシャはギョッと飛び退く。彼女の背後の扉の前に、いつの間にか音も無く、新たな来訪客がやって来ていた。


「なんだ、貴様……」


 奇妙な格好をした女だった。無数の装飾を首から提げ、素肌を晒すような挑発的な格好は娼婦の様にも見える。肌には無数の刺青が刻まれた若い女。いや、若いとはいったが、そもそも年齢も定かではない。若く幼い子供のようにも、熟年の情婦のようにも見える。

 彼女は、スザインに対して恭しく頭を下げて、微笑みを浮かべた。


「私めはしがない商人にございます。お尋ねして門で待っていたのですが、何やらただ事ではない事態であるご様子で、いても立っても居られずにこうしてやって参りました」

「何者か知らぬが、失せろ。というか警備は何をしている……!」


 こんな、あからさまに妖しい女を自分の前に招くほどクロスハート家の警護は緩くはないはずだ。なのに当然のようにこの場にいる彼女は、あまりにも危険だった。

 すぐに緊急用の呼び鈴を鳴らそうとスザインは手を伸ばすが、それよりも早く、彼の手は女の指に絡め取られた。いつの間にか、目の前まで彼女は迫っていた。


「お待ちになって下さいませ。そしてどうか、此方をご覧下さい」


 そう言って、彼女はいつの間にか手に握られていたものを此方に差し出した。それは、スザインも見覚えの無い物だ。しかし、それが何を意味するのかは一瞬で理解できた。


「そ、れは……」


 何の名も、意匠も施されていない一冊の、本。

 しかし、見れば見るほどに引き寄せられてしまうような、引力を持った本だった。


「今の貴方の苦しみを取り払うものにございます。さあどうか手に取って――」


 その言葉に従って、スザインは本に手を伸ばした。

 否、伸ばそうとした。


「――――ガッ」


 次の瞬間、女の身体から、無数の剣が生えてきた。


「そこまでだ」


 スザインが呆然としている隙に、執務室の扉が開け放たれて、中に突撃した無数の騎士達が、女の身体を容赦なく刺し貫いたのだ。腹や胸も容赦なく切り裂いた剣は、女の命を呆気なく奪ったように見えた。


「あ、唖唖……痛い、痛い痛い』


 だが、奇妙なことに、身体から血は噴き出さなかった。女は、痛々しい悲鳴をあげるが、その口元には何故かスザインに向けたような笑みが残ったままだ。ガクガクと身体を痙攣させながら悲鳴を上げるその女の挙動は、明らかに真っ当なものではなかった。


「禁書所持法違反、取引法違反、その他諸々の罪で貴様を連行する」


 そして、開け放たれた扉から、騎士隊長を示す鎧を身に纏った男がやってきた。男は、悍ましい動きをする女を睨みながら、静かに宣言した。その男の顔に、スザインは見覚えがあった。


「デルダ・ホロ・……!?【白炎騎士団】か!!」


 グラストール騎士団の中で、魔甲騎士団に並ぶ、国外での奈落の対処に当たる専門騎士団。違うのは、彼等の専門が物理的な害を成す事の多い魔獣を相手にするのではなく、そこから出土する【発掘品】とそれを悪用させようとする【悪魔】に対抗するための専門家である点だった。

 そう、悪魔の専門家だ。そして、彼等が攻撃したと言うことは――――


「ああ、唖唖、悔しい、悔しい』


 女が、嘆く。その身体が、声が、身体が変貌を始めた。獣のような手足に羊の頭。人外の、紛れもない悪魔のものに変化していく。部屋の隅でスラーシャが情けのない悲鳴を上げた。


『もう少しで、グラストールにを空けられたのにぃぃいぃぃ』


 恨みがましそうに悪魔は喚く。だが、その場から悪魔は動けない。彼女を貫いた騎士達の真っ白な剣が明滅する。その力から逃れられないらしかった。


『本当に、もう少しだったのに、悔しい、悔しい、悔しいぃぃぃいいいいいいいい』


 ボロボロと、悪魔の形が崩れていく。背後にいる魔術師達が魔術を発動し、悪魔の身体を捕縛しようと魔法陣を巡らせるが、しかし悪魔の崩壊は停まらなかった。白炎騎士団隊長のデルダは忌々しそうにその姿を見つめた。


『【怠惰】に、【憤怒】、唖唖、あの特異点達……次こそ、次こそは――――』


 そんなことを最後に呟きながら、悪魔は消滅した。騎士達は剣を卸す。魔術師達は悪魔を取り逃したことに苦々しい表情を浮かべていた。


「……やはり、悪魔の端末の類いか。キリがないな――――さて」


 デルダも同様に、怒りを滲ませた表情を浮かべていたが、首を振ると切り替えるようにして顔を上げた。そして、片手を上げて部下達に合図を送る。

 すると騎士達は一斉に、スザインの執務室を漁り始めた。スザインはギョッと立ち上がり、声を荒げた。


「な、なんだ貴様!!無礼だぞ!!何の権限があって」

「権限なら在りますよ。スザイン・メイレ・クロスハート様」


 騎士隊長デルダはスザインの前に立つ。大貴族であるはずのクロスハートを前にしても、彼はまるで動揺する事も、怯えることも無かった。逆にスザインのほうが気後れするように一歩下がってしまった。


「我々は、奈落より来たる悪魔に対する専門対策騎士団。故に、悪魔に関わる問題であれば相手の地位に関わらず調査をおこなう権利が与えられている」

「役立たず!!結局悪魔騒動を止められなかったくせに!!」


 部屋の隅で、スラーシャが喚く。デルダは小さく自嘲気味に笑うが、彼の部下達は手を止めなかった。スザインの机に広がっていた手紙も一つ残らず押収していく。


「ええ、その点は返す言葉もない。妹に無茶をさせても、出来たのは事後処理だけだった――――王家と大貴族が結託して行った隠蔽を、見抜けなかった」


 その言葉にびくりとスザインはたじろぐ。全て、バレている。

 否、それは分かっていたことだ。ローフェン王が事実上失脚した時点で、こうなることは自明だった。スザイン自身が目を背けようとしていた事実が、形になって現れてしまっただけだった。


「なので、2度と同じ事を起こさぬよう、徹底的に調べさせていただきます」


 デルダの宣言に、スザインはがっくりと膝を折った。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 クロスハートの屋敷の前で、無数の書類が押収されていく。

 屋敷の全てをひっくり返すような大騒動だ。勿論その大半は悪魔とは関係の無い物だろう。そして、悪魔とは関係ないにも関わらず、無視することも出来ないような不正の証拠も幾つもあることだろう。そんな中から悪魔の一件を探すのは骨が折れるだろうと、デルダ・ホロ・バレンタインは溜息をついた。

 暫くは、家に帰る事も出来ないだろう。待ち受けている修羅場に気が滅入りそうだった。


《兄さん》


 だが、不意に、通信魔具から聞こえてきた声に、デルダは思考を現実に戻した。


「ミーニャか」


 妹からの連絡だ。

 クロスハート家への調査に踏み入れると告げたとき、その結果を教えて欲しいとミーニャから頼まれていたのだ。急ぎ確認したかったらしい。デルダは部下達に引き続き欧州作業を続けるように指示を出して、耳飾りの通信魔具に手を当てた。


《そっちはどう?》

「調査は進んでいるよ。と言っても殆ど表沙汰にできないだろうけど」

《得られる物は少なかった?》

「逆だ。多すぎた。下手に公表すればあまりに多くの血が流れる。プリシア様もそれは望むまい」


 本件を号令を出しているのはプリシア王妃だ。彼女は国の秩序が乱れることを望まない。塔の支えを失ったグラストールが、その上大貴族のクロスハートまで崩壊する事を「良し」とすることは絶対にないだろう。

 勿論、対処はしなければならない。が、秘密裏に行うはずだ。今回の首謀者もまた、王家であったことを考えるなら、プリシア王妃が号令を出しているのは歪ではあるが、しかし彼女ならば半端な工作も隠蔽もするまいという信頼も騎士達の中には在った。


「クロスハートは罪を償うことになるだろう。恐らくお前の望むように、スピーシィには手を出せなくなるよ」

《それならよかったわ》


 通信越しに、ミーニャは安堵の溜息をついた。実際、彼女が気に懸けているのはそれだった。無論、妹が友人思いである事は兄としても好ましい事だった。が、流石に事がここまで大きくなると、デルダとしても心情は複雑だ。


「兄としては、あまり無茶はして欲しくないのだがな」

《私だって、流石にここまで大事になるとは思ってなかったのよ?兄さんが情報を流してくれたから、スピーシィに警告したのに、無駄だったのだもの》


 最初、ミーニャがスピーシィ周囲の不穏な情報をキャッチしたのは、バレンタイン家の中で唯一騎士としての道を歩んだ兄、デルダからの情報提供が切っ掛けだった。無論その時はデルダとしても確証のない、小さな警鐘のつもりだった。


 それがまさか、ここまで大きな騒動に発展するとは想像もつかなかった。


 特に”王都中心での悪魔の受肉”は、停滞の病が悪魔に関する物であると推測し、王都周辺の【奈落】の調査をしていたデルダにはあまりにも寝耳に水の大混乱だった。あの時、魔甲騎士隊長のガイガンの誘導作戦に間に合ったのは本当にギリギリで、肝が冷えたものだった。

 なにせ、事の中心にスピーシィと、ミーニャ自身もいたというのだから、もし受肉した悪魔を討伐できなかったらと思うとゾッとする。


 スピーシィはやはりトラブルを引き起こし、巻き起こしやすい体質のようだ。出来ればある程度、ミーニャには距離を取って貰いたいと思うのが兄としての心情だが、無駄だろう。その類いの議論はすでにこの20年何度となく繰り返した。


 故に、話を切り替えるようにデルダは息を吐いた。そろそろ部下達の作業も一通り終わる。通信も切り上げ時だった。その前に伝えるべき事は伝えておく。


「俺は暫く作業で帰れないが、来週あたり、久しぶりに実家に顔を出したらどうだ?父さんも母さんも寂しがっている」


 20年前、スピーシィの一件でバレンタインが彼女を擁護しなかったことで、ミーニャは実家とやや疎遠になった。勿論、実家と領地を護るための両親の判断が間違っていたとはデルダは思わない。ミーニャもそれは分かっているはずだが、感情という者は中々切り離せないものだ。

 だが、両親はミーニャののことを心配している。幾つになっても両親からすれば、彼女は可愛い娘なのだ。その事を遠回しにミーニャに伝えた。


《……再来週なら顔を出せるわ。来週は無理》


 返事は、思いの外前向きなものだった。デルダは喜びを隠しながらも、尋ねた。


「来週は何か予定でも?」

《スピーシィが悪魔退治の一件を労いに遊びに来いって滅茶苦茶喧しいの》


 呆れ半分、苦笑い半分の妹の声に、デルダは部下に聞こえぬよう、堪えるように笑った。

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