エピローグ プリシア王妃の懸念



 グラストール王城、執務室にて。


「国民達の病の回復は順調ですか?」

「ええ、なんとか。ですが、やはり病に陥っていた者とそうでない者との意識の違いがあるようで、病で動けぬ間に起きたトラブルが問題になっていたりと騒がしい状態です」

「騎士団には暫くは警戒を維持するように伝えなさい。それと旧インフラの整備及び復活は最優先で。どれだけの資産を使用しても構いません。かつての知識を持つ人間を回収してください」

「承知しました。それと、ゴートレイ王国からの手紙が来ております」

「中身は?」

「悪魔の落下物についての情報交換を求めているようです。対価には王都復興の支援を行うと」


 王妃プリシアは現在離宮にて療養中であるローフェン王に代わり、執務を行っていた。現在王位に就いているのは彼女の息子であるマリーンであるが、彼はまだ年齢は19才だ。成人には1年早く、20になったとしてもまだ若い。現状不安定なグラストールの玉座を担うには不安が多い。と言うことでプリシアが後見人として執務の代役を行っているが、頭の痛い問題が多かった。

 部下から渡された手紙の文面に目を通したプリシアは眉をひそめる。


「……足下を見ている金額ですね」

「突っぱねますか」

「かの国とは距離がありますが、西国との交易の中継点。事を荒立てたくはありませんね」


 そう言って、彼女はさらさらと無地の紙にさらさらと文面を書き出すと、蝋で封をすると、その手紙を部下に渡した。


「今週中に通信水晶による対談の席を設けます。大臣達にも話を通しておいてください」


 部下は頷き、出て行った。プリシアは小さく息を吐くと、再び自分が処理しなければならない書類との戦闘を開始した。が、少し筆が鈍い。ここ一ヶ月の間、ほぼ休まず仕事を続けていた為か、随分と疲労が溜まっていた。身体が休むように訴えていた。


「誰か、お茶を――――」


 と、頼もうと声を上げたとき、再び執務室の扉が開いた。同時に、心地の良い茶の香りが漂ってきた。絶妙なタイミングで持ち込んできたのは、誰であろう――


「厨房に頼んで用意させました。母上。少しお休みしませんか?」

「マリーン」


 自分の息子であった。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「良い香りですね。何処の茶葉を?」

「バレンタイン領から取り寄せました。疲労回復、眼球疲労にも良いと」

「……相変わらず、友人付き合いは最悪ですが良いものをつくりますね。あそこは」

「嫌でしたか?」

「いいえ。嫌な女の顔が頭に浮かんだだけです」


 来賓用のテーブルにプリシアとマリーンは着き、ティータイムを楽しんでいた。ゆったりとした、悪くない時間だった。ここの所本当に忙しく、こうして心を落ち着ける時間は少なかった。

 これを無駄な時間、とは思わない。何せつい最近、こういった交流を疎かにしてきた結果、手痛すぎる失敗を喰らったばかりだ。


「そちらは最近どうですが。このような形で突然王の責務を担わせることになりましたが」


 尋ねると、マリーンは微笑みを浮かべた。金色髪がキラキラと輝く柔和な笑みは、何処か父親に似ていて、プリシアは少し胸が痛いんだが表情には出さなかった。


「この程度出来なければ、グラストールは背負えませんよ」

「貴方には、健全な状態のグラストールを引き継がせたかったのですがね」

「良いのです。何もかも与えられるよりは、やり甲斐があります」


 マリーンはそう言って、此方の心配をさせまいと腕を叩く。

 良い子に育った。と思うのは親のひいき目だろうか。

 相手を気遣える子に育ってくれた、と思う。勿論彼だって、ローフェンに起こった顛末には傷ついたことだろう。特に、彼はローフェンの血を引いているのだから、本質的には他人である自分以上に傷ついたはずだ。

 それを表には出さない。良い意味で、虚栄を使い、相手を心配させまいとしてくれている。何事も過ぎれば毒だが、正しく使う分には良い結果を生むものだ。


「……無理はしてはいないですね?」


 とはいえ、心配は心配だった。家族を疑うのは嫌なものだが、しかし嫌なものから目を背けて見ない振りをして、ローフェンの二の舞はご免だ。

 そんなプリシアの思いを察してか、マリーンは真剣な表情で頷いた。


「ええ。反面教師が二人もいましたから」


 一人はローフェンだろう。ならばもう一人は――


「私もですか?」

「極端でしたが、どちらも問題を誰にも相談しないという点では共通していました」

「……恥ずかしい限りです」


 指摘されると、返す言葉もない。事実、スピーシィとの確執の件は、プリシアは夫にも息子にも隠していた。問題が波及するのを畏れて密やかに処理しようと画策していたのだ。

 結果的には、スピーシィがまるで容易な相手ではない為に、とてつもなく戦いは長引いた。まさか20年も戦争状態が続くとは思わず、大きな秘め事になってしまった。

 

「幸い、僕には友人が多く居ます。格好を付けなくても、等身大の自分を好いてくれる友は多い。母上がガルバード学園の状態を改善してくれおかげですね」

「幼少期のコネクション作成の場所、という側面を否定するつもりはありませんが、あまりにも偏りすぎるのも問題でしたからね」


 現在ガルバード魔術学園は政治闘争の場から、本来の魔術の学び舎としての姿を取り戻しつつある。教師陣の人員整理にも力を入れ、不正や成績操作といった膿をプリシアが時間をかけて取り除いていったためだ。

 神魔の塔により魔力が無尽に使えても、その使い手が魔術に明るくなくては問題だ。だから、魔術の知識を蔑ろにする現在の学園の状態は望ましくは無かったといのがプリシアの考えだった。


 ――魔術を学ぶべき場で貴族同士がおしゃべりばかりなのは馬鹿馬鹿しい。


 と、学生時代言っていたのは誰だったか。逸れた思考をプリシアは修正した。今は自分の息子と話す(たたかう)時だ。


「……貴方は、ローフェンの狂乱には気付いていましたか?」


 プリシアは踏みこんだ。

 未だ、プリシアにも、そして恐らくマリーンにとっても、ローフェンという存在は深い傷だ。生々しく胸の中心に刻み込まれている。どれだけプリシアが物理的な戦闘能力が人外の域にあろうとも、触れるのは容易ではない。

 だけど、この機会に触れなければ、互いの傷を知らぬまま、見ぬ振りをすることになる。

 それだけはいけないと、学んだばかりだ。


「――――実を言えば、少し、おかしいとは思っていました」


 マリーンもまた、少し痛みを堪えるような表情で、そう告げた。プリシアは目を見開く。


「本当?」

「流石に此処までのものとは思いもしませんでしたが。」


 勿論、これが予想できたなら、本当に此処までの話にはなっていなかった。ローフェンの闇を察せなかった自分を節穴だったとプリシアは反省しているが、一方でローフェンの隠蔽工作の巧みさは否定しがたかった。

 ”一見すると問題が無いように見える”。

 ローフェンの手がけた隠蔽の厄介さはそこだった。十分に精査しなければこの誤魔化しには気付きにくい。だからこそ今、プリシアの仕事は倍増していると言えるのだが、この工作を瞬時に見抜ける者はそう多くは無い。グラストールの重大な国政故、触れる者、目を通す者が少ないのも発見を遅れさせる一因だった。


 だが、違和感はあったのだとマリーンは言う。


「父上は、私に対しても常に完璧な魔術王として振る舞っていましたが、何かを教えてくれたりすることはありませんでした」

「教える?」

「先駆者は、よほど偏屈か人嫌いでも無い限り、その背中を追ってくる未熟者には助言をしたがるものでしょう?」


 しかし、ローフェンにはそれが無かった。

 彼の前で魔術を披露したとき、あるいは間違いを犯したときでも、積極的に彼がマリーンに対して指導を行おうとしたことは無かった。息子に興味が無い親などいない、なんてことを言うつもりは無かったが、ローフェンの場合はそんな風でもなかった。

 演技であっても、父親らしく親愛を言葉にして伝えてきていた。決して興味が無いかと言えばそんなことは無かった。


 しかしただ一点、指導という点に関してだけは、全く積極性が感じられなかった。


「多分、自分に自信が無かったんです。自分の言動に、魔術に、確信が無かった」


 誰かにものを教えるという行為には、自分二体する裏付けが必要となる。それは知識であったり経験であったり、このことを伝えても間違いではないのだという確信が無ければ、普通「指導」なんてことは出来ない。

 そして、彼にはその自信が無かった。底が抜けていたのだ。

 だって、彼が積み上げてきたのは実績ではないのだから。ただただ虚ろな虚栄だ。

 自信が積み上がるはずがなかったのだ。


「こんなことがあって、振り返ってみると、魔術以外でも僕は父上から何かを指導して貰ったり、逆に怒られたりする事が殆ど無かった。きっと、口にはできなかったんだなって」


 自分に全く自信がないのに、説教はできないだろう。相手に教えを説くには形はどうあれ傲慢さは必要不可欠だ。父には無かったのだ。

 それは、マリーンにとって哀しいことだった。

 自分の父親は、偉大であるというのは、気後れする事はあっても誇り高いものだ。そうであってほしいと望むのは子供の心情だ。実体がそうでないのは哀しい。


 彼の痛みをプリシアは分かってやれない。彼女が受けた傷はそれはとは種類が違う。


「母上は、父上を愛していましたか?」

「ああなるまで、嫌いでは在りませんでしたよ。本人は演じていただけかも知れませんですが、気の優しい王として振る舞う彼の姿は、不快ではありませんでした」


 その本性がどうしようも無かったとしても、夫婦として心交わしてきた日々の全てを否定するのは容易くはない。プリシアにとって国王との婚約は国を護るために必要な儀式でしかなかったが、さりとて完全に自分の心を殺す事は出来ない。

 情を一切立つのは難しい。そうでなければマリーンは産まれてない。


「演技でも、優しく振る舞えるのは美徳だと思います」

「ええ、本当に。彼がその美徳を正しく使えなかったのが残念です」


 現在、ローフェンは離宮にて療養している。悪魔を地上に呼び出した罪を考えれば、本来であれば極刑もやむなしと言えるが罪であるが、グラストールと言う国を維持する上で、彼の罪を問うわけにはいかなかった。

 だが、彼はもう政治の舞台に立つことは出来ないだろう。というよりも、プリシアがそれを許さない。彼は、責任ある場所に立ってはいけない人間だ。


 この一ヶ月の間に、幾度か面会をしたが、彼の精神状態は気が抜けたようになっている。生返事ばかりだった。しかしそれでも、ようやく彼とマトモに会話できた気がした。


「もっと最初から、こうして会話できていれば違ったのでしょうか?」

「難しいですね」


 意味の無い、女々しいもしもの話だった。疲れている所為だろうか。あるいは気の許せる身内を前にしているからだろうか。泣き言が漏れてしまった。


「ですが、ご安心ください。母上が楽に出来るよう、どんどん仕事を覚えますから!!」


 それを察してのか、マリーンは力強く胸を叩いた。相手の心情を察して、望む言葉を告げる。息子は父の悪いところを継がず、良いところを受け継いだようだった。

 本当に、喜ばしいことだ。しかし、


「頼もしいですが、本当に無理はしないで下さいよ?」

「無理だなんてとんでもない!安心してください!!そして――――」


 そう言って、マリーンは力強く握りこぶしをつくって、宣言した。


「母上にまた、魔女スピーシィ様と一緒に大活躍してもらいたいのです!!!!」


 プリシアは眉をひそめて訝しんだ。


「…………マリーン?」

「いやあ、実は僕、物語の英雄譚大好きで!直接拝見したいとは思っていたのですが、まさか自分の母が伝説上の悪魔を正面切って打ち倒すだなんて!!!」

「マリーン、マリーン落ち着きなさい」

「そんな母上が王務で書類に埋もれるだけの人生で終わるだなんてもったいない!!母上には第二の人生を歩んで貰わなければ!!!」


 そういえば、子供の頃から彼は自分に昔の英雄譚の本を読んで貰うのが好きだった気がする。それも、幼児向けの童話の類いではなく、読書家が好むようなごんぶとの本。それを抱えて読み聞かせるのは困難を極めた記憶があったが、どうやらこの年齢になってもその趣向は全く変わっていないらしい。


「安心してください!!今後の母上の伝説は全部僕が記録して出版します!!!悪魔殺しの英雄伝説を元に観光業で大稼ぎです!!」


 どころか悪化している気がする。

 悪魔討伐の一件は、世界を見渡しても殆ど例のない案件であるから、その一件を利用して復興を盛り立てるという彼の発想は確かに間違っていないといえばそうだ。そう、なのだが、正直、少し不安というか、これ、大丈夫なのだろうか。父親とは全く別の形でなにかどでかいやらかしをしそうな気がしてならない。


「あ、ところで母上」

「なんです」


 興奮状態のまま、マリーンは振り返った。さてこの息子は何を言い出すんだろうかとやや身がまえていると、彼はニッコリと笑って、言った。


「悪魔退治の時、母上はどんな格好をなさっていたのです?ガイガンから色々と話を聞いたのですが何故か装備については頑なに教えてくれなくて。やはり英雄譚というものは武器だけで無く防具も伝説上のものでなければ読者が納得――――」


 次の瞬間、プリシアが手に持っていたカップが粉みじんに砕け散った。

 物理的な力によってではない。彼女の身体の内側から迸った膨大な魔力によってカップが形を維持できなくなり、粉々になったのだ。マリーンは笑顔のまま固まった。プリシアはゆらりと立ちあがると、窓によりかかり、表情を背けたまま、短く告げた。


「――――今の質問を2度とするな。良いな」

「はい」


 剣姫モードの母を前に、マリーンは一切の口答え無くそれを承諾した。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 少し未来の話になるが、それから数年の後、マリーンは正式に玉座に着いた。


 彼は先代の魔術王のように、魔術に対して明るくはなく、また、民衆から望まれた神魔の塔の再建造も「あれは魔術王が全盛期の頃に出来た奇跡であり、再現は困難」と断じたことで不満の声も上がったが、基本的に善政を敷き、また、停滞の病で受けた損害については、塔の活用で得ていた資金を惜しみなく国から放出したため、不満は抑えられた。

 魔力に依存していたインフラのデチューンも、迅速に行われたため、被害は最小限に済んだ。


 とはいえ、勿論無傷というわけにはいかず、王家の、そしてグラスト―ルの力は大きく落ちた。


 しかしその補填をするように、マリーンは剣姫プリシアの悪魔退治伝説を大きく喧伝し、それを演劇などの興業として広めることで国外からの関心を誘い、観光業を活気づけた。それまでとは別の形で国を盛り立てることに成功を果たした。

 伝統あるグラストールの文化に対して破壊的だ、と不満が漏れることもあったものの、おおよそ彼の政策は成功を収めたと言えるだろう。


 ただし、調子に乗って建築しようとした剣姫プリシアと魔女スピーシィの純金像に関しては(主に身内からの)激しい反対意見によって頓挫したのは、彼の人生における小さな汚点として残ることとなったのだった。

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