裸の王様

 ――偉大なるグラストールの王子たるもの、過つこと許されない。


 斜陽の大国。グラストールの王子、ローフェン・クラン・グラストールはこのような言葉を幼少時代にかけられていた。それは父親、即ち先代のグラストールの王からの言葉だった。そして彼は、その言葉を真面目に受け取った。


 間違ってはならないのだと、彼はそう思った。

 父がそれほどまでに真剣に、血走った目で言うのだから、そうなのだろうと思った。


 先代王、コールヴェイ・クラン・グラストールは清廉潔白な男だった。不正を嫌う男だった。嫌うあまり、古くからの貴族達との繋がりと腐敗の垣根が見えなくなる程の男だった。正しいことをしているはずなのに、彼は周囲から暗君と呼ばれ、それが余計に彼を追いつめ、正しさに対する盲目的な信者とさせた。


 自分を罵り、追いつめようとする連中は悪に違いない。

 悪に負けてはならない。

 過った信念を持った卑怯者達に、負けることなんてあってはならない。


 そんな、という盲信が、先代王の精神バランスを致命的に崩壊させていた。そして、そんな父親の偏った教育は、息子に対して最悪の重圧プレッシャーを与えてしまった。


 完璧主義を強要されたローフェンは、さて、どうなったか。


 無論、言うまでも無く、全てを完璧にこなす事なんてのは出来ない。どれだけ優れた天才であっても、そんなことは出来ない。どれだけ注意深く地面に目をこらして転ばないようにしたとて、空から雨に降られてずぶ濡れになるような不運トラブルは何時だって起こりうる。

 だが、そうなったら、「何故雨に降られたのだ」と父王は叱責するのだ。まるでこの世の終わりのように怒り狂いながら、罵詈雑言を投げかける。


 ではどうするか?

 不可能な完璧に自分を近づける無駄な努力を続けるか?

 ローフェンはそれを選ばなかった。彼は、至極単純な手段を選んだ。


 彼は、自分の瑕疵を、隠した。


 大きな布で、過ちを覆った。

 砂をかけて、失敗を埋めた。

 家具の影に押し込んで、欠点を見えなくした。


 視界から隠し、埋めて、押し込んで。見えなくした。恐ろしい父王の眼から逃れて、完璧な人間に見せかけることを選んだ。

 言うまでも無く、それは子供の浅知恵と言えた。普通なら、すぐにバレて、より強く叱責されるものだ。2度とこんなことをしてはならないと叱られるものだった。


 不幸は二つあった。

 ローフェンには才能があった。自分の見栄えを良くする、虚栄の才能があった。

 そして、彼の父王は、致命的なまでに、


 哀しきかな。見る目のない王は、息子の虚栄に誤魔化され、その異形を讃えた。彼の所業を「素晴らしいことだ!」と賞賛してしまった。結果、ローフェンは学習した。


 ああ、これでいいんだ


 と。

 そしてその最悪の成功体験に彼は依存した。彼は誤魔化しに長け、舌を動かすことに長け、隠蔽に長けた。そうして彼はガルバード魔術学園に入学した後も、そのように過ごした。

 元々、彼には魔術の才能それ自体は確かにあった。別に誤魔化しなどしなくても、正しい努力を積めば優れた結果を生み出す事は出来たはずだった。


 だが、彼はそうしない。幾らか優れている。では、父は納得しないから。


 その時既に父王は病にかかり、病床についていた。後に彼が学園を卒業すると同時に亡くなる。だが、その場に居ないはずの父の幻影に彼は支配されていた。その恐怖に従って、より完璧な自分を演出するために、彼は嘘をつき続けた。

 学園でも、彼の虚栄は通用した。誰も彼の嘘は見抜けなかった。この頃には彼の嘘には磨きが掛かっていた。どうすれば、相手をごまかせるか。どうすれば自分の都合の良い所だけを見せることが出来るか。そんな技術を彼は身につけていた。そしてそれは皆に通用した。


 良かった。これでいいんだ。これでいい。これで――――


「何で笑ってるんですか?気持ちが悪い」


 その矢先だった。怠惰の魔女と出会ったのは。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 怠惰の魔女、と影ながら悪口を言われていたのは、貴族クロスハート家の長女だった。


 病で引きこもり、家族にも見捨てられた憐れな女。

 誰にも望まれないのに、己の病を己で癒やし、生き延びたお邪魔虫。

 不摂生の不衛生、病の後遺症で荒れ放題の肌に髪、それを放置する醜い醜い怠惰の女。


 そんな陰口が彼方此方に飛び交った。哀しいかな。彼女の家族、兄弟すらもその噂を否定しなかった。彼女は間違いなく厄介者で、困ったことに彼女は自分の婚約者だ。


 名家クロスハートと王家の繋がりを強くするために、彼女が健康なときに交わされた約束であり、彼女が病で死ぬことで解消され得るはずだった約束であり、そして今、彼女が回復してしまったことでどうにも出来なくなってしまった約束でもあった。


 忌々しい。いっそ死んでいてくれたなら。


 親兄弟からそんな風に言われても、怠惰の魔女は知らんぷりだ。


 勿論、ローフェンにとってもそれは同意見だ。醜い怠惰の魔女が自分に嫁ぐなど、気持ち悪くてたまらない。学園の自室に引きこもり続けている彼女の顔を見たことは数えるほどしかないが、なるほど確かに醜かった。本当に、彼女と婚約するなどゾッとする。

 だけど勿論、そんな感情は表には出さなかった。

 口憚らず悪口を言う取り巻き達に対しても、怠惰の魔女に同情的な言葉を重ねて、決して自分が悪者にならないようにした「優しく賢いローフェン王」の仮面が、彼女なんかのせいで崩れてしまうのは避けたかった。


 だから勿論引きこもりの彼女へのお見舞いも勿論欠かさなかった。


 といっても、扉の前をノックして、適当に優しげな言葉を継げて、事が済めば帰るだけだ。彼女が顔を出す事は殆ど無く、それをローフェンは望んでいなかった。顔を合わせるなんて面倒は、ご免だったからだ。


「邪魔なんでどいてください」


 だからこそ、その日は不幸だったと言える。

 たまたま外出していた怠惰の魔女、スピーシィと鉢合わせることになったのは。

 怠惰の魔女スピーシィは、やはり酷い格好だった。ボロボロのローブにボサボサの髪に肌と奇妙な異臭。栄えあるガルバードの生徒とはとても思えないし、クロスハート家の長女であるなどと信じられない。街の浮浪者でももう少し身なりはちゃんとしているのではないだろうか。

 思わず浮かべそうになる嫌悪を彼は隠した。

 今も周りには彼の取り巻きがいるのだ。丁度良い。自分の優しさを彼等にアピールするチャンスだろう。彼はそう気を取り直して、何時ものように凜々しい笑みを顔に貼り付けた。


「やあ、スピーシィ、僕は――――」

「何で笑ってるんですか?気持ちが悪い」


 だが、開口一番。怠惰の魔女はローフェンをそう切って捨てた。


。悍ましい」


 彼女は、あまりにも容赦なく、自分の虚栄を引き裂いて、破壊した。


 本当に、言うだけ言って、スピーシィは自室に戻り、扉に鍵までかけて、再び引きこもり状態に戻ってしまった。呆気にとられた取り巻き達は、我に返ると自分たちの王に対する暴言を口々に罵り、怒り狂った。


 だがしかし、唯一ローフェンだけが、怒りとは全く別の恐怖を感じていた。


 見抜かれた。見抜かれた?見抜かれた!


 自分が笑っていないことを。これっぽちも彼女のことを想っていないことを。彼女は見抜いた?見抜いたのか?本当に?

 真相は分からない。分からないが、恐怖だった。だって、もしも嘘がばれてしまったら、自分の正体に気付かれてしまったら、自分の”間違い”がバレてしまったら。


 父上に、怒られてしまう。


 もうこの頃には彼の父王はとっくに病で弱り果てて、離宮で過ごすことも多くなっていた。公務は大臣達が代行していた。学園を卒業と同時に彼は玉座に着くことが決まっている。だのに、それでも彼は父王は怖くて怖くて仕方が無い。結局、彼の虚栄の根源はそれだった。


 だから、ローフェンは一刻も早く、スピーシィを排除しなければならなかった。


 都合の良いことに、幸運な事に、その頃、フィレンス家の長女プリシアが精力的に学園で活動を続けていた。クロスハート家とも交渉し、スピーシィという膿をグラストールから取り除く事に積極的だった。

 ローフェンはその神輿に便乗した。勿論表向きはスピーシィを配慮する優しき王子としての評価を崩さぬようにしながらも、スピーシィを目の前から消し去ることに注力した。

 スピーシィが自分が発案した【神魔の塔】について否定的だったのも上手く利用した。元々は思いつきに近い、周囲の取り巻き達を満足させる為だけの提案だったが、いかにもその計画が素晴らしく、それを否定した彼女が分からず屋の愚か者になるよう仕立て上げた。

 本当に、なにからなにまで利用した。後先考えず、スピーシィを追放する事だけに全力を尽くした。


 彼女を追放すれば、

 目に見えぬ所に追いやれば、

 きっと、大丈夫。コレまでと同じで、大丈夫だ。


 本当に?本当に?本当に?


 ずっと、優しい微笑みを浮かべながら、疑心と強迫観念のただ中に彼はずっといた。

 哀しいことに、狡(ズル)と嘘に塗れた彼のこれまでは、自尊心というものを育むことを阻んだ。嘘をついたから、誤魔化したから、狡(ズル)をしたから。これまでやってこれたのだと彼は盲信していた。

 そうしてスピーシィを追い出して、プリシア姫を迎えて、王になって、子供も産まれて、それでも彼はまだ疑心と不安の中にいた。なのに、それを誰にも相談なんて出来なかった。


 だって彼は、偉大なるグラストール王国の「魔術王」なのだから。

 虚栄に虚栄を重ねて、魔術の王にまでなってしまったのだから。


 とうとう、自分では降りられなくなるくらいに積み上げてしまった虚栄の塔の頂上で、グラグラと揺れ続ける塔の天辺で、誰に向けることも出来ない悲鳴を彼はあげた。

 スピーシィに否定された【神魔の塔】は着々と完成に近付いている。その実体は何も成すことのない虚ろの塔であると彼だけは知っている。嘘が新たな嘘を呼んで、いよいよ誤魔化しきれなくなった大嘘を前に、彼は頭を抱えた。そして――――



『――――――唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖』




 触れてはならないものに彼は触れた。



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