彼女が何ゆえに王妃の座を奪わねばならなかったか
グラストール王国には賢姫がいる。
現国王の心を射止めた美しき姫君。
プリシア・クラン・グラストール。
しかし、元々の彼女実家であるフィレンス家は、決して表舞台に立つ家では無かった。
そもそもフィレンス家は、”戦いによって身を立てた家だったからだ”。代々、強い騎士を輩出してきた武門であり、王家の剣にして盾としていフィレンス家は成り上がってきた。
そんなフィレンス家の長女であるプリシアが、何故に王妃となったのか。
そもそも何故に彼女が王妃の座を当時の婚約者であるスピーシィから”簒奪しなければならなかったのか”?
理由はあった。実に明確な理由が。それは――――
「貴方誰ですか?興味ないのでどっか行っててください」
第一王子の婚約者のスピーシィが、どうしようもなかったからだ。
”病から回復し”復学してからというものの、交流会に一行に姿を見せない彼女になんとか顔を合わせて挨拶をしようとしたプリシアの前に現れたのは、酷い格好の女だった。
容姿が醜いだとか、大きな傷や火傷の跡があるだとか、そういった問題ではない。洗っていないのか髪はボサボサで、肌は荒れ放題。服はヨレヨレな上、魔法薬かなにかの異臭まで漂っている。
これは、これは貴族ではない。というか、女ですら無い。
自分とて、それほど自分の容姿磨きに頓着があるわけではない。同年代の少女達のように、やれ化粧水がどうだとか、やれ紅の色の流行がどうだとか、そんなもの、ハッキリ言って煩わしいとすら思っていた。
いたのだが、これは、限度がある。
「――――っわ、私はプリシア・レエラ・フィレンスと申します。お初お目に掛かります。スピーシィ・メイレ・クロスハート様」
「はあ、そうですか、さようなら」
そう言ってスピーシィは名乗りもせずに背を向けて自分の部屋に戻っていった。
マジかこの女。と声を出さなかっただけ、プリシアは辛抱強かった。
だが、割と本気でプリシアは目の前の現実に絶望していた。
アレが?アレがこの国の王妃になるのか?
何故あんな誰がどう見ても社会不適合者のような様を誰も修正してない?!
婚約者の第一王子とグラストール王家はこのこと理解してるのか?
結果、スピーシィとクロスハート家の状況を調査し、幾つかのことが判明した。
スピーシィが幼少時代に非常に厄介な呪いに近い病にかかり、殆ど外部接触を断った状態で寝たきりだったこと。引きこもり状態で魔術の研究に没頭し、まともな、貴族としての教育が成されていなかったと言うこと(どうやら長くないと家族は見なしていたらしい)。しかし驚くべき事に病状が回復した――――というか、自分でその呪いにも似た病を克服してしまった――――結果、王家もクロスハート家も誰も彼も、彼女を持て余してしまったと言うこと。そして彼女自身、病に冒され、それを家族に放置されたことで他人に殆ど興味を持てなくなってしまったと言うこと。
病という不幸な事故と、彼女の天性の才能と、それを許した環境。
幾つかの条件が重なった結果、あのモンスターが生まれてしまった。と言うことらしい。が、それを理解したプリシアは腹が立った。彼女が不運だったのは間違いない。彼女が厄介な存在なのもそうだろう。それを意図せず生みだしてしまったクロスハート家も、クロスハートとの関係が拗れることを畏れた王家の心情も理解できなくもない。
――だからって誰も彼も二の足を踏んで事態解決を自分以外の誰かに任せようとしているのは一体どういう有様なのだ!?
グラストール王国が斜陽を迎えている理由の一端を垣間見た気がした。
長い歴史の中で、関係性が拗れに拗れ、誰も彼も人任せになって積極性に欠く。声を上げて問題を指摘すればその責任を負わされる。結果、声はどんどんと小さくなる。周囲を伺う者ばかりが増えてくる。
が、しかし、あの社会不適合者と、それをヘラヘラと笑いながら仕方ないと受け入れている王子に任せていては、傾きかけていたこの国が本当に倒れる!!!
つまるところ、プリシアを突き動かしたのは、この国に対する危機感だった。
彼女は動いた。最初はスピーシィの状態の改善も考えたが、そもそも彼女とは接触する機会が無い。唯一いる友人も、彼女の改善は困難だと嘆いている状態だ。やむなく、彼女が(望んでいなくとも)座っている婚約者の席を蹴落とす方向にシフトした。
幸いにして、フィレンス家は高い地位の家名だ。これまで積極的に政治に関わろうとしなかっただけで、彼女に成り代わるだけの大義はある。そして好都合なことに――――不愉快なことに――――そうした暗躍に動き出したプリシアに対して、好意的な反応を示す者が多かった。誰も彼も、プリシアの事は問題視していながらも、彼女に関わることで厄介になることを避けていた。面倒だと、やるべき事をやらない者達が、プリシアという神輿を発見し、喜んでいたのだ。
なんたる怠慢。なんたる怠惰か。
そう思いながらもプリシアは彼ら彼女らを利用した。
無論、協力的では無い者もいた。そう言った者達もプリシアは見事に懐柔した。行動似起こすまで気付くこともなかったが、彼女にはそういったセンスがあった。容姿も磨けば磨くほど輝いた。会話も、相手の隙をついて、的確に入り込む技術を要領よく吸収していった。
言葉を交わし、牽制し、隙を見計らい、急所へと言葉をぶつける。
油断なく、隙を見せず、それを繰り返していけば、勝利は手中に転がり込む。
こうして彼女は瞬く間に根回しを行い、終いにはクロスハート家と王家にも段取りを付けた。スピーシィという腫れ物をグラストール家から取り除く。無論、その結果、両者に傷が付かないように取り計らう。そう約束すると喜んで彼等はプリシアを受け入れた。
これがスピーシィの追放騒動の経緯だ。プリシアはこうして王妃の座をもぎ取った。
悲劇の姫にして、魔女スピーシィに乗っ取られようとしていたこの国を救い出した賢姫、という冠を、彼女は被った。そして婚約し、表向きには王を立てつつ、裏で政治を支配した。長い歴史の中で蔓延っていた腐敗と停滞を切り込んでいった。
幸か不幸か、【神魔の塔】という追い風もあった。プリシアは魔術については疎く、それ故にその仕組みまでは理解できなかったが、無尽蔵の魔力は倒れかけていたこの国を支えるに十分な力を有していた。
それを生みだした夫、ローフェンをこの時は見直したものだった。
――スピーシィを大事な婚約者だとうそぶきながら、問題ないとわかれば即座に切り捨てるような男だと思っていたが。人間必ずしも一つは才能は持っているらしい。
魔術に明るくない彼女にとって、魔術は唯一ローフェンに任せられる分野だった――――それが過ちであったということは後に判明する訳なのだが。
ともあれ、こうして、彼女の王妃としての生活は順風満帆に進んでいった。
問題があったとするならば。
「グラスター家との進んでいた空白地の共同管理交渉ですが、見送る事になりました」
「理由はなんですか」
「より好条件を出したギルドに奪われました」
「……何処に?」
「【S】を名乗る通商ギルドが」
「――――
追放したスピーシィが、何故か覚醒してしまったのである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
スピーシィは辺境の地ゼライドの監視塔に追放した。
2度とグラストールには関われないような忌むべき土地の監視者として生きていく。その追放刑をプリシアは望んでいたかと言われれば、そうではない。どちらかというとこれを望んだのは彼女の実家であるクロスハート家であり、王家グラストールである。
要は、厄介者の彼女を2度と表に出したくは無かったのだろう。
恐ろしい【奈落】が無数に存在する、グラストール王国の忌むべき土地。罪人達だって此処に流されるくらいなら奴隷として一生罪を償った方が良いと言う者も少なくない。そんな場所に彼女を追いやることに対して、良心が痛まなかったと言えば嘘になる。
別にプリシアはスピーシィに対して個人的な恨みや妬みなどはなかったのだから。
が、しかし、国を護るため必要なことだった。
プリシアは言い訳しなかった。自分は彼女を辺境の地へと追いやった。国を護るために、無実の罪をなすり付けて、容赦なく追い出した。
最低限、死なないように、塔の整備だけはおこなって、生きていくだけなら何とかなる程度の監視体制だけを用意した。後は塔の中で、好きなだけ魔術の研究に明け暮れたら良い。と、プリシアはそう思っていた。
ところが、だ。何故か彼女は覚醒した。
覚醒である。監視塔の全状況を掌握すると、塔周辺の【奈落】の封印に着手、成功を収め、更にその実績でもって複数のギルドに交渉を行い、大量に開いているゼライドの土地に無数の魔草農園を建築。それを元手に商売を初め、恐ろしい勢いでこの国への影響力を高めた。
そしてその資金と影響力でもって、グラストール家に嫌がらせという名のケンカをふっかけてくるようになったのだ。
いや、それだけ出来るのなら最初からそうしろ!?
何故に何もかも手遅れになった後、政治力に覚醒するんだ!!最初からそれができていれば、自分が王妃などという地位に就く必要性など無かったのに!!
と、キレちらかしたかったが、そうもいかない。突如として始まった彼女の干渉に対して、プリシアは抵抗することを余儀なくされた。のほほんと自分の夫が、神魔の塔の生み出す莫大な利益に鼻高々としている間に、プリシアはその裏でこの国の利益を蚕食し、貪欲に影響力を高めつつあるスピーシィとの静かなる大戦争に明け暮れていた。
スピーシィが魔法薬に干渉を手を延ばせば、プリシアがその手を断ち切る。
プリシアが新たなる土地開発へと手を伸ばせがば、スピーシィがその手を払いのける。
スピーシィが【奈落】を封印すれば、即座にプリシアがそこに干渉を開始する。
プリシアが魔獣の駆除に成功すれば、いつの間にかスピーシィが魔獣の解体事業に手を付けている。
もはや、殴り合ってるのか助け合ってるのか、足を引っ張り合ってるのか、高めあってるのかも分からないような状況が20年間ずっと続いた。そして、そして――――
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
グラストール王城、離宮にて。
「…………ん」
プリシア・クラン・グラストール。は目を覚ました。
目を覚まして早々に、プリシアは状況の把握に意識を注いだ。
自分は停滞の病にかかった。アレはどのようにして回復するかもわからない不可逆の病だった。にもかかわらず、今自分がこうして目を覚ましていると言うことは、病を回復するための手段が確立したと言うことだ。
それが意味するところは――――
「目を覚まされましたか。王妃。ご快復喜ばしく思います」
従者の女が水差しを差し出してくる。プリシアは無言でそれを受け取ると、一息で飲み干した。ありがたいことによく冷えていた。長く眠っていた身体が覚醒へと向かう。
「状況はどうなっていますか?」
いの一番にプリシアの口から飛び出した言葉は、呪いから解けた眠り姫の言葉ではなく、戦場で意識を覚醒させた指揮官のソレだった。
「全ての原因が判明しました」
「【塔】ですか」
「よくおわかりで」
「流石に、幾ら魔術に疎い私でも気付きます」
遅すぎましたけどね。と、プリシアは苦々しい顔を浮かべた。
停滞の病の蔓延が広がるごとに、夫であるローフェン王の挙動不審が加速したのをプリシアはちゃんと観察していた。あの男が、何かを隠すように狼狽えるときは、自分の事だけだ。そして、王都全域はおろか、それ以上まで広がるほどの影響力があって、ローフェンが関わりがあるのは【塔】しかない。
正直言って、信じたくは無かったが、その可能性には既に思い当たっていた。だが、突き止めるよりも前に、自分までもが停滞の呪いにかかってしまったのが、致命的だった。
なんとか、自分の代わりに原因を突き止められる者を呼び出さなければ。
それも、ローフェンの影響下になく、魔術の知識にとびっきり優れている者。
そう考えたとき、思い当たる人材は一人しかいなかった。
正直、今でも求めて言い助けだったのかは疑問だが、病からはこうして回復しているのは間違いなかった。
「この病は怠惰の魔女……スピーシィが回復を?」
「ええ、その通りです」
「………………礼を言わなければならないですね」
とてつもなく嫌ですが、と深い溜息をつきながら、プリシアが零した。すると、
「あら、そんなのいいんですよ。私と貴方の仲じゃ無いですか、プリシア」
と、
「…………………げえ」
プリシアは姫あるまじきひきつった声を上げた。
「あら、可愛くない声ですね、プリシア。元気そうで何よりです」
エプロンをかけて、従者の格好をしたスピーシィが心底楽しそうな顔をして笑っていた。目覚めてから最初に顔を見たくない女ナンバーワンがそこに居た。
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