最後の手段



 地面が揺れ動いて、消えて無くなり、護るように抱えていたスピーシィと共に落下した瞬間、自分はもう死ぬのだとミーニャは思った。


 ああ、結局この悪友に巻き込まれて死ぬのか私は。

 とか

 まだ仕事残ってるのにバレンタイン商店は大丈夫かしら。

 とか

 夫と息子達ともっと沢山話をしておけばよかった。

 とか

 そういった事をグルグルと考え続けていた。考えていたのだが、思ったより長いこと、その時間が続く事に気がついた。しかも不意に、地面にべちゃりと倒れ込んでいた。地面にぶつかった瞬間、身体が潰れる様なことも無かった。

 怖くて目を瞑っていたのだが、開いてる。すると、


「……此処は」


 景観が変わっていた。

 地下深くの、生々しい肉壁に覆われた空間ではない。それどころか、建物の中ですらない。神魔の塔よりはまだ背が低いが、かつてはランドマークになっていた時計塔の屋上に、何故かいつの間にかスピーシィと共に座り込んでいた。


「こ、此処は……」

「全員、無事か……?」


 ガイガン達も一緒に移動してきたらしい。一瞬にして地下から地上へと、この大人数で移動してきたらしい。もしや幻覚の類いなのではと疑って頬をつねってみたが痛みがあった。幻覚ではないらしい。

 だが、だとしたらどうやって?


「転移の、術?スピーシィ、アンタが使ったの?」

「むー、うむむー」

「あら、ごめんなさい」


 思いっきり抱きしめすぎて顔が完全に塞がってじたばたしてるスピーシィに気がついて手を離す。顔を真っ赤にさせて荒く呼吸を繰り返したスピーシィは溜息をついた。


「死ぬかと思った-。で、私じゃ無いですよ。この大人数を転移させるなんて私だってできるもんじゃありません」


 転移の魔術なのは間違いないですが、と彼女は付け足す。だが、そうなると


「じゃあ、どうやって?誰が?」

「この規模だと、古の神々の【神器】じゃなきゃ無理でしょうね。で、誰がっていうと」


 でしょう。と、スピーシィが指さした。その先には複数の人影が見えた。


「――――……」


 黒髪に幼い容姿の少年少女達が、まるで自分たちを取り囲むようにして立っていた。黒髪はこの国では珍しくて、それがこれだけの数いるのが異常だったが、それよりも更に異様だったのは――


「クロ、少年…?」


 彼等全員、スピーシィの傍で倒れているクロ少年に、うり二つだったことだ。性別や背丈が違って見えても、容姿や雰囲気はそっくりだ。兄弟姉妹?とも思ったが、そんな雰囲気でも無い。


「影の騎士団の皆さん、ですかね?」


 スピーシィが問うと、一人が前に進みでた。彼等の中で最も背丈の高い、クロ少年が成人になったような姿の男は、スピーシィの前で頭を下げる。


「同胞を救い頂き感謝します」

「助けて貰ったのは私ですがね」


 一人の影の騎士達が倒れていたクロ少年を抱え、また他にも倒れていた魔甲騎士達を介抱しだした。恐ろしく手際が良かった。


「状況が切迫しているのは把握していますが、此方の説明は必要ですか?」

「クロくんと貴方たちの事はおおよそ察してるので良いです。それどころじゃないですし」


 そういってスピーシィは時計塔の柵から外を眺める。視線の先は、神魔の塔の方角だ。正確には、神魔の塔が”あった”方向だ。

 現在、彼女の視線の先にあの美しい真っ白な塔は存在しない。代わりに存在するのは、


『唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖唖!!!!』


 赤黒く、禍々しい、肉塊のような悪魔の姿だ。


「あーあーあー大変」


 スピーシィのやや軽い言葉でも全くごまかしの利かない大惨事だった。よりにもよって王都の、それも中心も中心に絶対に招いてはならない悪魔が出現してしまった。怠惰の病によって表に出ている人間が少ないことを不幸中の幸いと言うのは皮肉が過ぎるだろう。その山医の原因があの悪魔なのだから。

 悪魔はまだ動かない。だが、もし不意にあの巨大な六つの腕を振り回せば、それだけで即座に惨事が起こる。周囲の建物の中が全て無尽だなどという奇跡はあり得ないだろう。


 最早、猶予は無い。すると、その光景を一緒に眺めていたガイガンが溜息をついた。そしてそのままスピーシィの方へと向かうと、跪いた。


「スピーシィ様。ここまでのご助力、本当にありがとう御座いました」


 そして彼の部下達も同じように跪いた。スピーシィを見上げる彼等の表情には強い覚悟があった。


「これから、どうするんです?」

「アレを止めます。我が国の不始末です」


 無論、言うまでも無く肉体が顕現した悪魔はまともにやりあえるものではない。しかも話を聞く限り、アレは十数年間、この国に魔力を供給する傍ら、その余剰を自分の力に変えてきた。その力は計り知れない。

 彼等とて、それは分かっているだろう。しかし、その決意は揺らぐように見えなかった。


「あのボンクラ王のやらかしですよ?」

「王の道を正せなかったのは騎士の過ちです。もっと出世に積極的になるべきでした」


 スピーシィの指摘に対して、ガイガンは少し恥じ入るように笑った。確かに彼はおべっかが苦手で、出世できなかった。今、騎士団の組織内で影響力があるのは、内外で国の脅威と戦う危険な役割を背負った魔甲騎士団ではなく、安全な場所でぬくぬくと彼等に指示を出している者達だ。

 そんな彼等に任せて王を放置したこと事態を、ガイガンは恥じて、責任を感じている。本当にどこまでも真面目な男だった。彼は部下達に目配せし、そして最後に小さく微笑み頭を下げた。


「それでは、失礼し――」


 そう言って、背を向け悪魔のもとへと駆けだ―――そうとした瞬間、突然、彼の周囲に光の鎖が出現し、彼等を全員一人残らず拘束した。


「ぐえ!?」

「本当には真面目ですね。少し好きになりました」


 なにが起きたかといえば勿論スピーシィの魔術だ。彼女は普段浮かべる相手を嘲弄するような笑みとは違う、少しだけ子供のように、楽しそうな笑みを浮かべて騎士達全員を拘束した。


「う、動けないのですが」

「無駄死にとはいわないですけど、まだ少しだけ猶予がありますのでお待ちくださいな」

「猶予?」


 と、言ってる間に王都の中央で暴れる悪魔に変化が起こった。突如、何か戸惑うようにうろうろと周囲を見渡し、目に見えない羽虫でも払うように動作する。なにが起きているのか最初はミーニャ達には何もわからなかったが――――


「……あれ、は?」


 次第に悪魔の動きを阻害している”モノ”が実体化し始めた。ガイガン達を縛っている者と同じ半透明の鎖が、悪魔の身体を拘束していると気がついた。


「アレとお喋りしている間に、少し仕込みました。時間稼ぎですが」

「あんたホント出鱈目ね……」

「私だって、実体化した悪魔を正面から魔術をかけるのは難しいですよ。ですが、さっきまで私達、アレの体内に居たわけですからね」


 悪魔がどれだけ異常な存在で、この世の理から外れていようとも、肉体を手に入れた以上それは生物だ。臓器の内側から攻撃をしかけられて、抵抗できる生物はいない。


「多重の行動呪縛をかけました。一時間は動けません」

「……!助かります!今の間に住民の避難を進めます!!」

「悪魔の周辺の住民は一キロくらいまで全員どっかやっといてくださいね。そーれーと」


 と、スピーシィは振り返り、影の騎士団達に視線を移した。騎士達はじっと、スピーシィが話しかけてくるのを待っていたかのようだった。


「こういう状況ですから、勿論案内してくれますよね。?」

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