魔術師の戦いと塔の真実
数年前
グラストール王国、スタンホール騎士養成施設
去って行った神々の残した残滓ないし模倣である魔術という才覚を有した貴族達。彼等はその特権故に、騎士として国を護る義務が産まれる。魔術により世界に空いた穴、【奈落】から這い出てくる【魔獣】達。その主とされている【悪魔】の邪悪なる企み。そして勿論、言うまでも無く、征服の企みを有した国々。そう言った様々な敵からグラストールを護るために、対抗できる騎士を生み出すための養成施設。
「何故貴族が騎士とならねばならないか。魔術には魔術でしか対抗出来ないからだ」
最も実戦経験の豊富な騎士、魔甲騎士団の騎士隊長であるガイガンはその日、養成施設に出向、指導を行っていた。
15で魔術師でなく、騎士としての道を選んだ者達は此処で1年の修練を行った後に、それぞれの騎士団に入隊する。当然、この中には魔甲騎士団に入る者も居るだろう。未来の部下となるかも知れない相手と考えれば、わざわざこうして出向いて指導を行うことも苦労とは思わなかった。
「魔術を使えぬ兵士達では対抗できない強大な敵達と闘うことこそが我々の使命だ。気を引き締めろ。騎士となる以上、楽な道は無いぞ」
ガイガンは真剣な表情で、騎士としての役割を説く。普段の指導教官とは違う自分の言葉を、見習い騎士達は真剣な表示で自分の指導を聞いていた。
「ガイガン教官。疑問があります」
が、しかし、少しばかり元気の良い見習いも中に入る。
「なんだ」
「そんなに、魔術って強いんですか?」
かなり、挑発的な言葉だった。
「魔封じの護符、呪い除け、回復薬、昔と違って魔術の抵抗手段は現在は豊富にあります。そしてそれらは、魔術師で無くても使えます。なのに、特権階級である僕らが直接たたかうなんて馬鹿げていませんか?」
「だから、自分たちではなく、兵士達に闘わせろ、と?」
「今の騎士のやり方が古くさいな、とは思ってます。何よりこの国には【塔】がある!無尽の魔力を使えば、無魔の連中を最強の兵士にだって出来るはずだ!」
口憚らず、見習い騎士の少年はそう言った。顔には自信が溢れている。恐らくだが、魔術師として結構な知識を収めているのだろう。こういう頭一つ抜けた優秀で、その優秀さ故に頭二つ以上の傲慢さを身につけてしまった者というのはよく居る。
だからガイガンも頭ごなしに彼の言葉を否定することは無かった。なるほど、と小さく肯定し、頷いた。
「よろしい。では実戦しよう」
見習い騎士を前に立たせる。彼の前に、見習いのときは決して身につけない、本物の騎士の鎧を並べた。元々、今回の訓練で装着させる予定だったものを彼に与える。
「今お前達が身につけている騎士の鎧は、魔術師、魔獣の類いを相手にする時のための十分な装備だ。魔術を使えなくとも身につけるだけで恩恵を授かる事が出来る」
身につけた見習い騎士は、鎧を身につけたことで少しばかり高揚した様子だった。それがバレるのが恥ずかしいのか少し顔を伏せるあたりは年相応で可愛いものだった。
「対して此方は武器も防具もない。素手でお前に相対する」
その彼の前にガイガンは立つ。今言ったとおり、ガイガンは軽鎧すらもはずして、騎士の剣も装着しなかった。唯一、携帯用の魔術師の小さな杖を一本だけ、片手に握っている状態だ。
「魔術を一切使わず、魔術師(わたし)を抑えろ。私は一歩も動かない。10秒以内だ」
その言葉に、見習い騎士はニヤリと挑戦的に笑った。
そして不意を突くように一気にガイガンに向かって突撃した。悪くない速度だった。少なくとも訓練を適当にサボっている男の動きではない――――が、
「――――1」
「っい゛!?」
と、ガイガンがカウントした瞬間、ほんの僅か、ガイガンは杖を動かす。途端、見習い騎士の真横に突如巨大な石の柱が出現し彼を追突した。見習いが装着する鎧は魔術の衝撃を防ぐ鎧ではあったが、物理的な衝撃を吸収するのは限度がある。見習い騎士は無様に吹っ飛んだ。
「2、3、4」
「おぎゃ!?ぐえ、ごば!!」
カウントは進む。転がった騎士に石柱の追突は続く。まるでボールのように吹っ飛びながら、見習い騎士はグラウンドを転がり続けた。馬車にでも轢かれたような飛び具合であるが、それでも見習いが死んだりしていないのは、騎士鎧の護りの護符が十分に機能しているが故だろう。
「5、6、7」
「ぼぼぼがあ!!ぐげえ……!!」
空中から水が降る。その水の何割かは鎧に備わる打ち消しの魔術によってその威力はかなり軽減されている。が、圧倒的な水の質量全てを打ち消すことは適わない。消されず溢れた水が彼の周囲に滞留し、その水が牢のようになって彼を覆い尽くす。
「8、9」
「……………!!!」
水に覆われて、身じろぎ一つとれなくなった見習いはバタバタと藻掻くが、どうにもならない。哀しいかな防護の護符が彼の命を守る働きをしてくれているが、それだけだ。逆に意識を失わない事が無力感を強めた。
「10。さて」
「…………」
ガイガンは足を動かして、杖を卸した。憐れなる見習いは地面に倒れ伏してピクリと妄語か無かった。鎧のお陰で大した怪我は負っていないだろう。心の傷についてはどうだかわからないが。
「他に、魔術の強さに疑問を持つ者がいれば実戦に付き合うぞ」
ガイガンの言葉に、手を上げる者は一人も居なかった。流石にこれで意気揚々と挙手してくる輩がいては困る。
「解析で相手の魔術を理解し、消去の魔術で相手の魔術を阻害し、打ち消す。結界で護りを固める。呪い返しで反撃する。魔術師としてそうした備えと反撃を流動的に行えなければ、魔術戦は話にならん」
魔獣相手でもそれは同じだ。魔力を生みだし、それを活用してくる敵を相手取る場合、それに対する対抗手段を自分で持っていなければならない。
勿論、先の見習いが言っていたように、当人の魔力に頼らない道具というものの発展はめざましい。それはガイガンも認めるところだ。が、しかし、まだ、魔力を生み出せる者が、生み出せない者相手にどうこうできるほどではない。
「魔術師で無くては、そもそも戦いの舞台にも上がれない、ということだ。強力な神器……魔剣の類いなどがあれば変わるだろうが、それでも限度がある」
見習いがよろよろと立ち上がり、がっくりと項垂れる。少し意地悪をしすぎたらしい。ガイガンは彼の背中をポンポンと叩くと、先程と同じく仲間達の所に整列させた。
「魔術師なら、どんな敵であろうとも戦える、と」
別の見習い騎士が手を上げて問う。ガイガンは頷き、しかしその言葉に付け足した。
「
「……拮抗していなかった場合は?」
恐る恐る、尋ねる。ガイガンは肩を竦めた。
「魔術師同士でも、今のような悲劇が起こる」
びくりと、ずぶ濡れになった騎士が身体を揺らした。それ以外のみならい達も神妙な表情だ。想定とは違う展開になったが、よいデモンストレーションになったらしい。
「我々が、死に物狂いで訓練しなければならない理由が分かったか?【塔】がどれだけ無尽の魔力を与えてくれようとも、個人の技量次第では宝持ち腐れだ!!!」
声を張り上げ、ガイガンが活を入れる。みならい達の背筋が伸びた。
「今日は貴様等に魔術戦を徹底して叩き込む!!!魔獣による【強化】を維持したままグラウンド100周だ!!一時間で終わらせるぞ!!!」
ガイガンの声と共に、地獄のしごきが始まった。
まだ、グラストールが恐るべき停滞の病に冒される前の、輝かしき日々の一幕だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
魔甲騎士団隊長、ガイガンの頭に過ったのは、昔の養成施設の出来事だった。
何故この切迫したこの状況でそんなことを思い出すのか。”理由は分かっている”。が、さりとてあしをとめるわけにはいかなかった。
「制圧せよ!!反撃を許すな!!奇妙な魔術を使われるぞ!!」
部下達に指示を送り、怠惰の魔女が逃げ込んだと思しき店内の制圧を開始した。怯える店員達を押しのけて、幾つかの商品を破損させながらも騎士達は瞬く間に店内を駆け上っていく。
誉れ高き騎士団とは思えない狼藉であることは否定出来ない。が、現在王都に蔓延する病の元凶を抑える事が出来るのなら、どのような犠牲を払おうとも逃すわけには行かなかった。バレインタインの店の者が魔女に与する理由までは不明だが、しかしそれは捕まえてから考えれば良い事だ。
自分はグラストール王国最強の剣だ。結果を持ち帰れ無いなどと言う無様は晒せない。
「上階に魔女を発見!!」
「取り囲め!!油断するな!!拘束、封印術式準備!消去魔術を多重に展開しろ!」
「護符も重ねますか!?」
「無駄だ!!魔女には通じない!!!」
そして、流石、と言うべきだろうか。瞬く間にターゲットの魔女の包囲に成功した。停滞の病にかかったと思しき国民達の眠る寝室の奧で、先程もいた黒い少年騎士が庇うように立つ後ろで、黒いローブを纏った魔女を、部下達が囲っていた。
今度は先程よりも距離を開けている。万が一再び魔術をかけられても問題無いように、建物を幾重にも包囲していた。
「最早逃れられんぞ!魔女よ!」
「まあ、元気ですねえ」
魔女スピーシィは、しかしこの状況下にあっても冷静だった。頼りにしている少年騎士も、この密集した部屋の中で動き回ることも出来ないだろうに、それでもまるで余裕を崩す様子はない。
まだ何か、魔女の業があるのか!?
既にガイガンも、この魔女が尋常では無い魔術師である事は察していた。少なくとも魔甲騎士達の魔術の腕では、どうにもならないくらいの圧倒的な格上であると言うことを。
しかし、だからといって怖じ気つくわけにはいかない。
彼女が【停滞の病】の手がかりであるというのなら、逃すわけにはいかないのだ。いかに自分に下された命令が奇妙であろうとも、王国の存亡が掛かっているのだから!
「拘束術式!!」
殺傷能力のない拘束術式を起動させる。取り囲んだ騎士達が一斉に動く。
術は統一性は無い。属性も違えば、手法も異なる。呪いの類いや、物理的なものもある。一つの対策で潰れても、別の魔術が対象を捉える陣形だった。
「放て!!!」
指示の通り、魔術を稼働させた。無数の輝きと共に、多様な魔術が一斉にスピーシィへと向かった。が、
「【鏡よ鏡よ鏡さん】」
「何!?」
放たれた拘束魔術が跳ね返る。呪いも、魔術の縄も何もかも、放った主に向かって跳ね返る。何人かが身動きが取れずに地面に倒れる。ガイガンは咄嗟に背後に跳ぶが追撃するわけにはいかなかった。
相手の魔術が掴めない。”呪い返し”の類いなのは間違いないが、ここまで精度の高い物は見たことが無い。
「あ、なんか麻痺の魔術も混じってたんですかね。あそこの騎士さんビクンビクンしてておもしろーい」
「巫山戯てる場合じゃ無いでしょ!」
スピーシィはクスクスと笑い、そんな彼女に対して協力者のバレンタインの長女はツッコミを入れる。見る限りバレンタインは魔女の協力者だが、しかし彼女を傷つけるわけには行かなかった。現在の王国は弱っている。下手な貴族との敵対は致命傷に繋がりかねないのだ。
それを理解していて、バレンタインは魔女の傍を離れようとしないのだ。周辺一帯を破壊するような攻撃を抑止しようとしている。学生時代の友人だったらしいが、厄介なことだった。
彼女を巻き込むような攻撃魔術は使えない。ならば、
「【炎よ剛力となれ!!】」
強化術を自分に重ね、地面を蹴る。床が踏み抜きながら、一気に接近する。スピーシィの前に構えた少年騎士が魔剣を構える。剣が交差し、鈍い金属音が響いた。
「っぐ!?」
「どけぇ!!!小僧!!!」
魔剣の闇が脈動し、少年騎士の身体を覆う。向こうも魔剣による強化を重ねている。先程、彼の恐ろしい身のこなしを見た。だが、此処にちょろちょろと動き回るような広さは無い。なにより、少年が護るべき魔女は彼の背後にいる。その場を動くわけにはいかない。
動き回ることが出来ないなら、力の足らない子供にすぎない!
「やれぇ!!」
指示を出した瞬間、ガイガンと同じく強化されたき部下達が、周囲から飛び出す。バレンタインを引き剥がし、魔女スピーシィを押さえ込み、拘束する。届いた、と、そう思った。
だが、魔女の笑みは変わらぬまま――――
「ああ、残念。
「っが……!?」
次の瞬間、突然騎士達が地面に倒れた。まるで身体が誤作動を起こしたようにゴロゴロと地面に転げ落ちる。同時にガイガンも急速に身体が重くなっていくのを感じ取った。
大地の魔術による拘束術か!?
とも思ったが、違う。自分が先程自分自身に施した強化の術、手足の部分がそっくりそのまま、重しを取り付けたようになっている。これは――
「強化の、反転……!!」
弄ばれている。
魔術の技量の差、というものは残酷極まる。どれだけ準備をしても、卓越した魔術師が相手となると、一方的にあしらわれる。まるで神々の大きな手の平の上であやされる猿のように。かつて自分が見習いの騎士にしたのと同じだ。
彼女にとって自分たちは魔術が全く使えないのと同じなのだ。それほどまでの差がある。
歯噛みする。彼女を捕らえるヴィジョンがまるで浮かばない。ガイガンは優れた騎士であり、魔術師であるが故に分かってしまう。この女はどうしようもない
だが、それでも諦めるわけには――
「さてさて、そろそろですかね」
魔女がそう言った。
そしてその次の瞬間、彼女を最前線で取り囲んでいた魔甲騎士達の一部が、がくりと膝をついた。
「ぐ……?」
「か、身体が……」
一人、また一人と崩れていく。今度は魔女は詠唱の類いを口にすらしていないのに、次々にだ。ガイガンは叫んだ。
「貴様!また何か仕掛けたのか?!」
「なんにもしてませんよ。少なくとも、ワタシは」
そんなことを言っている間にも次々に倒れていく。自分のすぐ側で膝を突いた部下を咄嗟に支え、そして兜をはずしてその様子を確認したガイガンは愕然とした。
「まさか、コレは……」
部下達の顔色が土気色に変わっていた。顔の筋肉すら硬直しているのか、苦悶に歪んだまま、固まりつつある。助けを求めるように部下がガイガンへと手を伸ばすが、その手も、ガイガンがとるよりも速く、その状態のまま硬直してしまった。
「停滞の……!!」
通常の進行と比べてあまりにも速いが、間違いなく停滞の病だった。元々、前触れの無い病であることは分かっていたが、それにしたってこの進行の早さは限度という物がある。
つまり、これは――――
「やはり、貴様が、元凶か……!!!魔女め!!!」
その結論に彼が至るのは必然だった。状況があまりにもできすぎていた。
ガイガンは倒れる部下達をそっと地面に倒すと、重くなった身体を引きずるようにしながら、一歩一歩魔女に向かっていく。時分も停滞の魔術をかけられるリスクも無視した。何としても此処で彼女を仕留めなければ、本当に国が滅ぶ。
「違うんですけどねえ」
鬼気迫るガイガンに対して、やはり魔女はまるでその場を動かない。
「まあ、流石にほったらかしも可哀想ですし、仕方ありませんね」
ガイガンは剣を振りかぶり、ふり下ろす。精鋭である魔甲騎士団の隊長である彼の剣の腕は紛れもなく達人のものだった。例え相手が恐るべき秘術の使い手であろうとも、一瞬で切り伏せる自信が彼には会った。
「【ねんねんころり】」
強化の反転で、肉体が重くなっていなければ、それができただろう。
少なくとも、彼女を護るように立ち塞がっていた少年騎士の魔剣は叩き切る事は出来たかもしれない。
だが、剣は届かず、無念の内に彼の意識は闇に沈んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そして翌日、彼は目を覚ました。
「……なんだと?!」
そう、ガイガンは目を覚ましたのだ。
停滞の病の進行は、彼の知る限り”ほぼ”不可逆だ。病が発症し、身体が動かしづらくなれば、もうどうしようもない。瞼も開かなくなって、そのまま永久に眠り続けるのだ。
例外はごく僅かしか無い。はずだった。なのに自分は目を覚ました。
身に纏っていた魔甲鎧は全てはずされた状態だった。古くかび臭いベッドから身体を起こし、自分の身体の状態を確認する。気を失う直前の身体の不自由はない。まるで無事だ。
しかし、それを喜ぶよりも、疑念の方が遙かに大きい。
「部下達は……!?」
周囲を見渡すと、周囲のベッドに部下達が自分と同じように眠っていた。しかも
「……う……」
「ぐ……ぅ……」
自分と同じように、停滞の病に冒されていたにも関わらず、完全に停止していない。むにゃむにゃと間抜けな寝言を口走っている者も居るが、全員無事だ。
やはり解せなかった。自分たちだけが特別な存在だったからだ。などという都合の良い妄想に逃げるつもりもない。だとすれば、やはりあり得るのは。
「あら、起きたのですね。おひげの人」
「魔女……!」
怠惰の魔女、スピーシィだ。
「お前が停滞の病を操っているのか!!」
で、あればこの不可解な病の回復の理由にも説明が付く。
病を操れるのならば、癒やすことも自由自在だろうと、そう考えるのは自然な事だった。が、しかし、魔女はふくれっ面になりながら手に持っていた杖をガイガンの額にぐりぐりと押し当てた。
「ちーがーいーまーす」
抵抗は出来なかった。回復はしたとはいえ、異様な疲労感は未だに身体を包んでいた。代わりに舌を回す。今は出来るだけ、情報を集めなければならない。一流の魔術師相手に言葉を交わすことなど自殺行為も良いところだが、最早術中であることを考えれば形振りも構っては居られない。
「では何故我々が停滞の病に冒された!?貴様は我々に何をした」
「何にもしてませんよ」
だが、返ってきた答えは、何の役にも立たないものだった。ガイガンは唸った。
「そんなわけが……!?」
「自業自得、貴方は寝不足です。
「それはどういう……ぐ……?!」
「というわけで、眠っててくださいね。その間にワタシは帰りますから」
カン、と、魔女は舌を鳴らす。途端、眠気が来た。停滞の病とは違うが、抗いがたい眠気だった。ガイガンはグラグラと頭を揺らしたが、咄嗟に拳を自分の頬に打ち付けた。力加減が出来ずに口を切るが、眠気は多少収まった。
「眠れるか……!!!全てを……教えろ魔女よ!!!」
魔女の腕を掴もうとして、ひらりと躱される。
だが、逃がすわけにはいかない。彼女が今、この混迷を極めている王都で一番真実に近いところに居るのだから……!
「あらまあどうしましょ。無理矢理眠らせたら、今度は舌でも噛みそうですねえ」
「さっさと教えてあげたほうが良いわよ。スピーシィ」
そこにバレンタインの長女がやってきた。水桶などを運んできていることから、自分たちの看病をしてくれていたのは彼女であるらしい。やや乱暴に絞った布を部下達の額にあてながら、自分を睨んだ。
「その人知ってるわ。ガイガン騎士隊長よ。グラストール王国の民を護るために身命を賭してる人気者。潔白すぎて出世も出来てないけど、国民を護る忠誠心は本物……此処で放置して帰ったら、下手すればアンタの塔までやってくるわよその人」
「ストーカーですね」
酷い言われようだが、彼女の指摘は正しい。
もしも此処でスピーシィを逃がしてしまったのなら、地の果てまで追いかけるつもりだった。それくらい、今の王都は滅亡の危機にある。例え彼女が自分たちを助けたとしても、自分のやっていることが許されがたい蛮行であったとしても、躊躇うつもりは無かった。
「国家存亡の危機に必死になりすぎて視野が狭くなってるだけ、頭が固いわけじゃないわ。さっさと説明すれば落ち着くわよ……私も、気になるしね」
そう言って、彼女はチラリと自分の背後を見る。すると、彼女の背中には何人かの少女達が隠れるようにしていた。
「どうやってアンタが停滞の病からウチの従業員を助けたのか」
どうやら彼女たちもまた、ガイガンと同じく停滞の病を患っていたらしい。そしてそれをスピーシィに救われたのだ。ますますガイガンは彼女を逃がすわけにはいかなくなった。
振るえそうになる身体を押さえて立ちあがり、彼女の前に立ち塞がった。そんな自分を見て、スピーシィは深々と溜息をついた。
「……ま、いいでしょう。と言っても、本当にワタシにはどうしようも無い話ですよ?」
彼女はそう言うと、開いているベッドの一つに腰掛け、足を組む。そして杖でベッドを叩くと、部屋の家具が動き出した。詠唱も使わず自在に物質を動かしながら、彼女はまるで学園の教師のように響く声で、話し始めた。
「さっきも言ったとおりです。寝不足です。正確に言えば、体内の魔素(マナ)の」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「さて問題です。魔力ってどう創られるでしょう」
そう言って此方に尋ねる魔女の姿は、何故か学園の教師の制服のような格好をしている。どこから持ってきたのか不明であるがいつの間にか着替えていた。
そしてそれを聞くガイガン達は、魔女が用意し並べたテーブルと机について、授業を受ける生徒のような状態である。ガイガンの部下達も、バレンタインの長女も、あの黒い少年騎士も、誰も彼も彼女の前にならんで座っている。
なんのごっこ遊びだ、と思いもするが、ガイガンは黙った。折角喋る気になっている魔女の機嫌を損なうような真似は出来なかった。
そのガイガンの意図を察知したのか、部下達もこのごっこ遊びに付き合うことにしたらしい。ガイガンの隣の部下がおずおずと手をあげて、魔女の問いに応じた。
「……適正のある人間、貴族が魔素(マナ)を体内に吸収して精製します」
「はい、正解。じゃあ使用した魔力はどうなります?」
「霧散して魔素に戻ります」
此処までは、魔術を学ばねばならない貴族なら誰もが知っている内容だ。此処に居る全員、栄えある魔甲騎士団の騎士達ならば、しっていて当然だった。何故こんな当たり前の話をするのだろうか。
「魔力ってすぐに精製出来ますか?」
「いいえ、新たな魔力を創るための魔素吸収をしなければならない。魔力化にも時間がかかります」
「はい、よくできました」
魔女はそう言って微笑みを浮かべた。そうしていると、本物の優しげな魔術の講師にしか見えない。質問に答えた部下もなにやら今の状況を忘れて嬉しそうにしている。叱責したくなったがこの空気を崩すのも憚られた。
「魔力を創る事が可能な生物であっても、魔素を魔力化するのに時間がかかる。というのは判明していた事実です………が、実は魔素にも特性があります」
「特性?」
話が変わった。魔力の作り方は基本知識だ。魔術を扱うものであれば誰もが知っている。知っていなければならない。が、その大本となる魔素については、知識にはなかった。ガイガンの周りの部下達も誰も彼も、互いに顔を見合わせ、首を横に振っている。
「魔力化した魔素は霧散後、一定期間、休眠状態に入ります」
「休眠……?」
「要は魔素も休むんですよ。魔力として働いた後、動きを止めます。暫くすると元の魔素に戻る。大気中に存在する魔素は観察できていましたが、”魔力として使用された直後の魔素”を確保し、観察する手段が少なかったために近年まで判明しませんでしたが」
魔素は、とてつもなく小さな物質である。と言うことはガイガンも知っている。
至る所にソレは満ちており、魔術の適正の有無に関わらず誰しもがそれに接触している。とてつもなく小さく、無数に存在しすぎているが故に、観察は困難である。というのは何処かの講義で聞いたことがあった。
故にその特性は分かりづらいとも、聞いていた。それを彼女は語っている。
「その『休眠中の魔素』の割合が多くなると、取り込んだ生物もその魔素の状態に引きずられます。コレが停滞の病と呼ばれる者の正体です」
「馬鹿な!」
思わず、ガイガンは声を荒げて否定した。だが、熱くなってるわけではない。冷静だった。冷静であるが故に、彼女の言葉を否定できた。
「お前の理論が正しいのだとすれば、魔素が一定期間休めば回復するはずではないか。だが王都の民達はずっと眠り続けている!」
「でしょうね」
「でしょうね?!」
反論に、魔女はまるで動じない。
「つまりこういうことです。
「そんなこと、あるわけ……――――」
再び否定しようとして、ガイガンの声は止まった。
ガイガンは愚鈍ではない。魔甲騎士団の騎士体調としての責務を果たすため、常に冷静な判断が求められる。そしてそれ故に、ガイガンは理解できたのだ。理解できてしまった。
「王都にはあるじゃないですか。回復した魔素を片っ端から回収して、すぐに魔力としてしまう存在が」
彼女の言わんとする元凶が、すぐ側に存在すると言うことを
「【塔】ですよ。この停滞の病が、グラストールにだけ蔓延る理由は、アレです」
この一室の窓からでも覗き見える、王都グラストールの中心に存在する巨大建造物。
15年前に建設され、グラストール王国に無限の富と繁栄、そして魔力を供給した偉大なる【塔】を指して、魔女スピーシィはイタズラっぽく微笑んだ。目の前の騎士達の絶望的な表情を嘲るように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます