神魔の塔



 通称【塔】

 正式名称は【神魔の塔】


 魔力の精製が可能なのは人類の中でも選ばれし者のみである。


 そんな固定概念を破壊した、革命的な建造物。

 その性能はシンプル極まる。魔力の【製造】と【貯蓄】の代行である。たったそれだけの事であるのだが、それを成し遂げた者は世界の何処にもいなかった。そしてそれ故に、グラストール王国は大陸でとてつもないアドバンテージを得ることとなった。


 魔力を持つ者、魔術師が戦争の行方を左右するのは語るまでもない人類史の常識だ。

 とはいえ、魔術師も絶対無敵では無い。幾つか存在する弱点のウチ、最もままならないのが、魔力枯渇によるガス欠だ。補充するための魔力補充薬なども存在しているが、量産は困難だった。


 それを、抜本から解決せしめたのが【神魔の塔】だった。


 幾ら使用したとて尽きない魔力は、グラストールの騎士達に無限の力を与えた。国内外に存在していた危険な魔獣たちも一瞬で蹂躙し、平穏を与え、今後の繁栄を約束すると同時に威圧することで、国内の貴族達や周辺諸国を一気に平伏させた。

 【魔導王】ローフェン・クラン・グラストールの名を大陸中に知らしめ、権威を集める事となるきっかけとなった建物だ。


 それが、全ての停滞の原因である。


 それを魔女スピーシィか伝えられたクロは、衝撃を受けた。

 受けざるを得ない。今この国に住まうものならば、いや、この国外であっても衝撃を受けることだろう。それほど【神魔の塔】が今日までもたらした栄光と繁栄は凄まじいものだったからだ。


「ちょっと待ちなさいよ。それじゃあ、塔を停止させれば、今の停滞の病にかかってる人達は元通りになるっていうの?」

「ええ、時間はかかるでしょうが。大体一ヶ月程度で回復すると思いますよ。今動けている人も、魔素の影響を受けていますが、身体の動きやすさも変わってくるはずです」

「……じゃあ、王都から遠く離れれば?塔の影響の外に出れば?」

「回復するでしょうね。今の現象が起こっている範囲から距離を取って、安置すれば良いだけです。そうして回復した人もいたのでしょう?」

「……そうね、いたわ。そう言う例は確かに存在した。だからこそ余計に王都は人が消えてしまったのだけど」


 必ず回復した、と言うわけではない。だが、この国から遠く遠くへと逃げ離れた者達の中には、回復したという者が出たという噂は確かにあった。今の自分の財産、家、何もかもを棄てられる者は少なく、しかも逃げた先で必ず回復したという保証も無かったため、噂話に留まったが、それでも噂はあった。


 故に、住まう住民ではなく、土地その者が呪われたのだという推測も流れた。根拠のない話だと王宮は一蹴したが、まさかそれが真実に近いとは思いもしなかった。

 軽々しく、といってもいいくらい呆気なく、スピーシィから答えが提示された。これまであらゆる魔術師達が頭を悩ませ、絶望していたのが滑稽に思えるくらいだった。


「まだ分からないことがあります」


 だが、本当にたったそれだけの話なら、スピーシィでなくとも解決策は国の優れた魔術師達ならば見出していたはずだ。事はそこまで単純ではない。


「ミーニャ様が言っていた王都の外で治ったという噂があまり広まらなかったのは、病が王都の外にまで広がり続けているからです。外に逃げても無駄だと、皆が思ったからです。塔の無い外にまで病が広がるのは何故でしょうか?」


 停滞の病の恐ろしさは、その範囲が恐ろしい勢いで拡張を続けている点だ。既にその病は王都のみではない。周辺の町や村を飲み込み、拡張を続けている。その過程で、外に逃げ出した者も、そこで回復した者も停滞の病に飲まれたのだ。

 塔が原因であるなら、塔から離れさえすれば良いはずだ。なのに何故?


「奪取できる魔素が不足しているからでしょうね。」


 しかし、その疑問に対してもスピーシィは平然と答えた。


「手近の魔素が全て休眠していたら、無事な魔素がある場所へと手を伸ばす。そういう風に出来ているのでしょうね。あの塔は」

「……じゃあ」

「塔は求められるだけ、魔力を生みだし続ける。その過程で魔素を消費しつづける。魔素の回復が消費に追いつけない限り、病の拡大は止まらない……まあ、流石にある程度したら収まるでしょうが」

「……どの程度で?」

「……まあ、今の拡大速度的に、グラストール王国の領土が死滅するくらいしたら?」


 クロは想像し、ゾッとした。ほんの少し前まで塔はこの国の中心で、繁栄と成功の象徴であったはずなのに、今は全くそうは見えない、悍ましい滅びの塔は、国の全ての人間を見下ろしていた。

 妄想を振り払うようにクロは首を横に振る。分からないことはまだある。


「……なら次、病にかかる人と、掛からない人の違いは?」

「単純な個人差もありますが、普段から魔力を生みだして使うことが多い者ほど、停滞には陥りやすいでしょうね。魔術に縁の無い者が成りにくかったのはその為です。最も、誤差の範囲で、そもそも塔の影響下、に居る限り、大小あれ停滞の病にはかかっていますよ。人間でなくとも例外ではない」

「では俺も停滞の病に?」


 クロが問うと、スピーシィは頷いた。


「ええ。ワタシもそうです。既にある程度、停滞している魔素を取り込んでいるでしょうから、後で皆でちゃんとお昼寝しないといけませんね」


 今動けている者も、病にはかかっている。動けなくなっていないだけ。そう言う事だ。

 だが、クロには思い当たるところもあった。


「……ひょっとして、あの時、魔甲騎士団に対抗できたのは」

「既に、おひげのおじさまたちが、重度の停滞状態にあったからでしょうね。最近、身体の調子が悪かったんじゃ無いですか。おじさま?」

「……そうだ……病が騎士団にも蔓延し、人手不足が深刻化した。休み無く働いていたために、疲労が溜まったのだと思ったが……」


 魔甲騎士団隊長のガイガンは苦々しい表情で頷いた。


「そして対称的にクロくんはワタシが体内の魔素ごと強制的に眠らせて、回復させていました。その違いが出ましたね」


 スピーシィを王都まで連れてくる過程で、彼女には何度となく眠らされた記憶がある。彼女の戯れで弄ばれたのだとおもっていたが、その実、彼女は自分の身体を癒やしていたらしい。

 そう言う意味では自分もまた、彼女に停滞の病から救われたという事になる。素直に礼はしにくいが――――


「ですが、ですがこれで原因はハッキリしました!!」


 と、そこまでの説明をして、ガイガンと一緒に説明を聞いていた部下が立ちあがった。恐らく魔甲騎士団の中でも若手であろう彼は、歓喜に打ち震えた声で叫んだ。


「塔の機能を止めれば、王都は救われます!!!」


「…………っ」

「…………………」

「……、……」


 だが、その言葉に対して、同調する者は居なかった。


 彼の周りの同僚達は全員、等しく沈黙した。彼の上司であり、最もこの王都の状況に対して危機感と使命感を抱いていたガイガンすらも、何も言わない。それどころか、あまりにも苦々しい表情で顔を伏せていた。声を上げた騎士は、周囲の仲間達のお通夜の様な反応に、どうして良いか分からずキョロキョロと戸惑っている。


「だから言ったじゃ無いですか。ワタシにはどうすることも出来ないって」


 そして、魔女スピーシィはそんな彼等の反応を分かっていたように溜息をついた。

 クロも、理解した。何故若い騎士の言葉に、周りの同僚達が沈痛な表情を浮かべたのかも。そして、彼女の言葉の真意も。


「王都を見回って見て、至るところで魔力を動力源とした魔導機械を見掛けました。現在のグラストールのインフラは殆ど魔力に依存しているのではないですか?」


 その答え合わせを、スピーシィは引っ張ることはしなかった。

 ガイガンは彼女の問いに、苦々しい表情で答えた。


「……そうだ。王の政策で、全てを魔力で賄った方が効率的であると」

「でしょうね。塔という無尽の魔力を生み出す存在があるなら、古いエネルギーに依存する機械類は撤廃されるのは自然です」


 そう、神魔の塔が完成してから、この王都グラストールはあらゆるインフラ工事が進んだ。無限に湧き出てくる魔力をフルに活用し、古い建物も、道も、何もかもを一新した。そしてその全てに魔力を使っている。


「この王都は、グラストール王国は20年かけて……いえ、完成したのは15年前ですから15年?まあどうでもいいですが……この国は【塔】にどっぷりと依存している。」


 だって、魔力は尽きないのだから。無限に魔力を使うことが出来るのだから。で、あれば魔力は使えるだけ付かなければ非効率だ。そんな思考が、グラストールには存在していた。

 勿論、間違いでは無かった。少なくとも、塔の欠陥が判明するまでは、その問題が表出するまでは、その思考は最も効率的で、そして事実として塔を中心に国家事業を発展させたからこそ、病が蔓延るまでのグラストール王国は繁栄を極めていた。


 だが、虚飾のヴェールは破られた。


「それをいきなり取り上げてしまったら、一体どうなってしまうでしょうね」


 この王都の、国の、多量の魔力に依存したあらゆるインフラが、機能を失うのだ。無論、魔力の精製事態は人間にも出来る。だが、都市運営を賄える程の魔力を生み出すことは出来ないのだ。


「ですが!塔を止めなければ!!」

「分かっている!!……だが、ああ、クソなんて事だ……そんなことは」

「出来ないでしょうね」


 苦悶するガイガンの嘆きに、スピーシィは憐れむように声をかける。


「貴方たちの装備してたやぼったーい鎧も、塔に依存していたのでしょう?アレを使って、周囲の国や、国内の貴族達相手にもブイブイ言わせてたんじゃ無いですか?」


 ややおちゃらけた言い方だが、彼女の指摘は事実だ。魔甲騎士団はその圧倒的な力を用いて、威圧していた。その圧倒的な力は、必然的に政治に組み込まれていた。


 武力においてグラストールには敵わない


 周辺国との駆け引きは、その前提の下で動いていた。病で弱り、インフラが機能不全に陥り、挙げ句の果てに武力まで見る影も失えば、周辺国は、貴族達は、それをどう見るか。


「病が消えたとして………どのみち、この国は……」


 最強騎士団の隊長として、この国が現在抱える危うさをガイガンは理解していた。彼が魔女スピーシィを死に物狂いで追いかけていた理由も明確だ。一刻も早く、一日でも早く、この状況を打開できなければ、致命的なことになると彼は分かっていたのだ。 

 だが、彼の懸命なる努力は無為に終わった。この国が詰んでいると彼は理解した。


「だからやめといたらいいって言ったんですけどね……」


 そして、そんな彼の絶望を憐れむように、魔女は小さく呟いた。クロはそれを聞き逃すわけにはいかなかった。


「……それはどういう事でしょうか」

「そのままの意味ですよ。20年前、あの塔の建設を発案されたとき、「止めた方良いですよ」って言ったんです。無視されましたけど」


 彼女の言葉で場がざわつく。ミーニャすらもギョッとした表情になった。ただ一人、スピーシィだけが暢気に欠伸なんかをしている。クロは気を落ち着かせるように溜息をついて、更に問い詰めた。


「……つまり20年前に、既にこうなる可能性を予期していた、と?」

「魔素の特性を突き止めたの、ワタシですもの。当時は塔が本当に完成するかも分からなかったですし、流石に「そうなるかもしれない」程度の懸念でしたけど」


 新情報が更に出てきた。つくづく彼女は底知れない。だが、それは良いだろう。今はいい。問題なのは、そこでは無い。


「……では、何故貴方の提案は止められたのです」

「かもしれないから国の一大事業を止めようなんて判断は出せないでしょう?それに、塔を考えて創ったの、今の王さまでしょ?瑕疵があってはいけなかったんじゃないですか?」


 知りませんけど。と、彼女は素っ気なく言った。


「なんてことだ……なんてことだ……」


 堪えきれず、ガイガンが断末魔のようなうめき声をあげた。気持ちは本当によく分かる。クロも正直に言えば似たような感想だ。


 この国を滅ぶ。垂らされた蜘蛛の糸を自分の手で断ち切るという愚行によって。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 部屋の空気は最悪だった。絶望的、といってもいい。

 鼻息荒く血気盛んにスピーシィを追い回していたガイガンも、今は死にそうな顔で顔を両手で覆い隠している。何事かぶつぶつと呟いては首を横に振っている。国を救う方法を今も必死に考えているのだろう。


 頑張ってほしいものだ。と、スピーシィは心から他人事のようにそう思った。


「さて、それじゃあ帰りますね」

「アンタのその空気のよまなさ加減無敵ね」


 スピーシィのその態度に、ミーニャは呆れる。だが、スピーシィは特に咎められても気にした様子は見せない。


「だって、本当に、ワタシにはどうしようも無い事なんですもの」


 目の前の彼等の絶望を滑稽に思うほどスピーシィの性格はひん曲がってはいない。20年前自分を国から追い出した連中の絶望は小気味よい、とも思わない。そんなには。彼等が当時の当事者達だったら、もう少し思うところあったかも知れないが、そうでもないのだ。


 憐れみもする。彼等が必死だったのは、自分の為ではないだろう。


 今この国で喘ぎ苦しみ、絶望している民達を何としてでも救わんとしているが故だ。スピーシィを彼等は追い回したが、スピーシィは別に彼等を嫌ってはいない。が、しかしだ。


「塔を止めるかどうかは国の決める話。言われたとおり原因も解決方法も提示しました。これ以上やること無いです」


 本当に、ここからスピーシィがやれることはあまりないのだ。

 20年前ならもう少し違ったかもしれないが、そもそも当時の彼女の懸念も「そうなるかもしれない」程度のもので、確証は無かった。本当に、確実にこうなる未来が見えていたなら、当時他人嫌いだったスピーシィとてなんとかしようとしていたはずだ(多分)。

 しかし確証はなかった。その根拠もしっかりと示せなかった。ただただ王子とその取り巻き達の心証を悪くしただけだった。


 そしてそれ以外にも様々な要因が重なって、追放騒動へと繋がった。それが全てだ。


 そうなってしまった以上、今の彼女に出来ることは無い。塔がグラストールという国が運用している以上、それをどうこうするかは彼等が、そして彼等の王が決めることだ。


「……そうね。確かにアンタの言うとおりだわ」


 友人からの同意も得られてスピーシィは安心した。そんなわけでさあ帰ろう、と伸びをして、自分をこんな場所に連れてきた少年騎士に視線を向けた。


「そういうわけで、クロくん。送っていってくださいな」


 自分一人で帰れなくも無いが、この王都で購入したお土産が結構ある。荷物持ちがいないと少し苦労する。行きと同じように彼に手伝って貰おうと声をかけた。


「……お待ちを」


 しかしクロ少年は素ピーシィの帰路を塞ぐようにして立ち塞がった。


「どうしました?トイレにでも行きたくなりました?」

「……どうか、助けてくださいませんか」


 そして、彼女の前で跪いた。



              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「クロくんの依頼は達成しましたよ?」


 グラストール王国の蔓延る病の原因の究明と解決策の提案。最初のクロの依頼をスピーシィは確かに果たした。これ以上、スピーシィはこの国に留まる理由はない。

 元々、彼女はこの国に一切良い思い出は無いのだ。スピーシィがこの王都にきた理由はクロに対する一方的な哀れみ、本当にそれだけなのだから。


 だが、それでもクロは彼女の前から退くことはしなかった。


「この国が辿るであろう結末、貴方ならもう少しマシな方へ導けるのではないですか?」


 それは藁にも縋るような思い、では無い。クロには確信がある。

 ここまで短い間だったが、その間に彼女のひととなりは大体掴めた。20年前、彼女は自らの提言を「根拠が薄い」と無視された。その時、彼女は絶対に「吠え面かかせてやろう」と、そう思ったはずなのだ。

 彼女は決して、やられっぱなしで納得する女ではない。

 独特ではあるが矜持(プライド)が高い。

 この問題について、もっと何か知っているはずなのだ。

 少なくともたった今、真実を知った自分たちよりもずっと深く。


「この国の窮地は、ハッキリ言って自業自得です。貴方に助ける義理はない。それを承知の上で頼みます。どうか助けてください」


 クロは深々と頭を下げた。最早平伏と言っても良い程の懇願だった。スピーシィは半ば呆れ、半ば感心したような表情でクロを見下ろしていた。


「意外ですね。クロくん、結構国に対する忠誠あったんですね」

「主に対しての忠義です」


 クロにはグラストール王国そのものに対して思い入れがあるわけではない。どちらかというとスピーシィと同じで、嫌な思い出の方が多い方だ。しかし、自分をすくい上げてくれた主への忠誠心は持っている。

 主の為なら、頭を下げるのを躊躇う理由は無い。必要とあらば犬にだってなる。彼女がやる気になるのなら。


「ま、魔女殿。いや!スピーシィ様!!」


 そして、同じ思いだったのだろう。魔甲騎士団隊長のガイガンと、彼の部下達も立ちあがると、一斉にクロにならんで平伏した。狭い一室にたった一人の女の前に屈強な男達が並び、じめんにを舐める勢いで頭を下げているのは中々壮絶な光景だった。


「私からもお頼みします!!!どうかこの国をお救いください!!!」

「えーめんどくさーい」


 が、その光景を前にしても、彼女はまるで動じることはしなかった。

 この程度の圧や、哀れみで自分をアッサリと曲げるような女ではないというのはクロも分かっていた。最初の切っ掛け、クロの境遇に同情したのも、クロがそう仕向けたわけではない。ただ、彼女が自分でクロを憐れむと決めたからそうしただけだ。

 決して、誰かに言われたからでも、仕向けられた訳でも無い。困窮した相手に慈悲深く手を差し伸べる聖女ではない。


「本当にブレない女ね。まあ、安心したけど」


 そして、そんな彼女の態度にこの部屋の、店の主であるミーニャは小さく笑った。この国の貴族の一人であり、少なからず、この停滞の病により被害を受けているのは間違い無いはずの彼女だが、クロ達と一緒にスピーシィに頭を下げる気はないようだ。


「あらミーニャ、貴方は説得しないのです?」

「しないわ」


 スピーシィの問いにもミーニャは即答した。その応答を間近で聞いていたガイガンがミーニャを苦悶の表情で見つめるが、ミーニャは首を横に振る。


「縋るように見たって無駄よ。私はスピーシィの味方だから」

「ですが、この国が……貴方もこの国の貴族でしょう!」


 自分の卑怯なもの良いに苦しむように、絞り出すような声でガイガンは言う。だが、それでもミーニャに動揺はない。適当な椅子に座り、溜息を一つつく。


「……その国にゴミみたいに棄てられたのがスピーシィよ。そして私の家も間接的に彼女を斬り捨てることに加担した。私はそれを指をくわえて見ているしかなかった」


 ミーニャは強く額に皺を寄せる。それは自分の友人が流刑を受けるのをただ黙って眺めることしかできなかった過去の自身への怒りだった。


「20年前に決めたわ。私は今後、どんなことがあろうとも彼女の味方になろうって。だから私はスピーシィの意思を強制しない。自分を大事にしないときは説教するけどね」

「説教も止めて欲しいです」

「いやよ。アンタ昔と比べたらマシになったけど抜けてるところ本当に抜けっぱなしなんだから」


 ぶうぶうと講義するスピーシィを一蹴しながらも、彼女は自分の意見を変えるつもりはないようだ。屈強な男達が揃って地べたに這いつくばってる異様な光景を前に、スピーシィと同じく揺らぐ様子はなかった。


「国の窮地をなんとかしようというなら、スピーシィに頼るものじゃ無いわ。自分たちの都合で追い払った相手に縋りつかないと成り立たない国なんて、潰れてしまった方が良い」


 あまりにもぐうの音も出ない正論だった。どれだけ重大な使命を抱えていようとも、最低限、護らなければならない品位と矜持は存在する。スピーシィに縋り付くのは、誰がどう考えてもその最低限を越えている。


「おっしゃることは分かります……ですが……!」

「勿論、これは私の考え。矜持を棄ててでも、国を救おうとしている貴方たちが間違ってるとは思わない。だからスピーシィに縋ろうとするのを私は止めない」


 直接、害を成そうっていうなら追い出すけどね。

 そう言って、彼女は黙った。

 此方の交渉については邪魔はしない。そう宣言してくれただけでも、かなりの譲歩だろう。そう考えるしか無い。だが、そうなると、自分達だけで彼女のやる気を引き出す他ない。


「交渉するおつもりならお早めにお願いしますね?そろそろ眠くなってまいりましたので」

「……」


 大きな欠伸をひとつかますスピーシィを前に、クロは瞑目する。


 


 それは”主”に与えられた、スピーシィ用に渡された交渉の切り札だった。スピーシィの協力がどうしても得られそうに無かった時、この鬼札を切るようにと、主から言伝を預かっていた。

 それがどういう言う意味を指すのか、実のとこクロも分かっていない。主からは「これを言えば確実に彼女は釣れる――――ただし、必要でない限り絶対に使うな」という警告を受けていた。


 だが、このどん詰まりの状況、”それ”を使うほか無い。


「貴方を連れてきて、調査するように頼んだのは王だと言いました」


 クロは意を決して話し始めた。スピーシィは突然、最初出会った頃に話していた事を口にしだしたクロを不思議そうに眺めながらも、応じた。


「言ってましたね。それが?」

「実は、それは偽りなのです」


 偽り。と言う言葉に、スピーシィは依然として興味のそそられていそうに無い、眠たげな表情で応じた。


「はあ、まあ、実は調査させるつもりも無かったわけですからそうでしょうね?」

「違うのです」

「は?」


 再びの否定に、スピーシィは首を傾げた。同時に、わずかのに好機の光が彼女の目に宿ったのをクロは洞察した。


「貴方に罪を被せようとしたのは王でしょう。ですが、私の主は王ではありません」


 そう、魔甲騎士団がスピーシィを捕らえようとしたのはクロにとっても想定外だった。影の騎士は、他の騎士団と協力して動くことはまず無い。で、なければ”影の騎士”などと呼ばれることは無い。


「影の騎士団は、とある方の命令を遂行するために生まれました。我々は――――」


 少し、クロは躊躇う。やはりこの言葉がどういう結果をもたらすのか、理解していない。していないが、”この情報が彼女にとっての爆弾であるというのは分かっている”。

 だが、最早自分たちの手札はこれしかない。故に


「現王妃、プリシア・クラン・グラストールの命令で動いているのです」


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