影の騎士のエスコートとお縄騒動



 辺境の地ゼライドかあら続く荒れ果てた道を、一台の馬車が進んでいた。

 老いた馬、使い古されて汚れた馬車がガタガタと軋んだ音を立てながら進んでいた。酷いボロの馬車だ。盗賊だって好んで狙ったりはしないだろう、悲惨な見た目だった。そんな馬車の中に、四大貴族の一人が、しかもかつては巷を騒がせた恐るべき悪女が居るなどと、誰も思わないだろう。


「……くぴー……」


 しかも、その馬車の中を”魔術の綿毛”塗れにして、お昼寝をしているなどと間違っても思わないだろう。


「……」


 少年騎士は、そんな彼女を運搬するために馬車を走らせていた。

 本来であればちゃんと拘束し、身動きを取れなくするべきなのだろうが、現在彼女は野放しになっている。何故かと言えば、彼女のことを彼はどうすることも出来ないからだ。


 ここまで連れ出すのに、試みなかったわけではない。


 呪具を使い、傷を負わせ、自由を奪って拘束する。それらの手段は彼にとって十八番だ。四大貴族の長女の正式な召喚、という体裁を維持するため正面から対峙する事になったが、本来の彼のやり方は闇に紛れての不意打ちだ。

 スピーシィが驚くべき魔術師であっても、直接会話した印象では、彼女は戦いに身を置いている女ではない。だから、彼女の意識の外から完全に不意を打つことが出来れば、彼女を拘束することくらい出来ると、そう思っていた。


「【ねんねんころり】」


 無理だった。

 ありとあらゆる手段で、彼女は自分を眠らせる。

 魔道具を封じ、詠唱の為の口を塞いで、印を結ぶ指を封じても、それでも彼女の魔術を止められない。魔術師と退治するときの常識。「このようにすれば魔術師は無力化できる」という知識が一切通用しない。


 抵抗する手段が無かった。今彼女が黙って運ばれているのは、彼女の気紛れだ。

 正直、彼は困っていた。これを任務達成と言うにはあまりにも怪しいのだ。


「憂鬱そうな表情ですね。少年」


 そしてまるで此方の心を読み取るように――あるいは本当に読み取っているのか――スピーシィは問いかけてきた。


「……馬車の中で休んでいてください」

「少し寝飽きました。やることがないのです」


 窓から身体を乗り出して、欠伸する。そして周囲を見渡して、全く代わり映えのしない平原の景観に彼女は少しがっかりして、その後ゆっくりと此方を見つめて、にんまりと笑った。


「お話ししましょう。少年」


 コイツで暇を潰そう。

 と、そう目が語っていた。少年騎士は苦い表情になった。


「話すことはありません」


 少年騎士は返した。別に彼女を邪険に扱いたいわけではない。本当に話すことがないのだ。雑談でお茶を濁そうにも、彼女が満足するような楽しい経験は無い。血なまぐさい事ばかりだ。そんな会話をしたところで彼女は絶対にふて腐れる。そしておかしな無茶ぶりをしかけてくるのだ。彼女が塔を出立してくれるまでの間、散々繰り返された事である。流石にもう学んでいた。

 しかし彼女もそれは分かっていたらしい。話題を振ったのは彼女の方だった。


「アナタの不安、解消してあげましょうか?」

「不安?」


 不安の元凶そのものが提案してきた。


「ワタシが、逃げるかも知れないとおもってるのでしょう?」


 かもしれない、も何も、彼女は今にも逃げることが出来るし、それを咎める手段も無い。少年騎士は黙って頷いた。


「約束を守ってくれるなら、ワタシ、貴方から逃げることはしませんよ」

「約束?」

「調査の間、ワタシを護ってください」


 その言葉の意味を、騎士は理解しかねた。


「その奇病とやらをワタシに調査させるのがアナタの仕事なのでしょう?だったらその間ワタシの身の安全を保証してください。誰であろうと、なにが相手だろうと、ワタシを護ってください」

「……」

「保証していただけないなら、帰ります」


 自分の仕事は怠惰の魔女を王都に連れて行くこと。

 恐らくそれが終われば、彼女の案内や護衛は別の者達が行うだろう。それ以上の仕事は自分には与えられていない。だが、そうしなければ彼女を王都に連れて行けないなら、彼女の要求を吞む必要が自分にはある。

 任務の達成が自分の最優先だ。少年騎士はしばし考えて、そして告げた。


「剣が無ければ、護るのは困難です」


 交渉、と言うほどのものでは無い。が、彼女に奪われた魔剣の回収はしておきたかった。【闇の剣】は自分には必須のものだ。肌身離さず持っておかなければならないものなのだ。

 万が一、彼女を始末する命令に変わるかも知れないのだ。その時無手では困る。

 とはいえ、それは彼女も分かっているだろう。渡すわけがないのだが――――


「どうぞ」


 と思っていたら、至極アッサリ彼女は闇の剣を渡してきた。

 彼女が寝静まっている間いくら探しても見つからなかったものが、呆気なく彼女の手に握られている。そこら辺に落ちていましたよ?とでも言いたげな彼女の表情に理不尽さを覚えつつも、少年はそれを受け取った。


 そして、違和感に気がついた。


「……これは」

「ああ、調整しておきました。」

「……」


 【影の騎士】は全員、この闇の剣持っている。

 影の騎士にとって、闇の剣は命にも等しいと同時に、主にとっての首輪でもある。彼等を使う上で、もし万が一にでも離反しないように、幾つかの制約が施されている、はずだった。

 それが、綺麗さっぱり消えて無くなっている。


「今のほうが絶対使い易いし、危なくも無いはずです。威力も上がってます」


 無論、そうだろう。魔剣は意図的に威力を制限されている。

 主の望まぬ使い方をされたら困るからだ。必要な強化を行う一方、その力を管理できなくなるのは問題だから、制限を与える。それが無くなった。

 確かに前よりずっと使い易くなっている。が、これを見た主に反逆者とみなされないか、不安だった。


「そういえば……貴方、お名前なんて言いますの?」


 そんな此方の悩みなど知ったことでは無いというように、スピーシィは質問する。少年騎士は一先ず魔剣を腰に備えて、問いに答えた。


「名前はありません」


 任務の最中幾つかの偽名を使った事もあったが、それも名前ではない。本来の名前は知らない。付けたこともない。必要ないと思っているし、他の影の騎士達もそうだろう。

 その答えに対して「酷い話ですねえ」と、まったくそんな風に思ってそうにない暢気な感想を述べたスピーシィは、ふむ、と少し考るように唸った。


「では、付けてあげましょう。クロなんてどうです?」

「クロ……?」


 どうせ一時的なものになるだろう呼び名なんてどうでも良いとは思うのだが、えらくシンプルな呼び方だった。由来は何だろうか、と彼女を見ると、スピーシィはニッコリと微笑んだ。


「ポチと悩みました」

「クロとお呼びください。スピーシィ様」

「あら、気に入ってくれてうれしいです。クロくん」


 どうでも良いと思ったのは訂正する。流石に犬扱いは嫌だ。


 そして、名前を付けられてから、更に暫くして。


「見えてきました」


 暇つぶしに彼女に髪を弄られて、リボンを付けられ足り髪型を変えられたりしながらも、ようやく目的地が見えてきた。いよいよどこから取り出したのかも不明なフリッフリのドレスに着替えさせられそうになっていたクロは安堵の溜息を漏らした。


 王都グラストール。


 十数年前の魔術革命によって大陸で最も発展した魔術の大国である。中央にそびえ立つ巨大なる塔を中心とした巨大なる建造物の数々は、遠目にも荘厳だった。

 今あの国が、病魔に冒されているなどとと、誰も思わないだろう。


「ああ、なつか……しくもないですね。見覚えが無い建物ばかり」


 スピーシィはそんな王都の光景を眺めながら、のんびりと感想を述べた。

 彼女が追放されてから二十年だ。20年ぶりの故郷と言うことになるわけなのだが、彼女にそんな郷愁のようなものは全く見えなかった。自分の髪を弄って遊んでるときよりもむしろ退屈そうな表情に見えるのは気のせいだろうか。


 とはいえ、彼女の感想は重要ではない。クロは一先ず最低限、自分の役割をこなせそうなことに小さく安堵していた。


「……本当に、あれ、建てちゃったんですねえ……」


 だから、ぽそりと彼女が呟いた言葉を気に留めることはなかった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 王都グラストール。

 数百年前から大陸に存在するグラストール王国の王都。 

 長い歴史のある都市である。それを示すように、街並みには見るからに歴史を感じさせるような古い建物が散見された。それを古くさく小汚いととるか、長い歴史の証明として誇らしくするかは人にもよるだろう。どちらかが正しいという話でも無い。

 が、少なくとも現在の王都を支配する者にとって、古い建物は「小汚い」と、そう認識したらしい。王都の中央。王城へと続く中央通りに連なる建物は、全て真新しい建物に刷新されていた。


 真っ白な建材によって建築された美しい白い建物が立ち並ぶ。

 確かにそこには統一さえた美しさを感じる


 だが、常に外部からの来訪客と住民達で溢れかえるほどの人気に溢れているはずの大通りの人気が、今は少なかった。真新しい建造物が、人気の無さを余計に強調して、物寂しかった。


「さて、クロ少年」

「はい」


 そんな大通りに足を踏み入れてスピーシィは大きく伸びをした後、凜々しい表情で振り返った。クロは跪いた。長く時間がかかったがようやく本来の役割が果たされる。

 この人の気配の全くない大通りの原因、恐るべき【停滞の病】の調査を進める――


「観光しますか」

「はい?」


 ――つもりなのは、どうやらクロだけのようだった。


「あの、調査は?」

「だって、調査しろと言ったって、そもそも20年ぶりで、何処になにがあるかもわからないのですけど?」


 確かに、それはそうだ。彼女は辺境の地に飛ばされて、王都に立ち入ることすらも許可されなかった。その上でいきなり調べろと言われても無理だと言われれば確かにその通りだ。

 元々が無茶ぶりの話だったのだ。それを指摘されると返す言葉も無い。


「疫病のこともよく分かりませんし、都市を一通り回らないとどうにもなりません」


 反論の余地はなかった。クロは首肯するしかなかった。その彼の反応を見て、スピーシィは満足そうに頷きながら、手を差し伸べた。


「さあ、女の子とのデートです。エスコートしてください」

「……子?」

「ポチに改名しましょうか」


 クロは恭しく彼女の手を取って、口づけした。


「レディ・スピーシィ。アナタをデートに誘わせてください」

「よくってよ」


 機嫌を損ねた瞬間、自分の名前がポチになるデートが始まった。




              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 結論から言えば、スピーシィ女子のお買い物は情け容赦なかった。


「あら、衣類店はやってるんですね。センスも悪くないので買いましょう」

「あら、なんだしょう。珍妙な工芸品ですね。でもワタシは好きなので買いましょう」

「あら、ヘッタクソな絵ですね。笑えるので買いましょう」


 辺境に追放され没落した憐れなる令嬢、という評判など知ったことかと言わんばかりの謎の資金を活用して、目に付いた者を片っ端から買い漁る。その買い方に一切の節操は無かった。商品そのものよりも散財することが目的と言わんばかりの買いあさり方である。

 そして、それらの戦利品の荷物持ちは当然、クロである。彼女はクロの持ちやすさや苦労を一切考慮してはくれず、彼の立ち姿は見る見るうちに、彼女の購入した荷物で埋もれていった。


 そうして、大体二時間ほどが経過した頃。


「まあまあ、楽しかったですね」

「まあ……まあ、ですか……」


 ようやく満足そうな顔をしたスピーシィの背後で、クロは息絶え絶えになりながら溜息をついた。周囲には彼女が散財した成果が並んでいる。最早この商品だけで雑貨屋が始められそうだ。幾つかは馬車に詰め込んだが、それでも溢れている。

 どう持ち帰る気なのだろうか。と、そう思っていると、彼女はうんうんと頷いた。


「さて、それじゃあ――――帰りましょうか」

「お待ちください。流石にお待ちください」


 馬車に戻ろうとする彼女の肩をクロは掴んだ。必死だった。流石にこれで帰られたら自分はただの荷物持ちの間抜けだ。


「ええ……」

「ええ、ではありません。何のための見回りですが」


 不満げなスピーシィをなんとか窘める。だが、彼女は不満げな表情を隠そうとせず、肩を竦めた。


「だって、正直、ワタシが出来ること、なさそうなんですもの」

「……それはどういう」


 と、確認しようとした、その時だった。

 人気の無い大通りにドタドタと、激しい足音が響いてくる。激しい金属音が擦れるような特徴的な音。クロはその音の正体を知っている。というよりも王都に住まう者なら誰もが知っているだろう。

 全長二メートルはあろう魔鋼製の全身鎧。

 同じく魔鋼製の大剣と、両肩に備え付けられた魔砲兵装。

 更に無尽の魔力供給を可能とする【塔】と接続した魔力タンク。


 グラストール王国の誇る最強の兵隊達。魔導鎧を身に纏った【魔甲騎士団】だ。


「怠惰の魔女スピーシィ!グラストールに奇病を撒き散らした元凶として拘束する!」


 その彼等が結集し、スピーシィただ一人に向けて剣を向けたのだ。


「やっぱり帰った方が良かったです。」


 スピーシィは溜息をついた。流石に正論だとクロも思った。


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