怠惰の魔女スピーシィと虚栄の塔
@akamani
怠惰の魔女と影の騎士
かつて、古の神々が混沌の上に生みだした【コーア】と呼ばれる大地の世界。
時と共に神々は去り、神を真似た人間達の世界となった。
彼等は時に争い、時に協力し合い、時に大地に空いた混沌を相手に抗い、物語を紡ぐ。
大陸の中心、グラストール王国。その最北端に存在する辺境の地ゼライド。
グラストールで罪を犯した者が追いやられる罪人達の土地にて物語始まる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
怠惰の魔女
と呼ばれていたスピーシィは目の前で深々と頭を垂れる若い――本当に若い少年騎士を前にして、溜息をついた。
「ええと、少年。あのね。そんなところに居られても困るんだけど」
「はい」
「はい、じゃなくてね」
王都から遠く離れた辺境の土地。おぞましき罪人達が流される辺境の地にて、彼等が外に出てしまわぬようにと存在する監視塔――――であり、スピーシィの自宅――――で、彼女は久方ぶりの客を相手にしていた。
いや、客といったが、そんな上等なものかは、正直怪しい。
まず呼んでない。招いてない。勝手に入ってきて勝手に跪いている。呼んでいない客が自室に入ってきて跪いてきたら普通困るだろう。実際スピーシィは困っていた。
しかも、だ。
「つまり、アタシに王都に戻れって言うんです?」
「はい」
その客が面倒ごとを持ってきたとなると、それはもう敵だろう。敵。
「アタシ、確か20年前、追放されたはずですよね。今の王さま……昔の婚約者に」
「はい」
「それで、こんな辺境の塔に追いやって」
「はい」
「ろくな従者も無し、まあ、アタシの実家も何も送ってはくれなかったんですが」
「はい」
「理由は……なんでしたっけ?現王妃プリシア暗殺疑惑?全く身に覚えの無い話でしたが」
「はい」
「でも、アタシの言い分、友人以外聞いてくれなくって、それで追い出されました」
「はい」
「2度と王都に足を踏み入れるな『※※※※※※』みたいな事、面向かって言われました」
「はい」
「そのアタシに、20年経った今、戻れと?」
「その通りです」
なるほど、とスピーシィは頷いて、ゆっくりと溜息をついて、そして未だに一切顔を上げずに伏せ続ける魔術大国グラストール王国の少年騎士に視線を向けて、尋ねた。
「王サマに、恥って知ってます?って聞いて貰っても良いですか?」
「俺は国王に提言する立場にありません」
「真面目。冗談ですよ。王サマの命令の方が冗談みたいですけど」
学生時代、鈍間、愚図、汚物、汚点と同級生から誹られる事はあったが、流石にそんな自分でもここまで無礼というか、理不尽かつ無神経をかまされて思うところ無いわけが無かった。
普通だったらもっと激昂して怒鳴り散らした方が良いのかも知れないが。そう言う意味では、やっぱり自分は鈍いのかも知れない、とスピーシィは思った。
「で?何故追放した元婚約者を王都に戻そうと?」
「……現在王都に【謎の奇病】が蔓延しているのは知っているでしょう?」
「知りませんが」
「……」
騎士の少年は沈黙した。何か信じられない話を聞いたような顔をしているので、スピーシィは肩を竦めた。
「知りませんもの。少年、この地に王都のニュースが届くと思います?」
辺境の地ゼライド
グラストール王国領の中でも最北端の地。交通の便は著しく悪く、しかも周辺に魔物が出現する【奈落】が複数存在しているため、外部からの来客も滅多には来ない。つまるところ最悪の立地である。
そもそも、犯罪者の流刑地として利用されてるような場所に、好んでやってくる者など滅多に居ない。つまり、情報が入ってこないのだ。
「ああ、でも、なんでしたっけ。研究で連絡を取り合ってる友人が何か言っていた気もしますが……ええ、まあ、正直、興味なかったので」
なんだか焦った感じで言ってた気がするが、その時は昼寝直後だったので寝ぼけていてあまり覚えていない。まあ、その友人も王都には住んでいないので、問題ないはずだ。
「奇病が現在王都に蔓延しているのです」
目の前の少年騎士は、そんなスピーシィの適当な反応に対しても特に怒ったり、呆れたりする様子はなく、辛抱強く更に言葉を続けた。
「はあ、それで?」
「貴方に王から調査依頼が出されています。原因を突き止めろと」
スピーシィは彼の言葉を聞いて、暫く沈黙した。
別に、彼の言葉を熟考しているとか、そう言う事ではない。本当にただただ、彼が何を言っているのか理解できなかっただけだ。
国王からの命令。
自分を棄てて放逐した元婚約者の?
疫病の調査依頼???
「……え、嫌ですけど……?」
スピーシィは素直に解答した。
むしろコレに「わかりました」という奴が居ると思うのだろうか?
「心からの疑問なのですけど」
「はい」
「調査なんてしてあげる義理、私にあると思います?」
「王からの命令です」
「はあ、それが何か?」
本当に「それが何か?」である。
確かにその国の国民が、その国のトップに命令されたら、それは拒否権のないものなのかもしれない。平伏して、ブルブルと震えて汗を流しながら従うものなのかも知れない。
だが、そういった権力による威圧は、権力の庇護下に居る者にのみ通じるものだ。
あるいは、その権力が有する暴力が、正しく脅威となっていなければならない。
「帰って下さい少年。ワタシ、これからお昼寝の時間なので」
美容と健康のための重要な時間だ。
睡眠を怠れば、日中の活動パフォーマンスも落ちる。美容も損なう。そもそも寿命が削れ続ける。まるでよろしくない。
学生時代、自分がどれだけ寝てないかを自慢げに語る者がいたが、若い頃の無茶のツケは年を取ったときに一気にやってくるものだ。きっと彼は今苦しんでいるだろう。まあそれが元婚約者の現国王な訳だが。
「拒否された場合」
さて、今日は風通しの良い屋上で寝ようかしら、と日傘の準備を始めていたスピーシィの前に、少年騎士は小さな声で告げた。先程と比べ、やや剣呑な雰囲気が漂い始めている。スピーシィは先程までの会話よりはある程度興味のそそられた表情でそちらを見る。
「力尽くで連れてくるように、言われております」
少年は剣を抜いた。少年の髪や目の色と同じ黒色の、禍々しい剣だ。騎士の使う剣とは思えないほどに昏い魔力が放たれている。恐らく魔剣の類いだろう。
真っ当な騎士が使う代物ではない。
そもそも真っ当な騎士なら魔力を有している。魔剣などというものに頼らない。
まあ、騎士なのにこんな所に、しかも仲間を引き連れずに単身で来るくらいだ。マトモであるわけもない。多分暗部の暗殺者とか、そんな類いだろう。しかし――――
「呆れた。相変わらず外面だけですね、優男っぽいのは」
元婚約者ローフェン・クラン・グラストール(名前がようやく思い出せた)
魔術の腕は一流で、常に物腰柔らかで紳士的で学生時代よく女性にモテていたが、根本的にはプライドが高くて傲慢……だった……様な気がする。
そういえばどうだっただろう。思い出そうとしたが、彼の顔を全く思い出せないことに気がついた。何せ20年前だ。正直、目の前の闖入者が姿を見せるまで、彼の事なんて全く思い出すこともしなかったのだ。というか昔もそこまで彼と会話した覚えが無い。
「ご容赦を―――」
少年が接近する。音も無く、そして速い。手慣れた動きだった。インドア派の研究職であるスピーシィでは、近付かれれば対抗する事も出来ないだろう。
だが、
「【ねんねんころり】」
近付かれるよりも速く、指一本、叩いて音を鳴らすくらいは、彼女にも出来た。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
怠惰の魔女を連れ、王都に蔓延る【問題】を根絶せよ。
その命令を下した主の言葉は強く重かった。叶う限り迅速に、失敗などもってのほかだと、その鋭い視線が語っていた。自分の部下に向ける視線というよりも、道具に向ける視線に近かった。
しかしそれを不服には思わない。事実として自分は道具であり、主に使われるためにある。だから彼に仕える少年騎士もそれに黙って服従した。
騎士、と言っても勿論、貴族ではない。だから魔術も使えない。
決して表沙汰に出来ない仕事を請け負うために生み出された【影の騎士】と呼ばれる者達。表沙汰に出来ないトラブルを解決するために主が創立した暗部組織だ。
とてもではないが騎士とは言い難い。華やかで、陽の光を浴び、吟遊詩人に謳われる表の騎士達とは全く違う。当然命じられる命令も真っ当じゃ無い。
怠惰の魔女。
スピーシィ・メイレ・クロスハート
四大貴族の一角であるクロスハートは兎も角、スピーシィの名を市井で聞くことは殆ど無い。が、20年前、その名は一躍轟いた。勿論、悪い意味で。
第一王子の婚約者にして最悪の悪女
幾つもの異端の研究を行い魔術界隈からも追放された怠惰の魔女
挙げ句の果てに、当時の学友であったはずのプリシア・レ・フィレンスの暗殺疑惑にかけられ、死罪もやむなしと言うところで王子からの慈悲によって追放処分になった女だ。
彼女を連れ戻す。それが少年の新たなる使命。
そこにどのような意図があるのかは少年は考えない。ただ命じられたことを実行に移すだけだ。
「ええと、少年。あのね。そんなところに居られても困るんだけど」
怠惰の魔女スピーシィは彼が想像した”魔女”のイメージからは乖離していた。
髪は色素の薄い金髪。癖の強い巻き毛で、腰まで伸びた髪がふわふわと広がっている。
顔は幼く見えた。睫毛が長く、肌も真っ白だ。対して唇が緋色。格好は全く飾り気のない黒いローブ。だがローブの下に見える体つきは出るところが出て、腰は細い。
童顔とその若さ、20代だと言われてもまあ信じてしまうだろう。だが確か彼女が追放されたのは18才頃だった。つまり既に38才。その若さを魔女的だ、と言うのはやや大げさかもしれない。
兎に角、見た目は魔女というよりは美しく、優しげな印象を与える女だった。
だが、彼は警戒を解かなかった。
昏い場所に身を置いて今日まで戦い続けてきた洞察力が警告を発し続けていた。
目の前の女は危険であると。
「ご容赦を―――」
だが、どれだけ危険な存在だろうと、目の前の女が魔術師であることに変わりない。
携帯用の杖も持っていない。そもそも戦いを得手とする魔道士の類いには見えない。距離は数メートル。そして自分は【消去の護符】を複数枚所持している。
一瞬で距離を詰めて、意識を失わせる。自分ならそれは可能だ。彼はそう確信し、愛用の魔剣を引き抜いて飛び出した。
「【ねんねんころり】」
そして次の瞬間に意識は闇に落ちた。
「あら、おはようございます、少年」
そして、彼は塔の屋上に備え付けられたハンモックの上で目を覚ました。
魔女は彼の眠っているハンモックの傍に用意されていたテーブルで何やら幾つもの書類を前に作業している。下では装備していなかった眼鏡をかけて、目を覚ました暗殺者の事など気にすることなく集中していた。
「……………は?」
条件反射で自分の状態を確認する。
鎧ははずされている。インナーのみが残っている。魔剣も無い。それ以外の外傷はなし。拘束されている様子もなかった。武具だけが適当にはずされてそのままハンモックに運ばれただけらしい。
肌に貼り付けるように装着している護符も無事のままだ。だが、それがおかしかった。
「……何をしたのですか……」
「眠りの魔術をかけたらアッサリと」
「消去(レジスト)の護符は用意していました」
魔術師相手に備えをしないわけが無い。十分な装備は用意されていたし、実際これで幾人もの魔術師を拘束し、あるいは闇に葬ってきた。
しかし彼女相手に対しては、そもそも”護符が消費されなかった……?”
「だってその【護符】生みだしたのワタシですもの。抜け道(バックドア)くらい把握してますよ」
「は……?」
「20年前のワタシの作品をそのまま使ってるなんて思いもしませんでしたけど……」
この国大丈夫かしら?まあ、どうでもよいことですが。なんてことをのんびり彼女は口にしていたが、少年は彼女の言葉に驚愕する。
自分が使っている【護符】は、自分が生まれたときから存在している魔具の一種で在り、今やグラストール王国は愚か、大陸中で利用されている極めて有効な魔具の一種だ。
国同士の戦争も、あるいは魔術師の魔術戦も、この護符を前提に検証され、構築されている。それを彼女が生みだした、というのは正直信じがたい。
そして彼女にそれが通じないとなると、彼女にはどんな防御も通じないことになる。
何せ、【護符】以上の防御手段を自分たちは持っていない。
ハンモックの傍に立てかけられていた武具一式を見つけ、魔剣を手に取る。だが、力を感じなかった。鞘から引き抜くことも出来ない。
「その危なっかしい魔剣は封じましたよ。危機感が無いってよく言われますけど、暗殺者さんを放置するわけ無い――――あら?」
だが、そのまま彼は鎧に隠されていたナイフを取り出して、瞬く間に魔女の首下に突きつけた。
「確かに、危機感がないようですね。眠っている間に、殺すべきだった」
「良い睡眠を取れたみたいですね。随分顔色が良いですよ」
確かに、普段以上に動きのキレが良かった気がする。普段、まともなベッドで眠ることもめずらしいものだったから、ここまで深く眠れたのは久しぶりだった。
だが、当然、そんなことで感謝する事も、自分が手を止める事も無い。
「同行願います」
「拒否したらどうなるんです?」
「簀巻きにしてでも連れて行きます」
「あら大胆ですね」
ナイフを握る手に力を込める。有利な姿勢にいるのは自分であるはずなのに、緊張感が凄まじかった。気を失う直前の記憶を思い返す限り、彼女の魔術起動のための行程は一動作(ワンアクション)だ。紛れもない一流の術師であり、しかも防御が出来ないとなると、どれほどの手練れの戦士であっても対抗なんてできやしないだろう。
ほんの少しでも不穏な動作をとれば、その瞬間ナイフを突き立て行動不能にする。
その覚悟でいた。
「……まあ、良いでしょう」
だが、そんな彼の覚悟に対して、魔女の答えはアッサリとしたものだった。
「……良いのですか?」
「なんで聞くんです?貴方がワタシに乱暴して、無理矢理連れて行こうとしてるのに」
正論だった。だが、意外だった。
任務に対して、彼の感情を持ち込む余地は無いが、一方で、これが魔女にとって相当に理不尽だという事は理解している。
悍ましい無数の奈落が存在する辺境の地に追放され、犯罪者達の監視役を命じられる。
その命じてきた、自分を追放してきた相手の為に働けと言ってきているのだ。
元婚約者からのあまりにも勝手かつ一方的な要請に対して、彼女が拒否するのは道理だ。
不思議そうにする彼に対して、彼女は「だって」と言葉を続けた。
「ほら、少年。貴方、仕事失敗したら消されちゃったりするんですか?」
彼女の口から出てきたのは、まさかの自分に対しての心配だった。生まれて初めて敵から心配される経験をした少年は、かなり戸惑いながらも、彼女の疑問に答えた。
「……流石に、そんな使い捨てのような真似はされません」
「そうなんですか?でも罰とかは与えられるんじゃ?」
「……」
「ああ、そうなんですね」
無言でいると、勝手に納得された。確かに罰は与えられるだろう。だが、恐らく彼女が想像しているようなものとは違う、が、黙っておいた。勝手に同情してくれるなら、その方が良い。
「まあ、それなら、良いですよ。一緒に行きましょうか。連れて行ってくれますか?」
結果としてそれが功を奏したらしい。勝手な同情と哀れみ。だが別にその事に対して彼は文句は無い。任務が達成できるならそれがどのような形だろうと何の問題も無い。
彼はナイフを外し、彼女の前に再び跪いた。どのような立場であれ、彼女は元国王の婚約者で、四大貴族の長女だ。
「馬車は用意してあります」
「馬車……ああ、ここから馬車だと、時間がかかりそうですね……やっぱ面倒くさそう」
「丸一日で到着します」
「わあ、やっぱり面倒くさい……」
「では」
そう言って、彼女を連れて行く準備を始めようとした。が、次の瞬間何故か首鎧を引っ張られて、彼は首が絞まった。
「っぐ!?」
振り返ると、魔女が首鎧を掴んでいる。何事だろうと思ってると、向こうは向こうで自分が苦しそうにするのにビックリしたのか慌てて手を離した。
「ああ、すみません、ちょっとまってください」
「何、でしょう」
「実は、ワタシまだ仕事終わってないし、方々に連絡も取らなければならないのです」
見れば、確かに屋上に設置されたテーブルに、書類が山ほど机の上に並んでいる。書きかけのものも山ほどある。
「ので」
「ので?」
「もう少し寝ててくださいね」
カンっと、音がした。それが舌を鳴らした音で、彼女の魔術の起点だったと気付いたのは、ふかふかのベッドの上で目を覚ました後のことだった。やはり最初の時と同じく、一切抵抗できないまま、彼女の術中に落ちたらしい。
「くぴー……」
しかも恐ろしいことに、あるいは図太いことに、怠惰の魔女は同じベッドで眠っていた。自分を抱き枕にして。
「……」
彼女を自分がどうこうする術は無い、と言うことを彼は思い知った。
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