料理店開店前夜
トカトン。トントカ、トン。
深い山の、森の中。
釘を打つ音と、ふたりの話し声だけが寂しく響いておりました。
「
アオバは首を傾げながら。看板を作っているアオキを振り返りました。
対して兄のアオキは、無理無理。と言うように首を振ります。
「そんなこと言うなよ。親分が言ったんだ。たとえ無理だとしても、ぼくらはなんにもできやしないよ。」
木に釘を打ち入れ、シュルシュルっと文字を書いて。
金文字が板を彩っていきます。
木板の端をヤスリがけ、文字を直し。
しばらくして、アオキはよっこらせ。と立ち上がりました。
「よし、できた。……あぁ、そうそう、親分の前で料理屋、なんて言うなよ。レストランって言わなくちゃあいけない。………親分が怒ると、面倒だからなぁ」
最後だけ声を低めて、アオキは言いました。
「やな仕事だなぁ……」
アオバが言った時でした。
「え。……うわぁ!こぼれちゃった!」
よそ見をしていたアオバは、手元が狂って瓶の中身をぶちまけました。
金ピカの立派な香水瓶は倒れ、途中まで注ぎ込んだ中身が彼にかかっています。
「こぼすなよ!ほらぁ、ちゃんと香水ビンを見ていないから。」
しゅん、とした顔と、うえっ、というようなしかめっ面を混ぜた顔で、
「あぁあ、ひどい匂いだよ。」
アオバは文句を言いました。
「鼻がいいからなぁ、余計にひどく感じるのさ」
布切れを取り出すと、アオキはアオバを拭いてやりました。
「しかし、あれだね。ぼくらこれだけやっても、取り分をきちんともらえるかどうか…」
「言うな言うな、それも言うな。虚しくなってきちまう。」
残りをきれいに注ぎ込んで、蓋を締め。香水の瓶を二つ、きちんと並べて、アオキはため息をつきました。
「おい、クリームの方はどうだい?」
「そっちは大丈夫。もうガラス壺に入っているよ。」
「でかした!じゃ、あの塩壺を運ぼうか。」
「青い瀬戸物の?」
「そうそう、その青いヤツさ。」
よっこらせ、とふたりは瀬戸の塩壺に手をかけました。
少し重いそれを、一緒にてくてくと運びます。
「さぁて、これを親分がいる部屋の一つ手前に……」
「俺がなんだって?」
「「うわぁ‼︎」」
突然聞こえた声にふたりは叫びました。
「親分!」
「驚かせないでくださいよ!」
「なぁに、最後ぐらいは。俺も手伝おうと思ってな」
ふたりは叫びましたが、親分は気にも止めません。そしてなにを思ったのか、最後に残してあった戸板にシュルシュルっと、文字を書きました。
「手伝い」と親分は言いましたが、ふたりからするとそれは邪魔になりそうな、全てが最後におじゃんになってしまいそうなものでした。ふたりは渋い顔をしましたが、親分は上機嫌です。
「うわぁ、絶対によくないよ、あの書きよう。」
「あぁ、ありゃ良くない」
最後の戸板には達筆の大きな字で、
『いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。』
とありました。
表の看板には、『RESTAURANT WILDCAT 西洋料理店 山猫軒』と文字が踊っております。
『注文の多い料理店』開店前夜
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