第16話

 別命あるまで待期。

 平時であればまた任意で諜報防諜、動態観測、ルート構築あれこれともそもそ動き廻るところだが、そすかー。


 なーもやるきしねー。


 ネリッサにカエルコールを打つと直正はそのままブラコロヤンキー直通連絡便に便乗させて貰う。

 いつになく、いやたぶん初めての、貪るような、餓えを癒さんとするような、獣的で性急で粗暴ですらある交接を彼は求めてきた。

 ねぶるような前戯もそこそこに突き入れて来ると、精と命を絞り尽すとばかりに挑みかかってきた、ネリッサは何度か制止の声を上げたが全く届いていないようで、ただひたすらに放り上げられ達し続け、放つ彼を受け入れ、受け入れ、果て尽くした意識で未だ動揺する身体感覚を朧に感受するだけで、至福の裡にそれも薄れ消えた。

 気付くといつものように直正は、隣で薄い紫煙をくゆらせていた。

 ネリッサにゆっくり視線を動かす。

 しかし口は開かず、虚空に眼を戻し、のろのろと上向いた。


 ひとこと、ぼそりと呟いた、わからない、と。

 ネリッサは辛抱強く次の言葉を待つ。

 しかし固まったままの彼に背を向け、コーヒー二つを手に戻り、一つを差し出した。

 直正は短く礼をいい、受け取り、少しすする。

 旨い。

 有難う。

 その貌にようやく表情らしいものが戻りネリッサはほっとした。

「ああ、いや、その」

 直正はうつむき、苦笑した。

「ごめん」

「そんな日もあります」

 ネリッサは何でもないよと、ひらひら。

 DVじゃないし、それに。

「良かった、とても」

 真顔で告げると直正は更に赤面して顔を埋めた。

 そして小さく繰り返す、わからない、ああ、そうだ。

 今まで確信的に人生を生きてきた、自ら設定した目的に向け自己研鑚し中間課題を消化し確実に現実化させ手繰りよせ一歩一歩、迷いも躊躇も疑問も無く。


 それが、あの日、彼女、ミキ・カズサが変えてしまった、何もかも、決定的に。

 おれはいったい今までなにをしてきた。


 復讐、おれが、なにへ、なんのため。


 ミキ・カズサに会った、あの「カトブレパス」もこの眼に留めた。

 それがいったい、暴き立て知り尽くし、なにを。

 全智でも目指していたというのか。

 違うというなら、なにに向かっておれは邁進していたのか。

 全力疾走の勢いのまま大地にのめり自身を叩き壊しぶちまけ放散してしまったとでもいうような、骸となった自分をぼんやりと眺めやっている諦めと退廃、腐り溶けていく。


 めしまぐわいふろまぐわい。


 爛れた時間をだらだら過ごす。

 焦点を捨てた眼を中空に置き茫漠と煙に戯れる。

 完全に灰になった口元のそれを丹念に揉み消し、ネリッサに顔を上げ、その目で縋る、どうすればいいと思う。

 ネリッサはだまってその顔を抱いた。

 頬をすり寄せた。

 わかってるんでしょう。

 ああ、と直正はささやく。

 とっくに、そう。

 ファムファタル、か、あの、少女が。

 ある意味破滅したわけだ、既に。

 直正はコミュニケータをまさぐり、手早く数本のメールを飛ばした。

「ほんと、寝に帰ってくるヤサなのね」

 寂寥を塗した台詞に直正は不思議なものをみた表情で。

「君も来るんだ、本件の筆頭当事者だろ」

 はい、えーと。


 現職時代では鋼鉄の要塞、影すら踏めなかった連邦政府の要衝たる「ブラウン・コロリョフ・ベース」にこうあっさりゲートインするのは、今更ながら旧連合国人のネリッサとしては少しばかり複雑な感情もないでなし。

 そこは多目的大型エア・ロックであり、現在は『カトブレパス』1体が占有する空間であった、それを見下ろす形で存在する管理棟で三人は面会する。

 あ~ひさしぶりぃ、というぞんざいに手をふりふりするミキの態度から状況が1㍉も前進していない事情は察するに余りあった、消耗こそしていないものの、拭い難い倦怠の空気が漂う、その姿に思わずかつての自分を重ねネリッサは失笑してしまう。

 こちらはと、やや剣呑に視線を突き立てるミキに、ネリッサ・オブライエンの名を告げるとああ、“あの”、とくだくだる手間なし察するミキはやはり大した、有り難い。

 オメガを覚醒させた第一人者にして今次内戦勃発の主要件者兼最重要参考人。

 直正同行の下、既に法規上のあれこれはもう済ませた、保護観察対象ではあるが行動の制約は特に受けていない。


「それで、私を笑いに来たの」


 いい目付きで噛み付いてくるミキに、

「煮詰まってますなー“あああ”さん」

「そりゃ私だって」

 アァルトゥーナは口を尖らせ、ぶつぶつ。

 これでも人間の端くれなんだから、不平も不満もあります。

 だいたいあなた、シィォ、私の終生護衛官だというならもっと、

「シィォ」


 はっとミキは口をつぐむ、

 今、私。

 怪訝と凝固の中間を刻んだ直正の顔。


 ああ、そう私を呼んだ、シィォ、と。

 直正は確言する、これで二回目だ。


 シィォ。


 心臓が高鳴る。

 胸が焦げる。

 足裏からなにか駆け上る。

 脳に響く。

 その名が木霊する。

 全身が震える。

 宙に舞ったその姿。

 眼が合った。

 なぜ、ここに。

 彼が咆哮する。

 その姿が砕け散った。

 私を護らんとして。

 こんな、私を。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 私が間違っていた。

 私の独善があなたを犠牲にした。

 涙はただ流れた。


《その名は好きじゃありません》


 ミキは顔を上げ、辺りを見渡した。


《やつがオメガを気取るなら、そうですね、アレフとでも呼んで下さい》


 ミキは駆け寄り、見た。

 巨体は屹立し、そしてミキの姿を認めると、優雅に臣下の礼を取り、再び跪いた。


 スタッフの喧騒。

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