第12話

 ミキは無表情に近い、しかし穏やかな、温もりを示す顔でウォルターを、いや、直正を出迎えた。


 もう言葉は要らなかった、しかし必要だった。


「苦痛だった、のね」

 苦痛だった、父の失態が世界を紅蓮の煉獄に叩き込んだこと。


「でも、それは貴方のせいじゃない」

 そう、父のせいでもない、取るべき責任を取らざる者が上に、足りない世界で、足るものがその責を果たしたに過ぎない、親父は犠牲者で、でも最終責任者で、でも。


「知った貴方は父を責めた」

 そして親父は総てを受け容れてこの世を去った。


「貴方は自分が赦せなかった」

 親父を使い捨てた国を憎んだ、何も出来ない無力な自分を憎悪した。


「そして元凶である、私を、恨んだ」

 君も、犠牲者だ。


「「悪も、善もない、総てはただそこに在る」」


 少し、判ったのね、シィォ。


 今のは、なんだ。

 流れ落ちる涙が、もう直正は気にならなかった。ミキも同じ様子だった。

 カウンセリング、ヒーリング、魂の癒し。

 いや。


「学びと、気付きよ、総ては必要なこと」

 長い、永い旅を続けていた。

 刹那の急流の様な現象界で再び、われても末に逢はむとぞ思ふ。

「俺は、救われたのか」

「少し、ね、まだまだこれからよ」

「君は、ミキ・カズサ、なのか」

「でもあり、でもない」

 すっ、と彼女から何かが遠ざかったのを、感じる。

「物理科学の端には神智がある、あなたなら判るでしょ」

 極めし者ならではの悠揚たる言葉でミキは告げる。

「理屈では、でも」

「驚いた」

「ああ、自分とは無縁だと思っていたから」

「私もよ」


 今のは、ええと、所謂“チャネリング”なのか、直正の疑問形にハイヤーセルフ、或いは併行生からのサジェスチョン、かも、とミキをあどけなく首を傾げ、応じる、私だってあなたのメンターって格じゃないし、パートナーでしかない、とうぜん、“全智”には程とおい。


「人間の事情なんて、コップの中の嵐どころかうたかたの泡沫、仮想粒子の瞬きにも満たない瑣末なもの、だからこそ大事だし、慈しみたいのよ、たぶん、そうした細部にこそ神は宿るし望んだはずで、怒りと恐怖を糧に生きるより喜びと祝福を素直に受ける方が自然だし、楽なのよ、それが本来なのだと感じる」

「……言ってて恥ずかしくならないか」

「逆になぜ、そうも容易に否定できるの。私が平常的な感性を経過しなかったと、私がどんな思いで生きてきたか、知ってて言ってるの」

「わからない、それは君の世界だ」

「そうね、そして私は結局、合理と利得の結論としてそこに到達した、私にとってはいちばん自然で楽なスタイルがそうだった」

 不意にミキは微笑んだ。

「でも強要はしない、私もあなたも自由だから、そうすればいい」

 父を、自分を。

 日本を。

 恨んでも憎んでも何も解決しない、今さら、それよりはこれからだ、俺は、俺が、これからの。

 未来を。

 振り捨てるつもりが錆のようにこびりつき澱のように沈んでいたのか、眼を背け足掻くほどより強くより堅固に。

「これからも続けるの、復讐の旅を、あなたが望むなら私には止められない、一緒に手伝ってはあげられるけど」

 直正は目を剥きミキを見る。

 睨み据える。

「あなたが求めるなら、私は与える」

 それが答えなのか、巫女よ。

 そう、口走っていた。

 ……巫女、だと、彼女がか。

 それに、確か、ミキは自分を、別の名で呼んだような。

 いやそうではなく。

「復讐を、続けている、俺が、か」

「違うというの」

 そんな自問は初めてだった。

 俺の行動原理が、復讐に根ざしている、それは。

「何に対しての、復讐だという」

 うめきにミキは初めて口ごもり、眼を逸らし、小さな声で呟く。


 神。

 

 直正はさすがに唖然とした。

 声が出ない。


 事態の当事者にとっては急転直下の慣用句で片付かない、どころかそこから始まる悪夢の開幕ですらあった、殊に役人、官僚にとっては生地獄という表現すら生ぬるい血肉の、現実に対処すべき課題であり案件であり、現行法規で如何に決着を付けるのかという知的危険業務であった、そも連邦という組織からして、手段としての地球脱出と火星移住による人類文明存続を第一義とするシングル・イシューの目的構造であり、元来の、国民国家が具備すべき冗長性やああもう、

 内戦に加えて当該事案への関与が濃厚、いや当該案件主要件と目される太陽系外機械智性生命体ですよちょっと奥さん。

 んなもんどう起案して稟議廻して決済せいちゅうねん頭痛が痛い危険が危ないどころじゃない、開戦と続く関係諸事案、資材や人員や各項予算についての行政手続きだってまだ完済してないっつーのにああもう、おれたちのたたかいはこれからだいやまじで。


 前略中略後略、アイの元に駆け寄るように現れた一群にしかしして彼女はその求めに応じられそうになかった。明らかに、捕虜の尋問であるとかそうした事務レベル、現場仕事を越えた風格をまとう集団、官僚、武官、各部門の長ないしそれに準じるだろう人物に取り囲まれ閲覧を求められたのは僅か数秒の動画ファイルだった。宇宙空間での交戦記録映像と思しき乏しい照度、低い解像度、見慣れない“機影”。


「これは、これを」


 アイは顔を挙げ一同を見遣り、すげなく首を振った。

 扁平な、甲殻類を思わせる、荒い画素から辛うじて見て取れる装脚装椀の形状、それが。

「私の知る限りでは、この様な機体、機材を群島が保持する事実はありません、見たことも聞いた事も、噂すら。」


 驚愕、落胆、そして恐慌にも似た反応。

 ばかな。

 未知、の存在だというのか。

 では、これは一体なんなのか。

 人類の始末に負えない、圧倒的な、未知の敵性存在。

 そう、人類は“これ”とすでに交戦している。

 では今後の対応は。

 アイの事情聴取という本務を投げ出し声高な言葉が飛び交う。

 え、なに、なにこれ、オメガ以外のこんなやつがほかにいるっての。

 君は何も見なかった、聞かなかった、協力願いたい、宜しいか。

 こくこく。

 事態の重大は理解できる、異存はない。

 来訪時より慌ただしく集団は姿を消す。


 地球-火星間には既に半年間隔で運行する定期便が就航していたが、今回はホーマンをちぎる特急便が準備されていた。これも「北米ステーション」を母港とする、『マーズランナー0』は、通例は不測の事態へと拘置されている予備機材であったが特例として、というより本件成就の手段として今日まで手厚く温存されてきたのであるようだった。全長500m超の巨体は地上発射型機では最大であるサターンVの約5倍もの規模であるが、その過半以上は推進剤であり残りはモータで、早いハナシがブースタの化け物に最低限の居住施設を搭載した、それこそ地上発射時代を彷彿とさせる機体であった。


「星へ行く舟、っていうロマンティックなもんじゃないわね」


 傲岸な意志の力が具現化した宇宙飛ぶ巨根だ、とミキは無感動に、「ニューアース」を発したシャトルの席上でこれから乗り組む、船外映像上で徐々にズームアップされるその威容を前にしてこれ以上ないくらい直截にくさした。

 直正は軽く肩を竦める。

 このまま月に向かい更に推進剤タンク及び補助ブースタを増設する予定だという。可能な支援の全てを受け初速を絞り出すのだ。


 船長、航法士、機関士の僅か三人が乗組む操船区画は、ブリッジよりコクピットの表現がなじむ閉空間であった。航宙過程の殆どを占める定常加速、減速は自動航行であり彼ら操縦員がデッキクルーを兼務する都合からも配置から解除され、手動で操船されるのは僅かな時間であるので居住性は必要十分しか確保されていない。

 船外目視視覚化映像上で月が過不足ない解像度を得るまでに近接、周回軌道への遷移を目前にそれは起きた。職務上からもその事態へ最初に接した航法士が声を上げるのに重なりアラートがポップ、本船に向け脱出速度を超過する運動量のデブリが検知されたことを通達。多重チェックをすり抜け“出現”した原因理由の詮議は無論、回避指示どころか反射的にエマージェンシーを叩くのだけがやっとだった。


 轟音を発したのは居住区画の与圧、同時に甲高い警報が耳を貫く。


 宇宙居住者にとって警報は自身の与圧確保行動に直結している。乗船と同時にレクチャーを受けた気密服格納場所へ反射的に視線を置いた直正は、自動排出され漂うそれを2着確保し一つをまずミキに手渡す、手渡そうと振り向く。

 船体破断すら覚悟し身を固くしたクルー三人は拍子抜けの顔を見合わせた。破断でなければ少なくと貫通する運動量のデブリだがそれもない。安堵の間も無く機関士が船を診断し航法士が衝突箇所にセンサを向け船長が月港湾と回線を開く。


「ルナコントロール、マーズランナー0」

「マーズランナー、エマージェンシーを確認、状況報告願う」

「メイデイ」

「メイデイ、了解」

 航法士がメイン画面に投じた映像に二人は息を呑む。


「……なんだこれは」


 月周回軌道近傍で「メイデイ」を発信したまま交信途絶した『マーズランナー0』に対し、当該宙域を管轄する第三管区航宙保安本部は、オンステージ中最近隣にあった警備艦一隻に向け直ちに現場への急行、並びに救難活動の遂行を司令した。

 間もなく現場宙域に到着した警備艦は、遭難船乗員乗客ほぼ全員の救難救出を本部に向け報告してきた。


 それはよい、しかし。

 どうも要領を得なかった。

 まず、遭難の状況が判らない。

 デブリだと思ったら違った、正体不明の〝何か〟に遭遇し船を破壊された、とは。

 しかもまた別の〝何か〟が現れそれを破壊した、とは。

 人型、とは何の事であるのか。


 ついに現場から直送されてきた映像を見て、その場に居合わせた本部管制スタッフは全員が絶句した。


 なるほど、それは、確かに人型だった。

 身長一〇メートルほど、鋭角的な頭部を持ち、マッシヴなボディに均整のとれた四肢。

 映像作品世界から抜け出てきたような、とうてい我々人間の手による造形とは思えない、一見不合理、しかし流麗なフォルムを持つ、人型だった。


 警備艦は、通信の全帯域を使って人型に向け呼び掛けを続けているが、未だ反応らしい反応はない。

「いかに対処すべきか。指示を願いたい」

 警備艦のブリッジで艇長が情けない顔をしてみせた。

 遭難現場で行方不明者一人、その代わりに〝人型〟一体。

 だからどうだというのか。

 行方不明者の捜索に全力を尽くすよう、指示する以外の方策はなかった。

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