第11話
その瞬間まで自分でも忘れていた持ち合わせのなにか内なるもの、あえて言葉を借りるとするならば魂、だろうか。理性では全く別の反応をしているのが判る、実に日系らしい深い艶やかな髪だ、とか外観上はほんとうに小娘だとかいうどうでもいい反応。
型通りの公的な引き合わせ確認の後、ふたりで。
あらためてはじめまして“あああ”さん。
と彼女のハンドルでミキ・カズサに呼び掛けたときだ。
感情としては小揺るぎも、いや、ここまで漕ぎ着けた僅かな達成感はあったがそれにしても、こんな生理現象を生じるような自覚的な振幅は存在していない筈だ。
初対面の人間、それも警護対象の眼前で、
堰を切ったように落涙するというようなことは。
どうかしましたか、“じゃっぷにっぷ”さん。
指摘されるまでもなく自身の異常に気づいて失礼と言い置き早足で会議室から手近の化粧室に飛び込み思いの丈顔を洗い鏡を睨みつける、よし止まった。
訳が判らない。まだないがユーレイの方が平静にやりすごせそうな人生初の怪奇現象に遭遇した心境。感極まった、誰が、何にだ、理解できない。自分は、と鏡像に向かいつつウォルター・カミングスは、感情との向き合い方にはいささか冷淡な、あるいは不器用な人間かもしれない、だが統御には長けている修練もしている、こんな場で暴発させるような未熟さは、否、そもここに何か持ち込むものがあるか、ないだろう。なのにこれはなんだこれは病的だ、なにより不適格だ。大丈夫か、大丈夫だ。
大変失礼しました。
もどったウォルターはさらに当惑した。
警護対象が立ち尽くし、首を傾げながら、涙を流している、無表情なままに。
どこのばかが戦争を始めたのか、という話題について、これは地球の、政府と連合の代理戦争なんじゃないかという言葉には説得力があった。ウォッチタワー、バグラチオン、テト、戦争には転換点がある、攻守交代反転攻勢、これをもう一度ひっくり返せない場合その戦争は実は終わっている、終わりの始まり。この戦争の場合はあの砲撃の開始だろう、とアイは思う。ほんとうなら即時自分たちが火消しに投入されていたはずだが、あれから一度も出撃していない。出撃はしていないが3交代直の常勤に置かれている。“なにか”あっても常に2機は出せるシフトで、今のバディはユイ。戦争の殆どは商売で代理戦争で、民族生存絶滅戦とされた戦いすらそのキャッチコピーであった例も多く、一億玉砕とか言っておきながらラジオ放送一本であっけなく終わったりえてしてそうしたものだ、空気が無料の地球人ならでは娯楽だろう、板子一枚外は真空の宇宙民が戦争を始めるワケがないと。だが他方、主役と目された当事者間で政府が連合をチートとしかいえないソフト・キルで瞬殺したが戦争は終わらない、モメンタムとしてももう半年経つ。
誰が駒鳥殺したの。
今次戦争の発端は政府軍、政府の査察派遣艦隊への先制奇襲とその完璧な成功による艦隊の壊滅、にあった、とされる。誰が、どうやって。もちろん群島がやったんだろうが、その名は戦争が始まるまで影すら見せていなかった。政府を出し抜く戦力を彼らが密かに準備し決起した、ほんとうに、連合の支援を得て、あのざまの連合の、ないわー。なにかどこかがおかしい、不整合を等閑視するほど市民の意識は低くない、材料が足りていないのだろう、まったく想像も及ばない何か。
うちゅうじん、とか、いやそれはそれこそさすがに、ないない。
スイーツつくりが趣味という彼女との接点は少ない、はじめてプライベートな、例えば家族のはなしなどを少しして直ぐに話題は尽きたがお互い沈黙を厭わないので、陽性社交リア充原理主義的な舞と過ごすよりなんぼか気楽ではある、とにかく明るい話題がなにもない、先日、島内配給食の献立が制限されたそうで、次いで量が、時間が制限される様が見えるようだ、ベルトとの連絡線が途絶したとも伝えきく、アイは基幹戦力たるなけなしの利権をかざし親族の食料供給他身分保障を確約させてはいたがどこまでアテになるものか、気休めだというのは自覚していた、今一番の朗報は終戦だろう、ああこれが国民の厭戦感情というものか戦争ダメゼッタイ禁止で済むなら此の世は天国医者も警察も裁判所も弁護士もついでに坊主も葬儀屋も要らんがね。
力を欲しているね。
寝入りばな、頭に言葉が響いた。
もちろんだ、誰でもそうだ。
人生を生き抜く力を誰でも、常に、捜し求め訴えている、それが人生だ。
<そう、現状を打開する力、をだ>
アイは眼を開け、起き直った。
<幻聴ではない、私は語り掛ける、君とは別個の、主体だ>
ばふ。
雑に身体をもどす、寝返る。
タンクで寝るんだったかな、あれ。
なんかまぶしい。
眼を開けると光の奔騰の中にある。
あたたかい、やわらかい、光。
不思議と不安はない。
眼を閉じてみた。
光は消えない。開いても同じ。
不意に、快感が全身を打った。
あ、そういえば最近、してないなと場違いな思い。
<私は、Ωの名を持つものだ>
今、なんといった。
おめが、だ~~~!?!
絶頂の間際にキモオタピザデブ産のおこのみやきでも浴びせられた気分だぜんぶだいなしだF~×××。
おまえが、おまえの、このくそ。
<私を知るものか>
人の口に戸を立てられない、ってしってるか、戦争の黒幕の元凶の悪い宇宙人、オメガさんよぉ、おまえさん、いま島民一のスターだぜぇ。
そのおえらいおめがさまがいったいなんのようですかい。
現状ではミキ・カズサの、その心身の安全を脅かすとして対処或いは排除、対策を必要とされる具体的な、脅威或いは敵性を有するとされるとする人物、組織等、対象と関係性を有する或いは地理的乃至物理的に対象周辺に位置する各項に関し、幸いながら、または当然にして、顕在的には無論潜在的にも如何なる存在も検知し得ず情報も皆無であった。警護と称して今回の一事は政府の都合による身柄の移管であり、火星行きを含めミキの、当人の思惑、意思の有無は要件外である、最重要国家事業案件の一環であった。そうした次第にあってミキのたってのささやかなプライベート空間で惹起した本件についてはかなり慎重にならざるおえない、自身断じたようにほんとうに不適格ではないのだろうな、と、ウォルターは厳粛に自省する。
人前で一度も涙を流したことがない、というようなことではない、現象ではない、解明されるべきは今回のモデルであり対策、自覚的対処手法の確立による再発防止措置の策定であり、現時点でも僅かにして、その幾つかの糸口はある。
落涙の契機は二人だけの対面時に発生した、上司他関係者、他者が存在した空間ではなかったそれは抑制されていた、抑制、そうなのか、ミキ・カズサの存在が原因にしてトリガーなのか、だとするなら自分はこの任務に全く不適格だ、しかし、なぜ、なぜ彼女なのか、あらためて、無関係ではないがその関係性を評価すれば、細密にして希薄、なにかがしこり響き激発するような余地は例え請い望んでも得られるものではないのだ。二人の唯一の接点といい得る要素としては、日系、くらいのものか、虚空を睨み据え辛うじてウォルターが捻り出したのは自身全く得心がいかない、だからなに、以上の解決を持たない類、集合という数学的側面によるおよそ真実とは程遠いのであろう事実の断片でしかなかった。ひじょうに稀で、優秀で、なればこそ世界の表舞台から引き倒された道化たる日本民族、それが彼女との。
それがどうしたどうかした。
罵声が脳髄で轟いた。
そうだった、その通りだ。
全く、うかつなはなしだ。
今次任務ミキに、彼女にプライベートがない以上に、彼女と常にリアルタイム・リンク、安全が確保されている前提条件こそあれ向こうは自由意志でカット・オフの上位権限を持つのに対し、こちらは無条件無制限にモニタされている、思考盗聴ならぬ傍聴、監視状態にある。
あなた一人の問題じゃないわ、“私の”問題でもあるのよ。
不実であることを恐れなさいというのは、殆ど放任だった、それにはむしろ感謝している親、母から、ウォルターが授けられた数少ない言葉だった、不実なるものは何ものにもなりえず、やがては総てを喪うのだからと、ああ、そうだとも、ミキの顔に流れる涙を見て俺はおおいに動揺したんじゃなかったか、自身とも彼女とも向き合おうとせず俺は何をしようとしているのか。
<私は与えるものだ>
煩い、黙れ。
<それは、君の本心からの言葉ではない、エゴの反射作用に過ぎない>
神でも悪魔でも何でもいいから黙れ。
<君が、求めるのだ>
発狂したのだとする方がまだマシだ、意識は人生初めてなくらい明晰だし体調もすこぶる良好、ただ唯一、この幻聴さえ消えてくれれば、いや、智性がそれすら沈着に却下してしまう、これは、外部の、私以外の、意思の作用だ、それが今は、明瞭に判る。
<然り、君は正常だし平常だ>
求め、請い願った結果総てを喪う、そういう寓話をアイも知っている。
<猿の手、かね、それこそ為政者の支配の手段だ、君もそれを知っている、真なる力は在る、求め願えば実現する>
それで、戦争になったとしても。
<君は望んでいない、君の望みを果たせばよい>
それは宙空に忽然と出現し、亜光速で漫然と近接する。
同定の手間は無かった。
ボギー01。
『お礼参りに来てやったよ、イタ公!』
全周波を圧してアイの怒号がオーバーラン。
当直の先任士官が稼動兵装全力による咄嗟射撃を下令するのがやっとの対応で、無論、何の効力も与えた様子がない。
『怯えろ!竦め!圧倒的な恐怖と微塵な自身への怒りを抱いて散っていけ!』
あのとき、上から下まで、人生最大の無力と絶望と、諦観を味わった、少なくとも私は、と当時北米ステーションに駐在した多くの将兵が後に述懐する数瞬の後。
『って、そういうのが皆、大好きなのかな』
は。
『怨念は必ず報復すべきものなのかな、それが人の正しい道なのかな』
ええと。
総員が、叩き起こされて直についたベルティーニすらが、半泣きの副官と、周りの参謀、スタッフと顔を見合わせる。
『力っていうのは、自分が優しく為る為に必要なんじゃないかな、力を振るうのは、横暴なのは、弱者の証なんじゃないかな』
……え、ええと。
『弱者に請われてこその強者であり力なんじゃないかな、力ってその為に存在するんじゃないかな、私はもうこんなのいやなんで、そうするよ』
アイは宣する。
『政府軍に条件付けで投降を希望します、条件は群島との即時停戦』
神だか悪魔だかしんないが、絶対的な力を与えればそれに無条件に溺れて自失するだろうとまた嘲笑いたかったのかくそが。
人間を、意思の力を、舐めるな。
<いや、それでいい、それでこそだとも>
煩い黙ってろって。
何一つ自由にならない、それが歴史に刻印されるというものだ、と、エドワード・ハミルトンは自決の手さえ振り払われあっけなく、三重スパイだった島長、アレクセイ・ゴルドノフに身柄を拘束された。
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