第8話

 日本海上自衛軍第2潜水隊群第2潜水隊所属、通常動力型潜水艦「こうりゅう」。

 第7艦隊に生じた異変を世界で最初に察知したのは、演習を兼ねてこれに触接していた海上自衛軍のこの可潜艦だった。

 現在、第7艦隊が根拠地とするグアム海軍基地。間近に迫った母港に向け一路南下を続けていた艦隊が突如、転針した。

 おお、すげぇ。聴音手が思わず声を上げる全艦一斉回頭。ワルツを踊るが如し優美な艦隊運動は同時に、高い錬度の発露でもある。

 この変事をどうするべきか。短い討議を経て速報が決断される。「こうりゅう」から発射された信号弾は必要距離分航走、発射元から十分距離を取り浮上、頭上に向け極、短い信号を発信、太平洋の頭上に浮いている、国内事情的にはなるべく忘れていて貰いたい「情報(偵察)通信衛星」がそれを受信、すかさず日本本土は横須賀の潜水艦隊司令部に投げ落とす。

「第7艦隊転針ス」情報は国防省、市谷に飛んだ。しかしそこまで。

「それはつまり、我が国の安全保障にどの様な影響を与える事態なのかね」

 事務次官が怪訝な表情で述べる。統合幕僚長は苦い顔で応じるしかない。

「いえ、現時点に於いては、何ら影響を被るものではありません」

 次官はあからさまに呆れた表情を浮かべる。

「であれば。何が問題だというのかね」

 呆れたいのは統幕長の方だ。彼は言いたい。“あの”第7艦隊が母港への寄港を目前に一斉回頭してのけた。伊達や酔狂ではない、間違いなく“何か”があるのだ。

 それは、何だ。

「第7艦隊の動静を軽視するべきではありません。水面下で、何らかの事態が進行している可能性は、極めて高いものがあります。今は、情報収集に努めるべきです」

 どうしようもない無力感を背に統幕長は言い募ったが、当然、切り返される。

「何らかの、ね。別に偵察機を飛ばしても構わんが、貴重な血税だ。どこへ何を調べに行かせるつもりだ?」

 それが判れば苦労はない。

 多年に渡り営々と築かれてきた彼の国との関係を断ち切ったのは、もちろん軍人ではなく国民とその選良による選択だった。

「半島、大陸、或いは北方。何か不穏な兆候でも」

 言い被せてくる次官に対し、統幕長は返す言葉がない。全くその通りだからだ。

「現時点では、何らの兆候も存在しません」

 現時点、では。

 しかしアメリカは行動を開始している。

 何かが、足りていない。それは何だ。統幕長は自問を繰り返すが手持ちの材料をどう組み合わせてもそれらしい解が得られない。かといって手持ちの情報が足りていないとも思えない。奇妙だ。パズルは完成している。しかしどこかが欠けているはずなのだ。

「大臣には私から伝えておく」

 興味を失った顔で次官が結んだ。

 第7艦隊。

 “地球の半分”をその活動範囲とし、40~50隻の艦艇により構成される。アメリカ海軍内でも最大規模を誇り、単一の艦隊戦力としても地上、史上最強と呼んでよい。

 艦隊、と称されるがその実態は基地航空戦力をも隷下に持つ複合戦闘部隊であり、基幹戦力をなすフォード級原子力空母「アメリカ」(紛らわしい)が搭載する90機の航空戦力を合わせその数300に達する他、強襲上陸作戦を可能とする両用部隊戦力を併せ持つ。平時に1万5千の兵員を擁し、戦時動員では水兵海兵その数5万に膨れ上がる。正直、その戦力は並みの中小国の全戦力を軽く凌駕し、必要であればこれと対等以上に渡り合える能力を有する。 1艦隊で1国を降す。第7艦隊は合衆国の力の象徴の一つでもあろう。

 第7艦隊旗艦「カスケード」。

 「カスケード」が担うC4I、指揮統制通信そして乗組む5百名に近い兵と呼ぶよりむしろスタッフが扱う情報、これらが整然と運用されることではじめて第7艦隊という巨大戦闘集団は戦力として機能する。

 その戦力の更に中核に位置するのが一人の男。司令官、アレクサンダー・ラムソン海軍中将。指揮官としては闘将、勇猛かつ冷厳な鋼の男の一人である。

 しかし今彼は、一抹の不安を胸に宿している。外から見てそうと知られるような線の細い男では当然ないが。

 与えられた命を素直に受け、その達成のみに尽力する。良き兵とされるものの姿だ。だが彼のような立場にあるもの即ち、一国の国防大臣に比肩する戦力を率い、権限を有しその責務を負うもの、そう単純ではいられない。与えられた命の背景にあるものを含め佳く理解に勤めその変化を予見し、場合により臨機に対処する。これが将たるものの勤めだ。


 それが、今回は見えてこない。


 つまり。自分の更に頭上高く極秘を冠した何かが舞っているというのか。海軍中将如きでは触れ得ない何かが。

 想像も付かない、な。

 彼はそこで思考を打ち切る。知り得ないものをあれこれ根拠無く憶測するのは第7艦隊司令たる自身の職務ではない。自分の仕事はもっと実際的なものに限られる。

 ラムソンは制帽を手に取り、目深に被り直す。

 アメリカ、発艦を開始、の声が上がる。ラムソンは軽く頷いて応諾を示す。


 アダム・スミスは職務に忠実にアラートを発した。

 それが嘗ての第七艦隊の残骸で在るにせよ。


 沿岸部にあって海岸線を越え国土への侵入を謀る敵性飛翔体に電子の眼を凝らす監視拠点、レーダーサイト。最重要軍事拠点の一つであることは説明不要だろう。にしては防備らしいものは金網フェンス一重と甚だ手薄であるようだが、巡回の兵による警備監視の目もあれば、何より自身を以って接近する脅威に逸早く警鐘するが本務である為、もし犯されたとあっては怠業の謗りも止むを得ないだろう。


 その外壁、フェンスの下生えがかさかさとざわつく。


 ひょっこりと頭を突き出したのは地球表土であればどこにでも生息している小動物のドブネズミ。若干、頭部が肥大しているようだが誤差の範囲だろう……とは安閑にすぎたようだ。背負っていた棒状の、玩具としか形容のないマイクロガンを慣れた動作で器用に構えると、目敏く擦り寄って来た警備の軍用獣、天敵であるキングコブラをあっさりと無力化、昏睡し横たわる脇を抜け悠々と侵入を果たす。この軍用獣が或いは対生物戦仕様であればリアルタイムモニタの対象として異常も感知できたであろうが生憎SOF、対特殊任務部隊、あくまで人間が対象の主に運用コスト上での判断により補助的なトラップとしての役割以上は求められていなかった。勝手知ったる他人の家、ネズミ兵は迷うことなく基地内ダクトを駆け抜けて行き、ある一画で止まるとそこに次々後続が合流してくる。一匹が持参した工具で巧みにダクトへ穴を穿つと、別の兵が人間でいう人差し指ほどのサイズでボンベに似た形状の小道具を穴に押し当て、豆粒みたいなバルブを廻す。一通りの作業を終えた兵達は集合し互いの顔を眺める。それこそ人間のSOFであればハンドシグナルでクリアを呼び交わすシーンだろうか。そして数分後、予定通りに堂々と、誰も見守るものがない監視スクリーン上を数個の輝点が通過して行った。


 HV-22E、ペットネーム「オスプレイ」は前世紀というより旧世代の遺物であったが、運用上は問題なしとまったく頓着することなく連邦では現用されていた。E型は特殊作戦に特化した機体で、徹底的な軽量化や燃費重視で選定されたエンジンの搭載等により航続性能は大型輸送機同等を獲得し、静粛性は昼間に市街地低空を飛行しても気づかれること無く、住人から苦情を受ける心配がない。海上を漂泊する以上の能力を持たない、赤錆すら浮かせて航行する第7艦隊に注視を集めつつ主戦力である連邦のSOFは粛々と作戦した。

 正面戦力では連邦を圧倒していた連合の部隊が、その一弾をも発砲する事なく拠点は次々沈黙し、官邸での、地球連合総裁の手になる降伏調印を以ってはじめて、連合の将兵は自国と自軍が既にして敗北した事実を周知された。

 テロ、低脅威度戦争は継続されたが連邦からすればそれは戦前から変わらず対処を継続する課題であり、策源の壊滅により頻度威力とも大いに低減された。


 連邦はようやくにして永年の確執に決着を付け、内乱解決にリソースを集中し得る環境を整備するに至った。


「再就職の口を斡旋できるんだけど」

「ごめんなさい、今は興味ない」

 だと思ったとエドは肩を竦めてみせた。


 それで終わりだった。おまえが始めた戦争をここで投げだすのか、と恨み節を炸裂させ腹を晒すようなもてなしは期待していなかったけど。


 邦を喪い亡命を企てる元エージェントにアクション映画は起こらない、現実の職場は撮影現場ほど予算に恵まれないからだ、つまり抜忍に上忍を差し向け赤字経営をする戦国領主など実在しないように。連邦による連合への進駐、統合、解体が公示されて約一月という時間が流れたものの、地球と宇宙を結ぶ唯一の玄関である「北米ステーション」では交錯する二つのベクトル、宇宙から商機や消息、情報を求め地上に向かう流れと永年の宿願である地球から宇宙への脱出、入植を希望し殺到する人波が生じさせている未来永劫にわたって継続するかと思わせる規模の混雑が続いていた。待機列はとぐろを巻き、さながら難民キャンプの様相を呈している。


「だ~れだ」


 求職者になり心身身軽なネリッサは、一目瞭然スーパーサイズ彼女をサーチしていたウォルの視線を軽く手を振り横切ったあと、完全に無防備な背後から両手で目隠し、完璧な奇襲を決めてみせた。


「……失礼ですが」


 見知らぬむしろスレンダー体型な女性から唐突にじゃれ付かれたウォルは当惑を越えた冷ややかな声で質す。ネリッサは堪らず吹き出し、じぇいと掛け声とともに黒縁の伊達メガネを顔に載せてみせた。ウォルは顔に疑問符を飛び交わせ、一拍のち、クレーンのように競り上がったふるえる右手人差し指でネリッサを指し示しながら、え、と、あ、の中間のうめき声をながながと搾り出すハメになった。


「つまり」


 と、さっきのイタズラが千光年彼方に吹き飛ぶような台詞をウォルと交えているネリッサは、仮泊施設で書庫でもある、連邦軍情報士官に支給されている官舎の室内に視線を巡らせ低い声で少し笑い、続けた。

「業務に託して個人的興味から、連合のエージェントにしてトンデモニューサイエンス系考古学者の孫娘にコンタクトをとった、とこういうワケなんだ」


「失望した?」


「いえ」


 ネリッサは両手で男の顔を優しく包み向き直らせる。

「興味深いわ、とても。続けてくれる」

 人類は地球に、地上に自然発生した、YESかNOか。

 今日まで自力で辿り着いたか、外部からの干渉を受けたか。

「困ったことに物証は山ほど。タケウチ文書は知ってる?」

「あれは、ファンタジーでしょ」

「正史に対しての演義みたいな位置だろうね、元は口伝を書き起こしたものだし」

 人類のルーツやプロセスは正味のハナシどうでもいいし知識も興味もない、結果どうなって俺達はいま何処にいるのか、問題はそれ。

「巨人信仰?」

「一つは君が発掘したΩだ、そしてもう一体が」

 ウォルターはコミュニケータを繰り不鮮明なイメージを引っ張り出すと差し出す、これは。

「火星の太陽系最大の巨峰、その山頂にある」


 そう見ればみえない事はない、巨人が蹲るような、岩塊


「カトブレパス、ギリシア語でうつむくもの、だそうな」

「それが」

「連邦を、人類史を隠れ蓑に連中が目指した聖地にして最終目的、これと」

 もう一枚、好みによっては美形かもしれないが没個性な、艶やかな黒髪を持つ日系少女のポートレート。

「ミキ・カズサ。デザインベイビーにして人類種の始祖たるイヴ、人類を代表する巫女、これを火星のコレとコンタクトさせる」

 で。

「内偵がコケてホット・ウォーが勃発、開店休業の無任所公安職員に下った次の勤務先が彼女の身辺警護です」

 ネリッサは口にしていたコーヒーを盛大に吹きだし、あきれて彼氏を見る。

「手は尽くした。親父を国家に使い捨てられた息子が国家を少し使って自分の興味を満たすくらいは、まあ分別の範疇だろ、復讐とかより」

 旧名、小倉直正はしめくくると天井に向けゆったりと紫煙を吐き上げる。

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