第3話

 阿鼻叫喚とはこうしたものか、と、第12代地球連邦評議会議長であるアルフレッド・ハルトマンは眼前、モニタ上で展開される光景を眺めながら妙に得心していた。更に背後から自身を毒づく、おいおいずいぶんと悠揚たるものだな。


 そう、この事態を惹起した最高責任者にして当事者は無論、私だ。


 私はこの瞬間、歴史の末席に列座したのだろうか、とも思う。ダンツィヒの割譲要求が世界を紅蓮の煉獄に叩き込む同意書へのサインと知っていたら、それでも躊躇無く署名出来ただろうか、という類の。そして一つの理解を得ていた。歴史の当事者というのは貧乏籤の最たるものなのだな。後世の歴史家、もし人類の歴史がまだ継続し得るのであればとの留保付きではあるが、当時の、この私の無思慮、無分別を大いに弾劾し、嘲弄し、小さじひとつの憐憫や同情も示すかもしれない。何が最善手であったのだろう。奇跡を期待し事態を等閑視し神の手に委ねることだろうか。愛が足りない、確証的な武装蜂起の事前準備行動を静観せよとでも。再三の注意、勧告、警告を無視しての事態の進捗に対しての、強制執行だけはせざるべきであったのだろうか。

 先刻まで室内は今日ここに至った敗北に際しての沈鬱な空気が支配していた。これまでも連邦政府はともすれば諸島、宇宙人工島居住区画住民の空呟、これでよいではないか、ほんとうに火星まで行く必要があるのか、という疑義に対し、ことある毎に理念共有の努力を積み重ねてきてはいた。

 地球近傍宙域での恒常居住施設建設整備事業計画、その第一号となる「ニューアース」が地球連邦政府環境省宇宙開発局より公表された時点では、国内からの嫌疑はもとより地球連合からは愚弄、嘲笑、罵倒、その計画実現性を巡りあらゆる悪感情が投げ掛けられた。主たる理由は総工費であり、連邦はその明細を公示していないが、自分たちの見積もりでは正に過去例を見ない文字通り天文学的なものであり、人類の総力を決しても、まして現在の連邦の力量を遥かに逸脱した到底不可能な絵空事でありそれを強行する指導力について、控えめに評価してもその能力は懐疑的である、と当時評していた。

 通常戦力激突の頭上でABC弾頭が咲き狂う所謂“第三次世界大戦”と総称される未曾有の混乱を経た人類社会にはその灰燼から、このままではだめだしこれまでのやり方ではだめだろうという新秩序を標榜する統合政体、「地球連邦」が発足される一方、これまで通り継続させるのだという旧、国際連合を母体とする国家共同体である、「地球連合」、その二大勢力間で事態の推移を見極めようとする第三極という構図が出現していた。連合の“これまで通り”とはつまるところ利権の固守であり、それが人類を滅亡の瀬戸際まで追い詰めた元凶ではないかとする、地球再生とその手段としての一時脱出を筆頭の政策課題とし、手法としては貨幣経済体制の抜本的見直し及び脱却にその基盤を置く連邦との対峙は不可避であった。よって「ニューアース」建設計画は、連邦の価値と実力を問う良い試金石ともなった。

 無論事業完遂は安楽なものでは無かったが、連合の予測と希望を大きく裏切る形となった。“経済価値”から換算すれば確かに、それは過去類例を見ない巨額の予算を必須とする事業であったが、連邦は従来の体制、経済の枠組みであれば必要とされたリターン、いかなる意味でもその利潤も見返りも必要としていなかった。宇宙開発に限らず、人の営為を確定的に阻害し続けてきた予算、マネーという頚木から開放された連邦にとり、計画の障害となったのは何点かの純粋な技術課題であり、その解決についての工数は当然織り込み済みであった。連合からすればまるで黒魔術の詠唱を傍観する心地でもあったであろうが、旧来の体制からは金利の廃絶一つにして口にするのもおぞましき異教であり、正に不倶戴天にして必滅の邪教徒そのものだった。そして連邦が5年と、連合が100年掛けても完成してたまるかするものかとした「ニューアース」は計画に僅か3ヶ月の遅延を以って無事に就航した。続く二号基「エデン」は工数半減という基本計画が野心的に過ぎたものか種々の改設計が原因で難航し、遅れに遅れと言われつつそれでも4年半で完成したため、所期の工期短縮目的そのものは実現をみた。


 常識的に考えれば直ぐに理解出来るとは思うが、地球の表面から材料をブン投げて宇宙空間に足場を築いていくなど、改めて、正気の沙汰ではない。最初期に突貫という表現が相応しい性急さで築造された2基は連邦が試算した火星移住を最終目的とする宇宙開発計画での、これでも最低限度のイニシャル・コストであった。以後の資材は現地調達に、木星軌道と火星軌道の間に存在する小惑星帯であるメイン・ベルトの開拓に委ねられていた。迂遠に思えるが急がば回れ、重力井戸の底から延々とリソースを吐き出し続けるよりもよほど現実的な選択である、それでも多分に夢想的ではあったにせよ。


 旗艦、消失。という、次席旗艦が発した平文でそれは始まった。


 現場の混乱は今般の事態を受け設立されたここ、安全対策室本部にも直に伝播していた。

モニタの向こう側、執行統括の現場である艦隊司令部に隣席の首席補佐官が問い質しているが要領を得ない。反応消失、全滅、という音声がノイズの如く飛び交う。全帯域を通じての呼び掛け、全天探査、悲鳴と怒号、その全てがライヴで演じられて後、漸くにして血の気の失せた顔で向き直った司令官、現場に出向いていた航空宇宙幕僚長が艦隊の全滅を報告した。事態は想定、というより想像の範囲外であった。最前までの沈鬱な空気、宇宙区民との民意の乖離、齟齬を解消できず遂に今日こうした措置に及んだという失態への悔悟、など消し飛んでいた。交戦、いわんや完膚なきまでの敗北による執行担当人員への傷害、殉職という状況を、誰一人として危惧してはいなかった。しかも原因は不明で、ほとんど未処理のまま提出された映像資料が関係者を更に惑乱させた。


 宇宙空間。そこに矢印状のカーソル。彼方の光点が一瞬で像を結ぶ。ホワイトノイズで映像は終わる。現れたその姿は、幼少時のラノベ・コンテンツでは慣れ親しんだそれはシリアスな状況をプゲラするかに性質の悪い冗談のようであった。


 人型……?。

 一人がその困惑を言葉にする。

 これが、艦隊を全滅させたというのか。

 これは、もはや全員の理解の範疇を越えていた。


 ハカセ、と言い掛けエドワード・ハミルトンは舌打ちし、改め、オブライエンは今、何処にいるかと。判りませんという戸惑いの言葉に呼び出せと短く命じ、切る。そしてアレクセイではないよな、考え直すとその当人からだった。いったい何を仕掛けたんだ、という相手の言葉に思わず苦笑を浮かべる。いや、私は貴方の仕業かと思ったんですがと応じるとアレクセイ・ゴルドノフは何を馬鹿な、と叫び掛け、息を吐き、小声でまた後ほどと告げ切った。島長さんも大変だな、呟くと間を置かずにコム、コミュニケータが震える。報告に目を見開く。


 大事は去ったという島民の感覚には、放射性雲と核の冬に苛まされる地獄からの脱出を求める地球との、既に隔絶した認識の相違が存在していた。井戸の底から発せられる火星居住という別天地への祈願は、同情は出来ても今の生活を犠牲にしてまで達成すべき目的として積極的な賛同はできなかった。労苦を重ね這い上がり、また改めて身を沈める、という願望は、まして到底、島民としてはイミフ杉て草不可避、それって何か美味しいの、と想像の限度を越えた狂気でしかない。WW3、人類滅亡、それがどうした、もはや“戦後”ではないのだ、どうぞご勝手に。状況というより環境、否、それは正に時代の変遷そのものであり、個人や組織の才覚で左右出来るようなものではなかった。


 間を置かず送られた映像を見るエドワードの口はあんぐりと開く。ネリッサ・オブライエンが住居にしている、していたリアステが、それが跡形も、ない。部屋からメンテナンス・ダクトを縫い文字通り飛んで着いた先で息を整えエアロックの向こう、宇宙空間を目視で確認する。やはり、無い。一報を発したソガメと目が合うが、これはいったいなんだ、という無意味でまぬけな羅列のほか、口を開く気にもなれない。


 わたしじゃない。


 その場にいない声が呻く。

 胸元から取り浮かしたコムが泣く。震え伸ばした手でひったくりざま耳を押し当て、今、どこですかと発した問いは歪み上ずる。スリープモードのまま着信しているコムの異常動作を超越した、異変の気配がラインのむこうに、ある。

 あれなのかほんとに。眠る巨人、光景が脳裏を過ぎる。

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