第2話

 リアステ、採鉱済み小惑星を利用したリサイクル・アステロイドを居住モジュールとして再利用した、この近辺ではもっともありふれたその一角にささやかな事務所はあった。雑然が幾つか中空にまで漂いだしている点をのぞき、地上とさほど変わらない光景がある。

 唇を少し舐め、トミー・ソガメは続けた。

「大事な事は、此処は絶対に誤解して欲しく無いんですが、私は、私達は純粋に、最大幸福の一環として政策の見直しを提言する立場であって、開拓其の物は今後も継続須冪ですし、併し長柄或る意味、連邦と謂う存在其の者を根底から揺るがし兼ね無い金成無理筋で或事も当然、判って益す。其れを仕手、反政府活動だという短絡的な決め付けだけは、絶対に受け入れられない」


 ウォルター・カミングスは軽く頷くに止める。


「微妙、いえ、そこは慎重に配慮すべきですね、懸念は判ります」

 敢えて視線を合わせ、言葉を重ねる。

「それでも、ノー・マーズであると」

 ソガメは目を逸らさず、むしろ身を乗り出し受け止めた。

「それでも、いえ、だからこそ、です」


 誰かが声を上げるべきだという言葉には、決意もあり熱量も感じるが悲壮、とまでは到っていない。良くも悪くも、というべきだろうか。公を問いながら自分を含め、連邦の人間にそれが希薄なのではないだろうかとウォルターは思う。昨今のノー・マーズにせよ、危機意識に根ざしてではあるものの、それは皮肉にも、かつては夢想に近い絵空事でしかなかった宇宙という空間がここまで人間の領域として確立され、結果人類存亡が“背景に”後退し、手段としての宇宙開拓が火星移住による人類存続の空疎化へと逆転せしめた。しかし目を地上に転じれば、未だ宇宙進出そのものに頑強な抵抗を掲げる連合の存在があり、フォールアウトと核の冬に閉ざされた暗鬱な世界からの開放を求める多数派の怨嗟は、住み慣れた大地を再びと叫ぶ。小惑星も惑星も宇宙(そら)に浮かぶ同じ天体だ、何で苦労して井戸の底からまた底に戻ろう、戻りたいというのか、という宇宙島の住民、島民の困惑もまた理解出来るにせよ。


 実際はどうなんだろう。


 連邦の人間は連合を、自分たちのやることなすこといちいちなんでも反対の、まるで野党第一党であるかに錯覚している感がある。少なくとも仮想敵国、のような、自らを脅かす敵性の存在であると考えている人間は少ない気がする。もちろん地球連邦対地球連合、それこそ馬鹿な、というよりアホか、だ。そこまで愚かでは今度こそ滅びかねない。ではもう、自分たちは火星を必要としていないのか、少なくとも見直しの余地はあるのかもしれない、それが連邦の国是であったにせよ、ということか。一見自然だな、素晴らしい、ウォルターはおもわず感心する。

 月への便を待ちつつウォルターはクラシカルにキーボードの上で両手を躍らせつつ漫然と視線を巡らせる。


 クラシカル?。


 無粋なデッドウェイター、“オールド”マテリアリスト、おそらく“おのぼり”、間違いなく小汚いフロッガー。

 文字通り中空を忙しなく飛び交うビジネスマンにぺったらぺったら悠然とブーツを鳴らしながら闊歩するベルターにエンジニア。井戸の住人には痛いほどの槍衾に射られながらのアウェイでウォルターは平然、寧ろ超然と自身のジョブを貫き通す。


 雑踏が彼に向ける嫌悪乃至侮蔑、は単なる田舎者へのそれであり、「安全保障」とやらが絡んでくる含みを持つマターではない、現地にその空気はない、と判断する。


 来客、“フリージャーナリスト”が退去するや否や、事務所の空気は音を立てて入れ替わった。セクトのメインHQとしての機能を回復する。

 わざわざチューブでは無く賓客用に重力プレートに用意した粗茶を見事にはわわしてのけ完璧にドジッ娘をアクトして見せた秘書は、美貌に似つかわしい元来の涼しげな眼でセンサを一瞥し、クリアを宣言する。5匹ほどの“虫”を焼いたらしい。

 ソガメは茫洋とした貌で虚空を見据えるが、これは彼本来の、最も意識と神経を集中した際に現れる指揮官としての表情であった。

 少しして呟いた、何処から漏れた。

 単なるリサーチではないでしょうか、秘書が意見する。“同志”からのインフォもありませんですし。

 かもな。警戒段階では無いか。

「でもやつら、プランの実態を知ったら歯噛みするでしょうね」

 事務員の一人が能天気に発する。

 そう、武装蜂起計画は存在する。

 但し、フェイクだ。

 これを実しやかにリークする。

 政府が検挙するのはモデルガンを抱え怯える一握りの趣味人だ。

 無論、ウラなどない。

 反政府感情という虚妄に惑乱した政府、という既成事実、汚名のみが残る。

 プリンタデータが実銃に寸分違いない、出所は勿論、連合だった、という事実の断片に、事件が解決する時期の世論はまったく頓着しないであろう。結局、抗い難い時代のムーヴメントが存在する、それだけなのだ。


 一際強い注視の気配を受け流し、ウォルターは手を休め胸元に手を伸ばす。ぽっかりと一服浮かべたその脇にどかりと影が腰を落とした。

「待った?」

 いや、と生返事。逢瀬を目当ての出張業務などとは意地でも、おくびにも漏らさない。

「ギーク相手は疲れる」

「いやまったく同意」

 ふと、彼女の顔に眼をむけ、そらす。

「なに」

「別に」


 気づいたときには体が動いていた。母なる大地を味方とする戦技はここ、低/無重力帯ではまったく機能しない事を直後に叩き込まれた。一度浮かされたら相手は両手両足の質量を全弾縦横に叩き込んでくる、それは正に空間戦闘だった。一目で視界に入れたその一事を後悔するほどの地上種以外では在り得ないジュー・ビッチ、比類なき木星並みに豊満な体躯のそれ、を庇ってひょろけ出た抜け作がまるで台本通りにこづき廻される寸劇に取り巻きひとつ作らず往来は冷ややかに流れ行く。サンドバッグに飽きたか唾を吐き棄て立ち去った気配にそのまましばらく横たわり、そろそろと体を起こしすこし身体を曳いてから目に付いた茶屋に転げ入り、ようよう紫煙をくゆらし深く嘆息し見詰め続けていた小汚いつま先から起こした視線の先に彼女はいた。二人は互いにみつめあう。かーちゃんがね、おまえはやさしいね、って。ゆっくりと首をゆらして軽くのけぞり、いや……ただのおばか、見ての通りと肩を竦めた。


 出会ったその日から今日まで対面すれば必ず一度は寝るウォルターとの関係を彼女、ネリッサ・オブライエンにもいま一つうまく解き明かせずにいる。セフレ? といえばそう、ラバー未満、フレンド以上のつきあいだろうか。他にも彼の、彼女を困惑させるエレメントの一ついや二つが、ウォルがデブ専でもオッパイ教徒でもないという、じゃあなんでこの、少し煤けたマイナーハリウッドアクターみたいなイケメンは私の背で安らかないびきをかいているのか。

 好きだ、愛してる、という言葉は、互いに一度も口にした事がないそれは、不在をことさらに言葉で補う不毛を厭てか、いなやすでにじゅうぶんなものを敢えてひからかす破廉恥を避けてのことか。掻き毟れば快感に昇華されるだろうむず痒さ、というのは対人関係を表現するに不適当だろうか。

 もしかしたら血まみれになって、それで終わりかも。

 ジャーナリストと“サイエンス・ライター”という二人が貼り付けているラベルも、それがカバーである事をなぜか互いに察して、そしてともにとぼけている。ウォルがここ、ベルトから引き出され採鉱資材を吐き出しながら着荷する鉱星で賑わう開発の最前線にして人類最辺境の一画まで足を伸ばしてきたのも、連合のスーパーバイザーとして活動を支援し不安定化工作を仕掛けている本業と無縁ではないのだろう。

 ハニトラ。思わず失笑してしまう、この私が。

 背中越しに彼を眺める。

 この肉襦袢、生体ボディアーマーを彼の前で脱ぎ去り更に素顔を晒してみせたら。ウォルはどうするだろう。

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