第1話

 罵声、祈り、嗚咽

 スターバードゼロワン、ゼロワン、状況報せ

 デブリだという呻き

 トリアージ?

 ジッパーコマンド

 ゼロワン?

 だからデブリだミンチと言えば良かったかブルークラウン

 ……いやマテ

 ……ゼロワン??

 あれ

 ヲイ

 ……ゼロワン、状況報せ

 天使だ、天使がいる……

 ゼロワン、ゼロワン?!

 全員正気だブルークラウン、だが天使がいる、いるんだ


 アルテミス01宙難事故追悼式典という場にふさわしくない明るい声は、参列者が引率した幼少年から時折発せれるものだった。ミキ・カズサはごく普通の少女だった。外見上の特徴といえばいかにも日系らしい、新月の夜闇のように艶やかでゆたかな黒髪の持ち主だったが、それも伸ばして揺らめかせるのでもボーイッシュに刈り込むのでもなし、飾り気の無いセミロングで纏めていた。落ち着いた物腰で、それは、爛漫快活そのものの、同席している少年少女の中にあっては、ややくすんでさえ見えた。参列者はそうした彼女の様子を、当事者であり両親も亡くしているその事情へ一抹の同情を添えて察するのはむしろ当然にして容易であるようだった。しかしながら、その理解とされるものが好意的ではありながらも類型的な、厳しくいえば浅慮の範疇にあったのも事実で、もし今少し彼女自身に対し真摯な姿勢で接する者があれば、そこに顕れているのが傷心や感情という叙情的なものに留まらない、年頃には不相応ともいえるより理性的で自覚的な抑制と熟慮によりて選択された静謐であること、その深遠の上辺を感覚し得たかもしれない。何れにせよミキ・カズサがそうした次第であり、人々の関心が自然にせよ良心的な姿勢による自制的なものであるにせよ限られた領域にあるので、付き添いにして保護者であるマーサ・カズサなる老女の存在は更に事務的で形式的な、好意的且つ前向きな無関心に落ち着いていて、その扱いを彼女自身も歓迎している様であり、黙然と列席の来賓と同化していた。

 式典開催に遡ること約三ヶ月前の早朝、彼女も朝は早い方ではあったが、ノックと呼ぶには余りに性急で激しい乱打音に叩き起こされ、それでもドアを開け乱入はして来なかったミキに一定以上の評価を付与つつマーサはドアに向け小走りに近付いた。

 うごかないの。それに、冷たいの。

 どう偽っても害獣の類縁でしかないそれをハムスターと命名し愛玩するという、マーサには理解は出来ても共感し得ない趣味をいつのまにか修得してしまった結果2軒となりから株分け貰い受けミキが熱心に世話していた小動物は、泣き濡れ呆然と立ち尽くす孫娘がちいさな両手に捧げ持つ鄙びた肉塊に変じていた。

 天寿を全うしたのだ、とマーサはミキに告げた。

 死ぬ、んだの

 そう、死んだ、のよ。

 改めてミキが与えられたのは、生死の哲学という殆ど無限の機能を持つ玩弄物だった。その成果を今日、マーサは或る意味これ以上ない実践的な場に於いて観察し得る環境にミキを置いた、といえる。

 道縁在りて学ぶ者たちよ、初めまして。先に生まれたから“先生”と呼ぶ。つまり講師だな。善充でもアテシュリスでもルームコントローラでも呼びたいように好きに呼んでくれていい。いきなりだが、つい最近まで、教育という名の洗脳、思考矯正が大手を振ってまかり通っていた。この公教育の場で、社会システムの維持を名分として、だ。教育を名目に人間が生得する思考力と創造力を破壊して来た。世界が破滅に瀕したのは当然の帰結だ。何より貨幣経済を根幹に据えていたのが諸悪の根源だった。これは人間という種の共食いであり、日々が血を流さない殺し合いの場で、戦場であり戦争だったんだ。洗脳、というのは狡猾だ。代表的なのが自由、平等、友愛の3点セットで人類の至宝であり理想とされたが、自由であれば不平等だし偏愛も生じる、果ては無秩序、無政府にすら至る。これが最初に呼号された革命が瞬く間に処刑ショーの恐怖政治に零落したのは正に当然の事なんだ、といった具合にだ。私、私たちは君たちに、従順な納税者、労働者、国家に仕える家畜としての人生を望んではいない。私を踏み越えていけ。全ての功績を過去形にしてくれ。きみたちひとりひとりが全て人類の明日を切り開く希望の光に他ならない、が、好きにするがいい。まず自身の幸福をこそ実現することだ。その支援が社会動物人類の、共同体の、国家の、連邦の義務だからだ。

 オリエンテーションを終え教室を出た善充の前に、少女は世界の果てを体現するかに立ちあらわれた。先生、質問があります。私でよければと善充は頷く。わたしはなぜ今も生きてここに在るのでしょう。善充はミキと少し瞳を合わせ、立ち話では無理だねと苦笑し、そのまま教室に戻る。教壇に立つ。ミキは着座する。即答出来る全知の存在であれば今生には居ない、それは、判るね。ミキは頷く。貴女は自身が特別な存在である、とは思っていない、だから、両親を含む乗員乗客142名ではなく自分が生残した事に疑問を抱いている。物理的にも社会的にも神学的にですらも、非合理であると判断している、でもね、違うんだよ。

 おんりーわん、ですか。

 それも、そう。

 善充は率直に、嘆息した。

 なぜなのか、神を掲げればそれで解決だが、すまない、正直に、わからないと回答させて欲しい。

 ミキは眼を開き、口を開き、そして。

 わらった。すこしだけ泣きながら。

 ですよねー。

 起立し、どうもありがとうございました。深々と頭を垂れ、退席。

 運命、偶然、祝福、呪詛、使命、あるいは奇跡。

 今は、わたしの、意志。

 教員室に入った善充は自席にどっかりと腰を落とし、そのままずるずると突っ伏した。ミズ・マーサの孫娘、直弟子、素晴らしい、真剣勝負だなこりゃ。


 私ってばいったいなんなんだろうね、と少女は口にしてみる。


  名前 ミキ・カズサ

  年齢 9地球標準年と3ヶ月

  月生まれの島育ち

  エントリ・スクールの一年生

 寝る前に担任教師の、「今日から日記をつけましょう」との指導でエディタを開き、こうして画面と向き合うと、自然にそうした思いが零れた。

 宗教に答えを求めた頃もある。

 地球-月連絡船、スペースプレーン「アルテミス01」。父母を含む乗員乗客二三五名中の、唯一の生存者、それが私。

 死者が託した命を背負いこれから生きていくのかと。

 もちろんカウンセリングも受けた。

 結局ありきたりだが忘却という名の河、時間だけがそれを解決してくれた。

 最近は特に思い悩むこともない。

 それでも、こうした機会にふとそれは意識の表面に昇ってくる。

 でも、言葉に出来ない後ろめたさを伴った、かつてのそれと今のは少し、違う。

 これから何が出来て、何をしたいのか。それを少しだけ強く前向きに、想う。

 つまり学生時代に錬磨し自覚したうえで、大人になり、責務を果たせ、ということか。

 つまり“私とは何か”の「私」とは、「適性」であり、それを生かして社会に貢献しつつ自己実現を果たせ、ということに結局はなるのだろうか。そしてお互いにとっての幸福な関係を築けと。

 うーん、でもこれも空理空論よねと自分でちゃぶ台返し。

 つまり日々こうした思考錯誤に時間を割ける学生時代はなるほど、貴重な期間だ。

 結論。

 日記を書いてみたらそれを契機に、学生の本分、よく学び、よく遊べ、の意味を実感できました。日記という課業は初等教育課程相当にある者の向学意欲を刺激するに極めて有益な手法であると思慮する次第です。


 書いた。


 書いて何か疲れた。日記は疲れる。


 寝た。

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