恩寵
大橋博倖
第0話
これは神話だ。
人類普遍の、集合無意識に刻まれた、
光輝であり、
精神外傷、であるかもしれない。
或いはシンプルな、ボーイミーツガール。
それでも我らは、感謝と歓びの中で、この命を遣うのだと。
つまりはこれもまた、神話なのだ。
星歴72年9月8日 ミキ・カズサ記す。
そのとき、敗北した事をシィォは既に理解していたが、身体は地を蹴りつけていた。
星巫女参詣に詰め寄せた群衆を割り出現した陰は骨董品並みの自動銃筒。
砲口と祭壇の射線上にシィォは我が身を横たえる。
満場一致の議決を前に教皇は静かに立ちあがった。僅かに俯かせ慈悲を湛える面は常に変わらず平穏なるも、目元に滲む烈情に濁されている。資格に縁りての次元上昇を星の、星巫女に縋りての成就などと、摂理を犯す、乱す僭越は増上慢、果たして赦されるものかは。漏れ出た声音は潮騒の如く、とおくしずかにしかし断固と放たれ列座を打ち、自身はまま背を巡らし決然と場を離れた。教皇は遣わされる者にして見届けるものであって現世の絶対者ではない。しかしして『非・祝福』の凶報に即して現実的対処としては厳重警戒が発令される。そして終身星巫女警護官就任への内示を受けていた現時点でのシィォは、本件はもとより星巫女との関係としても厳密にはまだ部外者であった。
「自分より偉大な存在になぜ意志も意識もないなどと無恥無思慮、かくも尊大になれるのかその方がよっぽど不思議」と当惑された。
「天上天下唯我独尊、貴方という存在は此の世で唯一不二それは、事実。でも最上至高の存在では、未だない。貴方は神ではない、それを恥じる、自信無いときゃ下みろ下と某聖典も説くけれど、上を仰ぐときは一片の畏敬を添えよう。天なる存在には敬意を、下にも在れば、そして当然上にも世界は存在するのだから」
星巫女のアァ、アァルトゥーナにひたと見据えられ、シィォは赤面し俯く。
この大地に、天に、そうした思念があるのかという素朴な疑問を呟いた。
「意志なくして存在なし」
それは確かにそうだろう。
此の世はつまり意志の、思念の塊。
命なくして命なし。
生かされて、在る。
意志が集い、この星も在り、我々も育まれた。
我々は育まれ、初めて存在し得た。
星が、私たちの、存在を、望んでくれた。
そして、私たちの今が、ここにある。
アァは星と交観し、癒し、その祝福を希う
現代文明は星の恵に総てを負っている。
目に視える陽光より、しかし今、この恵に皆、無頓着になりつつある。それはとても哀しいことだけど、其れも世の理。でもシィォ、せめて貴方には判っていてほしい、貴方が守護者を任ずるのであれば。
だからシィォはアァを美しいと思う。どこが、と重ねられても困る。それは、夜天空より深く濃い煌く髪が、と云ってしまえば、では薫りたつ唇は、天上から普く降り来らんと迸るその響きはどうなるかと、一にして全なる存在の個々をなんと顕し得るのであるか。
それじゃつまらない。
シィォはアァを見詰め、首を傾げ、天を仰ぎ地に俯き小声で、
「やっぱ、でも、全部」
とすこしなげやりに繰り返す。アァは背後からシィォを抱きすくめ、片手でその一つ高い頭部をなでまわし、詮無い、赦せ。それにもったいない、と返す一連の遊戯。
シィォが初めてアァルトゥーナと出会った、引き合わされた、接触を許可されたのは、当然にして学長の応接室だった。学長、主人、補佐の誰一人、殊に、常日頃は殆ど切れ目無く指示を出し、唱え思考し、舌打ち或いは歓喜する主人が完全に沈黙しているこの空間は、不用意に発話すれば粉微塵に弾け失せてしまうのではないか、主人はその向けられた視線にこれは変わらぬ、唇の端を気持ち捻り上げ応じ、そしてシィォは、震えていた右手が落ち着いたのに気づいた。来賓一行は寸分狂いなく定刻に参着した。列座に合わせ訓練通り立ち上がる、起立運動に敏捷と緩慢を織り交ぜた、優雅、と規定される動作の再現に精励する。続いて挨拶、シィォと申します、宜しくお願い致します。麗辞の交換、着座。
正面にある、アァルトゥーナの実物にシィォは目の焦点をずらし対すると、対象を無問題に凝視把握可能な写像の方が有為なのではないかと、この対面という形態の意義について困惑するが、自身のそうした思索が不要かつ無駄であることも理解していたし、まして顔面や体躯に表出すべきでは全くなかった。この場は彼女の為に設けられ、まるで人形でお飾りの様に佇む彼女は、そうした自身の立場を知悉しつつ尚そう振舞え得る、空気のように自然で崇高な存在であるようであった。従者たちの長々とした問答に一言も挟むこと無くそれを儘に済むまで演じ切らせて後、ふぁ、と年頃の幼女そのものに欠伸を一つ漏らした彼女は、シィォ、とただ問うた。あなたは、どう。きれいです、と小さく応える。容形の美醜ではなく、と但す無粋は無論ない。小さくうなずき、よい、と。シィォはアァの僕となった、なれた。その為に生まれたのだから当然だがそれは十分祝福に値した。
「あなたを愛しているわ、シィォ」
アァは平然と告げる。
「此の世の総てと等しく」
愛は無限。私自身も、貴方も、この星も、等しく愛している。
自分はアァを愛しているのか、そう製造され命令を受け機能しているのか、これが愛というものなのか。シィォには判断出来ない、自身の能力の総てを尽くし警護対象を保護するこの使命は、愛が存在しかつ有効に機能しているが故に可能なさしめているのか。もちろんとアァは言下に告げるだろう、愛なくして世の総ては不全、不可能なのだからと、あとそこまで理路を立てようとしないで、愛は在る、あるの。
どこに、いかほど。
あまねく、むげんに。
であるにしては。世界は自己と利己にこそ在りはしないか。
そう、だから学び、気づく、総ては。
総ては。
そう、総ては。
教皇の不興と不穏のままに当日まで言葉も動きも無く過ぎ、星巫女誅殺は聖別催行まで一刻割った時点で露見した。会場に古式の自動銃筒が設置された事は確実だが位置は不明。同時に判明したその型式と空中発射式の仕様から会場内であればどこからでも狙撃可能。
間に合う訳が無かったがシィォは既に飛翔していた。
これも、これすらもそうなのか。
受け容れ赦すというのか、巫女よ。
顔前にかざした掌に弾体はめり込み、そのまま足先までシィォの身体をあっさりと縦貫し、起爆により祭壇ごと危害半径に存在する空間を撃砕した。
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