第一章 素っ頓狂な友人令嬢のせいで、一肌脱がざるを得ません①

 そもそも事のほつたんは、私の父・グランシェーズ公爵がこの国のさいを預かる役職・財務大臣にばつてきされた事に端をはつする。


 さいしように続くこの国二人目の、三十代での栄誉だ。しんちんたいしやが進む国営のしようちようとして陛下もいたくお喜びで、それをよく知る貴族たちは、輪をかけて父のしようしんき立っている。

 就任後初めて父が公の場に姿を見せる機会であり、祝い事の場でもある。もちろん私たちしゆさいしや側も準備に力を入れ、パーティー自体もこのゆるやかなオーケストラ演奏に象徴されるような、なごやかな空気で進行していた。──あんな横やりが入るまでは。

「カードバルク公爵令嬢・ローラ、ハッキリと言おう! お前とのこんやくを、今、ここで、させてもらう!」

 まるで「異論は認めん!」とでも言いたげに、わざわざ短く区切りながら胸を張り告げた彼は、この国の王太子・ルドガー。スラッとした体形に整った顔をしているが、隠しきれていないニヤつきが、彼の顔を意地悪そうにゆがませている。

 一方、何のまえれもなく告げられた宣言に、会場の大半が混乱のうずおちいった。

「これは一体どういう事だ」

殿でんと彼女は公私共に支え合い、なかむつまじかったはずなのに」

 場内は騒然としている。にもかかわらず、私は心底呆れていた。

 殿下の事だ、どうせ婚約破棄という貴族令嬢としてのてんものにして、ローラにはじをかかせてやろうとでも思ったのだろう。もしかしたら派手好きな彼らしく、せっかくだからと盛大な混乱を望んだのかもしれない。

 しかし彼も、私と同い年なのだから、もう今年で十六だ。

 突然の婚約破棄が、どれだけの混乱を生むのか。せっかく私たちがけんめいに整えた祝いの場をつぶそうとする事が、どれだけめいわくな事なのか。もう理解してもいいとしごろだ。

 一体どういうりようけんなのか。ねんれい的にも王太子としても、まるで自覚が足りていない。

 はぁ、ともう一度ため息を吐く。

 せめて時と場所は選んでほしかった。

 王族側もきっと迷惑するだろう。今なんて特に、先日起きたきんりん国との外交的なトラブルを受けて、対処にほんそうしている筈だ。

 その上、この王太子の婚約破棄。ちがいなくらぬ波風が立つ。

 そもそも二人の婚約は、陛下が直々に「ルドガーを支えてやってくれ」と先方にたのみ込んで成ったものだ。いわゆる国のばんを固めるための、政略けつこんというやつである。

 実際に、ローラはすでに王太子の婚約者として、国のしつたずさわっている。期待以上に公務をし実績を作る一方で、城内で働く者に対しても分けへだてなくやさしいとなれば、重宝される事この上ない。

 もちろん貴族間の人脈作りにも余念は無く、社交界ではあいと高潔さをそなえた『しゆくじよかがみ』として名をせてもいる。

 ローラの真価はそういう所にあるのだ。カードバルク公爵家のけんや、宰相も務める現当主の七光りにとどまらず、はや彼女個人が既に、国にとって無視できない存在になっている。

 もしそんな人を敵に回したら。最悪、国がれる。

 というように、今ざっと思いつくだけでもいくつものあやうさが思いかぶような一言を彼は放ったのだ。これがどうしてあきれずにいられるのだろう。浅慮だと言わざるを得ない。

 言い分も、今のままではただのワガママ、権力持ちの横暴だ。

 幾ら元々がそういうところのある男でも、曲がりなりにも一国の王太子。まさかそんな見切り発車をしたとはできれば思いたくない、が。

「そもそもお前は俺に対して、常に無礼な態度だった。しかも、本来ならば王太子であるこの俺を支える立場でありながらだ。暴挙という他はない。が、お前の父親は宰相だからな。彼の国へのこうけんこうりよし、今回のところはこの破棄だけですべてを水に流してやる。ありがたく思うのだな!」

 さきほどよりも、一段深いため息がれてしまった。

 具体的なを示すでも無く、感覚的で感情的な論を展開して自身の希望をゴリ押しする。交渉事として不合格。赤点どころかれいてんだ。

 特に相手を下げて自分を上げたこの物言いは、もう本当にただの権力者の横暴でしかない。だというのに、何故なぜそんなにも、ドヤ顔なのか。

 心底意味が分からない。王太子としてはめいてきなほどのアホである。

 心中で「せめてそれらしいしようの一つや二つ、無いならないででっちあげるなりしてでも用意しなさいよ」とっ込まずにはいられない。

「また、そのようなまいごとを」

 ため息と共に、すずやかな女性の声が響いた。

 声の主は、あわい空色の長いかみの令嬢。彼女こそ、王太子ルドガーの婚約者ローラ・カードバルクである。

 まゆじりを下げ少し困った顔をした彼女は、一見するとにゆうものごししとやかな令嬢にしか見えない。

 しかし私はのがさなかった。彼女のひとみの奥にある、こおりつくように冷ややかな色を。

 ──あぁ、静かにおこっている。

 きっと周りの大多数には「じようだんですよね?」とうかがいを立てている様にしか聞こえなかっただろうけれど、私には彼女の本心が見えた。

 一方彼女を色眼鏡で見ているルドガーには、おそらく小さな子どもをたしなめているように聞こえたのだろう。

「『世迷言』だなどとバカにして……無礼だぞっ! 今すぐしよけいされたいか!?」

 ただの売り言葉に買い言葉だ。浅慮な彼の事だから、それ以上の思惑なんてある筈がない。

 が、それが分かるのはごく一部。はたから見れば、実際に悲劇を引き起こす力を持った命令予備軍でしかない。

 周りはいつせいにギョッとした。

 えてずっと空気を読まずにおのれの職分をまつとうしてくれていたオーケストラさえ演奏の手を止め、辺りがしんと静まり返る。

 ピンと張りつめた空気の中、動じていないのは彼を理解している私ともう一人、ローラくらいのものだろう。

 私と彼女は幼いころから、良くも悪くも単純で、短気で、直情的な彼の性格をよく知っている。しかしきようほこさきを向けられながら冷静で居続けられる彼女のたんりよくには、私も感心せざるを得ない。

 流石さすがは将来の国母に選ばれるだけの事はある。まぁだからこそ、彼女にたいするルドガーの国王への適性のとぼしさが、浮きりになるのだけど。

 まったく、もう子どもではないのだから、そろそろ正しく自分自身を理解すべきよね。『自分はだれかに補ってもらわねば王座につく事も難しい』って。

 でもまぁいいわ。今はこの現状をどうするかに主眼を置くべきだし。

 この婚約破棄について、私は完全に部外者だ。だって私は、婚約を破棄する側でもなければ破棄される側でもない。どちらかの親類えんじやでもないし、もちろんルドガーに密かなこいごころなんていだいているわけでもない。

 にもかかわらず、このパーティーで事が起きたという一点だけが、私を『この場をどうにかしなければならない』という使命にしばりつける。

 招いた貴族たちに如何いかに満ち足りた気持ちで帰ってもらえるかが、パーティー主催者のうでの見せ所だ。

 成功すればはくがつくが、失敗すれば家名に傷がつく。だから貴族はプライドにけて、パーティーを成功させねばならない。

 つい先程、しばし席を外した両親に場の仕切りを任された。ここは今、私の戦場だ。

 幸いにも、取り成す事はそれ程難しい事ではない。

 二人の婚約は、国王陛下がお決めになった事。そもそも陛下がいない場で正式な決定ができる筈もないのだから、うまく二人をゆうどうし「決着は後日」とすればいい。

 場の空気はこうちよくしたままだろうが、そこはこの後のタイムテーブルを少しいじれば問題ないだろう。用意していた新作の料理とスイーツをすぐに出して、あとは私が適当な相手とダンスでもおどって場をかせば──と、頭の中で解決への算段をばやく立てる。


 外交官を目指している私に、まさかこの場を上手く収められない訳がない。


 そう思った時だった。

「えぇぇーっ!? お二人、こんやくされていたんですか!?」

 おどろきに満ちた少女の声は、独り言にしては大きすぎた。静まり返っていた会場内に、思いの外よくひびく。


 あぁ、忘れていた。

 分かっていたはずだったのに。ちゃんとづなにぎっていないと、とうとつとんきよう発言で場のじようきようを混乱させる。そんな子が、この場に居合わせていた事を。


 まったくもう、見た目はいかにも無害な小動物系なのに。

 こうして悪気なく大きなばくだんを落とすのが得意なのだ。彼女、エノ──エレノア・パールスタンは。

 ためしにチラリと彼女を見てみると、ほぉーらやっぱり。何の悪気もない上に、自分が置かれた状況をまったく理解していない顔をしたはくしやくれいじようがそこに居た。

 淡いオレンジのドレスが似合うふんわりとした印象の彼女は、呆れをかくさない私を見つけて「どうかしましたか?」とでも言いたげに、大きな目をパチクリとさせている。

 せっかくうまく話題を逸らそうと思っていたというのに、貴女あなたのせいで台無しよ。

 言うまでもない事だけれど、二人が婚約していなければ、そもそも今この場で「婚約をする・しない」という話にはなっていない。

 そんな事、この国中の誰もが知っている事の筈なのに、何故そんな事を言い出したのか。

 遠巻きにしている人たちの脳内ではおそらく、エレノアに対するいぶかしみがムクムクと育っている事だろう。「何だこの令嬢」「ちょっとおかしいんじゃないか?」「っていうか、殿でんとカードバルクこうしやく令嬢の話に割って入るなんて……」という声が、今にも聞こえてきそうである。

 正常な反応だと思う。私だって現在進行形で「は?」となっているし、もし彼女が親友ではなかったらちがいなく遠巻きにしているところだ。

 だからこそマズい。

 エレノアはまだよめり前だ。非常識な子だと思われると、ほぼ間違いなく今後のえんだんに差しさわる。

 一度ついてしまったレッテルは、そう簡単にがせない。定着する前にどうにかしないと彼女の評判に影響し、最悪彼女の貴族としての人生を終わらせる事にもなりかねない。

 それに、だ。


 ねぇエノ貴女、分かってる? 今にも処刑されそうなのだけど。


 流石に口にはできないが、ルドガーが今エレノアに向けている目には、かなりあやういものを感じる。

 彼の事だ、どうせ妙な割り込みのせいでせっかくのどくだんじようをエレノアにさらわれたと思って、腹を立てているのだろう。

 ローラへのはずかしめも半ばで注目をうばわれたのだから、彼のいかりも分からなくはない。が、だからといってそう簡単にエレノアを処刑されては困る。

 ルドガーは、ついさきほどローラに一度『処刑』という言葉を使ったばかり。彼の中で『処刑』という言葉を口にする事への心理的感が下がっているだろう今、実際にエレノアを処刑できる権力を持つ彼はかなりの危険人物だ。

 もしできるなら、今のエレノアの発言をすべて無かった事にしたいけれど……あの怒りようでは無理でしょうね。

 今にも血管が切れそうな顔のルドガーに、甘い気持ちはすぐに捨てた。

 言葉に裏表が無いところは、エレノアの長所だと言える。腹のさぐり合いを楽しめる私とは正反対のタイプだ。

 でもだからこそ、私にとってはかたひじ張らずに付き合える相手でもある。いつしよに居て楽しいし、はや私の人生に、彼女はかけがえのない存在でもある。

 目をはなせば、すぐにサクッととうされそうになるこの警戒心の無さは間違いなく貴族向きではないけれど、だからこそなこの友人を無くしてしまうのはしい。

 はぁ……。こんなの、もうどうにかしてあげるしかないじゃないの。

 一度目を伏せて深く息を吐き、ゆっくりと前を見据える。

 だいじよう。この子は悪意でこんな事は言わない。よく周りを見ているから、この発言にも必ずきちんと意味がある。

 今までだって、最後には皆いつも「ちゃんと的を射た事を言っていたのだな」となつとくする結果になってきた。そう思うに至った理由を説明するのが大の苦手だから、少し手伝ってあげないといけないけれど、上手く聞き出せさえすれば、きっと今彼女につきかかっている良くない印象を引っぺがして、彼女の貴族生命を救う事もできる。

 物理的な命の方は、レッテルを剥がし終わるまでの間、ルドガーあのバカに危険な言葉を口走らせなければ大丈夫だろう。

 命令が無ければ強権が発動される事はないし、どうせルドガーの事だ。『素っ頓狂』が解決して周りの意識が再び『ルドガーとローラのこんやく』そのものにもどれば、目の前のエサにすぐに飛びつき、きっと今までの怒りなんて忘れてしまうにちがいない。

 絶対に、エレノアを公開しよけいにはさせない。

 貴族としての評判も回復させるし、そもそものげんきようである『ルドガーが婚約破棄そうどうを今ここでやらかした件』についても、おとがめ無しにするつもりはない。


 全てを上手くやった上で、パーティーをつつがなく終わらせる。

 とりあえず、そのためにも今は。

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