プロローグ

 レッドカーペットの先で陛下にひざまずく彼の姿に、六歳だったころの私はまばたきする事さえ忘れた。


 彼はお父様の、年のはなれた友人だ。

 よくしきに遊びに来ては、十一も年下の私の話をおだやかな表情で聞いてくれる。ものごしやわらかくて、とてもやさしい人だった。

 だからまず、おどろいた。えつけんの間、参列客の最前列にならんでいた私に見えたのは、さつそうと入場してきた彼のしい姿だったから。

 そして、きつけられたのだ。スッと通った鼻筋に、優しげな目元。いつもの彼のはずなのに、いつもとちがせいかんな表情に。

「国営において、人は宝。その宝をべんぜつで守った殿でんしゆわんには、武力をもつて他国と戦う以上の価値がある」

 大きな窓からまっすぐし込んだ光が、彼を照らし出している。

 ──まるで天に祝福されているみたい。

 静まり返った室内で、陛下の低い声を聞きながら、どこかげんそう的な景色にそんな感想をいだいた。

「ゼナード・セントーリオこうしやく、貴殿のけんしんによって、我が国は戦争をかいし得た。貴殿のおかげこんにちの国の平和がある。その功績をここにたたえ、くんしようさずけるものとする。──今後も期待しておるぞ」

「ありがたき幸せにございます。今後も日々、しようじんいたします」

 それは正しく、陛下も認めた『国のえいゆう』の誕生だった。

 だれもがみなじやつかん十七歳の青年にはくしゆかつさいおくった。



「陛下が直接、形式外のお声をけられるとは」

「やはり、流石さすがは十六歳で外交官試験をとつしただけの事はある。今後が実に楽しみだ」

 大人たちのしようさんの間をうようにして、私は彼のもとへと急いだ。

 私だってこうしやくれいじようだ、幼い頃からレディーとしての立ちいはたたきこまれている。

 走ってはいけない。それくらいはわきまえていた。はやる気持ちをおさえながら、早歩きで彼の姿をさがす。

「シシリー」

 お父様がすぐ後ろから私を呼んだ。り返れば、優しい顔であごをしゃくる。

 そちらに目を向けて、見つけた。皆に囲まれ、よそ行きの顔で立つ彼を。

「ゼナードお兄さまっ」

 うれしくて思わず上げた声に、彼が振り向き私を見つけた。

 瞬間、彼の表情がふわりとほどける。

 いつものお兄様なのに、何故なぜだろう。胸がギュッとめ付けられてまどいながらも、「おめでとう。ゼナードお兄さま!」と告げる。

 誰もが皆、お兄様をたたえている。だから彼もきっと嬉しいはずだ。そう思っていたのだけれど「ありがとう、シシリー」と答えた彼は、何故か困ったようなみを浮かべていた。

 不思議に思っていると、優しい声が答えてくれる。

じよくんを受ける事自体は、めいな事だと思うのだけどね。私はあくまでも外交官として、おのれの職分をまつとうしたにすぎないんだ」

「きっとコイツは『ただ当たり前の事をしただけなのに』と、褒められる事に心地ごこちの悪さを感じているんだよ、シシリー」

 お父様にそう教えてもらって、やっと少しだけなつとくする。

 彼が自分の仕事にほこりを抱いている事は、私もよく知っていた。

 だんは寛容な人だけど、仕事の話になると別。厳しくしんに向き合っているからこそ、たとえ相手が子どもでも、間違ったにんしきは言葉をしまずに正そうとする。

 お父様いわく「仕事に対してかたぶつ」らしいが、私はそんな彼も好きだ。

「しかしな、ゼナード。お前は『関係悪化で開戦も秒読み』とさえ言われていたりんごく相手に、いつてきの血も流さずに事を収めてみせたのだ。言わば、この国を救った英雄だ。陛下もおおやけにお認めになった。けんきよなのは結構だが、あまり過ぎるとやっかみを買うぞ?」

 流石は年上のかんろくか。お父様がたしなめるように言えば、お兄様は少し反省したように笑う。

「すみません、でもどうしても落ち着かなくて」

「お前の欠点は、その真面目まじめすぎる所だ。周りの反応の変わりようなど『そうですか』とその辺にほうっておけ」

 おおぎように笑ったお父様に「かなわないなぁ」と言いながらお兄様がほおいた。

 そんな二人を見上げて『お父様ずるい! 私もお兄様と話したい!』と思った。だからお父様から取り返すような気持ちで、せがむように彼のそでを引く。

「ねぇゼナードお兄さま。お兄さまは、だれかに勝ったの?」

 お父様の言葉を拾って、お兄様に問いかけた。

 英雄と言えば、英雄たんの主人公だ。誰かと戦い、勝利を収め、最後は平和を手に入れる。だからきっとお兄様も、そうなのだと考えた。

 それってとてもすごい事だ。とてもカッコいい事だ。きっとワクワクするような武勇伝が聞けるに違いないと、何の疑いもなく期待した。

 しかし予想は大きく外れる。

「うーん、私は勝ってはいないよ」

「『えいゆう』なのに、勝っていないの?」

「私は外交官だからね。対話によって友和と共生の道を探すのが仕事であって、必ずしも相手を負かす必要はないんだよ」

「『ゆうわ』と『きょうせい』?」

「相手とちゃんと話して分かり合って、もし双方にとってより良いかかわり方ができれば、けんする必要はなくなるだろう?」

 それは例えば、おを横取りされそうになった時に、びてきた手をペチッと叩いてするのではなく、きちんと口で言って聞かせる……という事だろうか。

 お父様にいつも言われていた。「横取りしようとするルドガー殿でんも悪いけれど、シシリーももう少し平和的な解決をさくすべきだよ」と。

 だけど殿下は何度言っても、お菓子の横取りをしようとする。だから私は結局彼の手をペチンとやる事でしか、自分のお菓子を守れない。

 でもきっとお兄様はそれを、言葉だけでちゃんと解決できるのだろう。

 やっぱりお兄様はすごい。少なくとも私にはできない事だ。

「君の思いえがいた英雄じゃなくて申し訳ないけれど」

「なんで謝るの? カッコいいよ?」

 まゆじりを下げて申し訳なさそうにしたお兄様に、首をかしげながら言った。

 彼は少し驚いて、すぐにどこかくすぐったそうに笑う。

「そうか、ありがとう」

 仕事ぶりを「カッコいい」と評されて、よほど嬉しかったのか。照れたように目を細めた彼は、今日一番の嬉しそうな顔だった。

 胸がまた、ギュッとなった。

 理由は分からない。けれど、彼をひとめしたいようなしようどうに駆られた。

 でもお兄様はいつもいそがしい。きっとまたすぐに仕事で国外に行ってしまう。

 仕方がない事だけれど、モヤッとして彼の服のすそをギュッとにぎる。

「ねぇゼナードお兄さま」

 遠くへ行ってほしくないなら、この手を離さなくてもいい方法を考えるしかない。

「どうしたんだい? シシリー」

 幼いながらのしんけんさが彼にも伝わったのだろうか。わざわざしゃがんで目線を合わせてくれた彼に、意を決して口を開く。

「わたし、大きくなったらゼナードお兄さまのおよめさんになる!」

 彼からすれば、さぞとうとつな申し出に思えただろう。それでも私には、名案にしか思えなかった。

 だって私は知っていたのだ。誰かとずっといつしよにいるための一番確実で最強な方法は、その人のお嫁さんになる事だと。お祖母ばあ様が、前にそう教えてくれたのだから間違いない。

 胸を張った私に、彼は切れ長の目を見張った。しかしそれもすぐにしように変わる。

「シシリーが立派なレディーになったころには、私はもうオジサンだからなぁ」

ねんれいなんて気にしない! 何歳のお兄さまだって、わたしには愛せる自信があるもの!」

 これもお祖母様からの受け売りだ。

 お祖母様はお祖父じい様より十五も歳が下だったけれど、この言葉で押し切ったと聞いた事があった。対して私とお兄様の年の差は十一、お祖母様たちよりも少ないのだから、この『年上の殿とのがたかんらくさせるほうの言葉』も、きっと効くにちがいない。そう、思ったのに。

「マセてるなぁ」

 微笑ほほえましげに言われてしまった。全く本気にしてくれていない。

 いちげき必殺の言葉だって言っていたのに。

 まるで無い手ごたえに一人頬をふくらませると、頭の上にふわりと体温が乗る。

 これに喜んではいけない。私はちゃんと知っているのだ、これはお兄様が私に何かをあきらめさせる時に、いつもやる仕草だということを。

「じゃあわたし『外交官』になる! それで一緒に外国にいく! そしたらもっとお兄さまと一緒にいられるでしょう!?」

 お兄様がどこかに行くのなら、ついて行けばいいじゃない。

 ただの思い付きだったけれど、とてもらしい案だと私は内心で自分を褒めた。

「外交官になるのはとても難しいよ?」

「うん!」

「そもそもたくさん勉強をしないといけないし、男性の方がゆうぐうされるこの国の貴族社会では、女性の君にはなおさらせまき門……いや、きっといばらの道だろう」

「それでもわたしはお兄さまと一緒に外国にいく!」

 彼はまるで私の本心をのぞき込むかのように、ジッと私の目を見つめてきた。

 心臓がドキドキと言い出した。しかし私は負けなかった。慣れない胸の甘いうずきにも、ひとりでに紅潮する頬の熱さにも屈さず、胸の前で両手のこぶしを握り、まっすぐ彼の目を見つめ返した。

 すると、数秒後の事だ。

「そうか、なるのかぁ……」

 根負けしたように、小さく「はぁ」とため息をいた彼は、もしかしたら「今は言っても聞かないだろう」と思ったのかもしれない。はたまた「せっかく子どもがいだいた夢をすぐにこわすのもいかがなものか」と思ったのかもしれない。

 どちらにしろ、彼は軽く頬を掻きながら私に白旗を上げた。しかしすぐに指を一本ずつ立てながら、真剣な顔でくぎしてくる。

「もし本当になるのなら、まずは沢山勉強をしないといけない。色んな人と話をして、色んな考えを知らねばならない。色んな事を経験し、自分の味方を増やさねばならない」

 二つ、三つと挙げられていく課題に、あまり深くは考えずに「分かった!」とうなずいていく。

「あとはそうだな、もっと大きくならないとな」

「おおきく?」

「そう。十六歳になって学園を卒業しないと、外交官にはなれない。だからそれまでご飯をいっぱい食べて、いっぱいる事。ちゃんといい子で、大人になる事。これがひつ条件だ」

 私がまた「うん」と頷くと、彼は満足げに目を細めた。そして最後にこう言ったのだ。

「じゃぁシシリーが大人になるまで、私もがんって外交官で居続けないといけないな」

 追いつくまでちゃんと待っている。これはそういう約束だ。

 もらえた約束がうれしくて、もうそれだけで無敵になれたような気がした。



 それから一年とたずして、私は外交官という職の難しさとおもしろさのへんりんと対面し、少しずつのめり込んでいった。


 外交官は、国のあんねいを守るための重要な役職だ。ゆえに、たったひとにぎりの、選ばれた人間しか名乗ることが許されない。

 ゼナードお兄様が言った通り、狭き門で茨の道。それでも『外交官』を知るにつれ、私の中のは、よりりんかくいろくしていく。

 そして不純な動機から抱いた興味は、やがてじゆんすいな動機へと立派な成長をげた。


 私も外交官になりたい。

 このおもいはあのころ抱いたあわこいごころと共に、今やこうしやくれいじようシシリー・グランシェーズの一部となっている。

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