第6話 毒舌執事 木曜日の精霊ルイス
木曜日2時43分。皆が寝静まる深夜。寝室ではアイリスが幸せそうな顔で夢の世界を旅している。真っ暗なリビングが突如眩い光に包まれて1人の精霊が召喚される。
ストンとリビング降り立った男はパーマのかかった黒髪に燕尾服を身に纏い、さらにはご丁寧に白の手袋までつけている。細身で顔も整った美青年はまるでどこぞの貴族に仕えている執事のようである。
男はマリアの召喚時と同様にキョロキョロと周囲を見渡す。暗闇の中、室内の様子をあらかた把握するとカーテンを少し開け外の様子を観察する。
(ふむ……王立の学院だと聞いていたが存外何もない所だな)
そして男はアイリスの寝室へ向かう。本来であれば、男性が深夜に無許可で女性の寝室へ足を踏み入れることはマナー違反であるが、この男には遠慮や躊躇は一切なかった。
(相変わらずの間抜け面だ。当分は起きそうにない)
寝ているアイリスを
腕時計のリューズを回すと、懐中電灯になっているのか自身の数メートル先まで頼りない光が照らす。男は1度だけアイリスの家を振り返り、そのまま闇に消えていった。
6時38分。
「おい、起きろ」
「うへぇ~ぃ……」
「ちっ……」
舌打ちをしてから男はベッド脇にある目覚まし時計を持ち音量をMAXにする。そして現時刻より一目盛先に合わせてからアイリスの耳元にそっとおく。
寝室の椅子に腰掛け待つこと約5分。
ジリリリリリーー!
不快指数たっぷりのけたたましい音が鳴る。
「ヴぉおぉぉあっっーーっほいーー!!」
よくわからない叫び声を上げてアイリスは飛び起きる。恐らく心臓がとんでもない速さで動いているのだろう。100メートルダッシュでもしてきたかのように息切れを起こしている。
そんなアイリスを全く気にする素振りもなく、男はゆっくりと椅子から立ち上がりアイリスに話しかけた。
「ようやく起きたか。いつまでも学習しない奴だ」
起きて数秒のアイリスに悪態をつく。アイリスは数秒間息を整えてからようやく口を開く。
「毎度毎度あなた達は何でもっと優しく私を起こしてくれないんですか!?」
息も絶え絶えといったアイリスが男をジト目でみる。そんなアイリスにやれやれと上から目線で講釈を垂れる。
「教えてやろう。まず自力で起きれば毎日そんな不快な思いをせずに済む。さらにこの目覚まし時計は一体何の為にある? そうだ自力で起きる為に存在しているんだ。まずは寝る前にタイマーをセットしてから眠ることを今後はお奨めしよう」
まくし立てるように話し終えると
「朝食のストックはまだあるな? 温めておいてやるからさっさと起きろ」
そう言うとリビングへ消えていった。
「何なんですかね……毎度毎度私をバカにして……」
ぶつぶつ言いながらも身仕度を整えてアイリスはリビングへ向かう。
リビングでは先日メイドのマリアが作り置きしてくれた朝食を男が温めている。簡単なサラダや紅茶も用意してくれており、その甲斐甲斐しさはさながら執事のようである。
アイリスは淹れられた紅茶を口につける。上品な香りが鼻を抜ける。やや猫舌気味であるアイリスが気持ちよく飲めるように熱すぎず、かといって温くもなっていない絶妙な適温で提供されている。
サラダも完璧な盛り付けがなされており、そのまま商品として店に出しても差し支えないレベルだ。おそらく家事スキルはマリアと同等だろう。マリアは料理の見た目より味や栄養バランスを重視するタイプだが、この男は見た目の華やかさや格式を重んじるタイプだった。
おっちょこちょいのアイリスが何かをひっくり返したりしないように、マリアは極力食卓には何も置かないようにしていた。しかし今は綺麗な花が生けられた花瓶が食卓の中央を陣取っていた。これらの花が美しく盛り付けれた料理をより際立たせていた。
アイリスは先程の一件に文句のひとつでも言ってやりたい心境だったが、この完璧なもてなしに嫌味を言うこともできずフォークでサラダにあるトマトを刺し口に運ぶ前に男に話しかける。
「……で? ルイス君は今日は何しにきたんですか?」
不服そうに訪ねるアイリスに男改めルイスはにやりと笑い答える。
「決まっているだろう。やっと契約主が新居に越してきたんだ。
白々しく答えるルイス。わざと『お嬢様』と呼ぶあたりルイスも真面目に誤魔化す気はないらしい。
「ルイス君は相変わらず人間界にご執心ですね~」
アイリスはルイスの一貫した、いつもの態度にサラダをもしゃもしゃと食べながら答える。
「無論だ。この辺りは初めてきた土地だからな。何か目新しい発見があるかも知れん」
少し楽しそうに答えるルイス。アイリスの言う通り人間界に興味津々と言った具合だ。
「そういうわけだ。朝食が済んだらさっさと着替えろ。出かけるぞ」
「それが目的で私の安眠を妨害しやがりましたね……」
まさにその通りである。
精霊ルイス。マリアと同じ上級精霊であり契約条件は「召喚は木曜日のみ」となっている。しかしマリアのように毎週必ず召喚されるわけではない。木曜日になれば精霊界から人間界へ自らの意思で召喚されることができるが、アイリスからの呼び出しがなければ召喚されない日も少なくない。
また召喚されてもマリアのように常にアイリスに付き従うことも少なくアイリスが許す限り自由奔放に振る舞っている。
ただ契約主と契約精霊の関係上、物理的に一定以上の距離を2人が離れてしまうと契約精霊が人間界へいる間、継続的に消費する魔力を契約主が負担することができなくなる。上級精霊のルイスといえど、自身の魔力だけで人間界に留まることは楽ではないので自分が遠出したい時は魔力供給源としてアイリスを連れ出すことにしている。
「ん~まあ出掛ける予定があったので別にいいですけどね」
「それより今日はゆっくり寝ていられると思ったのですが……」
アイリスはどっちが主人かわからない外出の提案よりも安眠を妨害されたことが不服らしい。
アイリスは普段日付が変わる頃には寝ている。だが学校などの予定がない日は昼過ぎまで寝ていることがあるロングスリーパーだ。
しかし学校のない日曜日は「せっかくの日曜日がもったいない」という理由で意外と早く起きる。また月曜日はマリアが必ず定時に起こしにくる。
つまり惰眠を貪ることができるのは月曜日を除く平日の休みであり、そのチャンスは実は少ない。そんな貴重な日に6時台に起こされてしまってはたまったものではない。
「まあ起きてしまったものは仕方ありません。今日は早く寝るということで睡眠時間を確保しましょう。では着替えてきますね~」
「ああ、キッチンは片しておくから心配するな。それと朝風呂に入りたいなら湯は張ってある」
ルイスは憎まれ口を叩きながらも早く出掛ける為か、はたまた契約精霊としての矜持なのか意外にもアイリスの世話はしっかりとするようだ。洗い物を済ませ食器を棚に片していると1枚のメモが目に入る。
『もし召喚された時に○○と△△が少なくなっていたら買い足しておいて下さい』
誰が書いたかは明白だった。ルイスは一瞬広角を上げるとメモをポケットにしまいこんだ。そして言われた項目の備蓄を確認する。
(出先で買っておいてやるか)
それからルイスは身なりを整える。とは言っても普段から執事服の着こなしは完璧に近く、鏡の前でウェーブのかかった前髪を少し整えるだけだった。
そしてしばらくして準備を終えたアイリスがリビングに戻ってくる。
「おまたせしました!」
「どうですか!」と言わんばかり腰に手を当てて胸を張る。アイリスは白を基調としたハイウエストのワンピースに上着を羽織り、可愛らしいハットを被っていた。純白の長い髪も綺麗に整えられており、その清楚な出で立ちはどこかの令嬢のようだ。
ルイスは無表情でアイリスの全身を吟味するように見る。アイリスは見られているのがわかったのか両手を真横にしてカカシのようなポーズを取る。
「ふむ……」
と無表情で言うルイスに――――
「あのどうかしましたか?」
アイリスの問いにルイスは少し笑みを浮かべる。
「いや、問題ない。なかなかよい趣味だ」
満足げに答えるルイス。
「その格好なら十分に役に立つ。では出発しよう」
アイリスの服装の何かを納得したルイスは家の戸締まりを確認する。得心のいかないアイリスは尋ねる。
「あの……どこに行く気なんですか?」
ルイスは戸締まりをしながら一度アイリスの方へ振り返りにやりと笑い答える。
「王都に決まっているだろう」
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