第2話 月曜日の精霊 マリア・ヴァレンタイン

 月曜日。0時を数分回った頃、アイリスの新居で、まだ全く片付けられていないリビングへ月曜日の精霊は召喚された。


 ストンと降り立ち辺りをキョロキョロと見渡す。


「これはこれは……随分とまぁ」


 呆れたようにそう呟くのは月曜日の精霊マリア・ヴァレンタインだった。

 精霊と言っても人間と見分けのつかない容姿をしており、外見は20歳前後の女性だ。美しい金髪のロングヘアーをサイドにまとめ、伝統的なメイド服に身を包む細身の美女である。


 引っ越し初日ということもあり、乱雑に散らかしきった部屋をやれやれとマリアは片付け始める。

 爆睡中のアイリスを起こさないように、ほとんど物音を立てることなく速やかに部屋を片付けていく。

 その洗練された動きは彼女のメイドとしての優秀さ、そして経歴の長さをうかがわせる。

 マリアは引っ越し初日とは言えこれが女の住む部屋か? という程度には散らかっていた部屋を2時間程度で完璧に片付けてしまった。

 そして絶賛爆睡中のアイリスの寝室へ足を踏み入れる。アイリスを起こさないように暗がりの部屋を一瞥する。


「なるほどなるほど。寝室だけはそれなりに片付けたみたいですね」


「だけ」というところにやや皮肉が感じられた。


 スッと音を立てないように扉を閉め、リビングに戻るマリア。腕を組み一人思索に耽る。


(食材は最低限ありますし、掃除は終わらせてしまった……)


 アイリスが起きるまでまだ数時間はある。朝食の準備は夜が明けてからでいいだろう。マリアは口元に手を当て呟く。


「暇……ですね」


 そう。やることがないのだ。


「昨日が引っ越し初日と聞いて張り切って早く出て(召喚)きたものの、こうも早くやることがなくなるとは……」


「優秀すぎるのも考えものですね」


 自画自賛である。


「自分の優秀さも計算に入れたつもりでしたが思っていたよりも私は有能だったようですね……」


 最大限の賛美を自分に送った後また思索しさくふける。

 アイリスの新居は、基本的にアイリスひとりだけが使うことになるので、森の中にぽつんとある平屋の広さは1LDK程だ。荷物が山積みになったリビング以外は特に片付ける場所がない。


「一度(精霊界に)帰ってもいいのですが……」


 一度人間界に召喚された精霊は、基本的に精霊界へ戻ると再び召喚できるまでに時間を要する。


「そうなると今度は朝食に間に合いませんね」


 健康優良児のアイリスのことだ。朝食が遅れるどころか一食抜いても問題はない。

 しかしそこは主従関係を結んだ間柄。メイドとして、そして契約精霊としてのプライドがある。適当なことはしたくない。


 カーテンを少し開けて外を見る。田舎の夜は暗い。散策しようにもこうも暗いと道を覚えることも満足に叶わないだろう。カーテンをそっと閉じてマリアは小さくため息を吐く。


「仕方ありませんね」


 有意義に時間を使うことを諦めて、マリアは適当な本を手に取り新品の椅子に腰掛け読書を始める。


「たまにはこういうのも悪くありませんね……」


 本に目線を落とし、ゆっくりと過ぎる時間を許容する。





 午前7時。月曜日の精霊マリアは主人を起こす為にアイリスの寝室へ足を踏み入れる。


「zzz」


 良く言えば穏やかな、悪く言えばアホ面な寝顔をさらすアイリス。


 (なかなかの間抜け面ですね……)


 マリアは寝顔を見て思う。それでも十分可愛らしい寝顔なのはアイリスの容姿のよさ故だろう。


「お嬢様。朝です」


 メイドのマリアが声をかける。しかし幸せそうな笑顔を浮かべたまま、アイリスはまだ夢の世界に漬かっている。


「お嬢様。起きて下さい。朝ですよ」


 少し声量を強め、ゆさゆさとアイリスの身体を揺さぶる。普通の人間であれば大体ここで目を覚ますのだが


「#&ぁ%*※@はダメですよぉ~~」


 支離滅裂なうわ言を発して、全く起きる気配がない。

別に学校があるわけではないので最悪このまま寝かしておいてもよかったが、せっかく作った朝食が冷めてしまう。

 ゆさゆさゆさゆさ。それなりに力を入れて揺さぶるも一向に起きる気配がないアイリス。


「ふぅ……仕方ありませんね」


 そう言って一旦アイリスから離れ、今度はアイリスに跨がるようにベッドに上がる。そして


「起きて下さいお嬢様」


 そう言ってアイリスの耳をかぷっと噛む。


「ふっ!???」


 初めてアイリスからそれらしい反応があった。そしてマリアは、そのまま舌をにゅるっとアイリスの耳に入れる。


「ふにゃぎやぁぁぁァァァァァー!!!?!?」


 断末魔のような絶叫とともにアイリスが飛び起きる。


「な、な、な……なぁ……」


「あ、朝から一体何をしやがりますか!!」


 完全に目を覚まし大声を上げる。ハンカチで口元を拭いながらマリアは何食わぬ顔で――――


「おはようございますお嬢様。もうとっくに朝食の準備ができていますよ。さっさと起きて顔を洗って下さい。せっかくのスープが冷めてしまいます」


 端々から滲み出る辛辣な言葉だが、アイリスは意に介さない。


「そう言えば今日はあなたの日でしたね……」


 少し疲れた顔で呟くアイリス。どうやら先程のすっとんきょうなやり取りはお馴染みらしい。


「私が心臓発作で死んだら絶対にのせいですからね……」


「はいはい。では早く1人で起きられるようになって下さいね。もうすぐ学院も始まるんですから」


「ぐぬぬ……」


 マリアの行き過ぎた行為はともかく、ぐうの音も出ない正論にアイリスは返す言葉がなかった。

 顔を洗いリビングへ。そしてマリアが用意した朝食に舌鼓を打つ。


「ん~相変わらずマリアの作るご飯は美味しいですねぇ~」


 パンにパンプキンスープ、サラダに焼いたベーコンと目玉焼きという、実にありふれた朝食メニューであるが作る人間もとい精霊が優秀だと味も格別なのだろう。

 当の本人はそれが当たり前のように気にした素振りはなく、淡々と給仕を行う。


「お嬢様。本日ですが学院の制服の採寸がありますのでそのおつもりで」


「あぁ今日でしたか。でも学院って服装はわりと自由でしたよね?」


「確かに案内やパンフレットには、そのような記載がありましたが作らないわけにはいかないでしょう。祭典や王都に出向くこともありますからね」


 話をしながらのんびりと食事をするアイリスとは対照的に、給仕をこなしながらてきぱきと学院関係の書類をまとめ始めるメイドのマリア。

 アイリスの身の回りの世話をするメイドのマリアであるが、アイリスとの契約上彼女が召喚されるのは月曜日のみ。マリアは1日で1週間分の食事の作り置き、着替えの用意から日用品の買い足しまで行う超ハードワークだった。

 昨夜は引っ越し初日で早く現れ過ぎた為に暇な時間を過ごしたが普段の彼女は多忙を極める。


 午前中は買い出しを済ませ、昼食の後2人は仕立て屋に向かった。

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