第52話 許容範囲
教室に戻ればセルジュはロザリーとともに会話を交わしていた。一瞬不安に襲われたが、ロザリーの表情とセルジュの表情を見比べれば熱量の差は明らかだ。すぐにこちらに気づいたセルジュの瞳によぎった感情を見て、クロエはしっかりとした足取りでセルジュの元へと向かった。
「ご歓談中に申し訳ございません」
婚約者であってもセルジュとの間には歴然とした階級の差があり、邪魔をしてしまった可能性も考慮して、丁寧に頭を下げて詫びる。
顔を上げればセルジュの表情に不快な陰りはなく、ロザリーはあからさまに眉をひそめているが、こちらは予想していたこともありクロエはそのまま言葉を続ける。
「セルジュ様、少しだけお時間を頂けないでしょうか?」
「授業を放棄した挙句、殿下に何の御用ですの?大切な妹君はよろしいのですか」
不快感を隠そうとしない声音のロザリーに、クロエはちらりと視線を向けたが、すぐにセルジュの方に顔を向けた。ロザリーにセルジュとの会話を邪魔する権利はないし、ましてやセルジュの代わりに用件を尋ねることもまた非礼に当たる。
「申し訳ございませんが、ロザリー様に申し上げることではありません」
丁重に、だがきっぱりと拒否したクロエの言葉にロザリーは柳眉を逆立てた。
「まあ、公に出来ないようなお話ですの?セルジュ様はお優しいから仰らないけれど、些末な事で無駄にするお時間なんてないことをお分かりにならなくて?大方貴女の妹君のことなのでしょうけど、たかが平民の娘のことで煩わせないでいただきたいわ」
(ここまでだわ)
これ以上は看過できないと判断したクロエはこつりと一歩前に踏み出して、ロザリーを見据えた。
「ロザリー様は先ほどからセルジュ様の代弁者のように振舞っておりますが、それはセルジュ様のご意向でしょうか?」
静かな口調に教室内のざわめきがぴたりと止んだ。ロザリーも予想外の反論に眉をひそめるものの、咄嗟に反応ができないようだ。
「アルカン侯爵令嬢にそのような許可を与えていないよ」
追い打ちをかけるかのようにセルジュが否定して、ロザリーの表情に動揺が走る。
「侯爵令嬢ごときが断りもなく第二王子殿下の言葉を代弁して良いものではありません。弁えなさい!」
大きな声ではないが、凛とした声と毅然とした態度で告げればロザリーが怯んだ。その隙を見逃さず、クロエは言葉を連ねる。
「それからアネットは平民ではなくて、ルヴィエ侯爵家の次女です。このような公の場で不適切な発言をお控えくださいませ。当家への侮辱行為と受け取られかねませんわ」
格下だと思っていたクロエから窘めるように告げられて、ロザリーは激高したようにまくし立てた。
「でもあの娘の母親が身分の低い平民なのは事実だわ。そんな娘の姿がちょっと見えないぐらいで大げさに騒ぎ立てるほうが恥ずかしいのでは――」
「何故ご存知なのですか」
ロザリーの言葉が終わらないうちにクロエが鋭い声で問い質すと、ロザリーの肩がびくりと震えたが、クロエは追及の手を緩めるつもりはなかった。
「アネットは体調不良だと先生は仰ったのに、ロザリー様はアネットが不在であることをご存知のご様子。あの子がどこにいるのか、教えていただきましょう」
声を荒げるわけでもなく静かな声音を保ったままだが、クロエの迫力に気圧されたようにロザリーは助けを求めるかのように、視線を走らせる。
だが周囲の令嬢たちも固唾を呑んで見守るばかりで、侯爵令嬢であるクロエに反論する者はいない。
「セルジュ様、護衛の方を一人お貸しいただけないでしょうか?アネットの行方が分からない状況にございます。ロザリー様は何かご存知のようですが、わたくしではお話いただけないようですので」
事情を聞くためにわざわざ武芸に秀でたセルジュの護衛を借りる、その意図を察したロザリーは青ざめながら、慌てて話し始めた。
「わ、わたくしは何も知らないわ!ただあの娘が子爵令嬢と一緒に門を通り抜けてどこかへ出かけていくのを見かけただけよ!」
「その子爵令嬢とは、どなたのことですか?」
既に答えは分かっていたが、それでもクロエは訊ねずにはいられなかった。
「貴女が暴力を振るったエミリア・トルイユ子爵令嬢よ」
勝ち誇ったように告げるロザリーの様子から、恐らく虚偽の証言をしているわけではないだろう。そう考えればこれ以上ロザリーから有益な情報を引き出せる可能性は低い。エミリアが関係しているのならば、嫌な予感が膨らんでいく。
「クロエ」
セルジュの呼びかけに顔を上げると、ぎゅっと抱きしめられてクロエは一瞬固まった。婚約者ではあるが、人前でこのように抱擁を交わすのは些かはしたない行為だ。
「ごめん、クロエ。私が悪かった」
その言葉に罪悪感のようなものを感じ取って顔を上げれば、セルジュの顔には珍しく余裕がなく、焦りのようなものが浮かんでいる。
「セルジュ様?」
「少し……状況が変わった。アネット嬢にも関係する話だ」
躊躇いがちな口調にクロエは嫌な予感に息苦しさを覚えながら、心の中でアネットの無事を必死で祈ることしか出来なかった。
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