プロローグ

妹の友達


「あ、お兄さん。お邪魔してます」

「ん?……ああ、咲ちゃんか。ひまりと勉強にでも来たのか?ごめんね、飲み物の1つも出さずに放置なんて。ちょっと待ってて。ジュースでも持ってくる」


 リビングに降りると、妹の友達が家に来ていることに気づいた。妹は突っ伏して眠りこけているが、机に勉強道具を置いているところから見るに、きっと勉強でもしに来たのだろう。

 高校一年である俺のひとつ下である彼女たちは、既に今年に受験を控えた受験生である。もう冬も本番。最後の追い込みに総ざらいでもしに来たのか。


「はい。ジュース」

「ありがとうございます。……ひまりちゃんの分も?」

「まあ一応ね。起きたときに怒られるかもしれないから」


 「お兄ちゃん、私の分は……?」と近づいてくる妹の姿が目に浮かぶようである。我が妹ながら、拗ねると非常に面倒だ。ぶすっとしてしまうのに、構わないと怒るのだ。

 そう言うと、彼女も心当たりがあるのか、苦笑いしながらそうですね、と苦笑いしながら言った。

 

 それにしても、なぜひまりは眠りこけているのだろうか。この家にいるということは、きっと妹が咲ちゃんを誘っていると思うのだが、肝心の本人が、ちょっとやそっとでは起きないであろうほど熟睡している。

 そう考えていると、咲ちゃんはひまりちゃんはしかたないなあ、というような声で口を開いた。


「ひまりちゃん、もう入試終わっちゃったから、それで気が抜けてるんだと思います」

「うーん、兄としては油断するなと言いたいとこだが……多分受かってるよな」

「そうでしょうね。学力もありますし、多分内申点も……」


 中学校での妹は、それはそれはすごかった。テストでは学年一位は当たり前、俺が生徒会長だった三年時のラスト、新生徒会になるときには、生徒会長選挙に立候補していたのだからびっくりだ。

 咲ちゃんに聞く限りでは立派にこなして、先生からの評価も上々だったとのことなのだから、いい印象ばかりが向こうには伝わっていることだろう。


 ひまりが志望しているのは俺と同じ学校である。県内有数の進学校で、学校での評価が多めに見られる。もしなにかがあって多少点数が低くても、落ちているということはないだろう。

 まあ、まだ公立の入試も残っているので、勉強するに越したことはないと思うが。


「そう言えばさ、咲ちゃんはどこ志望なの?」

「私もひまりちゃんやお兄さんと同じ金章学園です。国語を活かしたくって……」

「うん。良いんじゃない?在学生から見ても、うち国語すごいから」


 金章学園は、高校にしては珍しく、かなり国語に力を入れている学校だ。そのため、全国から国語を伸ばしたい生徒がやってくるため、偏差値が高くなるという事情がある。国語の偏差値は全国でもトップで、それ以外も上々だ。

 つまり、この学校に入学するためには、総合力プラスで国語に関してかなりの実力が必要であるということだ。

 しかし、咲ちゃんはひまりに次ぐ学年2位で、かつ、国語に関しては満点以外取ったことがないというような素晴らしい成績だ。きっと合格できるだろう。


「ところで……」

「ん?どうかした?」


 少し目線をそらし、恥ずかしそうに、でも少し期待するような顔で、話を変えるように話し始める。少し声が小さくなっていたので、聞こえるように、少し体を近づけると、耳元で囁くように言う。


「私に勉強、教えてくれませんか?」

「え?勉強?」

「はい。勉強です」


 言い終わったことで緊張が無くなったのか、ふぅ、と息を吐いて、普通に対面して話し出す咲ちゃん。

 しかし勉強と言っても、俺は確かに去年まで学年一位の成績を取っていたが、それでもひまりはおろか、今学年二位である咲ちゃんにも全然かなわないだろう。それだけ、二人の成績はずば抜けている。

 そう言ってそれを断ろうとすると、咲ちゃんは大真面目にそれを否定した。


「いやいや。流石に今の高校一年生のお兄さんには学力で敵いませんよ。私はひまりちゃんと違って、まだ中学までの内容しか完璧には理解できてませんし」


 確かにうちの学校の入試では、容赦なく高校の範囲の学習内容が出てきたりする、殆どは教科書の例題レベルの簡単なものになってはいるが、一切触れていない中学生にはいささか酷かもしれない。

 ひまりは今俺を追い越さんとするところまで勉強を進めているし、俺もテストを見て初めてそういった形式の問題が出ると知り、勘で解いたものだから、全く気にしていなかった。

 

「それに、お兄さんは一般入試で合格されたんですよね?そういったところとかも聞けていいかなーと思いまして」


 ひまりは推薦で受けたが、どんな問題が出たか聞けば、一般とはかなり毛色の違う問題が出たと言うし、ひまりに聞くのも……という感じだろうか。


「まあそれは全然いいんだけれども、なんでそんな緊張したように聞いてきたんだ?」

「いやあ、ひまりちゃんのお兄さんとは言え、そう深い付き合いってわけじゃないし、断られるかもなあって思って……」

「いやいや!せっかく同じ学校に進学しようとしている後輩がいるんだから、精一杯協力するさ!……まあ、とにかく何でも聞いてくれ。そう難しすぎる問題でも無い限りは答えられると思うから」


 そう言えば、申し訳無さそうな顔を一転させて、ぱぁっと明るい顔で、「ありがとうございます!」と言う。

 元気な子だなあ、と思いつつ早速隣に移動して、手元にあった入試問題集の中から、苦戦してるあとが残る場所から解説を始めた。


 ●●●



 勉強が一段落つき、休憩というわけでのんびりと他愛のない談笑をしていると、唐突にビクッとしたひまりが顔を上げた。


「あ、起きた」

「う、うーん。咲ちゃん?……あ!今何時!?」


 ぴょん!と飛び上がって驚くひまり。友達を置いて眠っていながら随分な驚きようだ。咲ちゃんにあわあわしながら謝っている。が、咲ちゃんは笑顔を崩さず口を開く。


「大丈夫だよひまりちゃん。ひまりちゃんが気持ちよさそうに寝ている間、お兄さんが一生懸命教えてくれてたから。今度からお兄さんに教わるね。ひまりちゃん寝ちゃうから」

「え、ちょっとまって!見捨てないで!見限らないで!わかった、お兄ちゃんが悪いんだね!お兄ちゃん覚悟!」


 咲ちゃんの少し怒ったような声に寝ぼけ状態のひまりは錯乱している。ただでさえ寝起きは常に混乱しているのに、テーブルを挟んだ俺に向かって突然飛びかかってくるのだから相当だ。

 頭がガツンと当たった。物凄く痛い。ぽかぽかとも手で叩いてくるが、それよりもさっき頭が当たったところがは大丈夫だろうか。血が出てないだろうか。


「ちょっと痛いから!」

「関係ない!咲ちゃんを返せー!」

「ちょっと、ひまりちゃん?冗談だから。落ち着いて!」


 その声に気がついたひまりはようやく俺から離れる。そうして、少しずつ咲ちゃんに近づいていき、そうして大手を広げ、思い切り抱きしめた。


「ああ、咲ちゃんは私を見捨てないでくれるの?なんて優しい!」


 およよ……と、啜り泣く真似をしながらウザ絡みする妹に、咲ちゃんはとてつもなく嫌そうな顔をする。テーブルも近いし、危ないったらありゃしない。

 「ちょっと離して」という咲ちゃんの言葉も無視して絡み続けたひまりは、ついに頭を引っ叩かれる。何とも自業自得だな、と思う。いったーい……と言いながら頭を押さえるひまりはようやく寝ぼけから起きたようだ。


「ごめん咲ちゃん……」

「いいよ。それこそ、合格も決まってるし、それまで本当にひまりちゃんが頑張ってたの知ってるから」


 申し訳無さそうに頭を下げるひまりに、咲ちゃんは気にしていないように簡単に流してしまう。ひまりは一瞬ちらりと咲ちゃんの顔を見て、安心したように胸を撫で下ろした。その様子がなんだかすごく面白くて、思わず笑いがこみ上げてくる。


「まあ、それはそれとして、自分で勉強に誘っといて寝るとかやめろよ?」

「もちろん!今度は私が咲ちゃんに勉強教えるんだから!」


 ふんす!とやる気満々に力こぶを作って見せる。……正直力があるようには見えないが、普段の運動能力とか勉強能力とかのせいか、めちゃくちゃ頼もしく見える。

 お兄ちゃんにも教えてあげよっか?とからかうように言ってくるので、うっせ、と軽く頭を叩いて立ち上がる。ひまりのコップの中のジュースはもう空だ。それに外も暗くなり始め、そろそろ咲ちゃんも帰らないといけない時間だろう。


「最後にココア入れるから、それ飲んだら帰りな」


 マグカップにお湯を入れていく。香りが立ってきて座っているひまりと咲ちゃんも、期待するような目になる。こうも寒いと、温かい飲み物は本当に悪魔のような美味しさだからな。俺も飲みたくなってきた。


 できたココアを幸せそうに飲んだ二人は、すっかり温まったようで、コートを着て外に出る。外はもうすっかり暗くなっているので、俺も一緒に出る。風が体を刺し、凍えるような寒さだ。


「良かったんですか?お兄さんまで」

「違うよ咲ちゃん!お兄ちゃんはきっと咲ちゃんを狙ってるんだよ!」

「それも違うぞ。夜遅いのに年下の女の子だけで外に出せるか」


 妹がこれも好感度アップのためだー!と喚く。違うが?もしそうだとしても。年下二人だけでこんな暗い中外に出すよりましだろうが。


「ちなみに夜に外に出るのが心配なのは咲ちゃんだけじゃなくて、お前もだぞ。ひまり」

「え……?あ、そう……」


 その言葉が意外だったのか、ひまりは顔をマフラーに埋めて黙ってしまう。さっきまであんなに騒がしかったのに、一気にしおらしくなって拍子抜けだ。

 それを見ていた咲ちゃんは、これは好機と言わんばかりににやにやして妹に近づく。


「お兄さん。きっとひまりちゃん嬉しいんだと思いますよ。私のためにわざわざ外に出てきたと思ってたお兄さんが、自分もしっかり心配してくれているんだってわかって」

「……うるさい」

「知らないと思いますけど、ひまりちゃんお兄さんのこと大好きなんですよ。しょっちゅう話してくるし、この前だって……」

「ちょっと黙って」

「そうなのかひまり?まあ正直それはうれし……」

「うるさーい!妹を攻略しようとするなー!」


 あまりの羞恥に耐えなれなくなったひまりが駆け出し、やばいと思った俺達は、もこもこした暖かい服装で街中を駆け回ることになり、すっかり熱くなった。ココアを飲んだ意味とは何だったのだろうか……


 ちなみに、咲ちゃんを見送り、家に帰る途中もひまりの機嫌は直らず、コンビニでちょっとお高い肉まんを買ってやってようやく直った。簡単なやつである。

 

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