第41話「インサニアの森の魔女」

「──木くずの設置、終わりましたわ!」


 魔術で強化したマリスの聴力がルシオラの声を拾う。

 同様に、ノーラとトミーからも報告が入る。

 ルシオラは謎の無敵行動があるので戦場をフラフラしても問題ないと考えていたが、ノーラとトミーは少しだけ心配だった。もし何かありそうなら、魔素の影響はとりあえず後で考えることにしてクソデカ魔術でなんとかするつもりであったが、その心配はなかった。

 というのも、敵である伯爵が急にひとりで激しくヘッドバンギングを始めたからだ。

 ひとりで、というか、頭から赤い毛が生えているように見えるあれはおそらくシィラなので、シィラのハラスメント攻撃によって行動阻害されているせいだと思われる。

 ナイスアシストだ。間接的にシィラのハラスメント攻撃がこの地が領域から外れてしまうことを阻止したと言える。

 マリスが知る限りでは、これまでの歴史の中で『人類領域』が『領域外』へと堕ちる現象を阻止した事例は無かった。

 そう考えるとシィラの偉業は後世まで語り継がれるべきだろう。


 ただ文句を言いたいことがあるとすれば、いつの間にか四肢のすべてが伯爵の頭部に潜り込んでしまっているせいで、シィラにまとわりついた血を透明にするのが難しくなってしまっていることだろうか。

 確認していないが、たぶん、ちょっと誤爆して伯爵の頭部の一部の血も透明にしてしまっている気がする。まあ誤差の範囲だ。

 それよりシィラがなんか小刻みに振動しながら徐々に深く入って行っているように見えるが、目の錯覚だろうか。伯爵の動きが激しくてちょっとよくわからない。

 その伯爵の暴れ方も徐々に激しくなっているので、何をしているかは不明ながら、ルシオラたちの作業の安全に寄与しているのは間違いない。


 いずれにしても、インサニティ・エボニーの設置が終わったのであれば、もうこれまでだ。


「よし! じゃあ儀式魔術発動! 顕現! 『狂気の侵蝕インサニティ・エロシオン』!」


 マリスのパワーワードによって儀式魔術が発動する。


 儀式魔術とは、例えば要石や特別な発動体などの触媒を使って発動する魔術のことで、継続的な結界の設置や国をひとつ滅ぼすレベルの大魔術に使われる技術だ。複数の魔女によって発動するのが一般的だが、友達がいない場合はひとりでも良いとされている。されているというか、マリスがそう決めた。別にひとりでも発動できるので。


 顕現と言っている通り、この儀式魔術は設置した結界内に術者の任意の空間を顕現する効果である。

 と言っても、どんな空間でも自由自在というわけではない。儀式に使用したアイテムや、術者本人との親和性によって顕現できる空間は決まってくる。


「きゃあ! なんですのこれ!」


 パワーワードをトリガーに、練兵場のそこかしこからニョキニョキと木が生え始めた。

 木々はまるで生きているかのように、その幹を、枝葉をうねらせながら成長していく。

 生きているかのように、ではない。実際に生きているのだ。植物はみな生きているとかそういう自然の摂理の話ではなく、もっと動物的に生きているという意味だ。


 今回マリスが行ったのは、結界内にインサニアの森を顕現する魔術である。

 この練兵場は、正確には結界の内部は、完全にインサニアの森と化したのだ。

 しかも、異常成長し自ら動き回る木が生えているようなエリア──深層である。


 マリスは深く深呼吸した。慣れ親しんだ故郷の森の匂いだ。

 ほどよい濃さの魔素が漂ってくる。深層の魔素だ。

 まあこれは当たり前である。

 マリスが儀式魔術をひとりで発動できるのも、必要な魔素をインサニアの森の深層から引っ張ってくる術式を組み込んでいるからである。

 つまり、ここに満ちている魔素は、儀式魔術発動時に森から直接持ってきた魔素なのだ。

 マリスにとっては、まさに実家の如き安心感である。


「きゃー! なんでわたくしを追いかけて来るんです!? ここ最近で一番の大ピンチ! でも体調は最高って意味がわかりませんわー!?」


 ルシオラがお嬢様走りで練兵場を駆け回り、その後ろをインサニアの木々がうぞうぞと付いて回る。

 彼ら──木々をそう呼んでいいのかは疑問だが──は別にルシオラを追いかけているわけではない。単にこの空間に充満している歪んだ法素を嫌がって、本能のまま動き回っているだけだ。ルシオラはその前をたまたま走っているに過ぎない。

 あんなに叫びながら走り回っていては、息切れとか脇腹が痛くなるとかが心配になる。しかしまあ、大声で体調が最高とか言っているくらいだし問題ないか。


 そんなことより。

 結界が張られ、その内部に法素と互いに相性が悪い魔素が充満した今。

 マリスとルシオラの考えが正しければ、あの巨大化した伯爵の再生能力には限界が生まれたはずだ。

 そして、だからこそ、シィラの突き刺した剣や自ら埋まったあの状況も最大限の効果を持つ。


 その身体のどの部分の、どのような傷に対しても自動的に再生を続ける伯爵。

 当然に、剣やシィラが刺さった部分も再生しようとし続けているはずだ。しかし、異物があるため再生できない。再生できない以上傷は治らず、傷が存在しているのならば自動的に再生しようとする。

 死の匂いとともに法素が無限に供給されている状態ならいいだろう。肉体の再生という、高度で消費エネルギーのバカ高い術式を乱発しても、何も問題はない。

 しかしその供給を絶たれた後も、変わらずに同じことを繰り返し続けるのなら。

 あっという間にガス欠になってしまう。


「──お、おお? なんかこう、うまく言えないけど、伯爵巨人の締めつけ感がゆるゆるになってきたような……」


 再生し続けているがゆえに、シィラも頭部に埋まっていられたのだろう。彼女の髪の赤さも相まって、まるでカサブタのようにずるりと剥がれかけていた。

 同時に、あれほど激しかったヘッドバンギングも止まってしまっている。いや、ヘッドバンギングだけでなく、伯爵の動きは全体的に緩慢になっていた。


 限界が来ているのだ。


「シィラ! 今だよ! トドメをさしちゃいなさい!」


「あっはい! よっしゃ、今だだだだだだっだっだっだっだあああ!」


 いつの間にか乱打技になっていた、というかもともと別に技でもなんでもなかったはずだが、とにかくその技によって伯爵の肉体はみるみる削られていく。肉片をまき散らしながら。


 そして、縮んだ巨大な伯爵のシルエットの中から、血と死の匂いにまみれた通常サイズの伯爵が出てきた。


「うわあっぶな! 勢いで削っちゃうとこだったよ! 中の人いたんだ!」


「中の人言うな」


 超必殺・乱今打らんいまだを止めたシィラに引きずり出されたディプラノス伯爵は、ぐったりとした様子ではあったものの、まだ息があるようだった。


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