第37話「魔女の禁術は知られてなければ無いのと同じ」

 振り下ろされた腕の動作はそう速いものではなかった──ように見えたが、見た目以上の速度でマリスに迫ってきた。


「うわあぶなっ!」


 咄嗟の行動に慣れているマリスはすぐさま身体強化魔術を発動し、その場から飛び退る。伯爵の腕は練兵場の地面を叩き割り、腕の形に陥没させた。

 伯爵の下半身がすっぽり入っている窪みが広がるかと思いきや、そういう様子はない。練兵場の地下は今崩れている部分だけだったらしい。


「な、なんかすげーゆっくりに見えるのに意外と速いっすね……」


「……おそらく、大きさのスケールが違うせいでしょう。遅く見えても、彼の腕の長さを考えれば、拳の先端の速度は相当なものであるはず。なまじ人間と同じ形をしているせいで、彼の動作のゆっくりさと実際の速さとのギャップで一瞬混乱してしまうのです。うっぷ」


 ノーラに引きずられた状態のまま、ルシオラが解説してくれた。

 なるほど、そういうこともあるのか。

 インサニアの森には強力な魔物が多数生息しているが、その大きさは数十センチ~数メートル程度のものばかりだ。あまり大きいと森の中での生活がしづらいため、当然と言える。適者生存というやつである。

 砂漠や海の『領域外』には巨大な魔物もいると聞くが、インサニアの森からほとんど出たことがなかったマリスは見たことがない。

 つまり、マリスはここまで巨大な敵と戦ったことがないのだ。


「慣れないことをするのは苦手なんだけどな……」


 ここはシィラにメインで頑張ってもらうしかない。

 そう考えシィラの方を見てみると、大量の剣を抱えてオロオロしている。


「シィラ? 今だーチャンス到来だよ」


「で、でも、騎士団の訓練場にある木人形は人間サイズのやつしかないし、それだって数回しか練習したことないのに……」


 シィラもマリスと同じような理由で尻込みしている。

 考えてみればこれも当たり前かもしれない。シィラはアルゲンタリアに駐屯している法騎士団に属しているが、アルゲンタリアが面しているのはインサニアの森だ。であればそこの法騎士団が相対するのはインサニアの魔物がメインとなる。インサニアの森の魔物と、たまの人間の犯罪者を相手にするならば、訓練の的も人間サイズが最適だ。

 しかし的なんて本来、大きければ大きいほど良いものである。それだけ当てやすくなるのだから。近接で戦うのであれば注意する必要があるが、シィラが剣で近接攻撃をしているところは見たことがない。今も剣をたくさん抱えているので、近接攻撃をする気はないはずだ。


「何言ってんだよ。的もデカいし、むしろビッグチャンスだよ。適当に投げたってどこかに当たるじゃない」


「な、なるほど? それもそうか。……そうかな?」


「そうだよ」


「じゃあなんかそんな気がしてきた……! よーし今──んがっ」


「あ」


 伯爵はいつの間にかもう一方の腕を振り上げており、それがシィラの頭上から打ち下ろされた。

 マリスが回避したときと全く同じ光景が繰り返される。

 そしてそこに人など全くいなかったかのように、練兵場の地面は陥没した。


「シィラ様っ!?」


「きゃああああ!?」


 ルシオラとノーラが悲鳴を上げる。

 しかしマリスは動じていない。

 練兵場の地面がいかに兵士たちに毎日踏み硬められていようと、たとえばインサニティエボニーと比べればゼリー(※コラーゲンを利用した煮こごり料理のことを指す)のように柔らかい。たとえ伯爵の腕の下で地面との間の隙間がゼロになっていたとしても、どうせシィラは無傷で地面に埋まっているとかそんなところだろう。スポッと引っこ抜くとシィラの形に地面に穴が空いているとかそんな感じ。

 ただ、一時的にせよメイン火力と考えていたシィラが居なくなってしまったのは確かだ。


「しょうがない。私がやるしかないか……。まずは小手調べからかな。『カオス・イレイザー』」


 インサニア深層の突然変異体でさえ防ぐことの出来ない魔術である。攻撃範囲は狭いものの、威力だけならマリスの手札の中でもトップクラスの一撃だ。

 マリスの掲げた短杖の先に直径50センチほどの魔法陣が現れ、そこから白とも黒とも灰色とも言える禍々しい光の帯が放たれた。

 光の帯は瞬く間に伯爵の巨体に突き刺さる。

 そしていつかの猩猩の片腕と同じ様に、光に触れた部分が消し飛んだ。


「なんだよかった。十分効くな。じゃああとはこれの繰り返しで──」


 ところが次の瞬間、光の帯が消えると同時に、消し飛んだはずの部分の肉が盛り上がり、瞬く間に再生してしまった。

 よく見れば、例の濃密な法素が再生部分の周辺に特に濃く対流しているのがわかる。

 マリスは元々法素や死の気配を感じる能力は低かったのだが、それは対象をよく知らなかっただけで、一度それを目の当たりにしてしまえば、その異質な気配は些細な変化ですらわかるようになった。このように、ひとりの魔女の眠っていた感知能力を開花させてしまうほど、その気配は濃く揺蕩っていた。

 それらの気配は再生が終わったあともなお伯爵の周りを取り巻いており、いくら攻撃したところでまた同じことになるだろうことは明白だった。


「……そういうアレか。ちょっと私と相性がよくないやつだな。人間サイズとかならまるごと消し飛ばしちゃえばいいけど、これだけ大きいと……城ごと消し飛ばすとかの規模じゃないと対処できない」


 それが出来ないとは言わないが、魔素の少ないこんなところで撃つわけにもいかない。

 撃てないわけではない。マリスの開発した特殊な術式を使えば、インサニアの森の深層から魔素を引っ張ってくることも可能だ。しかしそんなことをすれば、下手をしたら魔術発動後の余剰分の魔素だけで周辺の魔素と法素のバランスが崩れてしまうだろう。それはこの周辺が法素ではなく魔素の満ちる地になってしまうことを意味している。

 わかりやすく言うと、ここが『人類領域』から『領域外』になってしまうということだ。

 それだけ魔素濃度が高くなると、魔物が自然発生するようになる。すると先住の人間との間に争いが起きるだろう。さらに法素濃度の薄さから人間たちは気分が悪くなったり体調を崩したりする。自然発生する程度の魔物なら大した脅威ではないが、人間側が本調子でなく、しかも魔物は絶え間なく増えていくとなれば、次第に魔物勢力が優勢になっていくはずだ。一度天秤がそちらに傾いてしまえば、もう止めることはできない。そのうち、数を増やした魔物たちの中から上位の魔物が発生し始め、いつしか誰の手にも負えなくなってしまう。


『領域外』を管理するべき魔女でありながら逆に『領域外』を増やしてしまうとなれば、魔女の皆さんからドチャクソ怒られるのは間違いない。

 少なくとも泉の魔女コルネリアは激おこ状態になる。それはまずい。「森の魔素を遠く離れた地で好き勝手に使う術式」も、バレてしまえば禁止されるだろう。これも怒られる案件なので誰にも言っていない。


「ていうか、『カオス・イレイザー』をたくさん撃つだけでも危ないかも。もうやめとこ。一発だけなら誤射で済むかもだし」


 今さらだが、城の三階から地下へ開いたポータルも危なかったかもしれない。あれも相当に魔素をまき散らしている。二回くらいまでなら誤射で済ませてもらえないものだろうか。

 しかしそうなると、伯爵はなるべく法術か物理攻撃で対処するのが望ましい。

 そろそろかな、とシィラが叩き潰された辺りに目をやると。


「──ぶはっ! いきなりなんなんだよもー!」


 スポッと地面から顔を起こし、シィラが立ち上がる。

 案の定、その足元にはシィラの形の穴が空いていた。


「おはようシィラ。改めてだけど、今だよ」




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る